51話 風雲
西陽が巌窟寺院を赤く染めていた。
『日が暮れる前に! 早くこの祭壇を! 巌窟寺院へ!』
ホーガイが声を限りに叫ぶ。ヴォルノ隊の別部隊が、荷台に積んだ祭壇を必死に引いていた。
チョーローは鳩猿に乗り、開戦の合図を告げる光の術を放った後、このホーガイ隊に合流していた。
『この祭壇がなければ、ケイたちの紋様の行き場が、なくなる……』
チョーローの顔には、隠せない焦りの色が浮かんでいた。
光の術で紋様を開放したとしても、それを受け止める「拠り所」がなければ紋様は霧散し、永遠に失われてしまう。
祭壇の復旧は出来ない。
ふと、チョーローの顔が曇る。
——紋様を開放した時、生命力が影に吸い尽くされてなければ、良いが……
もし、影に吸い尽くされていたら……
チョーローは首を振って不吉な想像を打ち消した。
他にも考えなければいけないことがあった。
『使い手が寺院内にいる……』
メガネの小人がつぶやく。
『鉄騎軍本隊も、もうすぐ後ろから追いつく』
ホーガイが背後を気にし、不安げな表情を見せる。
『古竜猿は、魔の森の魔女になんとかしてもらおう……』
同じ闇のもの同士の戦い。
どちらも化け物だが、魔女の方が分が悪いだろう。
——厄介なことよ……
チョーローが天を仰いだ時、前方から激しい土煙が上がった。
轟くような馬蹄の音が近づいてくる。
『ホーガイ様! ここはヴォルノ隊が食い止めまする!』
ヴォルノだった。
グラン隊を巌窟寺院の広場に残し、ホーガイの護衛と鉄騎軍本隊の迎撃のために駆けつけていた。
『チョーロー殿、光の術で鉄騎軍の呪いの解除をお頼み申す』
『むごい事よ…… だが、機が熟さねば……』
呪いの解除は光の術で出来る。
しかし、それと同時にケイたちの紋様をも解き放ってしまう。
——しかし、金色の竜猿……
あれは無理だ。
均衡を崩すもの。
あれをそのままにしてはおけない……
その光の術であっても、光に返すことは難しいだろう。
それとは別に、使い手を倒し聖戒の力で封印を再び施せば、鉄騎軍にかかった呪いは解ける。
その聖戒の力は、古竜猿をも再封印できる。
あの金色の竜猿を、完全に光に返すためには……
——いよいよ、この老いぼれの命を投げ出さなければ……
使いどころを誤ったあげく、どれか一つでも残したら、均衡は取り戻せない。
『巌窟寺院前の広さであれば、わしとマオルカの光で時間は稼げますぞ』
小人のメガネがチョーローに提案した。
広場を丸ごと結界で包み、光で埋め尽くして死兵の動きを止める。
しかし、それだけでは呪いは解けない。
そのわずかな間に結界の中を通って巌窟寺院の門まで運ぶ。
やがて結界に閉じ込めた影の力は、中から結界を食い破る。
間に合わなかったら、祭壇は死兵の真ん中に取り残されることになる。
そして、術を使ったメガネとマオルカはしばらく動けなくなる。
結界を張りつつ、死兵の影と対抗しないといけないのだ。
『……それは、危険だ。命がけの賭けじゃな……』
ホーガイと小人を乗せて祭壇を引いた馬車の側面を、ヴォルノ隊が風のように駆け抜けていく。
この道は十二年前、ジムニーを通すために突貫工事で切り開かれた。
その後、巌窟寺院の修復作業で整備・拡張された一本道だった。
『この先の関所で食いとめる! 一兵たりとも通さん!』
ヴォルノ隊も満身創痍だった。
しかしここを抜かれたら、祭壇もろとも数で押し潰される。
『ヴォルノ隊長…… お頼み申す……』
ここが、正念場なことは誰もが理解していた。
ヴォルノは馬上で振り返った。
傷だらけの部下たち。
それでも、その目には燃えるような決意が宿っていた。
『ホーガイ様も、チョーローも、必ず生きて会いましょう』
ヴォルノは剣を掲げ、死地となる関所へ向けて駆け出していった。
古竜猿の咆哮が闇の森を揺るがす中、ホーガイ一行はついに巌窟寺院の威容を捉えた。
冷たい風が吹き抜け、黒い雨雲が空に立ち込めていく。
まるで来るべき嵐が、苦難の道を暗示しているようだった。
*
その少し前、闇の森の上空。
ババ様と古竜猿の激しい戦いが繰り広げられていた。
『振り回されておるがな、もし~』
『絶対に影を離すなああ!! もしい!!』
古竜猿に突き刺さった影の針は、ますます太く硬くなっていた。
影の針は物理的な距離を保ち、古竜猿の鉤爪を届かせない。
そのババ様に対して古竜猿は怒りを増幅させた。
『グワアアアァァァ!!!』
古竜猿は急上昇、急下降、旋回を繰り返し、狂ったように暴れ回っていた。
その度に遠心力で振り回される。
しかしババ様から湧き上がる影が、鋼鉄の鎖のようにしっかりと羽猿とババ様たちを繋ぎ止めていた。
『どれだけ影があるのじゃろうか、もし』
『まだまだじゃあ!!どんどんわしに影を寄越すだああ!! もしい!!』
ババ様の体から湧き立つ影は、黒く密度を増していく。
それはもはや気体ではなく、重い質量を持った塊だった。
古竜猿に振り回されるたびに、塊から霧のように影を撒き散らされた。
それは、闇の森上空を覆う暗雲のように広がっていった。
そしてやがて夕陽を遮り、闇の森を文字通り闇の中へと落としていった。
空気が凍りつくように冷えていく。
それは強風を巻き起こし、分厚い雨雲を呼んだ。
稲光がきらめき、雷鳴が轟く。
雷が闇の森に突き刺さった。
空間を引き裂くような重低音が闇の森に響き渡る。
それを合図にしたかのように大粒の雨が滴り落ちた。
瞬く間に視界を奪うほどの豪雨となった。
激しい滝のような雨が、森を叩く。
森の奥。
泥の中で激しい雨に打たれ、羽ピーがぴくりと動いた。
『ハネピー! 起きたか!』
羽ピーは地面から埋まっていた頭を引っこ抜いた。
ブルブルと首を振り、泥と雨を飛ばす。
『グア……』
まだふらついてはいるが、その目には光が戻っていた。
冷たい雨と落雷が、羽ピーの意識を覚醒させていた。
土砂降りの雨の中、オムカは頭上を見上げる。
古竜猿の姿は雨のカーテンに遮られ、すでに見えない。
落雷があたりかまわず突き立ち、轟音がこだました。
古竜猿の怒りに満ちた雄叫びが雷雨の中、響き渡る。
『今しかない! 巌窟寺院に戻れ!』
『グアッ!』
オムカは羽ピーの頭の上で、杖を向けた。
羽ピーが力強く翼を広げる。
豪雨を切り裂いて、巌窟寺院に向けて飛び立った。
その時、巌窟寺院の方角から、闇を突き、赤い光が迸った。
『あれは……!』
オムカの顔が青ざめる。
『使い手の術だ…… 紋様を取り込もうとしているんだ……』
風雲急を告げる空の下、すべての因縁が巌窟寺院で弾けようとしていた。
本日更新分で第6章が終了しました。
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次回より最終章に入ります。
物語は残り9話とエピローグ1話で完結となります。
現在、推敲、校正段階に入っております。
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