第5話:データ化された世界の真実
翌日、ルークは午後二時に王都の北門で待っていた。周囲では人々が行き交い、商人が荷車を引き、冒険者たちが装備を整えている。いつもなら彼はそんな光景を遠巻きに眺めるだけだったが、今日は違う。彼自身がその一部になろうとしていた。
「来るのか、来ないのか…」
ルークは時折、周囲を見回した。フィオナ・シルヴァーブレイドの姿はまだない。彼女が自分を誘った理由は不明だが、おそらくエレメンタルウェポンに関係していることは間違いないだろう。
「待たせたな」
背後から声がした。振り返ると、昨日とは少し違う装いのフィオナが立っていた。軽装の鎧に身を包み、腰には昨日見た二本の短剣が下がっている。肩には小さな旅行鞄を掛けていた。
「シルヴァーブレイドさん」
「フィオナでいい。そう呼ばれるのに慣れていない」
彼女は簡潔に言った。その表情は昨日と同じく冷たく、感情を読み取るのは難しい。
「わかりました、フィオナ」
「ルーク・アルマディア…噂の『最弱の魔導師』だな」
彼女の言葉に、ルークは少し身を強ばらせた。彼の評判は知れ渡っていたようだ。
「はい、そう呼ばれています」
「しかし、昨日の行動は『最弱』とは思えなかった」
フィオナの鋭い視線がルークを捉えた。
「東塔の窓から飛び降りる。普通の魔導師ならば、浮遊魔法を使うだろう。だが、お前は使わなかった。それでいて、無傷だった」
ルークは平静を装った。彼女は観察力が鋭い。
「運が良かっただけです」
「運?」
フィオナは疑わしげな表情を浮かべたが、それ以上は追及しなかった。
「どこへ行くのですか?」
ルークが話題を変えた。
「風鳴の洞窟」
予想通りだった。フィオナは風のエレメンタルウェポンを求めているのだ。
「危険な場所だと聞いています。なぜ私を?」
「お前に興味を持った」
フィオナはシンプルに答えた。
「アルマディア家の三男で『最弱』と呼ばれる魔導師。しかし、昨日の行動は別人のようだった。それに…」
彼女は少し言葉を選ぶように間を置いた。
「魔法理論の教授が、お前の体質に特別な関心を持っていた。全属性適性…それが私の探しているものに関係するかもしれない」
ルークは沈黙した。彼女の目的は明確だ。彼の特殊な体質が、エレメンタルウェポン探索の手がかりになると考えているのだろう。
「危険なダンジョンに、魔法も使えない学生を連れていくのですか?」
「お前なら生き残れる気がする」
フィオナの言葉は意外だった。
「それに、私は一人で行くつもりだった。お前を連れていくのは、利益があると判断したからだ」
「どんな利益が?」
「それは行けば分かる」
彼女はそれ以上の説明を避け、北門の外へと歩き出した。ルークは少し迷った後、彼女の後を追った。
「ちょっと待ってください」
ルークが彼女に追いつくと、フィオナは立ち止まった。
「何?」
「少なくとも、あなたの素性くらいは教えてもらえませんか?単なる冒険者ではないでしょう」
フィオナは少し考え、そして小さく頷いた。
「悪くない判断だ。見知らぬ相手についていくのは愚かだからな」
二人は北門近くの小さな茶屋に入った。席に着くと、フィオナは周囲を警戒するように見回してから、低い声で話し始めた。
「私はシルバーブレイド家の出身だ。王国の北方にある領地の…」
「シルバーブレイド家?」
ルークは驚いた。前世のゲーム知識によれば、シルバーブレイド家は名門貴族だったが、十年ほど前に何らかの事件で没落したはずだ。
「知っているのか?」
「少し、噂を」
フィオナの表情がわずかに曇った。
「ああ、噂か。亡国の家系、反逆者の血筋…人々はそう言うだろう」
彼女の声には苦々しさが滲んでいた。
「私はそんなことは言っていません」
「…そうだな」
彼女は少し落ち着きを取り戻した。
「私の家は十年前、『魔竜討伐』の遠征に参加した。父は騎士団長として、最前線で戦った。しかし…」
フィオナの声が沈む。
「遠征は失敗し、父は反逆者の汚名を着せられた。家は没落し、領地は取り上げられた。私は逃げ延びた数少ない生き残りの一人だ」
「それで冒険者に?」
「力をつけるためだ。そして真実を明らかにするため」
フィオナの目に決意の光が宿った。
「その真実とエレメンタルウェポンが、どう関係しているのですか?」
「父の日記に記されていた。『風切りの剣』があれば、真実を証明できると」
「風切りの剣…風のエレメンタルウェポンですね」
フィオナは頷いた。彼女の動機は復讐か、名誉回復か。いずれにせよ、並々ならぬ決意を感じる。
「十分な説明だろう?それではそろそろ出発するぞ」
彼女は立ち上がった。ルークも椅子から立ち上がる。
「ルーク・アルマディア。お前の目的は何だ?」
突然の問いに、ルークは一瞬戸惑った。しかし、正直に答えることにした。
「私も…エレメンタルウェポンに興味があります」
「そうか」
フィオナはそれ以上何も聞かなかった。二人は茶屋を出て、王都の北へと向かった。
***
王都から半日ほど歩いた先に、「ヘリオンの丘」と呼ばれる小高い丘があった。風鳴の洞窟はその先にあるという。
道中、二人はほとんど会話をしなかった。フィオナは常に周囲を警戒し、無駄な言葉を発しない。一方、ルークは彼女の背中を見ながら、いくつかの可能性を考えていた。
彼の「ゲームマスター」能力によれば、フィオナのレベルは8。「隠された情報」があるとはいえ、彼女は確かに実力者だ。一方、自分はまだレベル2。戦闘になれば、彼女の足手まといになるのは明らかだった。
だからこそ、「ゲームマスター」能力とエルメンタルブレードを最大限に活用しなければならない。
「ここだ」
フィオナが立ち止まった。目の前には、丘の斜面に開いた大きな洞窟の入り口がある。入り口付近には風が渦を巻き、奇妙な唸り声のような音を立てていた。
「風鳴の洞窟…」
ルークは洞窟を見上げた。入り口には古代文字が刻まれている。彼の教育のおかげで、それを読むことができた。
「『風を従える者のみ、内なる真実に到達せん』…」
「読めるのか?」
フィオナが少し驚いた様子で尋ねた。
「アルマディア家の教育です」
「役に立つな」
彼女は小さく頷き、装備を確認した。
「これから中に入る。危険な場所だ。私の指示に従え」
「わかりました」
二人は洞窟の入り口に立った。強い風が吹き抜け、入り口付近の石が唸りを上げる。まさに「風鳴」の名にふさわしい光景だ。
「入るぞ」
フィオナが先に進み、ルークもそれに続いた。
洞窟内部は予想外に明るかった。壁に埋め込まれた風属性の魔法結晶が淡い光を放っている。道は一本道で、下り坂になっていた。
「気をつけろ。この洞窟にはトラップが…」
フィオナの言葉が途切れた瞬間、床が突然沈み、彼女の足元から石板が崩れ落ちた。
「危ない!」
ルークは反射的に彼女の腕を掴み、引き寄せた。彼女は一瞬バランスを崩したが、すぐに体勢を立て直した。
「…ありがとう」
フィオナは素っ気なく言った。しかし、その表情には少しの驚きがあった。
「魔法が使えなくても、反射神経はいいようだな」
「運が良かっただけです」
ルークは謙遜したが、実際は「ゲームマスター」能力が反応し、床の状態を瞬時に分析していた。
【床面:不安定】
【崩落確率:90%】
【回避ルート:右側壁沿い】
彼の視界には、安全なルートが緑色のラインで表示されていた。
「この先は注意しましょう。壁に沿って歩いた方が良さそうです」
「なぜわかる?」
「床の石の配置から推測しました」
フィオナは疑わしげな表情を浮かべたが、彼の提案に従った。二人は壁沿いに慎重に進んでいった。
洞窟は次第に広くなり、所々で分岐していた。ルークの「ゲームマスター」能力は常に最適なルートを示していたが、彼はそれを直接言うのではなく、あくまで「推測」という形で提案した。
「ここを右に進むと行き止まりになりそうです。左の方が良いでしょう」
「なるほど…」
フィオナは彼の提案を受け入れながらも、その洞察力の鋭さに疑問を持ち始めていた。
「お前、本当に『最弱の魔導師』なのか?」
「はい、魔法はほとんど使えません」
それは嘘ではなかった。エルメンタルブレードがなければ、彼は確かに「最弱」だった。
二人が深く進むにつれ、洞窟内の風は強くなっていった。時には体を押し返すほどの強風が吹き抜ける。
「この先に何かがある」
フィオナが呟いた。彼女の感覚は鋭かった。
突然、前方から唸り声が聞こえた。それは人間のものではなく、モンスターのものだ。
「隠れろ!」
フィオナが低い声で命じ、二人は岩陰に身を潜めた。次の瞬間、大きな影が通路を横切った。それは緑がかった体を持つ、人型の風のエレメンタル。ゲームでいえば中級モンスターだ。
【ウィンドエレメンタル Lv.6】
【HP:120/120】
【攻撃力:15】
【特性:「風の体」物理攻撃ダメージ半減】
【弱点:土属性魔法】
ルークの視界に情報が表示された。このモンスターは物理攻撃が効きにくい。フィオナの短剣では苦戦するだろう。
「あれは風のエレメンタル。物理攻撃が効きにくいとゲーム…いえ、噂で聞いています」
ルークは言い直した。ゲームの知識だと言うのは避けたかった。
「知っているのか…」
フィオナは眉をひそめた。
「対策は?」
「土属性の魔法が効果的ですが…」
ルークは持っていないことをほのめかした。彼のエルメンタルブレードは水属性だ。
「私も魔法は使えない。剣で対処するしかない」
フィオナは短剣を抜いた。その刃は不思議な光沢を放っていた。
「その短剣は…」
「普通の武器ではない。だが、詳しく説明している暇はない」
彼女は岩陰から飛び出し、一気にウィンドエレメンタルに向かっていった。その動きは実に素早く、風のように軽やかだった。
エレメンタルは彼女の存在に気づき、腕を振り上げた。強烈な風の刃が彼女に向かって放たれる。フィオナはそれを巧みに回避し、エレメンタルに接近した。
彼女の短剣がエレメンタルの体を捉えた。通常なら物理攻撃が半減するはずだが、彼女の剣は青白い光を放ち、確かな手応えを与えていた。
「氷属性の武器か…」
ルークは思わず呟いた。彼女も何らかの属性武器を持っているようだ。氷は風に効果的だ。
フィオナは素早い連撃でエレメンタルを翻弄した。しかし、エレメンタルも負けてはいない。風の刃を次々と放ち、彼女を押し返す。
【フィオナHP:85/100】
ルークの視界に彼女の状態が表示された。このままでは彼女が危険だ。彼は決断した。
「フィオナ!私が援護します!」
彼は岩陰から飛び出し、懐からエルメンタルブレードを取り出した。青い刃が淡く光る。
「何を!戻れ!」
フィオナの制止の声を背に、ルークは短剣を掲げて詠唱した。
「流れよ水よ、我が意のままに。ウォータースピア!」
エルメンタルブレードが強く反応し、彼の手から水の槍が形成された。それはまっすぐにウィンドエレメンタルに向かって飛んでいった。
水の槍はエレメンタルの体を貫き、その一部を崩した。
【ダメージ:25】
【ウィンドエレメンタルHP:95/120】
「エルメンタルブレード!?」
フィオナの驚きの声が聞こえた。彼女は一瞬動きを止めたが、すぐに我に返り、攻撃を再開した。
ルークも続けて水の魔法を放った。一撃一撃は強くはないが、水属性の攻撃は風のエレメンタルにそれなりのダメージを与える。
二人の連携攻撃に、エレメンタルは徐々に弱っていった。
「今だ!」
フィオナが叫び、最後の一撃を加えた。彼女の短剣がエレメンタルの中心を貫き、それは光の粒子となって消散した。
【ウィンドエレメンタル撃破】
【経験値獲得:30】
【レベルアップ!現在レベル:3】
【能力値が上昇しました】
ルークの視界に通知が表示された。彼はレベル3になった。
戦闘が終わり、二人は互いを見つめた。フィオナの目には明らかな疑惑と驚きがあった。
「説明してもらおうか、『最弱の魔導師』さん」
彼女は短剣を鞘に戻さずに言った。ルークは覚悟を決めた。ここまで来たら、ある程度の真実を明かす必要がある。
「これはエルメンタルブレード。水属性のものです」
彼は青い短剣を見せた。
「どこで手に入れた?」
「森の中の隠されたダンジョン、『古の試練場』で」
フィオナの目が広がった。
「『古の試練場』?そんなダンジョンがあったのか…」
「はい。偶然見つけました」
「偶然?」
彼女は信じていないようだった。
「お前、本当は何者だ?」
ルークは深く息を吸い、言葉を選んだ。
「私は…特別な能力を持っています。『ゲームマスター』と呼ばれる能力です」
「ゲームマスター?」
「はい。この世界をデータとして見ることができます。モンスターの情報や、隠されたルート、トラップの位置などが見えるのです」
フィオナは静かに彼の言葉を聞いていた。
「証明してみろ」
ルークは周囲を見渡し、床の一部を指さした。
「そこに踏み板があります。踏むと、天井から石が落ちてきます」
フィオナは慎重に近づき、剣の柄で床を押した。確かに床が少し沈み、同時に天井から小さな石が落ちてきた。
「…本当だな」
彼女は剣を鞘に戻した。
「なぜ、そんな能力を隠していた?」
「信じてもらえないと思ったからです。それに…」
ルークは一瞬躊躇ったが、続けた。
「私には前世の記憶があります。別の世界で生きていた記憶が」
フィオナの表情が硬くなった。
「転生者…」
「はい。そこで得た知識と、この『ゲームマスター』の能力が私の武器です」
フィオナは黙って彼を見つめていた。その目には警戒と…何か別の感情が混ざっているようだった。
「それで、あなたの隠された情報についても教えてください」
ルークが言うと、フィオナは驚いた表情を見せた。
「隠された情報?」
「私の能力では、あなたに『隠された情報がある』と表示されます」
フィオナは深く息を吐いた。
「そこまで見抜くか…」
彼女は一瞬考え、そして決意したように口を開いた。
「私はシルバーブレイド家の当主…正確には、元王女だ」
ルークは驚いた。シルバーブレイド家は貴族だとは知っていたが、王族だとは。
「北方の小王国、アストラリアの王女だった。父が『魔竜』との戦いで敗れ、王国は滅び、私は逃げ延びた」
フィオナの表情には深い悲しみがあった。
「真実を明らかにし、国を取り戻すため…それが私の目的だ」
二人は静かに見つめ合った。互いの秘密を知り、一種の信頼関係が生まれ始めていた。
「先に進もう」
フィオナが言った。
「風切りの剣はもっと奥にあるはずだ」
ルークは頷き、エルメンタルブレードを握りしめた。彼の「ゲームマスター」能力が更に覚醒し、この世界の真実に一歩近づいた今、彼にはもう迷いはなかった。
洞窟の奥へ向かう二人の前に、新たな試練が待ち受けていた。