第5話 家族会議と過保護の嵐
その日の朝は、やけに空がうるさかった。
竜舎の上を旋回する竜の影が、次々と陽を遮る。
ノルディア領の誇る竜騎士団が、遠征討伐から帰還したのだ。
「おかえりなさいませ、団長様! 第二隊長殿も!」
「兄さま! お父さま!」
ミエラが玄関まで駆け寄ると、銀の鎧を光らせた竜騎士たちが整列していた。
父――団長であるノルディア伯は堂々と立ち、隣には二人の兄が控えている。
嵐を模した家紋入りのマントが、朝風に翻った。
「ミエラ、元気だったか」
「はい。あの……皆さん、お疲れさまでした」
「ふむ。……だが、おまえ、少し顔が赤くないか?」
父が鋭い目を細めた瞬間、ミエラの背中に冷や汗が走った。
――いやいや、気のせい。絶対気のせい。
数日前、ディーノから額に“誓いのキス”をされたことなんて、顔に出てるはずが……。
そうこう考えているうちに、父たちは竜舎へ行ったらしい。安堵していると、使用人のリーナに声をかけられた。
「……ミエラお嬢さま。旦那さまがお呼びです」
神妙な顔で、頭を下げている。
その声の震え方が、なにかを予感させる。
ミエラは、ごくりと唾を飲んだ。
「え、今、ですか?」
「はい。別館での“ご様子”について、お話があるとか……」
――別館でのご様子。
……別館でのご様子!?!?
ミエラの脳裏に、あの夜の光景がフルカラーで蘇った。
額へのキス。
頬に触れられた感触。
そして――ディーノの言葉。
『これは親愛なんだ。ミエラ。愛してるとは違う』
違うって言ってたのに。いや、言ってたけどっ!!
*
執務室の扉を開けた瞬間、空気がぴりりと張りつめていた。
父は机の向こうに腕を組み、兄二人が左右に立ち、母はソファに腰掛けている。
どこからどう見ても“軍の査問会”の構図だ。
ミエラの後ろには、共に呼び出されたディーノが控えていた。
彼は相変わらず穏やかな顔で、何も気づいていない犬のように首をかしげている。
「さて」
父の低い声が響く。
「ディーノ。おまえに問う。――我が娘に、手を出したな?」
「えっ」
ミエラは素で驚いた。そういう表現をされると思っていなかったからだ。
しかし父はまったく怯まない。
横で兄たちも、剣の柄に手を添えながら、露骨に殺気を放っている。
「ご報告があった。メイド長補佐のリーナが見たそうだ。
“別館で、ディーノ様がミエラ様の頬に触れ、手を握っていた”――と」
――ちょ、リーナ!?
なんでそこだけピンポイントで報告するの!?
ミエラは蒼白になり、心の中で盛大に頭を抱えた。
額へのキスは見られてない……よね? さすがに……?
そんな彼女の不安をよそに、ディーノは一歩前に出た。
堂々とした姿勢で、真っ直ぐ父を見据える。
「はい。ミエラの頬に触れ、手を握りました」
「貴様……っ!」
父の椅子が大きな音を立てて倒れた。
兄の一人――次男のカイルが剣に手を伸ばす。
「父上! 許可を! 一太刀だけでいい!」
「おまえは落ち着け! 首をはねたら後処理が面倒だろうが!」
「じゃあ腕だけでも!」
「お父さま、兄さま……やめてっ!」
ミエラは慌てて間に飛び込んだ。
その瞬間、ディーノの腕がすっと伸び、彼女の肩を庇う。
「待ってください」
低く、しかし静かな声。
竜の威圧を含んだその声に、場の空気が一瞬止まった。
「ミエラに乱暴はしていません。誓いの儀を行っただけです」
「……誓いの儀、だと?」
「ええ。竜の番として、守り抜くことを誓いました」
父の眉がひくりと動く。
兄たちは顔を見合わせて、訝しげに口を開いた。
「……つまり、“そういう関係”ではないのか?」
「違います。俺は誠実に、ミエラを愛しています」
――沈黙。
時が止まったように、全員が固まった。
そして最初に動いたのはミエラだった。
(誠実に愛してるって、言った……?)
心の中で絶叫。
言葉の順番おかしいのでは?
“誓いの儀”からの“愛してる”は完全に告白じゃないか。
父は無言で目を見開き、兄たちは声も出せずに口をぱくぱくさせている。
沈黙が続いた数秒ののち、長兄レオンがぽつりと言った。
「……“誠実に愛してる”って、誓いの説明だったんだよな?」
「そうだ。竜の愛は、“忠義”と同義だ」
「じゃあ、他の動物で言うなら“忠犬”みたいなものか?」
「うむ、そんな感じだ」
ディーノの真面目な顔に、父のこめかみがぴくりと跳ねた。
「ふざけるな。犬でも竜でも関係ない。おまえが触れた時点で問題だ!」
「お父さまっ!」
ミエラは思わず声を張った。
「ディーノはそんなつもりじゃなかったの! 本当に!」
「“そんなつもりじゃなかった”で済むと思うか!」
「あなた、落ち着いてくださいませ」
その時、涼やかな声が部屋を満たした。
母セリアは竜研究の第一人者としての顔をしている。
「ふしだらな接触はなかったのでしょう? なら、いいではありませんか」
「いや、しかし……!」
「あなた方、遠征の疲れも取れていないのに、娘の恋路にまで口を出すつもり?」
「ち、父として、だな……」
「兄として心配なのです!」
「俺が持っているのは誠実な愛です」
ディーノの一言に毒気を抜かれたか。
父は深いため息をつき、椅子に座り直す。
「……もういい。
ただし、今後不用意にミエラに触れることを禁ずる」
「はい」
「同じ屋根の下にいる以上、節度を持て」
「了解しました」
ディーノが深く頭を下げると、父もわずかに頷いた。
兄たちは「まぁ……仕方ない」と肩をすくめ、母は静かに笑った。
「ね? これで丸く収まりましたわ」
「……まったく、あの男が番になるとはな」
父はぼやきつつも、どこか安心したような表情を見せた。
*
廊下に出た瞬間、ミエラは膝から崩れ落ちそうになった。
顔が真っ赤だ。
心臓が壊れそうに速い。
隣でディーノが申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめん、俺……言葉、間違えた?」
「……うん、だいぶ間違えた」
「でも、誠実なのは本当だよ?」
「ディーノのは親愛でしょ?!」
ミエラは顔を両手で覆いながら、呻いた。
“誠実に愛してる”――
その一言が、どうしてこんなに胸に響くのだろう。
竜の愛は忠義で、誓いで、命の契約。
けれど、ミエラの心が感じたのは、もっと人間らしい温かさだった。
――その自分の心に、少しだけ違和感を覚えた。
*
夜。
別館の窓辺に座り、ミエラはランプの灯を見つめていた。
竜舎からは、夜番の竜たちの低い鳴き声が聞こえる。
「……誓い、かぁ」
額をそっと触れる。あのキスの感触が、まだ残っている。
「“愛してる”って、あれ、竜の言葉だと“守る”なんだよね……」
ぽつりと呟いた瞬間、背後からディーノの声がした。
「うん。俺の中では、同じ言葉なんだ」
「え?」
「“愛してる”も、“守る”も、“命を分け合う”も、全部一緒」
ミエラは息をのむ。
ゆっくりと振り返ると、ディーノが柔らかく笑っていた。
「ミエラ、今日、怒らせちゃってごめん」
「もう、いいよ。……でも、次からは言葉、選んでね」
「うん。じゃあ、こう言うのはどう?」
ディーノが彼女の手を取った。
指先が触れるだけで、胸の奥がじんと熱くなる。
「――ミエラを、大切にしたい」
その言葉に、ミエラは何も返せなかった。
ただ、胸の鼓動が重なり、静かな夜が包み込む。
竜と少女。
“誓い”と“恋”の境界線は、ますます曖昧になっていった。
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