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空を怖がる少女と、翼を捨てた竜



──今日もまた、私は言ってしまう。

「……ごめんね、ディーノ」


 竜舎の奥、朝霧の差し込む木漏れ日の中。

 金色の鱗を持つ大きな竜が、静かに目を閉じていた。

 その名はディーノ。私、ミエラ・ノルディアの“竜”──の、はずだった。


 彼はいつだって優しかった。私が竜の翼を見て震えても、

「大丈夫」と言いたげに尾を軽く振るだけで、決して責めたりはしない。

 だからこそ、胸が痛む。

 竜は本来、竜騎士を背に乗せて空を翔けることを誇りとしている。

 でも私は、それができない。


「竜はね、パートナーを背に乗せて戦うのが誇り……。

 ううん、ディーノが嫌いなわけじゃないんだよ。

 私が、飛ぶのが怖いって思ってるだけだから……ごめんね」


 いつものようにそうつぶやくと、ディーノの金の瞳が静かに瞬いた。

 まるで「気にするな」とでも言うように。

 けれど、その優しさが逆に、私の心を締めつける。


 竜舎を出ると、朝の風が少し冷たかった。

 ノルディア家の庭は広く、竜が百体いても埋め尽くすには足りないくらい。

 父は竜騎士団の団長、母は竜の研究者。兄たちは二人とも優秀な竜騎士。

 ……その中で、私だけが「竜が恐い」と、逃げている。


 どうしても、あの“飛び立つ瞬間”がだめなのだ。

 地面が遠ざかる、浮遊感。風の音。落ちたらどうしよう、という恐怖。

 翼を持たぬ私にとって、空はただの“高すぎる場所”でしかなかった。


 だから、「ごめんね」は私の日課になっていた。


 ――そして翌朝。

 その「日課」は、世界ごとひっくり返ることになる。







「……え?」


 竜舎に入った瞬間、私は声を失った。

 そこにいたのは、いつもの竜──では、なかった。


 全長およそ十メートル。金の鱗に琥珀色の瞳。

 けれど、その姿は……竜というよりも、どこか“恐竜”に近い。

 竜特有の翼が、消えていたのだ。


「ディ、ディーノ……?」

 恐る恐る名前を呼ぶと、その巨体がわずかに動いた。

 そして、低い声で、確かに言った。


『ミエラ。……竜が、空が、ダメなんだろ?』


「しゃ、しゃべった!?」


 腰が抜けるかと思った。

 竜が言葉を発したなんて、そんな話、母の研究書でも聞いたことがない。

 なのに、ディーノは穏やかに、まるで人と話すように続けた。


『大丈夫。これからは俺が地上から、ミエラを守るから。ずっと、そばにいるから』


「え? ええ!? 待って、いきなり何それ!? そもそもなんでしゃべ──」


 そのとき、彼の体がふわりと光を帯びた。

 金色の鱗が溶けていくように消え、形が縮んで、人の姿へと変わっていく。


 光が収まったとき、そこに立っていたのは──

 金の髪と琥珀の瞳を持つ、背の高い青年だった。

 あぁ……筋骨隆々で、カッコいい人だ。こんな人いたかなぁと小首を傾げていると


「あはは。俺だよ。ディーノ」


「嘘、そんなイケメンいたら覚えてるよ……!!」


「はは、竜族は本来こういう姿にもなれるんだ。ただ、今までは“番”として覚醒してなかっただけで」


「つがい? え? つがいって、え……!?」


 突然の単語に頭がショートした。

 私が混乱していると、ちょうど竜舎の扉が開く。


「──あらあら、やっと気づいたのね」

 ゆるやかな声で現れたのは母、セリア・ノルディア。

 その後ろには、父のガルディスと兄二人、レオンとカイルの姿も。

 仕事に忙しい家族が揃っている。それ程までにこのディーノの変化は、大きなことなのだろう。


「お母さま、ディーノが竜族って……それに、番?どういうことですか」


「あなたが十歳の誕生日に受けた“相性の儀”覚えてる? あれね、お見合いみたいなもので、婚約の適性を測ってたの」


「あの、“今年のあなたの誕生日プレゼントは竜よ!”がですか……?!」


 勢い余って竜舎の梁まで声が響いた。

 父と兄がそろって腕を組み、頬をかいてうなずく。


「番とは、特別相性が良いということ。竜騎士になると、その時は思っていたのでな……」

「竜騎士にとって番というのは憧れなんだ。だから、ミエラに番がいるってわかった時、嬉しかったし、羨ましかったよ」


「あぁ、だからなんですね。伯爵家(うち)に婚約の話が届かないのは」


 私の抗議を無視して、母が呑気に笑った。

「でも驚いたわ。ディーノ、竜の時は線が細い子だったのに……人の姿になると、まぁ、なんて立派なのかしら」


 そう言われて見れば、ディーノの体は……うん、筋肉の塊だった。

 竜の時よりもずっと逞しくて、肩幅も広くて。

 でも、金髪の下の笑顔は、とても穏やか。まるで陽だまりのようだ。


 思考が混乱する中で、ふとディーノと目が合った。

 琥珀の瞳がやさしく細められる。


「毎日俺を見上げるたびに、瞳が潤んでいたな。……今日は、大丈夫そうだ」


「な、……っ!」


 顔から火が出そうだった。

 けど、その言葉の裏に、確かな温度があった。

 彼は本気で、私の“恐怖”を理解してくれていた。


 母がぽつりと呟く。

「……ねぇミエラ。竜族にとって“翼”は誇りなのよ。それを捨てて地上に降りたってことは──彼がどれだけあなたを番として想ってるか、わかるでしょう?」


 その言葉に、胸が痛くなった。

 翼を捨てるということは、竜としての象徴を失うということ。

 誇りも、空も、仲間も手放して、私の隣を選んだということ。


 そんな、私なんかに……背中に乗って飛んだこともない、ただ“番”ってだけの、私に。


 ディーノを見つめながら呟いた。

「……どうして、そこまでしてくれるの?」


「決まってるだろ。ミエラが空を怖がるなら、俺が地上から守ればいい。

 お前が空を見上げなくても、俺が見てるから」


 その声はあたたかくて、まっすぐで。

 だけど、私の心は小さく震えた。


 この出会いが、きっと何かを変えていく──そんな希望を、微かに持って。







 その日から、私とディーノの奇妙な共同生活が始まった。

 父と兄はやたらと監視モードだし、母は毎日研究ノート片手にニコニコ。

 そしてディーノはというと、私の後ろをどこまでもついてくる。


「……ねぇ、竜舎に戻らなくていいの?」

「ここが俺の居場所だから」

「……そっ、か」


 そうやって、私は戸惑いながらも、心のどこかで感じていた。

 ──この金色の竜が、翼を捨ててまで私の隣を選んだ意味を。


 きっと、この“地上”で。

 私も、少しずつ“空”を見上げられるようになるのかもしれない。




読んでくださりありがとうございました。

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