36話 白光
36話 白光
東の空に日が差した。
地平線上が燃えるように輝き、魔の森の上空を飛ぶ羽猿の一団を赤く染め上げる。
『ギャギャギャ!!』
使い手が率いる羽猿が、ババ様たちの後尾に喰らいついた。
鋭い鉤爪が交差し、空中で血飛沫が舞う。
『もう追いつかれたぞな。もし』
ババ様の背中で黒い塊がぶるぶると震える。
『応戦するだあ! 月の連中だあ! もし!』
ババ様の号令で後方の羽猿が翼を翻し、鉤爪をむき出しにする。
羽猿同士が空中で組み合い、翼を裂かれた敗者がきりもみしながら地表へ落ちていく。
『闇の連中も下から来てるぞな、もし』
ババ様が身を乗り出すと眼下に数十匹の羽猿が上昇してくるのが見えた。
『こんなこと初めてじゃな、もし』
黒い塊が嬉しそうな声を上げた。
『ババ? 影を出しても良いか? もし』
『クソジジイ!! 今、出したら巌窟寺院でどうすんじゃ! もしい!!』
ババ様は杖で黒い塊を叩く。
そのとき、再び竜猿の咆哮が轟いた。
空気の塊が押し寄せ、乱戦中の羽猿の動きが止まる。
衝撃で何匹かの羽猿が恐慌状態に陥った。
『いったん、地下に潜るぞな! もし!』
ババ様の指示で羽猿は翼をたたみ左下方へと急旋回を始めた。
それに後続の羽猿も続く。
「きゃあああ!!」
『アオ! 離すな!!』
ケイは碧を抱き込み、羽ピーの背中にしがみつく。
『下から来る!! ハネピー!!』
闇の民の乗った数匹の羽猿が赤い目を見開き、羽ピーに狙いを定め突っ込んでくる。
『ハネピー!! 右の奴を蹴り飛ばせ!!』
ケイは竜猿の咆哮で動きが鈍った羽猿に気づいて指示を飛ばした。
『ギャギャッ!!』
羽猿は応えるようにその右側の羽猿へ突撃すると、その太い足で顔面を蹴り飛ばす。
『ハネピー!! 良くやった!!』
『ギャギャ』
しかし方向転換した闇の民の羽猿がさらに羽ピーを追いかける。
その羽猿の鉤爪が羽ピーに届きそうになった瞬間、敵の羽猿は悲鳴を上げて高度を下げる。
その羽猿の首には黒い蛇が巻き付いていた。
一匹の羽猿が猛追してきていた。
その羽猿には黒い人影が乗って指先から黒い蛇を出している。
『ババ。 影を飛ばしてる奴がおるべな、もし』
『仕方あんめ!! ”絶望”を渡すわけにはいかんぞな、もしい!!』
ババ様が黒い塊を叩くと、その黒い塊から影が湧き上がった。
空間が不穏な空気に包まれる。
そこだけ夜になったように、一気に気温が下降していく。
それはどの影よりも禍々しく触れたもの全てを凍りつかせるような、冷気をまとっていた。
その影が一点に収束していく。
小さくなるほどに質量が大きくなっていくような不気味さがあった。
不穏な空気に気づいたハネピーを追っていた羽猿が、一斉に散開する。
『バン!…… と撃ちたいところじゃがの、もし』
『竜猿じゃ…… もし』
ババ様が頭上を見上げる。
竜猿の羽ばたきが空気を震わす。
頭上の厚い雲が割れた。
その巨大な影が雲の中から姿を現した。
『グアアアアアアァァァ!!!』
至近距離での絶叫。
羽猿たちが木の葉のように吹き飛ばされる。
『逃げんべ!! ”絶望”を守るんじゃ、もしい!!』
ババ様の一団は次々と森の中に飛び込んでいった。
『ギャッ!』
羽ピーもババ様に続く。
その急降下の中、碧とケイは見た。
眼下の森を、白煙をあげて疾走する一台の鉄の塊を。
「ジムニー……?」
碧の時間が止まった。
「パパ……、ママ……!」
碧は思わず手を伸ばした。
だが、羽ピーは高速で駆け抜けた。
ジムニーは一瞬にして視界から消えた。
『アオ! つかまって!!』
ケイの声が現実に引き戻す。
背後には、口を大きく開けた竜猿が迫っていた。
*
ジムニーは、揺れる視界の中で必死に路面を捉えていた。
「羽猿のドッグ、ファイト……?」
田崎はフロントガラスから見える羽猿同士の戦いを揺れる車内で呆然と見ていた。
無数の羽猿が入り乱れ、墜落していく。
その一団が、ジムニーの進行方向へなだれ込んできた。
『アオ…… ケイ!』
後部座席のイリナが、苦しげに目を開けた。
『……ケイ!!』
リューシャが身を乗り出す。
その目が、一匹の羽猿にしがみつく小さな姿を捉えた。
「え……? ケイ?」
未来も気づいた。
あの中に、碧がいる。
未来は反射的にブレーキを踏んだ。
ハンドルを握りしめ、空を見上げる。
「どこ? どこにいるの?」
と、その時
「きゃああああ!!」
フロントガラス越しに、未来は見た。
雲を割って降りてくる、巨大な影を。
その巨大な竜猿に追われるように飛ぶ羽猿は、あまりにも小さかった。
ジムニーを一瞬にして通り抜ける。
竜猿の巨大な口が見えた。
『ダメだ! イリナ! また光の術を使ったら、体が持たない!』
モーイの制止も虚しく、イリナの口から紡ぎ出された言葉は手のひらで光の玉となって膨らんでいった。
『……光よ』
「きゃあああ!!」
視界が白く閉ざされた。
田崎の眼前の運転席、助手席、フロントガラスに映る光景すべてが白に塗りつぶされた。自分の手すら見えない光の中、全ての音が消える。
その光は竜猿を飲み込み、羽猿を塗りつぶした。
温かな光に包まれる。
痛みや空腹や疲れが吹き飛んでいくような活力があふれてくる。
不思議と眩しくはなかった。
田崎はその奇跡の白い空間を息を殺して見つめていた。
——これは何だ?
恐怖はなかった。
静かな安らぎが田崎の体を包み込む。
数秒のあと、光が収束するように森の光景を取り戻す。
『グウワアアアア……』
竜猿は目を押さえ、もがくように空中で暴れた。
巨大な翼が力なく垂れ下がる。
そして、その巨体が、まるで低速動画を見るように、ゆっくりと森へと落ちていった。
「……うわッ!!」
地面が跳ね上がるような衝撃。
ジムニーが大きく揺れ、田崎は座席からずり落ちた。
森が悲鳴を上げるように軋み、巨木が次々と薙ぎ倒される。
土煙が上がり、視界を奪った。
「な、何が……」
田崎は呆然とつぶやいた。
やがて、土煙が晴れていく。
しばらくして森は静寂に包まれた。
風の音も、生き物の気配すら感じない。
その上空。
『イリナ……!!』
オムカは羽猿に掴まれたまま、溢れ出る涙を止めることができなかった。
オムカの左手の紋様が光に包まれた一瞬、その脈動が弱まった気がした。
だが、すぐにまた黒く光り始める。
月の民の一団の羽猿は光に当てられ、森に墜落しつつあった。
『小娘か……』
使い手の乗った羽猿も光に当てられ、意識を失いかけた。
だが、使い手は歯を食いしばり、影を絞り出すように放つ。
その影が数匹の羽猿を包み、意識を取り戻させた。
使い手の赤く光っていた右目は、力を失い濁っていた。
『一旦、拠点に戻らねば……』
使い手は生き残った羽猿をまとめると西の空に姿を消していく。
使い手の”憎悪”の紋様が赤黒く燃え上がっていた。




