第9話 地上への帰還、永遠の誓い
夜明けの風が、二人を包み込んだ。
金の光翼はまだ微かに輝きを残している。
ミエラはその背にしがみつきながら、遠ざかる竜の里を見下ろした。
「……終わった、の?」
「いや。始まったんだ、きっと」
ディーノの声が低く響く。
彼の鱗は泥と血にまみれていた。
それでも微笑んでいた。
空を裂く風の中、ただ一筋の涙が光る。
やがて、地平の向こうに懐かしい景色が見えた。
湖のきらめき。森のざわめき。
そして──あの家の屋根。
「……お父さま……!」
ミエラの喉が震える。
ディーノが高度を落とし、庭の芝生へと舞い降りた。
金の翼がゆっくりと消えゆく。
まるで使命を終えた天の光が、静かに還っていくように。
足が地についた瞬間、ミエラの膝が崩れた。
全身の力が抜け、地面に座り込む。
その身体を、誰かが包んだ。
「──ミエラ!」
聞き慣れた声。
父だった。
威厳に満ちた男の顔に、涙が伝っていた。
彼の涙を見るのは、生まれて初めてだった。
「よく……帰ってきた……」
その声が震えるたび、ミエラの心も震えた。
抱きしめられ、胸の奥に溜まっていたすべての恐怖が溶け出していく。
「お父さま……ごめんなさい。私……」
「いいんだ、もう何も言うな」
父はミエラの頭を抱きしめたまま、嗚咽をこらえるように息を吐いた。
やがて、兄たちが駆け寄ってくる。
長兄のレオンが笑いながら言った。
「おいおい、どれだけ心配したと思ってるんだ!」
次兄のカイルは涙目で拳を震わせた。
「まったく……勝手な妹だよ。だけど……よかった。本当によかった……!」
母がミエラの背にそっと手を置く。
「あなたは、もう立派にやり遂げたわ。
──生きて、帰ってきたんですもの」
ミエラは家族の笑顔に包まれながら、ディーノを振り返った。
彼は少し離れた場所で、静かに立っていた。
金の翼は完全に消えている。
人の姿に戻ったディーノの肩には、深い傷跡が残っていた。
「ディーノ……」
「心配するな。もう、痛みは感じない」
そう言いながらも、彼の目にはどこか影があった。
ミエラは歩み寄り、その手を握る。
「ねえ、翼は……?」
ディーノは静かに首を振った。
「もう、二度と出せないだろう」
「え……?」
「金の光翼は、番の魂が共鳴して生まれる一夜の奇跡だ。
竜の里での戦いで、俺の竜核は限界を超えた。
もう、空を飛ぶことはできない」
ミエラの喉が詰まった。
あの夜の光景が脳裏をよぎる。
金の翼が空を裂き、風と星を抱いた夜。
あれが、最初で最後の飛翔だったのだ。
「……ごめん、私が無理を言ったから」
「違う」
ディーノは優しく笑った。
「ミエラがいたから、俺は飛べた。
たとえ翼がなくても、空はこの胸にある」
その言葉に、ミエラは涙をこらえきれなかった。
胸に顔を埋め、嗚咽がこぼれる。
「……そんなの、ずるい」
「ずるくていい。俺は、お前の番だからな」
そう言って彼は、指輪の輝きを見せた。
金色の輪に刻まれた竜の紋章が、朝日に照らされてきらめく。
*
数日後。
屋敷の図書室で、ミエラは筆を走らせていた。
机の上には、竜族の文化や言語、歴史の資料が山のように積まれている。
「“地上で生きる竜の伝承”……これで、よし」
彼女が名付けた新しい書は、
竜族と人間、両方の未来を結ぶ“架け橋”となるための記録だった。
ページには、こう記されている。
『竜は人を拒まず。人もまた、竜を恐れぬ世界を。
我らは違う種であっても、同じ空を見上げる者なり。』
その言葉に込められた想いを、ディーノは黙って見つめていた。
「……お前は、強くなったな」
「あなたが、隣にいてくれたから」
ミエラは笑いながら、手に持った羽ペンを置いた。
そして、そっとディーノの手を取る。
「ディーノ。
私、決めたの。
竜族と人間が共に生きられる未来を作る。
そのために、この本を完成させて、みんなに伝えるの」
「……お前ならできる」
「でも、一人じゃない。
あなたと一緒に、生きていく」
ディーノは頷いた。
その瞳の奥には、穏やかな金の光が宿っていた。
その夜。
庭の空は、満天の星に包まれていた。
ミエラは草の上に座り、空を仰ぐ。
隣には、ディーノがいる。
「ねえ、ディーノ」
「ん?」
「また、遠乗りに行こう。
小型竜に乗って、今度は領の外まで」
ディーノは空を見上げ、微笑んだ。
「ああ。どこまでも飛ぼう。
空は、俺たちの中にある」
「……うん」
ミエラは手を伸ばした。
指先が、星の光を掬うようにきらめく。
その手を、ディーノが包み込む。
「ミエラ。
──誓おう。
この地で、お前と共に生きる」
「うん……私も。
あなたと、生きていく」
風が、二人の髪を撫でた。
星々が祝福するように瞬き、庭を淡い光で照らす。
ディーノはミエラの額に口づけを落とした。
「愛してる、ミエラ」
「私も……愛してる、ディーノ」
その瞬間、庭の上空を一筋の流星が走った。
まるで、あの“金の翼”が再び空を翔けたかのように。
──翼は失われても、空は永遠にここにある。
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