4話 手当
夕暮れの太陽が里山を照らしていた。
黄金色に輝く野原と緑あふれる森。
先ほどまでの草原とは別世界だった。
「くうん」
リーが鳴いた。
「……小人の……里?」
碧が鼻をすすり上げてつぶやいた。
「……きれい」
二人は顔を上げて目を見張った。
「ここは、安全だよ。碧、未来」
田崎はほっとして伝えた。
「そう。ここ。ここが小人の里だよ。……碧」
『**! ***!』
ケイが呻くように声を上げた。
「ちょっと! 動かないで! 碧! もう一枚タオル!」
はっとした未来が圧迫止血を続ける。
田崎はケイの横顔を見つめた。
——リューシャそっくりだ。
だが、その目の形は、鏡で見る自分に似ていた。
——この子は、俺の子だ。
その事実が、じわじわと胸に染み込んでくる。
同時に未来と碧の視線が自分に刺さるのを感じた。
「……その子……パパの子なの?」
タオルを渡す碧の目が、まっすぐ田崎を射抜く。その目には疑念と寂しさが混じっていた。バックミラー越しに眉間にしわを寄せた碧と目が合った。
「ちょっと……小人の里は聞いていましたけれど……」
止血を続ける未来の声は、まるで深海の底のように静かだった。
「あなたの子どもがいるなんて、聞いていませんよ?」
怒鳴られるより、この静けさの方が怖い。
「い、今さっき、俺も、初めて知ったんだ……」
言い訳にもならない。田崎は唇を噛んだ。
「……最低……」
「……」
小人の里にリューシャはいるだろうか?
——ずっと会いたかった。忘れられるはずもなかった。
その思いが浮かんだ瞬間、罪悪感が胸を締めつけた。
もしあの小屋にいて未来と碧と鉢合わせでもしたら、三人はなんと思うだろうか?
——今、そんなことを考えている場合か。
田崎は首を振った。小人の里に留まっているかどうかも分からない。
ケイの存在も知らなかったのだ。
「タサキ、こっちじゃ」
チョーローが杖を向ける。
「まずは手当じゃ」
その声にほっとしたように田崎はアクセルを踏んだ。
「あとで、じっくり話、聞かせてもらうから……」
「……はい」
田崎の背中が伸びた。
——もしリューシャがいたら……
修羅場の予感に田崎は身をすくめた。
*
父の小屋は、様変わりしていた。
そしてリューシャはいなかった。
「リューシャは、おらん……今は……」
落ち着きなく見回す田崎を見て、チョーローが声をかけた。その口調はどこか歯切れが悪かった。
ほっとしたような残念なような、複雑な心境のまま小屋を見回す。
ふと横を見ると、未来がこちらを見ていた。
「……」
何か言いたげな目をしていた。
だが、未来は何も言わなかった。
——バレてる。
田崎は視線を小屋に向けた。
納屋は以前より広くなり、土間にはかまどと薪が整然と並んでいた。五徳の上の大鍋からは、かすかに焦げた薪の香りが漂う。木のテーブルと椅子が二脚。柱にはロープが張られ、洗濯物が揺れていた。
真ん中には父の軽トラがあの日そのままに鎮座していた。その横には錆びた発電機と、そこにジムニーのスペアタイヤが立てかけられていた。
ジムニーを軽トラの横に停めると、一行は車を降りた。
物珍しげに小屋を見て回る碧と未来。
田崎はケイを抱き上げると、小屋のドアを開け中に入る。
『***! **』
ケイは顔をしかめ、何かをつぶやく。
「ケイ! もう大丈夫だ」
——ケイ……
驚くほど軽い体に、息子という言葉の重みが初めて田崎の胸に迫った。
リューシャとの短い日々。別れ。そして自分の知らないところで育った命。
「ケイ、もう大丈夫だ。父さんが……」
言葉が途切れた。「父さん」と名乗る資格が、自分にはあるのか。
寝台の上にケイを横たえると、未来が救急箱を持って小屋に入ってきた。
田崎はケイの止血を続けながら、部屋を見まわした。
そこは生活の場だった。
殺風景だった部屋にはベッドが二台置かれ真ん中には小ぶりなテーブル、そこには飲み差したコップと花瓶には花が生けられていた。壁には上着が吊るされ大小の弓、二振りの長剣、小刀が数本かけられていた。
「それは大丈夫だと思う」
救急箱から消毒薬とガーゼを取り出す未来を制止したとき、わらわらと小人が入ってきていた。
「な、なになに?」
両手に壺を抱えている。壺からは漢方と香辛料を混ぜたような独特な匂いが発されていた。
「な、なにするの?」
「こ、小人……? たくさん来た……」
未来と碧の足元をちょこちょこと歩いてくると、壺をもったまま寝台に飛び乗った。
小人の行動に固まる未来と碧。
小人は次々と壺をケイの傷口の上でひっくり返すとペーストを傷口になすりつけていく。
「この薬は、すごくよく効くんだ」
田崎は未来にひそひそと教える。
「……そ、そう?」
未来の口元がひくついた。
「もう安心だよ」
「何が?」
「……ケイが」
「わたしたちは?」
「……」
沈黙に未来は手の甲で額を押さえた。
あまりにも情報量が多すぎるという顔をしていた。
「ここからいつ帰れるの?」
「……わからない」
「……」
「チョ、チョーローが教えてくれると思う……」
「チョーローって、さっきの小人?」
「と、とりあえず、手を洗おうか……血を落とさないと……」
未来はため息をついてうなずいた。
「い、井戸とトイレは納屋の方にあるから……」
田崎と未来が小屋を出て行こうとした時、
ケイの手が田崎のジャケットの裾を掴んだ。
『ト、トオサン……****……***……』
ケイは訴える顔をして田崎を見上げた。
「父さん?」
再び固まる田崎と未来と碧。
「今、父さんって言った……」
「ケイ、あとでね……チョーロー、ちょっと、いいかな?」
「今、手が離せない。落ち着いたら色々と伝えなきゃならんことがある」
チョーローはケイの手当をしていた。一番大きな傷は肩だったが刺し傷、切り傷が他にもあった。
田崎は、息を吐くと小屋から出ていった。未来と碧も続く。
リーが小屋の外で尻尾をふって待っていた。
手を洗ったあと、リーを撫でながら懐かしい目をした。
「この小屋はね。碧のじいちゃんが建てたんだよ」
「じいちゃんも、ここにいたの?」
「そう。地震で崖崩れが起きた時、この軽トラごとこの世界にきたんだよ」
「碧たちと一緒みたいに?」
「そうだよ。じいちゃんはここで、小人たちを守ってたんだよ。パパも助けられた」
「……」
沈黙。
しばらくして、ためらいがちに碧が口を開いた。
「……パパ、さっきの子って、本当にパパの子?」
田崎はまっすぐ碧を見つめた。
嘘はつけない。
「……そうだよ。碧のお兄ちゃんだ」
再び沈黙。
碧の視線が泳ぐ。田崎と未来を交互に見比べる。
未来は目を閉じ、首を振った。
やがて碧はぽつりと言った。
「……お兄ちゃん……カッコよかった……碧たちを助けてくれたんでしょ?」
碧の声は、どこか遠慮がちだった。
碧の戸惑いが手に取るようにわかった。
突然現れた異母兄。
憧れと、不安と、複雑な感情が入り混じっているのだろう。
「……お兄ちゃん……?」
その言葉を口にするとき、碧の表情は揺れていた。
未来も長い息を吐いて言った。
「本当の話だったのね……」
十二年前の二週間の行方不明期間。
酔ったときに口にしていた、あの冒険譚。
「未来には、ちゃんと話してなかったことがある」
田崎は未来に向かい合った。真剣な目を向ける。
この世界に来た時に出会ったリューシャとのこと。
そして恋に落ちたこと。
「知ってた」
未来は小さく息をはいた。
「だって、あなた寝言で『リューシャ』って何度も言ってたもの」
未来が苦笑する。
「未来……」
未来が遠い目をした。
「あの十二年前の病室であなたを見た時——」
未来は、帰還後の入院中に見舞いに来た頃を思い出すように目を細めた。
「それまでのあなたって、真面目だけが取り柄の、退屈な人だと思っていたけど……」
その言葉に、田崎は返す言葉がなく目を閉じた。
「……別人みたいに、逞しくなってた」
「……」
「そう……リューシャさんが、あなたを変えたのね」
未来の目が、一瞬だけ大きく潤んだ。田崎は、その言葉を静かに受け止めた。
「分かってた。あなたの中に、私の知らない誰かがいるって」
再び沈黙。
「ごめん……」
田崎の声が震える。
「謝らないで。私と付き合う前のことでしょ? それに……」
未来が田崎を見つめた。突き刺すような目で見る視線が痛かった。
「綺麗な人なんでしょ? あの子、あなたの目とそっくり」
田崎は返す言葉が見つからない。
——なんて答えれば良い……?
「……」
未来の目が一瞬だけ見開かれ、すぐに伏せられた。
「あとケイって……圭一のケイでしょ?」
未来は微笑んだ。
「あの子には罪はないわ」
その言葉を聞いて、田崎の胸に熱いものが込み上げてくる。
「未来……」
「でも、無責任は無責任ね」
その冷たい声に熱いものはすぐに消えてなくなり、田崎は身を縮めた。
「……ごめん」
未来は再びため息をつく。
その言葉を聞いて、未来は井戸の方へ歩いて行った。
田崎は、立ち尽くすしかなかった。
「きれい……」
碧が声を上げた。
外はすでに夜の帷が降り、里山には上弦の月が昇っていた。
穏やかな深い緑の里山に、蛍のような青白い灯りを放つ何かが飛び回っていた。
幻想的なその光景に未来は立ち止まり、碧は目を輝かせて息をのむ。
妻と子を横目で見ながら田崎の顔は暗く沈む。
——三人で無事に帰れるのだろうか?
様変わりした森と草原……何かが起きている。
そしてリューシャはいったい、どこに?
それらの不安が、田崎の胸を押しつぶしていた。




