空を怖がる少女と、翼を捨てた竜
──今日もまた、私は言ってしまう。
「……ごめんね、ディーノ」
竜舎の奥、朝霧の差し込む木漏れ日の中。
金色の鱗を持つ大きな竜が、静かに目を閉じていた。
その名はディーノ。私、ミエラ・ノルディアの“竜”──の、はずだった。
彼はいつだって優しかった。私が竜の翼を見て震えても、
「大丈夫」と言いたげに尾を軽く振るだけで、決して責めたりはしない。
だからこそ、胸が痛む。
竜は本来、竜騎士を背に乗せて空を翔けることを誇りとしている。
でも私は、それができない。
「竜はね、パートナーを背に乗せて戦うのが誇り……。
ううん、ディーノが嫌いなわけじゃないんだよ。
私が、飛ぶのが怖いって思ってるだけだから……ごめんね」
いつものようにそうつぶやくと、ディーノの金の瞳が静かに瞬いた。
まるで「気にするな」とでも言うように。
けれど、その優しさが逆に、私の心を締めつける。
竜舎を出ると、朝の風が少し冷たかった。
ノルディア家の庭は広く、竜が百体いても埋め尽くすには足りないくらい。
父は竜騎士団の団長、母は竜の研究者。兄たちは二人とも優秀な竜騎士。
……その中で、私だけが「竜が恐い」と、逃げている。
どうしても、あの“飛び立つ瞬間”がだめなのだ。
地面が遠ざかる、浮遊感。風の音。落ちたらどうしよう、という恐怖。
翼を持たぬ私にとって、空はただの“高すぎる場所”でしかなかった。
だから、「ごめんね」は私の日課になっていた。
――そして翌朝。
その「日課」は、世界ごとひっくり返ることになる。
*
「……え?」
竜舎に入った瞬間、私は声を失った。
そこにいたのは、いつもの竜──では、なかった。
全長およそ十メートル。金の鱗に琥珀色の瞳。
けれど、その姿は……竜というよりも、どこか“恐竜”に近い。
竜特有の翼が、消えていたのだ。
「ディ、ディーノ……?」
恐る恐る名前を呼ぶと、その巨体がわずかに動いた。
そして、低い声で、確かに言った。
『ミエラ。……竜が、空が、ダメなんだろ?』
「しゃ、しゃべった!?」
腰が抜けるかと思った。
竜が言葉を発したなんて、そんな話、母の研究書でも聞いたことがない。
なのに、ディーノは穏やかに、まるで人と話すように続けた。
『大丈夫。これからは俺が地上から、ミエラを守るから。ずっと、そばにいるから』
「え? ええ!? 待って、いきなり何それ!? そもそもなんでしゃべ──」
そのとき、彼の体がふわりと光を帯びた。
金色の鱗が溶けていくように消え、形が縮んで、人の姿へと変わっていく。
光が収まったとき、そこに立っていたのは──
金の髪と琥珀の瞳を持つ、背の高い青年だった。
あぁ……筋骨隆々で、カッコいい人だ。こんな人いたかなぁと小首を傾げていると
「あはは。俺だよ。ディーノ」
「嘘、そんなイケメンいたら覚えてるよ……!!」
「はは、竜族は本来こういう姿にもなれるんだ。ただ、今までは“番”として覚醒してなかっただけで」
「つがい? え? つがいって、え……!?」
突然の単語に頭がショートした。
私が混乱していると、ちょうど竜舎の扉が開く。
「──あらあら、やっと気づいたのね」
ゆるやかな声で現れたのは母、セリア・ノルディア。
その後ろには、父のガルディスと兄二人、レオンとカイルの姿も。
仕事に忙しい家族が揃っている。それ程までにこのディーノの変化は、大きなことなのだろう。
「お母さま、ディーノが竜族って……それに、番?どういうことですか」
「あなたが十歳の誕生日に受けた“相性の儀”覚えてる? あれね、お見合いみたいなもので、婚約の適性を測ってたの」
「あの、“今年のあなたの誕生日プレゼントは竜よ!”がですか……?!」
勢い余って竜舎の梁まで声が響いた。
父と兄がそろって腕を組み、頬をかいてうなずく。
「番とは、特別相性が良いということ。竜騎士になると、その時は思っていたのでな……」
「竜騎士にとって番というのは憧れなんだ。だから、ミエラに番がいるってわかった時、嬉しかったし、羨ましかったよ」
「あぁ、だからなんですね。伯爵家に婚約の話が届かないのは」
私の抗議を無視して、母が呑気に笑った。
「でも驚いたわ。ディーノ、竜の時は線が細い子だったのに……人の姿になると、まぁ、なんて立派なのかしら」
そう言われて見れば、ディーノの体は……うん、筋肉の塊だった。
竜の時よりもずっと逞しくて、肩幅も広くて。
でも、金髪の下の笑顔は、とても穏やか。まるで陽だまりのようだ。
思考が混乱する中で、ふとディーノと目が合った。
琥珀の瞳がやさしく細められる。
「毎日俺を見上げるたびに、瞳が潤んでいたな。……今日は、大丈夫そうだ」
「な、……っ!」
顔から火が出そうだった。
けど、その言葉の裏に、確かな温度があった。
彼は本気で、私の“恐怖”を理解してくれていた。
母がぽつりと呟く。
「……ねぇミエラ。竜族にとって“翼”は誇りなのよ。それを捨てて地上に降りたってことは──彼がどれだけあなたを番として想ってるか、わかるでしょう?」
その言葉に、胸が痛くなった。
翼を捨てるということは、竜としての象徴を失うということ。
誇りも、空も、仲間も手放して、私の隣を選んだということ。
そんな、私なんかに……背中に乗って飛んだこともない、ただ“番”ってだけの、私に。
ディーノを見つめながら呟いた。
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
「決まってるだろ。ミエラが空を怖がるなら、俺が地上から守ればいい。
お前が空を見上げなくても、俺が見てるから」
その声はあたたかくて、まっすぐで。
だけど、私の心は小さく震えた。
この出会いが、きっと何かを変えていく──そんな希望を、微かに持って。
*
その日から、私とディーノの奇妙な共同生活が始まった。
父と兄はやたらと監視モードだし、母は毎日研究ノート片手にニコニコ。
そしてディーノはというと、私の後ろをどこまでもついてくる。
「……ねぇ、竜舎に戻らなくていいの?」
「ここが俺の居場所だから」
「……そっ、か」
そうやって、私は戸惑いながらも、心のどこかで感じていた。
──この金色の竜が、翼を捨ててまで私の隣を選んだ意味を。
きっと、この“地上”で。
私も、少しずつ“空”を見上げられるようになるのかもしれない。
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