30話 不時着
『ギャギャギャッ!!』
地下広場は断続的に揺れと轟音が続く。
頭上から降り注ぐ石片と竜猿の咆哮で阿鼻叫喚の坩堝と化していた。
パニックに陥った羽猿は壁に激突し、あるいは仲間同士でぶつかり合う。
黒いフードをすっぽりかぶった小さな人影たちが、わらわらと横穴から転がるように這い出してきた。
『ババ様!! 逃げるったって……! どこに逃げるだべな、もし!!』
魔の森の民たちが半狂乱でババ様のもとに這い寄る。
『ババ様! そげなことより! あの子らが羽猿に名前を与えちまっただ、もし!!』
飼育係が腰を抜かしたまま、絶望的な声を上げた。
「怖いよ…… ケイ兄ちゃん! パパ…… ママ……」
『崩れたら生き埋めになる……』
ケイは碧の肩を抱き寄せ、羽ピーに寄り添った。
崩壊の予兆に震える天井を見上げる。
羽ピーも混乱し翼をばたつかせていたが、ケイの紋様に触れると不思議と落ち着きを取り戻していった。
『……仕方あんめ、その子の影をちと借りるぞな、もし』
ババ様は座っている黒い塊の尻を杖で叩いた。
黒い塊から手足がニョキっと伸び、とことことケイのもとへ走る。
『静かにせい!! 羽猿ども! もしい』
そう、ババ様はつぶやくとケイの左手を取り、祈るような言葉を紡いだ。
『ちと刺激が強かろうが、仕方あんめ……もし』
呼応するようにケイの紋様から濃密な影が湧き出し、黒い霧となって地下広場を一気に満たした。
『ギャ……』
その霧に触れた羽猿たちの瞳から狂気が消え、虚ろな静寂が戻っていく。
ババ様はさらに自らの両手から影を出し、慈しむように広場全体へ広げた。
『みな、羽猿に乗るだ、もし』
ババ様が鈴を懐から出して鳴らすと、広場を飛び回っていた羽猿たちは次々と地面に降り立った。
空間を引き裂くような咆哮が轟く。
衝撃波が横穴から噴き出し、広場が強震し岩壁に次々と亀裂が入っていく。
崩落した岩塊が何匹かの羽猿と黒い人影を押し潰した。
全身を貫く衝撃に碧とケイは耳を塞いで悲鳴を上げた。
しかし、ババ様の影に支配された羽猿たちは取り乱すことはなかった。
『ここはもうダメだな。みな乗っただな、もし』
ババ様を乗せた黒い塊が羽猿の背によじ登り、ババ様も羽猿にしがみつく。
その上に黒い塊が覆い被さった。
碧とケイも羽ピーの背中にしがみついた。
『いくぞな! もし!』
ババ様の羽猿が力強く羽ばたいた。
次の瞬間、一斉に羽猿が飛び上げる。
直後、竜猿がいる方面の壁が爆ぜ、地下空間の崩壊が始まった。
「きゃあああ!!」
岩壁に無数に亀裂が入り、巨大な岩盤が崩れ落ち、もうもうと土煙が上がる。
完全に崩れ落ちる寸前、羽猿の一団はババ様を先頭に横穴に飛び込んだ。
『ギャギャギャッ!!』
暗闇の狭い通路を、数百匹の羽猿が駆け抜けていく。
『このまま北の山まで行くだ、もし!!』
暗闇の中でババ様は叫んだ。通路は急角度で地上に向かっていた。
『竜猿を巌窟寺院に近づけちゃなんねえ!! ぶっ壊されたら、今度こそおしまいじゃあ!! もしぃ!!』
『あの子ら、火山に放り込んだら竜猿も一緒に飛び込むんじゃないかの、もし』
しがみつく黒い塊がぼそっと言ったのを、ババ様は聞き逃さなかった。
『それじゃ! じじい!! たまには良いこと言うのお!! もしい!!』
前方に針の穴のような光が見えた。
視界が真っ白に潰される。
次の瞬間、羽猿の群れは地表に飛び出した。
碧はまぶしさに目を細める。
目が慣れてくると、眼下に赤茶けた森が広がった。冬の柔らかい日差しが羽猿の一団を照らす。
魔の森の民たちが慌ててフードを目深にかぶり、陽の光から身を守った。
安堵したのも束の間、背後の森が爆発した。
地響きとともに土砂が吹き上がり、木々が剥がれ落ちるように薙ぎ倒される。
地表を突き破り、古の竜猿がその禍々しい姿を現した。
『ガアアアアアアァァッッ!!!』
腹の底から響く憤怒の絶叫。
衝撃波が羽猿の群れを襲う。突風がドーム状に突き抜け、森が震えた。
次の瞬間、森が唸った。
森に棲まう猿たちが混乱したように悲鳴を上げ、竜猿から逃げるように狂ったように走り出した。
竜猿は翼を広げ、羽猿の群れに向かって飛び立った。
「パパ! ママ!!」
羽猿にしがみついたまま碧は目を閉じて叫んだ。
ケイも歯を食いしばり必死に羽ピーにしがみつく。
竜猿は勢いよく羽ばたくと一気に高度を上げた。
羽猿の群れに影が差す。赤い目が獲物を捉えた。
『ババ!! 追ってくるぞな!! もし』
『ええい、湖の洞窟にひとまず避難じゃあ!! もしぃ!!』
先頭のババ様の羽猿が急旋回をし、高度を下げる。群れもそれに続く。
だが、再び竜猿が吠えた。
至近距離での咆哮に空気がびりびりと震え、ババ様の影の支配が揺らぐ。
恐怖に駆られた数匹の羽猿が統制を失い、パニックを起こして勝手に上昇やホバリングを始めた。
その一匹、羽ピーの前上空を飛んでいた羽猿が気絶したように失速し落下した。
乗っていた人影が空中に放り出される。
そして、その人影はあろうことか、羽ピーの右翼に激突した。
『うわ!! ハネピー!!』
『ギャギャ!!』
衝撃で羽ピーの体勢が崩れ、きりもみ状態で落下していく。
右翼が麻痺したように動かない。
「羽ピー!! ガンバって!!」
『ギャギャッ』
羽ピーは悲鳴を上げながらも左の翼を右に合わせ体勢を立て直すと、そのまま森の中へと滑空していった。
上空では、竜猿が急降下していた。
竜猿の目前には、パニックを起こして逃げ遅れた羽猿の姿があった。
竜猿はその羽猿に乗っていた魔の森の民ごと鷲掴みにすると、そのまま大口を開けて放り込んだ。
『グアアアアッ!!』
竜猿は雄叫びを上げ、さらにその太い鉤爪を次の獲物へと伸ばす。
竜猿と羽猿の群れとの距離は、わずかに広がった。
『ババ! 喰われとるぞな…… もし』
『もう見境いないわな…… 逃げんべ、もし』
ババ様を先頭に、羽猿の群れは北東に進路を変えて飛んでいく。
影の匂いを追うように、竜猿もまた彼らを追って去っていった。
『ハネピー!!』
木々の間をすり抜け枝葉を突き破り、羽ピーは枯れ草の上に不時着した。
地面を削りながら転がり、ようやく止まる。
『ギャギャギャッ!!』
右の翼は真ん中から折れているようで、中途半端に広げたままだった。
羽ピーは苦痛の叫び声を上げ、地面でもがいている。
『くそ…… どうやったら影が出るんだ!』
ケイは羽猿に左手の甲を押し付けるが、紋様は沈黙したままだった。
「羽ピー!」
碧は飛び降り、羽ピーの首筋に抱きついた。
『ギャギャッ……』
羽ピーは力無く鳴き返す。
『竜猿は行ってしまったみたいだ。でも、ここは……』
ケイが周りを見まわすと、そこは枯れかけた巨木が密集する薄暗い森の底だった。
陽の光は届かず湿った冷気が漂う。
遠くから、竜猿の咆哮が聞こえた。
「羽ピー! がんばって!」
碧は必死に羽猿に呼びかける。
そのとき、頭上から情けない声が降ってきた。
『助けてくれ、もし……』
ケイが見上げると、大木の枝に引っかかり、ぶら下がっている黒い人影があった。
『飼育係さん……?』
その時だった。
森の空気が変わった。
ざわざわと木々が揺れ、鳥たちが飛び立つ。
森の奥から獣たちの唸り声と大地を駆け巡る音が、地響きとなって押し寄せてくる。
スタンピード——魔物の暴走が、すぐそこまで迫っていた。




