4-4 皇帝の生誕祭
蒼瑛の提案は、皇帝の生誕祭で翠玉を身に着けて歌うというものだった。
翠蓮は、蒼瑛が見つけた書物を開いてみる。
(む……難しい……)
書物は漢語や崩した字でかかれており、かなり難解だった。蒼瑛はこれを一人で読んだというのか。
だが、翠蓮はもう蒼瑛に任せきりにしたくないと思った。
ずっと見て見ぬふりをして、運命に翻弄されてきた。せめてここから先だけでも、自分から動きたい。
唸りながら書物を見る翠蓮に、蒼瑛は隣に並びそっと声をかけた。
「翠蓮、気になるところがあれば聞いてもらえれば……」
「はい……えっと、この神詩? というのは?」
翠蓮が指さしたところにはこう書いてあった。
『炎華の龍、蒼月の龍、ひとつに集え。光声差す時、陽出る』
「あぁ、これは皇族男子にのみ伝わる詩なんだ。恐らく、兄の持つ赤い首飾りと……」
そこまで言って、蒼瑛はちらっと翠蓮を見た。
「あ……蒼い首飾りならここに。……母の形見です」
また嘘を重ねてしまった。今更"実は記憶を取り戻した"とは言いにくくなってしまった。
蒼瑛は特に突っ込むこともなかった。
「兄の赤い石と、この蒼い石。
そして、翠蓮の翡翠の石。
この三つが合わさる時に、力を使えるのではないかと思う」
「力とは、具体的になんなのでしょう」
蒼瑛は別の巻物を取り出した。
「人の心に働きかけると言っても、催眠術のように支配できるわけではない。
石が拡声器のような役割をする。声や願いを、力強く、相手の胸に響かせる」
翠蓮は目を大きく見開いた。
「つまり普通に歌うよりも、私の感情や願いが、人の心に伝わりやすくなる、ということですね?」
「その通りだ」蒼瑛は微笑んだ。
「生誕祭には兄の赤い首飾りも揃う。
ここまで来たら、邪な者に翠玉を利用される前に、世の中に見せたほうがいい。
ただ……危険もある」
危険――
確かに、実際に翠玉がどう反応するかは未知数だった。
「それは、覚悟しています。蒼瑛さま、もしもの時は、翠玉を――」
蒼瑛は、翠蓮の願いに一瞬迷いを見せたが、彼女の目が本気であることを見て、了承した。
「わかった……翠蓮――」
「はい?」
「いや、なんでもない。蒼い首飾りを預かってもいいか?」
翠蓮は、何か言いたげな蒼瑛の態度がひっかかったが、彼に蒼い首飾りを託した。
◇ ◇
皇帝の生誕祭。
翠蓮たち楽府員は、控室で準備を整えていた。
皆、生誕祭にふさわしい厳かな礼服に身を包んでいる。
その落ち着いた姿とは裏腹に、翠蓮の胸は波打っていた。
そっと胸に手を当てる。
わずかに熱を感じる。
そこに、翠玉があった――
ぴょんっと背後から抱きつかれる。
「翠蓮、皇帝陛下の生誕祭で主演歌姫なんてすごすぎ!」
はしゃぐ明鈴の横で、絢麗は未練がましく言う。
「まったく、玉座の前で歌うのは私だと思っていたのに。中途半端な歌唱は許さなくてよ」
翠蓮はにこっと笑う。
「うん、任せて」
「あら、少しは頼もしくなったじゃない?」
突如割って入ってきた太凱は、ふふんと鼻で笑う。
「ついに皇帝陛下に、俺の歌唱を披露する時が来た!! もしかして陛下の専属歌人に誘われちゃうかもなー」
周囲の醒めた目にしゅんとした太凱に、明鈴は背中をポンポン叩いている。
「まぁまぁ、夢はでっかくって言うし。いいんじゃない? 夢見るだけなら」
「お前はいつもひと言余計なんだよっ!」
翠蓮は思わずふふっと声を出す。この日常はもしかしたら最後かもしれない。
「あのね……今日なにがあっても、みんなと音楽を奏でた日を……私は忘れない」
「え……何々? もしかして……」
明鈴は何を想像しているのか、赤くなった頬を押さえていた。
「どういうことだよ……」
太凱が言いかける前に、翠蓮は一足早く控室を出た。
南門へ向かうために長い廊下を一人歩いていると、
「おい」
不意にかけられた低い声――
沈香の香りに顔を上げると、炎辰がいた。
「こんな目立つ舞台で主演を務めるなど……何か策でもあるのか?」
翠蓮は黙った。
炎辰に全てを話すのが躊躇われる。
「蒼瑛には記憶が戻ったことは話したのか?」
「いえ……」
炎辰はすっかりいつも通りで、内医局で見せた揺らぎはなかった。彼にとったら、あの口づけは、揺さぶりの一種だったのだろうか。
そうは見えなかったが、翠蓮はいっそ、そうであってほしかった。
炎辰はふっ、と馬鹿にしたように笑った。
「なぜ蒼瑛に話さない? まさか、俺に遠慮しているなどとは言うまい」
「それはっ……」
違うとは言い切れなかった。記憶を取り戻したと蒼瑛の胸に飛び込んでいけないのは、どこかで炎辰の影がちらつくからだ。
「少しは蒼瑛か、俺か迷ってくれているなら……光栄だな」
愉しんでいるようにしか見えない。
(この人は……)
口づけされるなんて初めてだったというのに、人の心を何だと思っているのか。翠蓮は、彼のために悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「からかわないでください」
そう言い捨てて、炎辰の横を通り過ぎようとした時、腕を強く引かれた。
ほの苦い香りが濃くなる――
また口づけられるかもしれない。
そう思った時、翠蓮の脳裏に蒼瑛の笑顔がよぎった。
「やめてっ!!」
翠蓮は、思いっきり炎辰を突き飛ばしていた。
「それが、お前の答えだろう?」
翠蓮は、炎辰の表情を見て力が抜けた。
からかわれていたのではない――彼の目が、そう言っていた。
「歌を、楽しみにしている」
炎辰は、静かに言い残す。足音はそのまま遠ざかって行った。
「私の本当に大切な人……」
翠蓮は、はっきり蒼瑛への想いを自覚した。
もう自分の身分を卑下するのはやめよう。
憧れだ、尊敬だとごまかすのもやめる。
(生誕祭が終わったら、きちんと伝える)
翠蓮は、ふたたび歩き出した。




