第二章:呪い
小学三年生の夏だった。
その日、
昼休みを終えて教室に戻ると誰かが言った。
「こいつ呪いなんだよ」
最初は笑いながらだった。
冗談のつもりだったのかもしれない。
子供の言葉は軽い。
でも、その言葉は
思ったよりも長く残った。
「呪い」
誰かが面白がって繰り返す。
「近づいたらテスト0点になるぞ」
「触ったら不幸になる」
教室のあちこちで笑いが起きた。
僕は笑わなかった。
どう反応していいか分からなかったからだ。
いじめというものは、
大抵こうやって始まる。
特別な理由はない。
強い憎しみがあるわけでもない。
ただ、
誰かが言った一言が広がる。
それだけだ。
最初のうちは、
あまり気にしていなかった。
子供の世界では
からかいは珍しくない。
すぐに終わると思っていた。
でも終わらなかった。
名前を呼ばれる代わりに
「呪い」と言われる。
後ろから笑い声が聞こえる。
僕が教室に入ると、
少し空気が変わる。
子供ながらに分かった。
ああ、
これは続くんだな、と。
家では何も言わなかった。
父がいたからだ。
父は怒ると怖い。
声が大きい。
机を叩くこともある。
だから僕は、
学校の話をあまりしなかった。
弱音を吐くという選択肢が
頭に浮かばなかった。
子供というのは
意外と現実的だ。
怒られそうな場所では
何も言わない。
それだけだ。
救いは友達だった。
幸村と琉人。
二人は僕に普通に接した。
「呪い」とは言わない。
特別にかばうこともしない。
ただ普通に話す。
普通に遊ぶ。
それだけだった。
でも、その「普通」は
当時の僕にとって大きかった。
人間は
味方が一人いれば壊れない。
二人いれば、
なおさらだ。
ある日、僕は考えた。
どうすればこのいじめを終わらせられるだろう。
怒るのは無理だ。
喧嘩も強くない。
先生に直接言う勇気も無かった。
そこで思いついた。
先生に聞こえる様にすればいい。
次の日。
一人の男子が言った。
「呪いだ」
給食の時間で配膳中だった。
僕はこう返した。
「もう一回大きな声で言って」
「聞こえなかった」
僕はそう言いながら先生の近くに
しれっと歩み寄った。
すると不用心なその男子は
もう一度大きな声で言ってしまった。
当然先生にも聞こえる声量だった。
それがキッカケでクラスの
幸村と琉人以外の全員がいじめに
関わっていたことが判明。
いじめは翌日から嘘のように消えた。
その後も何度か
いじめを経験することはあった。
だけどこの体験から先生や親に
ちゃんと相談できるようになっていた。
余談になるが、学生時代の思い出で、
もう一つ忘れられないものがある。
数少ない僕の成功体験の一つ。
中学三年生の時だ。
学校の出し物で
僕はオカマ役をやることになった。
理由は覚えていない。
くじだったのか、
誰かが決めたのか。
とにかく、
僕は舞台に立った。
体育館には
全校生徒がいる。
ライトが当たる。
僕はセリフを言った。
次の瞬間、
体育館が爆笑した。
あの音を
僕は今でも覚えている。
笑い声の波。
空気が一瞬で変わる感覚。
人を笑わせると、
世界は少し明るくなる。
その中心に
自分がいる。
その時、僕は思った。
笑いってすごい。
小学生の頃、
僕は「呪い」と呼ばれた。
でもその経験が、
僕に話す勇気と忍耐を授けてくれた。
そしてもう一つ。
人は、
思っているより簡単に傷つく。
この町で、
僕の少年時代は続いていく。
ただその頃の僕はまだ知らない。
家の中で、
もっと大きな問題が
静かに育っていたことを。
父の借金。
家庭の事情。
それはやがて、
僕の人生を大きく動かすことになる。




