16 話 作戦始動
翌朝、まだ薄暗い中、田崎たちはすでに行動を起こしていた。陣地の足元で霜柱がさくっと鳴った。吐く息が白い。水を張った桶が凍っていた。
「うー、寒い……」
簡単な朝食で少し体を温めた。
ダウンジャケットのフードを目深にかぶりジッパーを上げる。
田崎は凍える手に息を吹きかけながらジムニーに向かった。運転席にはすでに未来が座っている。イリナは後部座席でリーを撫でていた。その隣に屈強な騎士が物珍しそうに車内を見回している。グランが今回の作戦によこした部隊屈指の怪力騎士——通称『剛腕ハンク』だった。
『こいつ一人で一部隊は壊滅させられる』
昨夜、グランが太鼓判を押して笑った。ハンクは見るからに重そうな鉄槌を持っている。試しに田崎が持たせてもらうと、どすんと鉄槌の頭が地面にめり込み、土が弾け飛んだ。
「お、重すぎる……」
ぷるぷると腕が震えるが鉄槌は地面からぴくりとも持ち上がらなかった。
ハンクは軽々と片手で鉄槌を持ち上げると肩に担いで、上目使いでニヤニヤと笑った。
田崎がジムニーの荷台のドアを開けようとしたとき、グランが騎乗で寄ってきた。馬から降りると懐から何かを取り出した。見覚えのある壺だった。
「グラン! それカエンビンか?」
グランはニヤリと笑う。
『燃える水は見つかんねえからよ。ちょっと工夫したのよ』
「……?」
田崎の肩に乗っていたモーイがフードから顔を出して訳す。興味を示した田崎がそれを見つめるとグランが会心の笑顔で説明した。
『スカンク猿の腺液に猫猿のウンコと煙り草と辛芥子を混ぜて火をつけて放りこむのよ』
それを聞いて田崎は嫌な顔をした。
「絶対、ジムニーには持ち込んでくれるなよ」
グランは、がっはっはと豪快に笑った。
田崎はため息をついてグランにぼそっと言う。
「もっと早く言ってくれれば、もっとすげえガソリンっていうものがあったのに……」
その言葉を聞いたグランの目が輝いた。
『もっとすごい燃える水か? この戦いが終わったらぜひッ、分けてくれッ!』
「余ったらな」
『絶対、余らせろよな! じゃあ健闘を祈る!』
グランは馬に乗ると豪快に笑って部隊の指揮に駆け戻っていった。
その姿を見送り、田崎はバックドアを開き荷物を漁った。
「スコップ、スコップと……」
だが手にしたのは赤いプラスチック製だった。
自宅を出る前日は、ステンレス製のスコップだったはず。
「おーい未来? スコップってなんでプラになってるの?」
「ステンレス重いから、家に置いてきたわよ」
「……」
手に持つスコップを見つめた。
「……これも持っていくか」
長剣を手に持ち、少し考えて元に戻す。代わりに短剣をベルトに差し込んだ。
「剣なんて振ったことないしな……」
不安な顔で助手席に乗ったとき、ジムニーは静かな唸り声を上げ発進した。
*
鉄騎軍、総勢三千人。
冷え込む朝、先頭部隊が進軍を始める。歩兵部隊が続き、騎馬部隊がゆっくりと続く。
先頭部隊が、森を右手にのぞむ道に出たとき、乾いていた地面に氷が張っているのに気がついた。登りにさしかかるまで一面に地面が凍っている。先頭部隊が氷を割るように進み、騎馬部隊が氷と土を混ぜ合わせていく。
第二部隊が同様に続く。日が昇った頃、中軍の黒い数台の台車が来る頃には道は泥にまみれていた。重い台車の車輪が泥に取られる。道を進むごとに泥はどんどん深くなっていった。鞭で叩かれた馬が悲鳴を上げ力を振り絞るが、数台の台車が立ち往生し始めた。歩兵が台車に手をかけて押すが、進軍速度は遅れ出していく。
その頃、後続部隊ではちょっとした混乱が起きていた。先頭の一団に丸い小さな壺が一斉に投げ込まれたと思うと、煙とともに強烈な悪臭と、鼻と目を刺す刺激が部隊を襲った。馬がいななき、騎士が振り落とされる。涙とくしゃみと鼻水で五感が奪われる。
『て、敵襲だあ…… は、はっくしょん!!』
叫ぶ声も間が抜ける。そこに矢の雨が降り注いだ。統制を失い、逃げ惑う鉄騎軍は指揮官すら、もうもうと上がる煙と悪臭の中、思うように声を上げられない。
『た、たいれ、、つ……へーっくしょい!!』
その小さな混乱はさらに後続の進軍の障害となった。気づいた後方の騎馬隊が隊列を組んで迎撃に向かう。そこに矢と壺が再び放り込まれる。グラン工作隊百騎は、スリングで駆け抜けるたびに次々と壺を放り込んでいった。
先頭部隊が先に行き、後続部隊が混乱状態となり、中軍の台車と護衛部隊との距離が離れた。
グランは森の奥で報告を受け、馬上で髭をなでた。
『嫌がらせは上々と……』
昨日のうちに進軍路を予測し、沢の水を道いっぱいに撒いて鍬で地面を掘り起こし、深い泥の道にしておくように指示を出していた。それと合わせてグランは狼煙をたくさん上げさせ鉄騎軍の先遣部隊を挑発し、その工作部隊が気づかれないように派手な行動をとっていた。
『最初は浅くして、真ん中を深く深ーく掘るんだぞ』
朝の冷え込みで凍った道は時間をかけて再び泥の道に変わっていく。
もとより小細工、時間稼ぎに過ぎない。しかし、その短時間で勝負をつける。電光石火の突撃はグラン隊の十八番なのだ。
事前の情報収集も抜かりはない。生捕りにした鉄騎軍の指揮官級の捕虜を複数拷問にかけ、鉄騎軍の陣容と進軍ルートの整合性も取っていた。
もともとグラン隊だけで襲撃する予定だった。
——だが…… 光の計らいか、田崎が鉄の車に乗って現れた。
しかも、囚われているのはリューシャ、これを天佑と言わずしてなんと言おうか。
グランはリューシャ救出後の未来の気の強そうな目を思い出して身がすくんだが、突撃のタイミングを見るべく表情を改めた。
グラン隊が突撃し台車を倒す。次にジムニーごと乗り付けてイリナの光の術を発動し獣を牽制する。グラン隊が切り開いた血路を、田崎、ハンクが下車し台車に向かう。そして台車にあるカケラ、もしくはリューシャを回収しジムニーで全力で逃げる。それが作戦の骨子だった。
ジムニーは、朝日をバックに高台で静かにその瞬間を待っていた。眼下にいるはずの鉄騎軍はここからでは視認できない。未明にこの場所に車を止め、エンジンを切って凍える中で待機していた。イリナとモーイのまじないが影からジムニーの姿を隠していた。
作戦開始の頃あいに結界を解いて合図を待つ。
田崎は震える手を押さえるようにスコップを握り、深く息を吸った。
後方から悲鳴と馬蹄の音が上がる。工作隊が作戦を開始したようだった。
しばらくして前方で鬨の声が上がった。
グラン本隊の突撃が始まったのだ。怒号と剣戟の音、馬のいななきが響く。
鉄騎軍中軍およそ千騎と猿、グラン本隊、四百騎。
田崎と未来の目が合った。
「モーイ? まだ?」
「ナヴィからの連絡はないね」
未来のハンドルを握る右手に力がこもる。左手はギアを落ち着かなげにいじっている。
「……連絡が来た! 台車は倒れてないけど、早く!!」
その言葉が言い終わらないうちに未来はエンジンキーをひねる。ジムニーの二つのライトが光り、エンジン音が唸る。左足がクラッチを切った。
『つかまって!!』
未来の目が鋭く光る。
「リューシャさん……待ってなさい!」
ギアを高速四駆に叩き込み、アクセルを床まで踏み込んだ。
ジムニーは坂をスピードを上げて降り始めた。獣のような唸り声を上げ、高台の淵から空へと飛び出す。着地の衝撃でサスペンションが悲鳴を上げ、泥を巻き上げて戦場へと一直線に突き進んだ。
「わんわんわん!!」
リーが驚いて吠え立てた。
『きゃあ!!』
ハンクが両手を両頬につけて甲高い声を上げて叫ぶ。その顔は蒼白になっていた。イリナは諦めたように目を閉じた。来るべく光の術のために集中を高めるように呼吸を整えていく。
*
底冷えのする寒さの中、冷たい床板が直接肌を刺し、リューシャの体は凍りついたように動かない。後ろ手に嵌められた枷は、すでに指先の感覚を奪っていた。足の枷は固定され身じろぎ一つできない。それでもリューシャは必死に耳を床に押し付け、外の気配を探る。暗い荷台の中は日中でも陽は届かず、時間感覚も失っていた。
その耳がやがて、鉄騎軍の重装備とは違う騎馬の響きを敏感に捉える。そしてかすかに聞こえるエンジンの音。
――リューシャの鼓動が一瞬、止まった。青白い薄闇の中、その目が見開かれる。
まだ鉄騎軍には動きがなかった。獣の息遣い、歩哨の巡回。その気配からまだ夜明けには時間があると思われた。
オムカは身じろぎもせず静かに胸が前後に動いていた。
――昨日言ってた鉄の車…… まさか、タサキ……? でも、あの鉄の車、ジムニーとは音が違う……
心臓の鼓動が高まる。思わず声を漏らそうとして必死に抑えた。
――動揺を、使い手に悟られてはいけない。
使い手は闇に完全に隠れるようにして気配を全く感じない。しかし、そこにいるのは分かっていた。使い手が騎士団の動きに気づかないわけはない。だが、なんの反応もしていない。
——使い手も…… 鉄の車が来るのを待っている……?
もどかしい時間が流れた。
やがて出発準備のざわめきとともに台車の車輪が回り始めた。しばらくするとガクンという衝撃とともに車輪が沈む揺れが伝わる。耳を澄ますと前方の台車、後方の台車も同様に動きが鈍くなり、そして完全に車輪の音が止まった。にわかに鉄騎軍の動きが慌ただしくなる。
そして後方から馬蹄の轟と悲鳴、何かが割れる音、かすかな異臭をリューシャは捉えた。近くから響く鉄騎軍とは違う鎧と馬の響き。
そのとき、使い手の鈴がチリンと鳴った。獣の唸り声が響く。それと同時に鬨の声とともに弓弦の音が鳴った。悲鳴と怒号が飛びかう。
そして、再び轟くジムニーのエンジン音。
――タサキ……!! 間違いない。
リューシャの目から涙が滲んだ。
リューシャはなりふり構わず、もがいた。猿轡で声は言葉にはならない。
『ここよ! わたしはここ!』
必死に言葉にならない声を上げた。
自由にならない体を必死に震わせ、床板を叩く。
――タサキ…… 早く…… 早く!




