50話 限界
闇の森の中を、黒い羽猿の一団が飛んでいた。
ババ様たちが巌窟寺院に近づいた時だった。
『バケモンと古竜猿がこっち来るわいな、もし』
『分かっとるわ! じじい! なんとも厄介じゃな、もしい!!』
二人は羽ピーに誘導された古竜猿の気配を同時に検知した。
古竜猿もその一団の異質な影に気づいたように、その巨大な目がギョロリと森の中に向いた。
『見つかったじゃな、もし』
『仕方あんめ。じじい! 古竜猿から影を吸い取って、弱らすだあ!! もしい!!』
『押して駄目なら引いてみな、だわな、もし』
ババ様の背中にいる黒い塊はうなずくと、その体から影が糸のように幾本も吹き出した。
糸は空中で絡み合い、螺旋を描いてより合わされていく。
やがて一本の黒光りする、長い針のような影となった。
『今じゃ、突き刺すだあ! もしい!!』
頭上を金色の竜猿が風のように通り過ぎる。
次の瞬間、古竜猿の涎を垂らした巨大な口が、ババ様たちの目の前に現れた。
それと同時に、黒い塊から放たれた影の針が、古竜猿の首の付け根に深々と突き刺さった。
『グワアアア!!』
古竜猿は苦痛と怒りの叫びを上げると、急上昇を始める。
その瞬間、黒い塊とババ様を乗せた羽猿は、釣られた魚のように弾け飛んだ。
『引っ張られてるぞな、もし』
『このまま影を吸い取るじゃあ!! じじい!! もばばばば!!』
ババ様たちはジェット機に引っかかった凧のように、きりもみ回転しながら古竜猿に猛スピードで引っ張られていく。
突き刺さった黒い針はどくどくと脈打ち、影を吸い上げて太さと硬さを増していく。
『もう、わし。お腹いっぱい、もし』
『まだまだじゃあ!! 吸えええ! もしい!!』
影の針は、もはや針ではなかった。
巨木の幹ほどに肥大し、脈打ちながら空を裂いていた。
『わしにその影を寄越せえ!! もしい!!』
そのとき、古竜猿が上空で急停止した。
ババ様の羽猿がゴムで弾かれたように古竜猿に向かって投げ出される。
『グワアアアアァァァ!!!』
古竜猿が怒りの雄叫びを上げた。
衝撃波があたり一面を吹き飛ばす。
大地が震え、眼下の木々が根っこから薙ぎ倒された。
その余波は、必死に逃げていた羽ピーとオムカをも直撃した。
『ハネピー!! 耐えてえ!!』
オムカの絶叫もむなしく、羽ピーは吹き飛ばされ闇の森の中に叩きつけられる。
オムカは必死に羽ピーにしがみつき、吹き飛ばされるのを耐え抜いた。
そして、上空を見上げる。
『魔の森の…… 魔女の影……?』
オムカは戦慄した。
羽ピーは首を地面に突っ込んだまま目を回していた。
『ハネピー…… 起きて…… 頼むよ……』
——あの影に少しでも触れでもしたら、すべてを吸い込まれてしまう。
オムカの顔が青ざめる。
古竜猿は上空でホバリングしていた。
その怒りに満ちた赤い目の先には、自分に繋がって影をすするババ様の乗った羽猿の姿があった。
『全部、吸い取れええ!! もしい!!!』
再び、古竜猿の咆哮が森を揺らした。
*
巌窟寺院のドーム。
『こいつら首飛ばしても死なんぞ?!』
グランとハンクの加勢で優勢に見えた鬼猿との死闘も、徐々に劣勢に立たされていた。
『リューシャ! これ使って!』
ハンクは予備の剣をリューシャに放った。
グランがケイを相手取っていた鬼猿の腕を剣で跳ね飛ばす。
『ケイは鉄の車の影から弓で援護!!』
そのままグランは二匹の鬼猿を相手取り、指示を出した。
その顔には疲労と焦りの陰が濃く滲んでいた。
『ケイ! こっちへ!』
『母さん!』
ハンクの剣を受け取ったリューシャが入れ違いさまに、ケイに弓矢を手渡した。
『早く、イリナ様に錫杖と封印を渡さないと……』
切り飛ばした鬼猿の腕が、まだ動き続け、グランの馬をつかんで引きずり倒した。
そこに首のない鬼猿が立ちふさがる。
影で出来た腕には棍棒が握られていた。
『キリがないわね……』
ハンクの鉄槌も鬼猿の体を潰すが、影の力で何度でも再生し、立ち上がってくる。
「パパあ……!」
「見ては駄目!!」
ヘッドライトの先で戦う田崎の姿は、あまりにも凄惨だった。
あれは未来の知っている、優しく穏やかな田崎の姿ではなかった。
未来が碧の目を覆い、胸に抱き寄せる。
震える碧の体をきつく抱きしめた。
未来は左手の紋様が、熱を持っていることに気づく。
その紋様が淡く、温かいオレンジ色に光っていた。
「これは、……なに?」
震える声でモーイに聞いた。
「その紋様は、慈愛……」
「慈愛……?」
そのとき、はっと気がついたように未来は顔を上げた。
「モーイ! イリナの光で、なんとか、ならない……?」
「今、光の術を使っても、紋様を宿らせる器がない……」
モーイが首を振った。
その顔は恐怖で引きつっていた。
「殺してやる……コロス……」
田崎の体は血まみれになっていた。
自分の血か鬼猿の血かは判別できなかった。
よろめきながらも、獣のようなうなり声を上げ、剣を振り上げる。
火花が散るが、刃は硬い皮膚に食い込まない。
剣を鬼猿に叩きつけた。体はとうに限界を超えていた。
心の方が、先に壊れ始めていた。
荒い息を吐き、重たい剣を持ち上げる。
また叩きつける。
何度も、何度も。
その左手の紋様が漆黒に脈打った。
『タサキ!! しっかり! 闇に飲まれないで!』
そのリューシャの声も耳に入らない。
隣で剣を振るうリューシャと田崎は、三匹の鬼猿を相手にしていた。
『使い手を倒さないと……』
ケイは使い手に矢を放つ。
しかし、ことごとく使い手の影に阻まれた。
『くそ……』
月の民の呪言は続いていた。
『チョーローはまだか!』
グランが叫びながら剣を振るう。
チョーローの光の術があれば、影を消せるはずだ。
『チョーローはホーガイと一緒にこっちに向かってる』
モーイが車内から叫んだ。
『こっちは、もう持たん!!』
『チョーローたちは祭壇を運んでる…… それまで耐えて!』
『やるしかないわよ!』
ハンクの鉄槌が鬼猿を吹き飛ばした。
『早く、イリナ様のところに、ここは私が阻止するわ!』
ハンクの馬もすでに鬼猿に倒されていた。
鉄槌で鬼猿の一体を吹き飛ばす。
『ハンク! 頼む!』
グランはジムニーに向かって駆け出した。
——この錫杖と封印を、イリナ様のところに。
『ここは通さないわよ!』
立ち上がった三匹の鬼猿の前に、ハンクが仁王立ちで立ちふさがった。
血まみれの体で鉄槌を構え直す。
『来なさい、化け物ども!』
ドームの中央、黒い一団。
使い手の口が薄く歪んだ。
『血に塗れた紋様……素晴らしい……最強の祭壇の力を、我が身に……』
使い手の紋様が怪しく光るとともに、禍々しい影が湧き立った。




