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第1話 竜と少女の共同生活



 朝露がまだ残る石畳を、私は半分寝ぼけながら歩いていた。

 隣には、もうすっかり人の姿に慣れたディーノ。

 金色の髪が陽に透けて、眩しいくらいに光っている。

 ……というか、隣を歩かれると身長差がとても際立つ。

 壁みたいだ。


「そんなに距離を取らなくてもいいだろう?」

「い、いえ……別に、距離を取ってなんか」

「半歩どころか二歩くらい下がってるぞ」

「それは……歩幅が、合わなくて」


 言ってから、自分でもダメだと気づいた。すかさずディーノは歩幅を合わせ、私の隣で微笑んだのだから。

 でもしょうがない。七年近く竜の姿しか知らなかった相手が、

 いきなり立派な青年になって隣にいるんだから、戸惑うに決まってる。


 そんな私の混乱をよそに、ディーノは涼しい顔で言った。

「今日から俺は、ノルディア家の別館を使わせてもらう。竜舎の隣の、小さい家だ」

「ええ、聞きたよ。……お父さまたちが“同居許可”を出したって」

「許可というか、“監視”のほうが近い気がするけどな」


 思い出すだけで胃が痛い。

 昨日の家族会議──という名の尋問タイム。

 父ガルディスと兄レオンとカイルふたりが並んで座り、ディーノを真っすぐに睨んでいた。


「ミエラを泣かせたら、即追放だぞ」

「間違っても、手を出すなよ」

「いや、それは……」

 困惑するディーノに、母セリアが笑顔で紅茶を注いだ。

「まぁまぁ。番なんだから、自然に任せればいいのよ」

 それで余計ややこしくなったのは言うまでもない。


 ──というわけで、今朝からディーノと“お試し共同生活”が始まるのだった。







 別館は、竜舎のすぐ裏手にある。

 森の木々に囲まれた、レンガ造りの小さな家。

 窓には白いカーテン、玄関の横には花壇があって、

 母が「新婚さんみたいで可愛いわねぇ」と笑った場所だ。


 ……お母さま、そういう冗談やめて。


「おかえりなさいませ、ミエラお嬢さま」

 玄関先で、使用人のリーナが頭を下げる。

 いつもの屋敷ではメイド長の補佐をしている女性で、

 今回の“別館世話係”を買って出てくれたらしい。


「リーナ、いつもありがとう」

「いえいえ、旦那さまから“監視も兼ねてる”とお伺いしておりますので」

「やっぱり監視なんだ……」


 小声でつぶやくと、背後でディーノが笑った。

「気にするな。俺は逃げも隠れもしない」

「いや、そういう問題では……」


 中に入ると、ほのかに木の香りがした。

 新築のような清潔さ。

 暖炉のある居間に、二階へと続く階段。

 寝室は別々──しかし、実際は隣同士。

 壁一枚しかない。こんこんと確認すると、音が微かに聞こえる。


 思わず頬が熱くなった。

 そうだ。私は家族以外の異性と暮らしたことがない。胸がざわつくのは、仕方のないことなのだ。


「顔が赤いが、体調でも?」

「な、なんでもありません」

「そうか?」

「そうです……!」


 ディーノは首を傾げた後、私の荷物を軽々と持ち上げた。

 両手どころか片手で持てる筋力。竜騎士の父を持つ娘として、少し好感を持った。

「上の部屋でいいんだな?」

「ええ。……あ、でも重いでしょう、それ」

「ミエラ、俺は竜族だぞ? この程度、羽毛みたいなものだ」


 そう言って階段を上がっていく背中を見て、

 なんか、ほんの少しだけ、頼もしく感じてしまった。







 共同生活一日目。

 朝は一緒に本館の食堂で朝食をとる。

 昼はそれぞれの仕事──私は勉学と家事の手伝い、彼は体の経過観察と剣の訓練。

 夜になると、二人で暖炉の前に座って紅茶を飲む。


 ……こうして並んで座ると、本当に“家族”みたいだった。

 だけど時々、その距離の近さに心臓が忙しくなる。


「お前、熱いの苦手だろう?」

 そう言って、ディーノが私のカップを手に取る。

 ふうっと息を吹きかけて、少し冷ましてから戻してくれた。

「これくらいでどうだ?」

「……ありがとう。……でも、なんでそんなに気が利くの」

「番だから、だろ?」


 その一言で、また顔が熱くなる。

 “番”という言葉を軽く使わないでほしい。なんだか特別な響きを帯びて、聞こえてくるから。


 けれど、ディーノの目は真剣だった。

 その瞳に映る自分を見ていると、どうしても息が詰まる。

 彼は私を“守る”ことを、当然のように考えている。

 恐らく、小竜を慈しむくらいにしか思っていないのだろうが。

 でも、私はまだその竜族独特の思考に追いつけていない。


 だから、つい、さんをつけたくなる。

「……ディーノさん」

「“さん”はいらない」

「で、でも……」

「ミエラが俺を呼ぶとき、竜舎では“ディーノ”って呼んでただろ」

「そ、それは……竜の姿だったからで」

「姿が変わっても俺は俺だ。呼び方くらい、昔のままでいい」


 そう言われて、私は少しだけ考えて──小さく呟いた。

「……ディーノ」

「そう、それでいい」

 彼の口元が、ふっと緩む。

 なんだろう、笑うと少し幼く見えるのがずるい。


 その夜、私は布団の中で何度も寝返りを打った。

 隣の部屋から聞こえる、かすかな衣擦れや、窓を閉める音。

 意識してはいけないと思えば思うほど、気になって眠れなかった。







 二日目の夕方。

 私はお風呂上がりのまま、髪を乾かすのを忘れて本を読んでいた。

 そこへ、ノックもなくドアが開く。


「おい、髪がまだ濡れてるぞ」


 ディーノがタオルを片手に入ってきた。

「ちょ、ちょっと! ノックくらいしてよ!」

「したぞ。三回」

「嘘……!」

「耳が赤いぞ。風邪ひく前に乾かせ」

 ぐい、と椅子を引かれて座らされる。

 そのまま、ディーノが私の後ろに立って、タオルで髪を優しく拭き始めた。


「ひゃ……っ、くすぐったい」

「あぁ……力、強かったか?」

「ち、違う……変な感じで……」


 タオルの端が頬をなぞる。

 指が、耳に触れる。

 体がびくりと跳ねてしまうのに、ディーノは淡々としていた。

「昔、子竜の羽を拭く時も、こうしてた」

「……それ、私を子竜扱いしてるってこと?」

「可愛いって意味だ」

「な……!」


 反論できなくて、言葉が喉で止まった。

 タオル越しの手の温もりが、やけに心に残る。


 髪を乾かし終えると、彼は手早くブラシで梳いてくれた。

 滑らかな手つきに、思わずまぶたが下りそうになる。

「寝ぐせがつく前に整えた方がいい」

「……ありがとう」

「どういたしまして」


 その声が、やけに優しかった。

 こんなふうに誰かに世話を焼かれるのは、兄たちが小さい頃以来だ。

 だけど──兄たちの手よりも、ずっとあたたかく感じたのはなぜだろう。



 夕食のあと、ディーノは窓際で竜族の古書を読んでいた。

 私はその向かいで紅茶を飲みながら、少しだけ勇気を出す。


「……ねぇ、ディーノ」

「ん?」

「……その、“番”って、どういうものなの?」

「血で繋がる契約じゃない。心で繋がる絆だ」

「心で……?」

「竜族にとって、番は“共に生きる者”だ。

 命が終わるその時まで、どちらかがどちらを見守る。

 ──だから、俺はもう、ミエラから離れない」


 まっすぐすぎる瞳に、息が詰まる。

 私なんかが、その想いを受け止めていいのだろうか。


「でも、ディーノは翼を……。 それって、取り返しがつかないことじゃ……」

「空は誇りだ。けど、誇りのために大切なものを失う方が、愚かだと思う」

 そう言って、ディーノは小さく笑った。

「俺にとっての“誇り”は、もう変わったんだよ」


 暖炉の炎が、彼の横顔を照らしていた。

 黄金の光に包まれたその姿は、あの日の竜と同じように見えた。

 大きくて、あたたかくて──そして少し、切なかった。


 私はそっと、紅茶のカップを両手で包んだ。

「……ありがとう。ディーノ」

「何に対して?」

「いろいろ。……でも、たぶん、今までの全部に」


 ディーノが、少しだけ驚いたように瞬き、

 次の瞬間、静かに微笑んだ。


「そう言ってもらえるなら、俺も甲斐があったというものだ」


 その言葉が、心の奥にじんわりと染みていく。

 私は視線を落とし、炎を見つめながら思った。


 ──この共同生活が、終わる時が来ても。

 私はきっと、今日のことを忘れられない。


 けれどその予感は、ほんの少しの寂しさを連れて胸に残った。




読んでくださりありがとうございました。

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