33話 執着
『きゃああああ!!!』
「うわああああ!!!」
田崎はシートベルトのない後部座席で手すりにつかまり、必死に足を助手席に突っ張った。一瞬の浮遊感のあと、ジムニーのタイヤが地面に叩きつけられた。
柔らかい下草がタイヤの下で跳ね上がる。
さらにジムニーがバウンドし、田崎の頭が天井にぶつかった。
「止まりなさい!!」
未来は暴れるハンドルを押さえ込むように強引にねじ伏せると、ブレーキをかけハンドブレーキを引いた。
ズザアアアア!! ジムニーは横滑りをし、小山に乗り上げて止まった。
「……!!」
未来はハンドルに突っ伏した。
呼吸が荒い。
ジムニーは静かなエンジン音を響かせていた。
猿の群れは追っては来ないようだった。
モーイは目を回していたがなんとか結界を張ると、ダッシュボードの上に倒れ込んだ。
「わん」
リーも怯えたように小さく鳴いた。
「ここ、どこだ?」
田崎が痛む頭を押さえながらつぶやく。
「……」
体を凍らせるような冷気が開け放った窓から入ってきた。
割れたリアガラスからも冷たい風が吹き込む。
未来はドアを閉めると暖房の温度を少し上げた。
「……とりあえず、車の点検は明日にしましょ」
ヘッドライトが映し出す外は草原のようだった。
その後ろに濃い森が広がっている。
空には満月に近い月がかかっていた。
「えーと、満月っていつ?」
「あと二日だね」
モーイが起き上がって空を見た。
「ここはどこ?」
「たぶん、魔の森…… 影が濃い…… 結界を張ったけど、頼りない……」
モーイが不安げに周りを見まわした。
「なにか、温かいものでも飲みましょ」
未来がドアを開けて外に出た。
リューシャも外に出て助手席を倒す。
田崎も降りてバックドアについているスペアタイヤを確認する。
豹猿の爪で無残に切り裂かれていた。
——パンクしても、直せない……
ため息をついて荷台から取り出したコンロとクッカーで湯を沸かし始めた。
「魔の森……、ここに碧とケイは、いるのね?」
小人のお茶を淹れて、口に含むと三人と小人にほっとした空気が流れた。
「イリナは大丈夫?」
「うん、まだ寝てるけど。シートベルトで守られてる」
「イリナが起きるのは、明後日の朝って確か?」
未来はモーイに確認した。
未来は、今すぐにイリナを叩き起こして場所を特定したげだった。
「分からない。リューシャの救出の時は、丸一日起きられなかったから、スタンピードを止めた光の規模だったら丸二日と思っただけ」
モーイはそのやり取りをリューシャに伝えている。
『イリナが目覚めるのを待ちつつ、巖窟寺院に向かうしかない』
未来はため息をついた。
「巌窟寺院の場所は分かるの? というか何で進行方向が分かるの? それも魔法?」
「……普段は光と影の差で方向を感じ取れるんだけど……魔の森は光がなくて分からない」
「つまり、どっち行ったら良いか、分からないってこと?」
「……ごめん」
沈黙が落ちた。
「とりあえず、休むか…… 陽が昇れば方向くらいは分かるだろ?」
田崎がそう言って立ち上がった。
ジムニーに戻る。
眠れるかは分からない。だが、体を休めなければ、明日はない。
頭上には、十三夜の月が冷やかに一行を見下ろしていた。
*
その同じ月をケイも見上げていた。
「……お腹空いた」
碧がつぶやいた。
地下に避難してからというもの、地下の不思議な水しか口にしていなかった。
ケイが碧に寄り添っている。羽ピーの羽毛に二人は包まれていた。
夜の冷たい風と寒さが和らぐ。
魔の森を羽ピーの背に揺られて西南に向かっていたが、羽ピーに疲れが見え始めていた。飼育係は斜面の窪みを見つけると、そこに羽ピーを誘導した。
碧とケイは羽ピーに包まれて座る。
『飼育係さん……?』
飼育係は羽ピーから少し離れて、窪みにもたれて座っていた。
『羽猿になぜ名前をつけたら、いけないの? ただの呼び名じゃないか』
ケイは飼育係に不思議そうに問いかける。
『いけないんじゃないぞな、酷なんだな、もし』
『酷?』
『羽猿だけでない、我ら森の民も名前は捨てたぞな、もし』
飼育係がケイを見る。その赤い目は真剣だった。
『”個”を持てば”心”が生まれる。心が生まれれば、執着が生まれるぞな、もし』
『執着……』
『その羽猿はな、もうお主らから離れられんぞな、もし』
ケイは羽ピーを見た。羽ピーは碧を包むように丸まっている。
『お主らを特別だと認識してしまった…… それは、呪いのようなものだべな、もし』
『……小人の里では、闇のものは生きられない』
『その羽猿はな、心を持ってしまったぞな。そして知恵をつけるぞな、もし』
『……?』
ケイは自分に刻まれた紋様を見た。
『そうなったら、もう影の力では何ともなんね、もし』
『……もし、お別れしたら?』
強風が森を駆け抜けた。落ち葉と小枝が羽猿の体を叩きつける。
『その羽猿が悪い心を持ってしまうだべな、寂しさと執着で狂い、強大な力を求めて森の王、いや、災いそのものになる恐れがあるぞな、もし』
『……』
『それが、森の均衡が崩れるということだな、もし』
「羽ピー。あったかい」
碧が寝言のようにつぶやき、羽ピーの胸に顔を埋めた。
羽ピーは愛おしそうに、喉を鳴らして碧に頬を擦り寄せた。
その姿は、あまりにも優しく、そして切なかった。
『……』
ケイは再び月を見上げた。
——ハネピーがいなかったら、僕たち助からなかった。
でも、碧は帰ってしまう……
ハネピーと暮らすにはどうしたら良い?
ケイの胸に重い鉛のような不安が沈殿していく。
答えは出ない。
——いや、答えは分かっている。
ただ、それを認めたくないだけだった。
疲労と空腹が思考を奪っていく。
森の奥で、何かが折れる音がした気がした。
気配はない。
ケイは目を閉じた。
満月まで、あと二日。




