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【完結】翡翠の歌姫は後宮で声を隠す【中華×サスペンス】   作者: 雪城 冴 @新選組の沼に落ちてます
三章 後宮編

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3-13 恐怖の蓮の茶会〜後宮にて〜


 清苑(セイエン)妃付きの侍女が、翠蓮(スイレン)の袖を強く引く。


「こちらへ。遅れますよ、翠蓮(スイレン)さま」

 紫雲は逃さないというように、侍女の反対側から翠蓮を支えていた。その表情はどこか愉しげだ。


「お待ちください……いったい、どこへ――」



 渡り廊下を曲がると、空気が変わった。


「ほら、見えてきましたわ」

 侍女が顎で示した先に、小さな茶亭がある。庭の中央に据えられ、緑と池が美しい。開放的なはずなのに、後宮という枠の中では、かえって息苦しく感じられた。

 


 抵抗する暇もなく、二人に挟まれたまま茶亭の敷居をまたぐ。高貴な香りが淡く漂う。


「あなたが、翠蓮さまね」

 清苑妃が、扇を口元へ寄せながら微笑んだ。

 はっきり言わないが、翠蓮の瞳の色を見る視線には、嫌悪が潜んでいる。

 周りには他の女官や妃が四、五人座っている。

 視線が一斉に翠蓮へ注がれる。



「そんなに強張らなくてもよろしくてよ。ぜひお話を聞きたいと思っただけですの」


 清苑妃は翠蓮と紫雲に着席を促した。紫雲は迷いなく腰を下ろす。

 戸惑っていると、侍女が背中を押すようにして翠蓮に膝を折らせた。


 清苑妃はまるで舐めるように翠蓮を観察する。茶と菓子を勧めると口を開いた。



「あの皇后さまが歌を望まれるなんて、どんな方か皆で噂していましたのよ。

しかし大変でしょう、宮廷に入ったばかりで大役を任されて」



(ここまで来たらもう逃げられない……)

 翠蓮は観念し、呼吸を置いた。


「はい。勉強の日々でございます」


「その点紫雲さまは慣れていらっしゃるものねぇ」

 清苑は紫雲に微笑みかける。

 

「いえ、私はたまたま後宮の歌坊(かぼう)の歴が長いだけですので」

 紫雲はすっと頭を下げた。

 清苑は再び視線を翠蓮に向けると、笑顔を消して眉を寄せる。


「その点、翠蓮さまは少々荷が重いのではなくて?

もし皇后さまの前で失礼があったら、あなたをお気に召している貴妃さまにまでご迷惑がかかってしまうわね」


 芙蓉妃の優しい笑顔が頭に浮かぶ。

 


「は……い。まだまだ未熟な身の上ですが、皆様に少しでもお楽しみいただけるよう心に刻みます」


 清苑はそれには返事をせず白茶を口に含むと、思い出した様に声を出す。



「そうそう楽府でこの間事件があったんですって?

翠蓮さまの衣装が破かれたとか」

 

「はい……」

 北方の貴族の饗宴のことを言っているのだろう。


「酷いことをする人がいたものねぇ。それにしても楽府の責任者様も辛いお立場ね」


(……責任者って蒼瑛さまのこと?)


 清苑に視線を送られると、女官は声をひそめてそれに応じた。



「なんでも、饗宴の重要性を無視して舞台を中止しようとなさったんですって?

なんでも"どなたか"をお庇いになったとか」


 女官は、翠蓮に視線を向ける。 


 翠蓮の顔色が変わったのを確認すると、清苑はゆるやかに卓の上を指し示し、訝しげに首を(かし)げる。


「あら、蓮の実の砂糖漬け……お嫌いかしら」


 翠蓮は蒼瑛の話で頭がいっぱいで、茶菓子どころではなかった。

 別の妃が声を潜めて言う。



「蓮の実はね、育ちが悪いとどうしても筋が残ってしまうものなのよ」



 女官も相槌をうつ。

「蓮は泥の中で育つもの。泥が深ければ深いほど、中身まで(よど)んでしまうものよ。

ねえ、翠蓮さま? せっかくお顔立ちはおきれいなのに……」


 そういう妃も女官も、いや、気づけば誰一人として蓮の実は口にしていない。



(蓮の実の話をしているんじゃないんだ……)


 眼だけでなく、名前についても嫌味を言われたのは初めてだった。ギュッと膝の衣を握りしめると、その上に紫雲がしなやかに手を重ねてくる。相変わらずひんやりと冷たい手だ。


(紫雲さん……?)

 励まそうとしてくれているのだろうか。

 紫雲の方を見ようとしたが、先ほどの女官が哀れむような口調で話を続ける。



「蒼瑛殿下もお気の毒と言いますか……

ご厚意で手を差し伸べて蓮の実を拾おうとしたばかりに、泥水(でいすい)に溺れるなんて」



 ぱちんっと扇を閉じる音がした。

 翠蓮がはっと顔を上げると、清苑は煽るようにこちらを見ていた。


「殿下がどれほどお優しくても、生まれの地盤から背負える重さには限りがありますから。

支えるつもりが、気づけば共に沈んでしまうこともございますのよ。

……本流でない者どうしなら、なおさら」


 蒼瑛の庶子という身分を刺しているに違いなかった。

 その言葉に、翠蓮は喉の奥が熱くなる。

 


「……生まれを嘲るなら、どうか私だけにしてください。

蒼瑛殿下は泥に沈むようなお方では、決してございません」

 揺るぎない声に一瞬、その場にいたものはたじろいだ。

 清苑は視線を翠蓮から逸らす。


「……殿下を大切に思っておられるのは分かりましたわ。

けれど、だからこそ……

周囲の目には慎重であられたほうがいいわ。殿下があらぬ誤解をされるのは、あなたも本意ではないでしょう?」



「……それは……」



「まぁ、もう遅いかもしれませんけれど」



「っ――……」



 その時


「ここで、何をしておいでかしら?」

 怒りを含んだ静かな声に皆が視線を向けると、芙蓉妃が女官や妃を連れ立っていた。

 清苑たちが押し黙ったのを見て芙蓉妃はにこやかに続ける。


「随分と楽しそうな茶会ですこと。お呼ばれしていないことが残念ですわ。

翠蓮、顔色が悪いわ。こちらへいらっしゃい」

 芙蓉妃は翠蓮の手を取り、抱き寄せるようにして取り返す。


「清苑妃さまが主催されたのかしら」


「え……えぇ……いえ、貴妃さまをお連れするほどの茶会ではございませんでしたので……」


「そうですか。次からは私も呼んでくださるわね? 美しい蓮の花を泥のように扱う方がいましたら――

私としても見過ごせませんもの」


「そんなことは……」

 清苑は、先ほどの余裕は何処へやら、分かりやすく狼狽えている。



「蓮は泥からこそ咲く花。

泥を怖れるのは根の張れない者だけですわね、清苑妃さま?」



「……わ、わたくしは……そのようなつもりでは……」


 芙蓉妃は、青ざめた顔の清苑を涼やかに一瞥する。


「そうであれば、よろしいのですけれど。さぁ参りましょう」

 

 芙蓉妃たちと翠蓮は茶亭を出ていく。



 残された清苑(セイエン)妃は、震えていた。

 怒りではなく恐れ――芙蓉妃ではなく、もっと大きな何かに怯えているように見えた。



 その清苑(セイエン)妃を、紫雲が薄く笑みを刻み眺めていた――





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