42話 墜落
結界の中は、静寂に包まれていた。
それでも、誰も眠れない。
外で何が起きているのかは、分からない。
結界を張った瞬間から、外の世界の情報は遮断されている。
『ケイ……』
リューシャも不安げに身じろぎした。
「モーイ? 碧の光は、まだ感じる?」
未来が隣の寝袋で寝返りを打った。
「……むにゃむにゃ」
「モーイ! こんな状況でよく眠れるわね!」
未来が呆れたようにため息を吐く。
「未来、明日に備えて、今は少しでも寝よう」
眠れないのは田崎も同じだった。思えばこの世界に来る前から、疲れや悪夢で眠りの質は悪かった。
「……そうね」
「……」
疲れが田崎の体を襲う。まどろみの中に溶けそうになる時だった。
「来る!」
モーイが跳ね起きて叫んだ。
「猿の! 暴走……」
「……なんなの! せっかく寝られそうだったのに!」
未来が抗議の声を上げた。
「何が…… 来るんだ?」
イリナの傍で丸まっていたリーが顔を上げて、低く唸り声を上げた。
その頃——
上空では竜猿が覚醒し、ババ様一行と子どもたちの逃走劇が繰り広げられていた。
「竜猿が、ケイの影と碧の光を追ってる……」
モーイがぼそっとつぶやいた。
『何か嫌な予感がする……』
「なに? 碧が危険なの?」
モーイの様子にただならぬ気配を感じ、未来の声が緊張を帯びた。
「……」
結界の中は静寂が支配していたが、結界の外側では、凄まじいスタンピードが起きていた。
結界を張ったこの場所を、今まさに猿の群れが黒い津波となって通過し、すべてを薙ぎ倒しているのだ。
竜猿の咆哮と衝撃波が、森を幾度も襲う。
猿たちは恐慌状態となり、ただ突進していた。
その結界の外の様子をモーイは愕然とした表情で覗いていた。
「……モーイ?」
その声に促されるように、外の状況をぽつぽつとモーイは語った。
「……もし結界がなければ…… 一瞬で飲み込まれてた」
その言語を絶する話を聞き、三人は周囲を見回した。
三人が見る森の暗闇は結界を張った時の状況そのままだった。
「……光った。今、碧の紋様が光った……」
「……?」
『アオの光……』
イリナが目を開けた。
薄暗い闇の中で、その瞳が憂いを湛えた。
「イリナ……?」
『強すぎる光……』
イリナの顔が苦痛に歪む。
「……? 碧は? 碧は無事なのね?」
未来が詰め寄る。
『止まった…… 碧の光で暴走が止まった……』
イリナがゆっくりと上体を起こした。
『ケイとアオは無事…… 巌窟寺院の近くに落ちた……』
「落ちた?」
田崎の顔が強張る。
『でも、何かが…… 目覚めた……』
イリナの瞳に、恐怖の色が浮かぶ。
「何かって、何だ?」
三人はイリナのその様子に表情を曇らせた。
『分からない…… 光のものか、闇のものか……』
三人は言葉の続きを待つが、イリナは疲れ切ったように寝袋に倒れ込んだ。
「……とりあえず、スタンピードは止まった。でも、猿たちの様子はまだおかしい。夜中だし、ジムニーは動かせない。朝を待つしかない……」
緊張していたモーイが、肩の力を抜いて首を振った。
「こんなん、眠れるわけないじゃない!」
未来は雑に寝袋に倒れ込んだ。
——碧、ケイ…… 何があった?
結界の外はまだ猿どもの時間……
何もできない。
歯痒さに田崎は拳を握りしめた。
やがて、諦めたようにため息をつくと寝転がり、強引に瞼を閉じた。
*
オムカは碧の光を受けて影の呪縛が解けていた。
しかし、オムカを掴んでいる羽猿の鍵爪は、硬直したままその体をきつく握りしめていた。
『ギャ……』
羽猿が頭から墜落し、使い手が出した影が衝撃を受け止めた。
その体が跳ねた瞬間、鍵爪の拘束が緩み、オムカが放り出される。
『か、影で衝撃を受け止めるぞ、な、もし』
ババ様のか細い声とともに影が湧き立ち、魔の森の民たちを落下の衝撃から守る。
——逃げるには、今しかない……
オムカは着地の痛みをこらえ、森の闇へと駆け出した。
——碧の光を感じる。あっちは、巌窟寺院の方角だ。
オムカの紋様も、いまだに青く脈打ったままだった。
——使い手は、まだ健在。次に捕まったら、命はない…… 多分……
明日は、満月。
月の民の力が最大化される夜。
——そこで依代を殺し、血に塗れさせた紋様を取り込む気だ……
『ケイ! 待ってて!』
オムカは飛ぶように闇の森を駆けていく。
その時、オムカは感知した。
前方数百メートル先、猿たちがいる。
気配を消し、素早く木に登り、樹上から近づいていく。
眼下に、暴走が止まった猿たちの群れが現れた。
その目はまだ狂気を宿している。猿たちが互いに争っていた。
鬼猿が羽猿に襲いかかり、熊猿が豹猿を押しつぶす。
静かな唸り声が、雄叫びと悲鳴に変わった。
肉を切り裂き、喰らい、喰われる。
血飛沫が、闇の森を染めた。
闇の森で凄惨な争いが起き始めていた。
——猿たちが…… 争っている……?
一匹の鳩猿がオムカに襲いかかった。
『クッ!』
オムカは聖戒を詠唱する。
小さな光が、鳩猿の目を照らす。
狂気が、薄れていく。
『落ち着いて……』
鳩猿の目から、殺意が消えた。
『おまえ、こっち来い』
オムカが呼びかけると、鳩猿は喉を鳴らし近寄ってきた。
『いい子だね』
オムカは鳩猿の背中に飛び乗る。
『巌窟寺院に向かって!』
鳩猿は操られたように翼を広げ、猿たちの狂乱の戦場を後にする。
——ケイ! 無事でいて……
オムカを乗せた鳩猿は、西に飛び去った。
闇夜の中、小さな影が消えていく。
*
その頃、ケイと碧は墜落した羽ピーの上で呆然としていた。
羽ピーの突然の失速、急降下。
二人には、なす術もなかった。
悲鳴と絶叫。
あとは、必死にしがみつく事しかできない。
しかし、その間もケイの影と碧の光は、羽ピーに浴びせられ続けていた。
その光と影が、地表に落ちる寸前、羽ピーに意識を取り戻させた。
黒い木々が眼前に迫る。
『グアグアッ!!』
羽ピーは二人を守るように、翼を背中に回して被せた。
それは降下体勢を放棄する、捨て身の行動だった。
羽ピーは無防備に幾重もの木の枝をへし折りながら、地面に激突した。
衝撃で跳ね上がり、地面を削るようにして止まる。
『止まった……』
ケイが碧に覆いかぶさって、必死に羽ピーにつかまったまま大きな息を吐いた。
ケイの背中には、羽ピーの大きくなった翼が二人を守るように密着している。
それが二人を投げ出されることから防いでいた。
「羽ピー…… 大丈夫……?」
『ギアッ……』
『アオッ…… ハネピー! 無事か?!』
ケイが安堵の息を吐いた。
ケイの頭上では、羽ピーが翼を折りたたんだままだった。
碧の光は、また弱くなっている。
ケイから流れる影も、わずかに少なくなっているようだった。
碧の淡い光の中、羽ピーの長くなった首が見えた。
碧がしがみつく背中も、逞しく大きくなっていた。
『グアッ! グワッ!』
「羽ピー!」
羽ピーはその長い首を伸ばし、二人を見た。
その目には安堵の光があるように感じられた。
——でも、もうハネピーではない……
ケイは紋様から羽ピーに流れ続ける影を見つめるしかできなかった。
この42話で第五章、終幕です。
ここまでお読みくださり、まことにありがとうございます。
次章はいよいよ『集結』です。
すべての勢力が巌窟寺院目指して集まってきます。
碧とケイと羽ピーの運命、紋様はどうなる?
田崎と未来とリューシャの三角関係は?
ババ様がどう絡んでくるか?
古竜猿もこのまま黙ってはいません。
そして使い手は?
続きが気になるという方は、ぜひブックマーク、いいね、コメントをよろしくお願いいたします。
引き続き、よろしくお願いいたします。
最後まで全力で突っ走ります!




