59話 残光
ジムニーは田崎の祖父の家に着いた。
時間は十九時を過ぎた頃だった。
玄関に明かりが灯る。
小柄な老人が玄関の戸を引いて姿を見せた。
「ひいじいちゃん……」
碧の声には元気がない。
「未来さん、チョーローから話は聞いておる…… 無事で良かった」
「すみません、こんな遅くに…… 圭一はまだ向こうに……」
「……そうか。あいつなら、大丈夫じゃろ」
「お世話になります」
モーイがひょいと顔を出して挨拶をする。
田崎の祖父はジムニーから降りてきたイリナとケイを見て、目を丸くした。
「向こうのお人じゃな。懐かしいの」
「ひいじいちゃん? 知ってるの?」
碧は不思議そうに田崎の祖父に問いかける。
「六十年前に向こうにいたからの……」
祖父は静かに、確かな口調で言った。
「えっ?!」
碧と未来は目を丸くした。
時が止まったように感じる。
「ひいじいちゃん…… 向こうに? 本当に?」
「ああ。今まで、誰にも話してなかったけどな」
祖父はにやりと笑う。
その目には遠い記憶が宿っているようだった。
「さあさ、寒いじゃろ。話は後じゃ。早くお上がり」
イリナとケイは不思議そうな顔をして、広々とした玄関を見回した。
その時、祖父は玄関の明かりで未来と碧の左手の模様を見て目を細めた。
「小人と耳長の彼にも、ついてるな」
四人の顔が暗く沈む。
「うちの裏山にも、同じ模様の石板がある……」
「ほんと? なんで?」
祖父は何かを考えるように黙った。
「……風呂に入って、飯を食ってから話そう」
「さあ、お風呂に入っておいで、その間に天ぷらでも揚げようかの」
その声を聞いて碧とモーイの目が輝いた。
「この人はイリナさん、すごい人だよ。そして、こっちはケイ兄ちゃん。こっちの小人さんはモーイ」
「賑やかだね。遠慮せんとお上がりなさい」
「靴、脱ぐんだよ」
碧がケイとイリナに教えた。
「裏山の、石板……」
モーイが考え込むようにつぶやいた。
*
リーは床の上でミルクを飲んでいた。
「はー、生き返ったわね。でも、また行かないと……」
未来は碧とイリナを風呂に入れて、さっぱりとした顔で言った。
イリナは碧の着替えを断り、同じ白い長袖のワンピースを大切そうに着直した。
ケイは入浴を断り、モーイと祖父との話に聞き入っていた。
モーイが珍しく深刻な顔で祖父と話をしている。
ケイもモーイの通訳で難しい顔をしていた。
祖父は話しながら、ジュウッと天ぷらを揚げていた。
香ばしい匂いに、碧のお腹が鳴る。
「さ、お上りなさい」
「ケイ兄ちゃん! おいしいよ、食べて!」
ケイは慣れない手で箸を使い、きのこの天ぷらをつまんだ。
『熱いッ!』
ケイは口元を手で覆い、碧が笑う。
イリナもこわごわとゆっくりかじり、さくさくの衣に目を丸くした。
その様子を和んだ目で見ていた未来が、ふとモーイに目を向けた。
「裏山の石板って?」
「もしかしたら、影が残っているかもしれない……」
モーイは慣れた様子で天ぷらを頬張っていく。
「あそこか! ”小人を呼び出す方法”のあの場所ね」
未来がはっとしたように声を上げた。
田崎が祖父から聞いた”小人を呼び出す方法”で、碧が小さい時に連れられていった場所を思い出した。
「もしかしたら、そこからまた、戻れるの?」
「影がたまっていて、術が使える小人がいれば……」
モーイがイリナとケイに通訳をすると、二人の顔に明らかに安堵の表情が浮かんだ。
「そりゃ、不安よね…… うちも実家とか親戚とか、心配してるよね……」
「一応、電波障害と雪で、という連絡はしておいた。十二年前の時みたいな騒ぎにはなってない」
「ありがとう……」
未来もほっとしたが、実家やママ友との約束を思い出して頭を抱えた。
「まあ、しょうがない……」
頭を切り替える。それよりも圭一を連れ戻さなければ。
「石板って、どこにあるの?」
モーイがテーブルの上に胡坐をかいて、天ぷらを頬張りながら聞いた。
「冬の間は雪で埋もれるから、今は車庫の並びの蔵に保管してある」
「ほんと?」
「チョーローとの約束だからな。時々、掃除しないといけないからの」
「早く、行こうよ!」
碧が立ち上がった。
「多分、チョーローから連絡が来ると思う。それまでゆっくりしてようよ」
モーイが首を振って、芋の天ぷらに手を伸ばす。
『今、帰っても使い手がいたら、危険です』
イリナが目を閉じた。
「準備だけでも、しておきましょ」
未来は居ても立ってもいられず立ち上がった。
「ジムニー、見てくる」
*
そのチョーローの最後の光は、グランたちのいる結界まで届いていた。
温かな光に包まれる。
やきもきしていた二人は、その強烈な光に不吉な何かを感じ取った。
『……チョーローの光。亡き法王猊下の、最後の光と似ている……』
『凄まじい光ね……』
まもなくして結界が消えた。
『術者になにかあったか……』
『まさか、チョーローが……』
結界は解けたものの二人の体には、チョーローの光の残渣が残っていた。
そのとき、冷たい気配が近づいてきたと思うと、ババ様の乗る羽猿が一瞬にして飛び去った。
しばらくして金色の竜猿が、グランとハンクの前に降り立つ。
『タサキ! リューシャ! 無事だったか!』
『チョーローは?』
オムカが首を振った。
『まだ、終わってない。使い手は死んでない』
『グラン、ハンク。二人の力が必要になると思う』
オムカがきっぱりと前を向き、リューシャが二人に声をかけた。
グラン、ハンクと合流した一行は、羽ピーに乗って崩壊した巌窟寺院を飛び出した。
「ナヴィとホーガイたちのところに行かないと」
オムカは指示を出す。
「祭壇をどこに置くか、相談しないとね」
満月の月明かりが巌窟寺院の広場の惨状を照らし出していた。
落下して砕け散った竜猿の石片が散乱し、その中央に巨大な古竜猿の石像があった。
その醜悪な猿の顔は苦しげに歪み、全てを呪っているようだった。
その足元に羽ピーは降りていく。
結界を突き抜けるわずかな抵抗があった後、ホーガイの馬車とグラン隊の姿が見えた。
そこは結界を張る前の石畳の広場であった。
「切り離された別次元だからね。結界を張ったときのまんま」
田崎の息を飲む様子に、オムカは答えた。
「オムカ、普通に日本語を話せてるじゃないか」
こんな時に、と思ったが田崎は言わずにいられなかった。
「チョーローに教えてもらってたんだけど、自信なくてね」
オムカが少し寂しげに笑った。
ホーガイが馬車から出てきて、手を振る。
その足元にナヴィ、マオルカ、メガネの小人たちがいた。
小人たちは、チョーローの死を察知していた。
『チョーロー……』
田崎はチョーローの遺体を、ホーガイの馬車の座席に静かに横たえた。
ホーガイの肩が震える。その口から嗚咽が漏れた。
小人たちも涙ぐむ。
誰からともなく聖戒の言葉を静かに唱え始めた。
やがて、その寂しげな詠唱は次第に結界の中に広がっていった。
グラン隊もグラン、ハンクと合流し唱和した。
しばらくすると、静寂が結界を支配した。
『まだ、終わってない』
オムカが潤んだ瞳を小人たちに向け、チョーローの杖を掲げた。
『ナヴィ、どんな様子だった?』
情報収集をしていたナヴィがオムカに報告する。
『グラン隊を追っていた鉄騎軍は、スタンピードで壊滅してた。ヴォルノ隊と戦っていた本隊は、闇の呪いが解けて、武装解除していたよ』
その言葉にグランがほっとしたように息を吐いた。
『使い手の影が、大きくなっておるな……』
『みんなの紋様も祭壇に宿らせないと……』
メガネとマオルカも顔を上げた。
『そのためには、イリナ…… 法王猊下に早くお帰り頂かないとね』
オムカはいつもの口調に戻っていた。
『イリナ、いや法王猊下とアオの光があれば、使い手なんて、なんてことないよ』
オムカは明るく言った。
だが、握りしめた杖が小刻みに揺れていた。
その時、巌窟寺院から深く濃い影が湧き上がった。
凍えるような冷気が散乱した竜猿の石像に忍び寄る。
その影は、不気味に赤く光る満月を、覆い隠していった。




