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第9話 竜の掟と番の危機



 王都を包んでいた歓声は、まるで夢のように過ぎ去っていった。

 空を舞う金の竜の姿――その奇跡を、人々は長く語り継ぐことになるだろう。

 だが、その夜。王都の空には、もう一度、異なる“竜の影”が現れた。


 低く響く咆哮が、夜空を震わせる。

 窓ガラスがかすかに軋み、地面が震えた。

 広場にいた人々が一斉に空を見上げる。

 そこにいたのは、巨大な蒼竜だった。

 身体の各所には錆びついたような模様が浮かび、年輪のように積み重ねた時間の重みを語っている。

 その目は――氷のように冷たかった。


「……まさか」

 訓練場にいたディーノが、息を呑んだ。

 ミエラの横で、彼の表情が硬くなる。

 「誰、あれ……?」

 「竜の長。――蒼帝ザハルだ」


 ディーノの声は、低く震えていた。

 普段はどんな時でも落ち着いた声なのに、今は違う。

 その名を口にするだけで、空気が張りつめる。


 やがて、蒼竜ザハルがゆっくりと降下し、王都にある竜騎士団の広場に着地した。

 巨体が地を打つたび、石畳がひび割れる。

 周囲の竜たちは皆、頭を垂れた。

 ディーノもまた、その場で膝をつき、深く頭を下げる。

 ミエラは、その異様な光景に息を呑んだ。


 ――竜の長。

 竜族の頂点に立つ存在。

 かつて空の神々と並び称されたという、古き竜。

 滅多に人間界に姿を見せない存在が、なぜ今日、ここに……。


 「黄金の竜、ディーノよ」

 低く響く声が、大地を震わせた。

 「汝、掟を破ったな」


 「……掟、ですか」

 「その通りだ」

 ザハルの目が、ディーノを射抜く。

 「翼を失った竜が、再び空を飛ぶこと。それは竜の誇りを踏みにじる行為。

  竜は一度墜ちたら、再び飛ぶことは許されぬ。それが“竜の掟”だ」


 ――竜の掟。

 古代から伝わる、竜族の誇りを守るための律法。

 生まれながらに翼を持たぬ者、あるいは失った者は“堕竜”として空を捨てる。

 それを覆すことは、竜族全体への冒涜とされていた。


 ミエラは、ディーノの横顔を見た。

 彼は、なにも言わなかった。

 ただ静かに、地を見つめている。

 その姿が――ひどく痛々しかった。


 「蒼帝ザハル様」

 ディーノは頭を上げず、声を絞り出す。

 「確かに、私は翼を失った身です。

  しかし今日、番であるミエラを救うため、ほんの一瞬……」


 「言い訳は不要だ」

 ザハルの声が冷たく遮る。

 「その“ほんの一瞬”が掟を穢した。

  汝が竜である限り、その咎は消えぬ」


 ディーノは歯を食いしばった。

 竜族の頂に立つ者の前で、言葉を返すことなどできない。

 それがどれほど理不尽であっても、竜にとって掟は絶対なのだ。


 ザハルは静かに翼を広げる。

 その翼の一振りだけで、夜風が渦を巻き、石畳の砂が舞い上がった。

 「ディーノよ。汝は竜の里に戻り、永劫の戒めを受けよ。

  人の世との交わりを絶ち、二度と人間の地に姿を現すな」


 「なっ――!」

 ミエラが思わず叫んだ。

 「そんな……! どうしてですか!……お願いですっ 連れて行かないで……」


 ザハルの金の瞳が、ミエラを見下ろす。

 その冷たい視線に、背筋が凍る。

 「人の娘よ。竜の掟に口を挟むな」

 「でも――!」

 「貴様が番であるからこそ、彼は罪を犯したのだ」


 ミエラの心臓が凍りつく。

 番であるからこそ――。

 つまり、自分の存在が、彼を罰へ導いたというのか。


 「……私の、せい」

 小さな声で呟いたミエラの手を、ディーノが掴んだ。

 「違う。ミエラのせいじゃない」

 「でも……!」

 「俺が選んだ。ミエラを守るって、俺が決めたんだ」


 その目には迷いがなかった。

 けれど、ミエラにはわかる。

 彼の中で、竜としての誇りと、人としての想いがせめぎ合っていることを。


 ザハルはゆっくりと首を傾け、低く告げた。

 「番契約を、解け」

 「……!」

 「番である限り、竜は人に引かれる。

  竜族としての意志を失い、やがて堕ちる。

  汝が番を捨てるならば、その罪は軽くしてやろう」


 広場に、静寂が訪れる。

 風の音も、群衆の息も、すべてが止まった。

 ミエラの胸の奥で、何かがきしむ音がした。


 ――番を、捨てる?

 そんなこと、できるわけがない。

 あの空を共に飛んだばかりなのに。

 怖い空を、初めて好きだと思えたのに。

 その手を離したら、きっともう二度と飛べなくなる。


 「やめてください!」

 ミエラの声が、夜気を裂いた。

 「彼を奪わないで! ディーノは、私の……!」


 竜騎士団の兵たちが息を呑む。

 父も、兄も、誰も言葉を出せなかった。

 少女の叫びが、竜の長に向けられるなど、誰も想像したことがなかったのだ。


 「……人の娘」

 ザハルの金の瞳が、ゆらりと揺れる。

 「貴様、今なんと言った?」

 「……っ ディーノを、奪わないで、と」

 「掟が間違いだと申すか」

 「それは……」

 涙が頬を伝い、無意識に奥歯がカチカチと鳴る。

 ザハルの機嫌を損ねたら、死。その雰囲気をこの場にいいるすべての生き物が感じていた。

 震えながらも、ミエラは一歩前に出る。

 「ディーノは私を助けてくれました。共にいると、生きたいと願ってくれました。

  それが私には、嬉しかったのです……!」


 ぐっと拳を握りしめて、立ち向かう。

 ザハルの眼差しが、わずかに揺らいだ。

 だが、それもほんの一瞬。

 次の瞬間、轟音とともに大地が震えた。

 「――ならば、見せてみろ」

 「え……?」

 「その想いが、掟よりも強いというのなら。

  己の命を懸けて証明してみせよ」


 蒼竜が翼を広げ、夜空が裂けた。

 風が暴れ、光が弾ける。

 ミエラは必死に立っていようとするが、あまりの圧に膝をつく。

 竜の威圧――人間などひとたまりもない。


 「やめてください、ザハル様!」

 ディーノが立ち上がり、ミエラを庇った。

 その背に立つ姿は、翼がなくても――確かに竜の誇りを宿していた。


 「ミエラに手を出さないでください。すべての責は、俺が負う」

 「……愚かだな、黄金の竜よ」

 「それでもいい。俺は、彼女を守るために生まれたんだ」


 その言葉に、ミエラの胸が張り裂けそうになる。

 涙が止まらない。

 「ディーノ……」


 ザハルの瞳が再び光り、周囲の空気が一変した。

 「よかろう。ならば竜の里にて、番の運命を決めよう。

  黄金の竜よ、人の娘よ――この裁きは、次の月の満ちる夜に下す」


 その言葉を残し、蒼帝ザハルは空へと舞い上がった。

 青い光の尾を引きながら、夜の雲へと溶けていく。

 残されたのは、崩れ落ちるミエラと、静かにその肩を抱くディーノだけだった。


 ――次の、満月に。

 竜族の掟が、二人を引き裂こうとしている。


 それでもミエラの胸には、ひとつの決意があった。

 “もう、ディーノから何も奪わせない”

 たとえ、竜の掟そのものを敵に回しても。




読んでくださりありがとうございました。

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