8話 絶望と希望
どのくらい気を失っていたのか分からない。
「……タサキ! タサキ!」
気がつくとチョーローが杖で肩を叩いていた。
「圭一ッ……! 良かった……!」
未来が目の前にぼんやり浮かんだ。
「碧はッ!? ケイはッ!?」
「痛ッ!」
はっとして起き上がろうとして、激痛に頭を押さえる。その手にざらざらとした葉の感触があった。
いつの間にか小人に治療されていた。
午前中の陽の光が木々の間から覗いていた。周りを見渡すと、未来にチョーロー、その隣にはイリナの姿、その横にはリーとリーの上にはモーイが胡座をかいて座っていた。
碧とケイが連れ去られた森の中の広場だった。
「結界が、一瞬だけ破られた…… 駆けつけた時には、おぬしは倒れていた……」
未来が泣きそうな顔をして田崎を見下ろしていた。
「碧……は?」
「……碧は……ケイも……連れ去られた……鈴の音が聞こえて……それで……」
田崎の声が掠れた。その声が涙まじりになっていく。
「碧は……? どうして? 絶対守るって言ったじゃない……」
未来の目にも堪え切れない涙が滲んだ。
そのとき、割れた石板と木の洞を調べるように見ていたイリナが口を開いた。
「***********、……****、********」
「何? なんて言ってるの?」
未来はモーイに沈んだ目を向けた。
モーイは面倒くさそうな顔で、ため息をつくと訳し始める。
「これは小人のまじないの名残り。小人がここにカケラを隠して、おそらく隠したことを忘れたままだった」
イリナは割れた石板を見ながら続ける。モーイがそのつど訳していく。
「このカケラの紋様は”希望”を表している。娘は”希望”を取り込んだ。そして、この石板からは盲目の僧侶の怨念の残滓を感じる……おそらくかの僧侶の怨念と”希望”のカケラが娘を呼んだんだろうと……娘は無事……いまのところは……」
――碧は無事……?
はっ、と息を飲んだ未来の息遣いが聞こえた。
――盲目の僧侶……?
田崎の脳裏に、盲目の僧侶の最後の瞬間が浮かんだ。
祭壇で竜猿の手に潰された盲目の僧侶の不気味な表情を思い出した。
痛む頭に手を当てて体を起こす。
イリナは石板に杖を当てている。するとその杖から光が滲んだ。まるでそこから何かを読み取っているようだった。
イリナが話し始める。チョーローが同じく訳していく。
「盲目の僧侶の怨念が、月の民の残党に乗り移っている。紋様を集めて……祭壇の復旧、この世を闇に閉ざす……光への強い憎悪……を感じる」
そこでイリナが息を吸った。
「そして、月の民の、あの鉄の車への深い憎悪も……」
そこまで言った時、イリナの杖から放たれた光はバチっと消えた。
イリナが青白い顔をしてうずくまる。
そこに駆け寄った未来が、イリナを支えた。
「わしらよりも、あの鉄の車への執念が強いようじゃ……」
チョーローが首を振った。
「盲目の僧侶の怨念と月の民の生き残りの執念……やっかいじゃのう……」
十二年前、スコップで殴り倒した月の民を思い出す。
「娘とケイは無事じゃろう……だが、紋様が八つ揃ってしまった……もう時間がない……」
「時間がない……?」
「おそらく、次の満月……月の民の力がもっとも強い時、祭壇を復旧させるつもりじゃ……」
「……」
「それまでに……救出しないと娘とケイは祭壇に飲まれる……」
「……」
「……碧は、無事なのね」
未来は涙を払って立ち上がった。
「ああ……」
「メソメソしている暇なんてない……」
未来の目には深い怒りがたぎっていた。
「私の娘とケイを連れ去った奴ら! 地の果てまでおいかけてやる!」
「未来……」
二人は目を合わせる。
田崎はうなずいた。
「ケイも、わたしたちの家族よ」
未来が静かに言った。
「二人とも、必ず取り戻す」
「ああ」
「次の満月はいつだ」
「八、いや七日後じゃ……」
チョーローは空を見上げた。
「隣国に残りの紋様はあるんだな?」
田崎はチョーローに鋭い視線を向けた。
「隣国……鉄騎国の王都にある。ホーガイ調査団とオムカの情報じゃ」
そのときイリナがまた口を開いた。
モーイがチョーローに睨まれて訳し始める。
「ケイに刻まれた……あの紋様の意味するところは……、”絶望”……」
「……絶望って……ケイはそれを知っているのか?」
田崎がつぶやく。ケイのどこか陰のある横顔が思い浮かんだ。
「もちろん知ってる……だけど、アオの”希望”がそれを助けるかもしれない……」
イリナはそう言って顔を上げた。
「出発の準備をしてくれ。今から、出る」
田崎は静かに告げて、立ちあがろうとしたがよろけた。
「圭一は助手席ね。頭を打って気絶したんだから、本来ならMRIものよ」
未来が慌てて田崎を支えながら毅然とした口調で言った。
「脅かすなよ……」
「痺れは? 吐き気は? めまいは? 出てきたらすぐ言って」
「今のところは、頭の痛みだけかな」
「私が運転する! 頭の怪我はあとから怖いからね」
「……分かった……ランエボ乗りの魂を見せてくれ」
田崎も妻に逆らえない男の一人だった。
「奥方もあの鉄の車を乗りこなすのか。心強いのう」
チョーローが驚いて言った。
「さあ、行くわよ! モーイ? 案内してくれるかしら?」
未来が先頭を歩く。リーに乗ったモーイが続いた。田崎はふらつく足を確かめながらゆっくり進んだ。小人の治療のおかげか、鈍痛はあったが、めまいもなく歩けた。
――こんな怪我で置いていかれでもしたら……
「やはり、この里も安全ではない?」
田崎はチョーローに問いかけた。
――一時的にも結界が破られるなんて、肉眼ではどこにあるのかさえ分からないのに……
「”使い手”と呼んでおるものがいる。この里を何度も襲ってきおった……まさか、この里にカケラがあるなんて思いもよらなかったわい……」
田崎は呆れた。
「小人のまじないは、使ったものしか場所はわからん……そして、小人はしばしば隠したことを忘れてしまう……」
「……新月じゃ、ないんだな?」
新月だったら、まだ時間はあると思ったが、
「実態は月の民じゃ、新月では闇の制御はできぬ……」
チョーローは首を振った。
「イリナの力が役に立つ……おぬしらが救ったあのイリナじゃ……おぬしらに触れ闇の力を克服したことで光の力を高めた」
田崎は前を歩くイリナを見た。
「わしはあのとき、ただ影を取っただけにすぎん……闇に囚われたら普通は長くはもたん……正直、ここまで成長するとは思わんかった……」
小屋につくと未来は両手に長剣と小刀、弓矢を持ってきていた。
「これも積んどきましょ。何か役に立つかもしれない。チョーローいいよね?」
チョーローは微笑んでうなずいた。
「じゃあ行くわよ。ナビは任せたわよ。圭一、モーイ。あとイリナも頼んだわよ」
それぞれ見回して宣言する未来は、すでに一行のリーダーだった。
イリナの足元には工具箱、リーはクーラーボックスの上で窮屈そうにしている。田崎が後部座席のイリナのシートベルトを装着させると、イリナと目が合った。
十二年ぶりのジムニー、彼女は覚えていたようだった。
微笑むと隣に寄り添ったリーを撫でた。
田崎は助手席に座る。後頭部は時々ずきずきと傷んだ。
「高速四駆の切り替えはここ。低速四駆はニュートラルにしないと入らない」
「分かった。 シフト操作は体が覚えてる!」
未来はエンジンをひねると、滑らかな足さばきでクラッチをつないだ。
ジムニーが静かに動き出す。
「じゃ! 行くよ! 碧! ケイ! 待ってて!」
座布団に寝転んだモーイが杖をかざし詠唱を始めると結界がゆらぐ。
ジムニーは、結界を超えた。
灰色に沈んだ草原と森が目の前に広がる。
「きっと猿たちが待ってるから……行きたくないなあ……」
モーイがぼやいたそのとき、
グルルルル…… 無数の獣の唸り声が響いた。
森から草原から上空から赤い目がジムニーを捉える。
リーが唸り声を上げた。
「やっぱり来たわね」
未来は顔色一つ変えず、深呼吸した。
「モーイ! どっち?」
杖は左前方を指した。すかさず未来はクラッチを切り、ギアを低速四駆に入れ替える。
ガチャンとギアが噛み合う鈍い音が響いた。
その音を合図にしたかのように上空から羽猿の群れが急降下し、森から豹猿が飛び出す。
「ちっ! 邪魔」
前方を塞ぐように居座る倒木と巨大な岩のわずかな隙間をスピードを上げながらすり抜ける。左側のタイヤが岩に乗り上げ、車体が大きく傾いた。
『キャッ』
イリナが小さな悲鳴を上げてシートベルトをつかんだ。リーがイリナに寄り添う。
「つかまって! 行くよ!」
岩を越えると高速四駆に切り替えアクセルをぐんぐんと踏み込む。回転数をレッドゾーンまで引っ張り上げると、草原に飛ぶようにジムニーは駆けた。
急加速したジムニーは羽猿の群れを置き去りにし、追いすがる豹猿を寄せつけぬかとばかりさらにスピードを上げる。
「うわああああッ!!」
きゅるるるッ
「なによこの車! 勝手にブレーキかけないで!」
前方からも次々と飛びかかる豹猿を巧みなハンドル捌きとドリフト操作でかわすと杖の指す方向にハンドルを向けた。強烈な横Gが何度も車内を襲う。
「電子制御が邪魔!」
荷台の荷物がダンスを踊り、モーイが座布団にしがみつき、田崎は手すりにつかまり踏ん張り、イリナは目を閉じた。
未来の目は据わっている。口元が不気味な笑みをたたえた。
「ランエボ乗りをッ! なめんなあァッ!!」
ジムニーは最短距離で乾いた街道に飛び出した。そのまま慣性ドリフトで車体を立て直すと減速を最小限に抑えスピードを上げる。
「重心が高すぎる! ホイールベースが短い!」
リズミカルにギアとクラッチ操作をこなす未来に田崎は舌を巻いた。
「未来……、やるな……」
田崎は横Gに体を押しつけられながら、うめくように言った。
――俺の相棒をここまで乗りこなすなんて……
「飛ばすよッ!!」
さらにジムニーは減速することなく土煙を上げて加速していく。気づけば獣の群れは遥か後方に小さくなっていく。
「乱暴な運転だな……」
モーイがぼやいた。
「あと七日しかないんだから! ちんたらしてる暇なんてないわよ!!」
ジムニーは、黒い砂煙を上げて、鉄騎国、王都へと続く街道上を走り去って行った。




