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第5話 家族会議と過保護の嵐



 その日の朝は、やけに空がうるさかった。

 竜舎の上を旋回する竜の影が、次々と陽を遮る。

 ノルディア領の誇る竜騎士団が、遠征討伐から帰還したのだ。


「おかえりなさいませ、団長様! 第二隊長殿も!」

「兄さま! お父さま!」


 ミエラが玄関まで駆け寄ると、銀の鎧を光らせた竜騎士たちが整列していた。

 父――団長であるノルディア伯は堂々と立ち、隣には二人の兄が控えている。

 嵐を模した家紋入りのマントが、朝風に翻った。


「ミエラ、元気だったか」

「はい。あの……皆さん、お疲れさまでした」

「ふむ。……だが、おまえ、少し顔が赤くないか?」


 父が鋭い目を細めた瞬間、ミエラの背中に冷や汗が走った。

 ――いやいや、気のせい。絶対気のせい。

 数日前、ディーノから額に“誓いのキス”をされたことなんて、顔に出てるはずが……。

 そうこう考えているうちに、父たちは竜舎へ行ったらしい。安堵していると、使用人のリーナに声をかけられた。


「……ミエラお嬢さま。旦那さまがお呼びです」

 神妙な顔で、頭を下げている。

 その声の震え方が、なにかを予感させる。

 ミエラは、ごくりと唾を飲んだ。


「え、今、ですか?」

「はい。別館での“ご様子”について、お話があるとか……」


 ――別館でのご様子。

 ……別館でのご様子!?!?


 ミエラの脳裏に、あの夜の光景がフルカラーで蘇った。

 額へのキス。

 頬に触れられた感触。

 そして――ディーノの言葉。


『これは親愛なんだ。ミエラ。愛してるとは違う』


 違うって言ってたのに。いや、言ってたけどっ!!



 執務室の扉を開けた瞬間、空気がぴりりと張りつめていた。

 父は机の向こうに腕を組み、兄二人が左右に立ち、母はソファに腰掛けている。

 どこからどう見ても“軍の査問会”の構図だ。


 ミエラの後ろには、共に呼び出されたディーノが控えていた。

 彼は相変わらず穏やかな顔で、何も気づいていない犬のように首をかしげている。


「さて」

 父の低い声が響く。

「ディーノ。おまえに問う。――我が娘に、手を出したな?」


「えっ」


 ミエラは素で驚いた。そういう表現をされると思っていなかったからだ。

 しかし父はまったく怯まない。

 横で兄たちも、剣の柄に手を添えながら、露骨に殺気を放っている。


「ご報告があった。メイド長補佐のリーナが見たそうだ。

 “別館で、ディーノ様がミエラ様の頬に触れ、手を握っていた”――と」


 ――ちょ、リーナ!?

 なんでそこだけピンポイントで報告するの!?


 ミエラは蒼白になり、心の中で盛大に頭を抱えた。

 額へのキスは見られてない……よね? さすがに……?


 そんな彼女の不安をよそに、ディーノは一歩前に出た。

 堂々とした姿勢で、真っ直ぐ父を見据える。


「はい。ミエラの頬に触れ、手を握りました」

「貴様……っ!」

 父の椅子が大きな音を立てて倒れた。


 兄の一人――次男のカイルが剣に手を伸ばす。

「父上! 許可を! 一太刀だけでいい!」

「おまえは落ち着け! 首をはねたら後処理が面倒だろうが!」

「じゃあ腕だけでも!」

「お父さま、兄さま……やめてっ!」


 ミエラは慌てて間に飛び込んだ。

 その瞬間、ディーノの腕がすっと伸び、彼女の肩を庇う。


「待ってください」

 低く、しかし静かな声。

 竜の威圧を含んだその声に、場の空気が一瞬止まった。


「ミエラに乱暴はしていません。誓いの儀を行っただけです」

「……誓いの儀、だと?」

「ええ。竜の番として、守り抜くことを誓いました」


 父の眉がひくりと動く。

 兄たちは顔を見合わせて、訝しげに口を開いた。


「……つまり、“そういう関係”ではないのか?」

「違います。俺は誠実に、ミエラを愛しています」


 ――沈黙。


 時が止まったように、全員が固まった。

 そして最初に動いたのはミエラだった。


(誠実に愛してるって、言った……?)


 心の中で絶叫。

 言葉の順番おかしいのでは?

 “誓いの儀”からの“愛してる”は完全に告白じゃないか。


 父は無言で目を見開き、兄たちは声も出せずに口をぱくぱくさせている。

 沈黙が続いた数秒ののち、長兄レオンがぽつりと言った。


「……“誠実に愛してる”って、誓いの説明だったんだよな?」

「そうだ。竜の愛は、“忠義”と同義だ」

「じゃあ、他の動物で言うなら“忠犬”みたいなものか?」

「うむ、そんな感じだ」


 ディーノの真面目な顔に、父のこめかみがぴくりと跳ねた。


「ふざけるな。犬でも竜でも関係ない。おまえが触れた時点で問題だ!」

「お父さまっ!」

 ミエラは思わず声を張った。


「ディーノはそんなつもりじゃなかったの! 本当に!」

「“そんなつもりじゃなかった”で済むと思うか!」

「あなた、落ち着いてくださいませ」


 その時、涼やかな声が部屋を満たした。

 母セリアは竜研究の第一人者としての顔をしている。


「ふしだらな接触はなかったのでしょう? なら、いいではありませんか」

「いや、しかし……!」

「あなた方、遠征の疲れも取れていないのに、娘の恋路にまで口を出すつもり?」

「ち、父として、だな……」

「兄として心配なのです!」

「俺が持っているのは誠実な愛です」


 ディーノの一言に毒気を抜かれたか。

 父は深いため息をつき、椅子に座り直す。


「……もういい。

 ただし、今後不用意にミエラに触れることを禁ずる」

「はい」

「同じ屋根の下にいる以上、節度を持て」

「了解しました」


 ディーノが深く頭を下げると、父もわずかに頷いた。

 兄たちは「まぁ……仕方ない」と肩をすくめ、母は静かに笑った。


「ね? これで丸く収まりましたわ」

「……まったく、あの男が番になるとはな」

 父はぼやきつつも、どこか安心したような表情を見せた。







 廊下に出た瞬間、ミエラは膝から崩れ落ちそうになった。

 顔が真っ赤だ。

 心臓が壊れそうに速い。


 隣でディーノが申し訳なさそうに頭を下げる。

「ごめん、俺……言葉、間違えた?」

「……うん、だいぶ間違えた」

「でも、誠実なのは本当だよ?」

「ディーノのは親愛でしょ?!」


 ミエラは顔を両手で覆いながら、呻いた。

 “誠実に愛してる”――

 その一言が、どうしてこんなに胸に響くのだろう。


 竜の愛は忠義で、誓いで、命の契約。

 けれど、ミエラの心が感じたのは、もっと人間らしい温かさだった。


 ――その自分の心に、少しだけ違和感を覚えた。







 夜。

 別館の窓辺に座り、ミエラはランプの灯を見つめていた。

 竜舎からは、夜番の竜たちの低い鳴き声が聞こえる。


「……誓い、かぁ」

 額をそっと触れる。あのキスの感触が、まだ残っている。


「“愛してる”って、あれ、竜の言葉だと“守る”なんだよね……」

 ぽつりと呟いた瞬間、背後からディーノの声がした。


「うん。俺の中では、同じ言葉なんだ」

「え?」

「“愛してる”も、“守る”も、“命を分け合う”も、全部一緒」


 ミエラは息をのむ。

 ゆっくりと振り返ると、ディーノが柔らかく笑っていた。


「ミエラ、今日、怒らせちゃってごめん」

「もう、いいよ。……でも、次からは言葉、選んでね」

「うん。じゃあ、こう言うのはどう?」


 ディーノが彼女の手を取った。

 指先が触れるだけで、胸の奥がじんと熱くなる。


「――ミエラを、大切にしたい」


 その言葉に、ミエラは何も返せなかった。

 ただ、胸の鼓動が重なり、静かな夜が包み込む。


 竜と少女。

 “誓い”と“恋”の境界線は、ますます曖昧になっていった。




読んでくださりありがとうございました。

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