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【完結】翡翠の歌姫は後宮で声を隠す【中華×サスペンス】   作者: 雪城 冴 @新選組小説「あさぎに揺れて」連載中
一章 楽府オーディション編

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1-10 式と祝

 晴れの日にふさわしい朝。太華殿(たいかでん)の前に楽府員たちが整列する。


(いよいよ入府式……。バッジを付けると身が引き締まるな。)


 出来たての官服に袖を通すと、翠蓮(スイレン)は自然と背筋が伸びる。



 静かに目を閉じる。

(一人じゃここまで来られなかった)

 試験を通して明鈴(メイリン)太凱(タオガイ)という仲間ができた。

 蒼瑛の優しさに救われた。


 半年前、父を殺された絶望――それを少し受け入れられる気がした。

 


「皇帝陛下の(みことのり)を、諸君に告ぐ――」


 低く落ち着いた声の方を見つめる。

 蒼瑛は正装を着用している。いつもは簡素に束ねられた蒼い髪が、今日は格式高くまとめられていた。

 厳かな装いは、彼の端正な顔立ちをいっそう引き立てる。

 

(こうして見ると、眩しいくらいだな)

 改めて別世界の人なのだと実感させられる。

 たった数歩の距離なのに、遥か遠くに立っているようだ。



 勅を言い終えた蒼瑛は、楽府員を見回して静かに頷いた。



 それを合図に音が紡がれる。


 雅楽(ががく)の形式に慣れず、まだ堅い者もいるが、乱れのない美しい旋律を奏でている。


 翠蓮は、その旋律に心を委ねる。

 ただ憧れていただけの舞台に、今自分が立っている。


(これからも、たくさんの人に歌を届けたい)


 そんな気持ちを象徴するような初々しい歌声が、美しく太華殿へ溶け込んでいった。

 


 蒼瑛は礼をし、式の終わりを告げる。


「皆、入府おめでとう。今宵は祝宴を用意してある。これからの門出を共に祝おう」


 楽府員達は顔を見合わせ、小さく沸き立った。



◇ ◆



「無礼講だ~、飲め飲め!」

 太凱は一升瓶を握り締め、まだ酒が入ったままの翠蓮のおちょこになみなみと注ぐ。

 翠蓮は少しだけ抵抗を試みた。


太凱(タオガイ)、それ、目上の人が言うんだよ……」


「うるせー、堅いこと言うなって!」

 太凱は猫のような目を釣り上げ、翠蓮を睨むと、ふらふらとどこかへ行ってしまった。



 確かに、無礼講と呼ぶにふさわしい祝宴だった。

 ここまで張り詰めてやってきた受験者達は少々――いや、大分飲み過ぎ、中には早々と酔いつぶれるものもいた。



 蒼瑛に目線を向けると、女性陣に取り囲まれていた。彼に骨抜きになっているのか、皆目の色が変わっている。

 蒼瑛は普段と変わらず、蜜のような甘い笑顔でにこやかに会話していた。



 翠蓮はそれを見ると、なぜだか胸の奥が疼く。

(食べ過ぎたかな?)

 


「あれ~?もしかして蒼瑛さまに見とれてる?」

 後ろから抱きつかれ、振り返ると頬にふわっと茶色の癖毛が当たる。明鈴だ。こちらも大分酒が回っており頬が赤い。


(確かに……ちょっと見惚れてたけど……)



「ほら、お前ら飲んでるか~?」

 戻ってきた太凱は、明鈴との間に割り込むように入ってくる。

「ちょっと、飲酒強要(アルハラ)禁止です~!」


 元々元気がいい二人は、お酒の力を借りてさらに盛り上がっている。翠蓮は苦笑した。






 だいぶ夜も深まり、既に部屋に戻る者は戻っていた。部屋には酔いつぶれた者が屍のように倒れており、残っているのは、酒豪か介抱する者だけだった。


 既に明鈴も太凱も潰れており、頭をくっつけて寝ている。


(仲いいな。なんだかんだ息ぴったりだし)

 

 そろそろ引き上げようとした時、ふっと書の香りがした。



「翠蓮、隣いいか?」

 振り向くと、疲れた顔の蒼瑛が立っていた。彼の後ろには大の字の陳偉(チンエイ)が、口ひげをフゴフゴ言わせているのが見える。



「あそこにいらっしゃるのは……」



「あぁ、陳偉は酒に弱くてな。大体酔うと私の小さい時の思い出話からはじまって、最近は泣きながら『こんなに大きくなられて!』って……今やっと寝てくれたところだ」



「ふふっ……陳偉様にもそんな一面があるんですね」

 今日はもう話す機会はないかと思っていた。こうやって他愛もない会話ができることが嬉しい。

 翠蓮が小さな幸せを感じていると、突然、目の端で金色が揺れる。酔いつぶれていたはずの太凱が起き上がっていた。


「どうしたの太凱?」



「気持ち悪い……みず……」



 翠蓮はおろおろと水を取りに行く。戻って来ると、蒼瑛が太凱を支えていた。



「飲める?大丈夫?」



 そう言いながら、太凱の背中をさすっていると



「スイ……レン、お前って優しいよな……。いつもからかって……ごめんな」


 突然反省し出した太凱が怖くなり、いよいよ吐くのかと、目で受けるものを探す。しかし太凱の反省は止まらない。



「かわいくって……つい……」



「ちょっと……何言ってるの?吐くの?蒼瑛さま、もしかしたら汚れてしまうかもしれないので……」


 いくら無礼講の祝宴とは言え、皇子に"あれ"がかかるのはさすがにまずい。



 翠蓮が太凱を引き取ると、

「もう大丈夫、ちょっと膝貸して……」

 そう言って太凱は、猫のように、翠蓮の膝で眠り始めてしまった。



(えぇ……嘘でしょ……)


 金髪のツンツンした髪があたって、膝がくすぐったい。

 なんとかその辺りを汚さずに済んだが、動けない。



「すみません蒼瑛さま、お見苦しいところを……」



「……」


 しばしの沈黙の後、蒼瑛が口を開いた。翠蓮は気づいていないが、その声は少し怒りを含んでいる。


「……膝枕……代わろう」



「え? いえ、そんな。下手に動かすと吐くかもしれませんし……」



 蒼瑛は、今度は誰が見ても分かるほどムッとし、口をとがらせる。

「私がそうしたいんだ」

 と譲らない。いつもの冷静さは消えていた。



(怒ってる……よね? そんなに膝枕してあげたいってこと?)



「そうしましたら、蒼瑛さまに申し訳ないので、こちらの座布団に移しましょう」



 手近な座布団を手に取り、刺激しないように二人がかりで太凱を移す。下ろす時に、耳に付いている沢山のピアスが、しゃらんと音を立てた。


「大丈夫そうだな」

 のんきに寝息を立てているのを見て、蒼瑛はほっと一息つく。



「すみません、せっかく申し出てくださったのに、座布団で」



「いや、別に彼に膝枕をしたかったわけでは……さっきは思いつかなかっただけで、座布団の方がよほど良い」



「そうなのですね……?」



「あぁ、翠蓮の膝で寝てるのを……見るのが嫌だっただけだ」


 翠蓮にはどうやら意図が伝わっていない。不名誉だが、蒼瑛は『どうしても男を膝枕したかった男』になったようだ。



 気づけば、部屋で意識があるのは、蒼瑛と翠蓮だけになっていた。



「翠蓮は、酒を飲んでも変わらないんだな」



「あ、私飲んでいないんです。一度飲んだことがあるんですけど……」



 初めて酒を飲んだ時の記憶が翠蓮にはなかった。ただ、育ての父に『お前は絶対酒を飲むな。』とだけ言われた。

 理由を聞いても『歌以外で人を虜にするな』としか言われなかった。



(お父さん……もう、会うこともできない……)


 心の傷は時間が癒やしてくれていたと思った。なのに、父を殺したあの男の言葉が、呪いのように消えてくれない。



「どうかしたか?」



「私の眼は……本当に、周りを不幸にするんじゃないか。って……」


 喉が詰まったようになり、続きは出てこなかった。

 蒼瑛はなんとなく事情を察したのか、席を立とうとする翠蓮の手を引く。隣にすとんと座らせた。



「翠蓮の眼は綺麗だ。誰が何と言おうと」

 じっと見つめられ、心が痛いほど揺さぶられた。蒼瑛は微笑む。表面上の笑みではない、ふんわりと優しい顔だった。


「それでも、泣きたければ泣いてもいい」



「いえ……泣きません」



「強情なんだな」



「はい……」



 翠蓮の身体の震えは、指先から蒼瑛へ伝わる。

 蒼瑛は、翠蓮の涙に気づかないふりをして天を仰ぐ。



 その心遣いに、翠蓮はここに来るまでのことを思い出していた。


 そう、忌まわしいあの日を――

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