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【完結】翡翠の歌姫は後宮で声を隠す【中華×サスペンス】   作者: 雪城 冴 @新選組の沼に落ちてます
三章 後宮編

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3-14 月にかける兄弟の思い


◇ ◆


 夜宴の前日。月明かりに照らされた道に、ひっそりたたずむ人影。

 隠し書庫から出た蒼瑛だった。顔色が悪い。


 床下に隠された古い書物――そこからかつての王家が隠し続けた真実を、蒼瑛は知ってしまった。

 かつての皇帝が声を持つ者を迫害したこと、忌み眼という差別用語を創り出したこと。


(これを知ったら、翠蓮はどう思うだろうか……)


 責められても仕方はない。それだけのことをしている。


 そう思うのに、彼女に真実を告げることを躊躇する自分がいた。ずるい考えであることは分かっている。

 ――なのに……


「夜宴が終わったら……そうしたらきっと話そう……」 


 "まずは、夜宴を無事終わらせよう"と自分に言い聞かせる。


 


(明日の夜宴……皇后は何を仕掛けてくるのだろうか)

 

 出来る対策はとったはずなのに、蒼瑛は不安がぬぐえなかった。 



 歩くたび、湿った夜気が衣の内にこもり、肌にまとわりつく。


 茶会があった日、紫雲につけていた目付からの報告で、急遽芙蓉妃に仲裁に入ってもらっていた。

 

 翠蓮は芙蓉妃に礼だけ述べ、すぐに稽古場へ帰ったと、そう聞いている。


 『泣くでも震えるでもなく、怖いくらい落ち着いていた』

 ――芙蓉妃の言葉が、胸の奥に引っかかって離れない。


 蒼瑛は息を長く吐き出す。

(あそこで騙し討ちのように開かれる茶会なんて、ろくなものではない)


 それに出席してなお、平然としていたというのはどういうことなのか。


 ちょうど、宿舎へ戻る翠蓮の姿が見える。こちらに気づくと、彼女は一瞬、周りを気にしたように見えた。


「夜分に失礼いたします」

 その声は、どこか硬く冷たい。


「あぁ、明日はいよいよ夜宴だな。急なことで準備も大変だっただろう」


「いえ、少しでも皆様にお楽しみいただきたいので」


 声だけではない。

 表情もまた、以前より明らかに硬い。


 薄闇をまとった翠蓮は、ついこの前までとは別人のようだった。


「茶会があったと聞いたが……

何か――」


 何かあったのではないか。

 そう口にしかけた瞬間、翠蓮と目が合う。

 だが、その瞳の奥からは、感情が一切読み取れなかった。


「無理は……しないでくれ……」


「はい。役目を果たせるように努めます。それでは、失礼いたします」


 夜宴のために所作を磨いたせいだろうか。

 ゆるやかに腰を折るその動きが、蒼瑛の目には酷くゆっくりと、そして妙に美しく映った。


 ――これ以上、踏み込むな。


 そう告げられた気がして、蒼瑛はただ翠蓮の背中を見送ることしかできなかった。


 気づけば月は雲に隠れている。

 蒼瑛は頭を整理しようと、来た道を引き返した。




(『役目を果たせるように』、か……)


 まるで、自分を感情のない人形のように扱う翠蓮の態度。


(無理にでも聞けばよかったのだろうか……)


 蒼瑛は自分のこの感情が、独りよがりな庇護欲に過ぎないのではないかと思えてくる。


(夜に考え事などするものではないな)


 悪い方へと傾きかけた思考を断ち切ろうと顔を上げると、いつの間にか普段は足を運ばない宮廷の外れまで来ていた。



 人気(ひとけ)のない回廊から、男女の声が聞こえる。

 どうやら、揉めているらしい。


(兄上――?)


 女は長い髪に顔を隠し、誰かは分からない。

 だが、縋りつくように炎辰の胸元を掴むその姿から、必死さだけは嫌というほど伝わってきた。


 それとは対照的に、炎辰の声は冷え切っている。


「知らぬと言っているだろう」


「嘘です……あの子に惹かれているのでしょう…?

私は……っ……あなたが誰のものにもならないと思ったから。ここまで……」


 嗚咽混じりの声は、聞いている蒼瑛の胸まで締めつける。


「お前とは、今日限りだ」


「炎辰さま……」


「本気になるなら終わりだと、始めから言っていたはずだ」


 女はしばらく、炎辰の胸に顔を(うず)めて泣きじゃくっていたが、やがて諦めたように身を離した。

 ――その時夜風に髪が揺れ、顔が明かりに照らされる。


(紫雲か……)


 紫雲は涙を隠すように顔を押さえ、蒼瑛とは反対側へ駆けて行った。


 何が楽しくて、兄が女性と別れる場面など見なければならないのか。

 だが、あそこまで想われることが少し羨ましくもあった。


 蒼瑛がそっとその場を離れようとしたとき、背後から不満げな声が飛んできた。


「覗き見するなら、もう少し上手くやったらどうだ」


 足を止めて振り返ると、炎辰がこちらへ歩いてくる。


「……別に、覗いていたわけではありませんよ。

兄上こそ、もう少し場所を選んでください……」


 炎辰は蒼瑛の前で立ち止まり、胸の前で腕を組むと、静かに言った。


「……夜宴は明日か」


「はい……」


 炎辰が会話を続けること自体、何か裏があるように思えてしまい、身構える。


 雲が風に流れ、再び月明かりが二人を照らす。

 蒼瑛が視線を上げると、満ちかけの月が、白く重たげに浮かんでいた。


 それにつられるように、炎辰もまた天を仰ぎ見る。


 こうして並んでいると、いがみ合う前の幼い頃に戻ったようだ。


 炎辰が、ぽつりと口を開く。



「昔は――」


「兄上……?」


「いや。詮無きことだな」


 思わず、そのまま驚きを顔に出してしまっていた。

 まさか兄も、自分と同じように過去を懐かしんでいるとでも言うのだろうか。


 だが、炎辰は、蒼瑛の顔に気付くと嘲るように口元を歪めた。


「だからお前は甘いと言うんだ。明日は、せいぜい、あの女の盾にでもなってやるんだな」


 そう言い捨て、振り返りもせず去っていく。


「……気のせい、なのか」


 “昔は”

 そう言ったときの炎辰の横顔に、ほんの一瞬、憂いが滲んだように見えた。


 それは、兄を信じたいという自分の気持ちが見せた、ただの幻想だったのだろうか。



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