表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/21

第1話 新たな日常、婚約者として



 夜明け前の空は、まだ群青と金の狭間にあった。

 王都の一角、竜騎士団別館に与えられた小さな離れ。そこが、いまのミエラとディーノの新しい生活の場所だった。


 ――番契約、正式承認。

 竜の長ザバルから直接認められたその日から、二人の関係は“竜と少女の番”から、“婚約者”へと変わった。


 といっても、生活の形は以前とあまり変わらない。

 けれど、ほんの少し――目を合わせるだけで、心臓が跳ねるようになった。


 朝の光が、窓のレース越しに柔らかく差し込む。

 ミエラは寝台の縁に腰掛けながら、感じる温もりに目を細めた。


 ……隣に、ディーノがいる。

 そんな当たり前がこんなに尊いものになるなんて。

 その穏やかな寝息に、胸がじんわり熱くなる。


「……ディーノ」


 小さく囁くと、彼の睫毛がかすかに揺れた。

 月光の色をした髪が頬にかかっていて、寝顔はあまりにも穏やかだった。


 ――綺麗だなぁ。


 思わず、指先で彼の頬をそっと撫でてしまう。

 すると。


「……ミエラ。いたずらがすぎるぞ」


「ひゃっ……!」


 ぱし、と手首を掴まれた。

 いつのまにか目を覚ましていたディーノが、寝起きの低い声で笑っている。

 その顔が近い。近すぎる。


「おはよう、ミエラ」


「お、おはようございます……っ!」


 顔が一気に真っ赤になる。

 寝起きのディーノは普段より声が低く、なんだかずるい。

 言葉に詰まって視線を逸らすと、彼はそんなミエラを見つめながらふっと笑った。


「そんなに赤くなると、つい構いたくなる」


「か、構わなくていいからっ!」


「そう言われると、余計に触れたくなる」


「ディーノ!」


 抗議の声を上げると、彼はくすくすと笑って、ようやく手を放した。

 けれど、まだ手のひらに彼の体温が残っていて、心臓がうるさいほど鳴っている。


「……あ、あのね! 今日は私のほうが早く起きたの!」


 照れ隠しのように、ミエラは勢いよくベッドを飛び降りる。

 ディーノが眉を上げた。


「珍しいな。いつもは俺が起こしてるのに」


「ふふん、今日は特別。一緒に別館で食べよう! 朝ごはん、もうできてで、お肉たくさんのにしたから!」


「お肉……?」


「うん。いつも訓練でお腹空かせてるでしょ?」


 言いながら、エプロンの裾を握るミエラの声が、ほんの少しだけ小さくなった。

「……だから、その、早く起きてねって意味も込めて」


 その瞬間、ディーノが笑った。

 彼の目が、いつもの静かな色ではなく、あたたかい金に染まっていく。


「……ありがとう、ミエラ」


 そう言って、軽く身を起こした。

 寝ぼけた髪のまま、彼はミエラの前に立つと、彼女の額に指先を当てる。


「ご褒美は?」


「え?」


「朝から可愛いことをしてくれたお礼だ」


「お、お礼なんていりません!」


 慌てて後ずさるミエラ。

 だがディーノは、軽やかに一歩踏み出し――逆にミエラの額へ、やわらかく唇を落とした。


「っ……!」


 息が止まる。

 時間が一瞬だけ凍りついて、それから心臓が跳ね上がる音だけが響いた。


「……朝から、だめだよ……」


 ミエラが小声で呟くと、ディーノはくすりと笑った。


「先にしかけたのは君だろう? “早く起きてね”って」


「そ、それは……そうだけどっ!」


「なら、俺も返さないとな。……“ありがとうのキス”を」


 そう言われて、もう顔が限界だった。

 ミエラは耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆った。


「ディーノの、いじわる……!」


 けれど、唇の端がどうしても上がってしまう。

 怒ってるのに、うれしいなんて。

 自分でもどうしていいかわからない。




 朝食の時間。

 テーブルの上には、香ばしく焼けたベーコンと温野菜、パンとミルク。

 ミエラが一生懸命作ったのが伝わる、温かい香りが部屋を満たしていた。


「このベーコン、焦がさず焼けてる。……練習したんだ?」


「ふふ、はい。ディーノが好きだからって、厨房のメイドさんにこっそり習ったんです」


「ミエラの作る料理は、どんな王都のごちそうよりうまいよ」


「……おだてても、おかわりは一皿だけだからね」


「そうか。じゃあ、その一皿を大事に食べよう」


 真顔で言うものだから、ミエラはまた吹き出してしまった。

 笑いながら、パンをディーノの皿にひとかけら移す。


「……私、こうしてディーノと一緒に食事する時間が、一番好きかも」


「俺もだ。こうして君と話すのが、何より落ち着く」


 その言葉に、胸の奥があたたかくなった。

 “婚約者”という言葉が、まだ少し照れくさい。けれど、確かに心の中に灯がある。

 ――好き、なんだ。

 ようやくその気持ちを、言葉にできるようになった。


 食後、庭で少し散歩をする。

 風に揺れる花の香りが、淡く空気を彩る。

 ミエラがふと見上げた空には、遠くを飛ぶ竜たちの影があった。


「……いつか、また飛びたい?」


 問うと、ディーノは少しだけ目を細めた。

「そうだな。けど、ミエラが笑っていてくれるなら、翼はいらない」


「もう……そういうこと言うんだから……」


 呆れたように笑いながらも、心臓がまた跳ねる。

 ディーノは静かにミエラの手を取った。

 その手のぬくもりが、空よりも深く感じられる。







 夕暮れ。

 日が傾き、空が金色に染まる。

 ミエラは部屋の窓辺で、紅茶を二つ用意して待っていた。


「今日の訓練はどうでしたか?」


「団長がまた張り切ってた。おかげで、筋肉が悲鳴を上げてる」


「ふふ、じゃあ今日はマッサージしてあげるね」


「……それは、君のほうが疲れるんじゃないか?」


「いいの。婚約者なんだから、甘えて」


 照れながら言ったその言葉に、ディーノが少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

 そして、静かに笑った。


「……そうだな。婚約者、だ」


 そのまま隣に座り、二人で金色の空を眺める。

 沈みゆく陽光の中で、彼が小さく呟いた。


「この日常が、永遠に続けばいい」


「ええ。……ずっと一緒に」


 ミエラの指先が、彼の手に重なった。

 手と手が触れた場所から、あたたかさが広がる。

 風の音、紅茶の香り、静かな鼓動――全部が心地いい。


 空を怖がっていた少女と、翼を失った竜。

 その二人が、地上で“新しい空”を見上げていた。


 ――その空の名は、“恋”だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ