第4話:危機一髪、目覚める「ゲームマスター」
放課後、ルークは東塔の最上階に向かっていた。らせん状の階段を上りながら、彼は胸の内に小さな不安を感じていた。ルーミス教授は学園で最も博識な魔法理論家であり、その眼力は鋭い。もし彼の変化に気づかれたら…。
「いや、落ち着け」
ルークは自分に言い聞かせた。エルメンタルブレードは隠し持って来ているが、教授に見せる必要はない。ただ魔力の観察に協力するだけだ。
最上階に到着すると、重厚な木の扉が彼を迎えた。ノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。
扉を開けると、そこは広々とした円形の部屋だった。壁一面には古い魔道書が並び、天井からは奇妙な装置が吊り下げられている。床には複雑な魔法陣が描かれており、部屋の中央には大きな水晶玉が台座に載せられていた。
「やあ、来てくれたね、アルマディア君」
ルーミス教授が書類から顔を上げた。長い白髪とヤギのような顎髭が特徴的な老学者だ。
「お約束通り来ました」
「素晴らしい。では早速始めようか」
教授は立ち上がり、魔法陣の中央を指さした。
「そこに立ってくれるかな。魔力の測定をしたい」
ルークは言われた通りに魔法陣の中央に立った。教授は周囲を歩きながら、何かを呟いている。魔法の発動準備のようだ。
「それでは始めます。リルム・マギカ・アナリシス」
教授の詠唱と共に、魔法陣が淡く光り始めた。ルークは自分の体から微かな光が放たれるのを感じた。七色の光が彼の周りを取り巻き、やがて水晶玉へと流れ込んでいく。
「興味深い…非常に興味深い…」
教授は水晶玉を覗き込み、目を輝かせた。
「何が見えるんですか?」
「君の魔力の流れだよ。確かに全ての属性が存在している。しかも均等に…」
教授は熱心に観察を続けた。ルークは少し緊張しながらも、自分自身の魔力がどのように見えるのか興味を持った。
「アルマディア君、少し魔法を試してみてくれないか。簡単な火の魔法でいい」
ルークは迷った。火の魔法は今まで一度もうまく発動できなかった。エルメンタルブレードは水属性のものだ。しかし、断る理由もない。
「わかりました」
彼は手を前に出し、詠唱を始めた。
「燃え上がれ炎よ、我が意のままに。フレイム」
予想通り、指先に小さな火花が現れただけで、まともな炎は生まれなかった。
「ふむ…」
教授は水晶玉を覗き込み、何かメモを取っている。
「次に水の魔法を」
「はい。流れよ水よ、我が意のままに。ウォーターボール」
ルークは意識的に力を抑えた。エルメンタルブレードを使えば、きちんとした水球を作れるはずだが、それは隠しておきたい。彼の指先からわずかな水滴が現れ、すぐに落ちた。
「興味深い…火よりも水の方が反応がいいようだね」
教授は更にメモを取り、他の属性の魔法も試すよう指示した。ルークは言われるままに、土、風、光、闇の魔法を順に試していった。もちろん、どれもほとんど発動しない。
「予想通りだ。全ての属性に適性があるが、互いに干渉しあって力を発揮できない…」
教授は考え込むように髭をいじった。
「しかし、古代文献によれば、このような状態から『全属性共鳴』に至った例があるという。そのためには何らかの触媒が…」
その言葉に、ルークは思わず懐のエルメンタルブレードに手を伸ばしかけた。しかし、すぐに我に返り、手を下ろした。
「触媒、ですか?」
「そう。属性の力を増幅し、方向づける何か…」
教授は書棚から古い巻物を取り出した。
「この文献によれば、古代には『エレメンタルウェポン』と呼ばれる武器があったという。特定の属性の力を増幅させる効果を持っていたらしい」
ルークは驚きを隠せなかった。エルメンタルブレードはそのエレメンタルウェポンの一種なのか。
「それらの武器はどこにあるのですか?」
「ほとんどは失われたと言われている。古代の遺跡や封印されたダンジョンに眠っているのかもしれない」
ルークは黙って頷いた。彼はすでにその一つを手に入れている。そして、もし他の属性のウェポンも存在するなら…。
「アルマディア君、もし興味があれば、一緒に研究を続けないか?君のような体質は非常に稀で、学術的価値が高い」
「はい、喜んで」
ルークは返事をした。教授との研究は、自分の能力の秘密を探る手掛かりになるかもしれない。そして、もし教授が他のエレメンタルウェポンについての情報を持っているなら、それは大きな助けになるだろう。
「素晴らしい。では週に一度、放課後にここに来てくれるかな」
「わかりました」
二人が話を続けていると、突然、窓の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「何事だ?」
教授が窓に近づき、外を見下ろした。ルークも隣に立った。
学園の中庭に、何人かの学生たちが集まっている。その中央で、一人の少女が囲まれていた。彼女は学園の制服ではなく、旅人のような装いだ。長い銀髪をポニーテールにまとめ、腰に二本の短剣を下げている。
「旅の剣士だな。何か問題があったようだ」
教授が眉をひそめた。その時、集まった学生たちの中にヴァイス・フォーゲルの姿が見えた。彼が少女に何か言い、周囲から笑い声が起こる。
少女の表情は冷たく、怒りを抑えているように見えた。
「いけない、トラブルになりそうだ」
教授が言った瞬間、少女が素早く動いた。彼女は腰の短剣に手をかけ、抜きかけたところで止まった。明らかに威嚇の動作だ。
集まった学生たちが一斉に後ずさりする。ヴァイスだけが前に残り、手のひらに火の玉を作り出した。
「あの愚か者、学園内で戦闘を…」
教授が慌てて階段へ向かおうとした時、ルークは窓を開け、魔法陣に足をかけた。
「アルマディア君、何を!」
教授の制止の声を背に、ルークは魔法陣を踏み台にして飛び降りた。五階の高さからの落下だ。普通なら大怪我は免れない。
しかし、彼の「ゲームマスター」能力が反応した。彼の視界に表示が現れる。
【ジャンプ高度:危険】
【緊急対応機能発動】
【落下ダメージ軽減:80%】
体が青く光り、落下速度が緩やかになった。それでも着地の衝撃は強く、ルークは転がって衝撃を分散させた。
「な、何者だ!?」
集まっていた学生たちが驚いて彼を見た。空から降ってきた学生など見たことがないのだろう。
ルークは立ち上がり、ヴァイスと銀髪の少女の間に立った。
「やめろ、ヴァイス。学園内での戦闘は禁止されている」
「お前…アルマディア?」
ヴァイスは驚きを隠せない様子だった。空から降ってきたのが、あの「最弱」と呼ばれる落ちこぼれだとは思わなかったのだろう。
「どうしてここに…いや、関係ない。邪魔をするな。この傭兵が学園の権威を侮辱したんだ」
「傭兵?」
ルークは銀髪の少女を見た。彼女は冷たい青い目で彼を見返している。
「私は傭兵ではない。王立冒険者ギルドの所属だ」
少女の声は冷静で、どこか気高さを感じさせた。
「冒険者?何の用で学園に?」
「依頼だ。学園の図書館で特定の文献を調査する必要があった。許可は得ている」
少女はローブの下から巻物を取り出した。それは学園の許可証のようだ。
「それを見せろよ」
ヴァイスが手を伸ばしたが、少女は身をひるがえした。
「触るな。お前のような小僧に見せる義務はない」
その言葉にヴァイスの顔が赤くなった。
「小僧だと!?お前、誰に向かって…」
彼の手のひらの火の玉が大きくなる。このままでは本当に戦闘になってしまう。
「冷静になれ、二人とも」
ルークは両手を広げ、二人の間に立ちはだかった。
「ヴァイス、彼女は許可を得ている。学園の名誉のためにも、争いは避けるべきだ」
「お前に指図される筋合いはない、最弱」
ヴァイスの言葉は鋭かったが、周囲の状況を見て、彼も冷静さを取り戻しつつあるようだった。
「それに、お前いつからそんなことを…」
彼は言葉を切った。ルークの目に、何か違和感を覚えたのかもしれない。
この時、塔の入り口からルーミス教授が駆けてきた。
「何事だ!学園での戦闘行為は厳禁だぞ!」
教授の声に、集まっていた学生たちが一斉に散り始めた。ヴァイスも渋々、火の玉を消した。
「失礼しました、教授」
彼は最後にルークと少女に冷たい視線を送り、その場を離れた。
「大丈夫かね、お嬢さん?」
教授が少女に尋ねた。
「問題ありません。研究の邪魔をして申し訳ありません」
少女は丁寧に頭を下げた。その態度は先ほどの冷たさとは打って変わって礼儀正しい。
「いや、こちらも学生が無礼をはたらいて…」
教授は申し訳なさそうに首を振った。そして、ルークに向き直る。
「アルマディア君、君の行動は無謀だった。あの高さから飛び降りるなんて…どうして無事なんだ?」
「運が良かったんです」
ルークは曖昧に答えた。「ゲームマスター」能力の存在は、まだ誰にも明かす気はない。
「君は…」
少女がルークを見つめていた。その視線には、先ほどまでの冷たさはなく、好奇心が宿っていた。
「ルーク・アルマディアです」
「フィオナ・シルヴァーブレイド」
少女―フィオナは名乗ると、軽く頭を下げた。
「助けてくれたわけではないが、仲裁に入ってくれたことには礼を言う」
「気にしないでください」
二人の会話を聞きながら、教授は何か考え込んでいるようだった。
「シルヴァーブレイド嬢、もし良ければ、どのような文献をお探しなのか教えていただけませんか?私が力になれるかもしれません」
フィオナは少し迷った後、小さな声で答えた。
「『エレメンタルウェポン』に関する古文書です」
その言葉に、ルークは思わず息を呑んだ。彼女もエレメンタルウェポンを探しているのか。
「それは興味深い。実は私たちも丁度そのことを研究していたところです」
教授は嬉しそうに髭をいじった。
「もし良ければ、私の研究室でお話ししませんか?アルマディア君も一緒に」
フィオナは一瞬ルークを見たが、すぐに教授に向き直り、頷いた。
「お願いします」
三人は東塔へと向かった。ルークは少し距離を取ってフィオナの後ろを歩きながら、彼女を観察した。その動きは無駄がなく、明らかに訓練された戦士のものだ。そして、彼の「ゲームマスター」能力が情報を表示した。
【フィオナ・シルヴァーブレイド Lv.8】
【職業:剣士】
【主武器:二刀流】
【特性:「疾風の刃」連続攻撃の威力上昇】
【注意:対象には隠された情報があります】
隠された情報?ルークは眉をひそめた。これまで見てきた情報表示では、そのような注意書きはなかった。フィオナには何か秘密があるようだ。
研究室に戻ると、教授はすぐに書棚から何冊かの本を取り出し、テーブルに広げ始めた。
「シルヴァーブレイド嬢、エレメンタルウェポンとは、特定の属性の魔力を増幅させる古代の武器です。伝説によれば、六大属性それぞれに対応するウェポンがあったとされています」
フィオナは静かに頷いた。
「私も同じことを聞いています。それらの武器は今、どこにあるのでしょうか?」
「ほとんどは失われました。しかし、一部は古代の遺跡やダンジョンに眠っているという噂があります」
教授が地図を広げる。そこには王国の地図と、いくつかの印が付けられていた。
「これらの場所が、エレメンタルウェポンが眠っているかもしれない古代遺跡です」
ルークはその地図を見て、心臓が高鳴るのを感じた。そのうちの一つは、彼が発見した「古の試練場」の場所だった。
「この北東の森の中の印は?」
フィオナが尋ねた。それは「古の試練場」とは別の場所だった。
「『風鳴の洞窟』というダンジョンです。伝説では、風のエレメンタルウェポンが眠っているとされています」
「風鳴の洞窟…」
フィオナはその名を繰り返し、何かを決意したように立ち上がった。
「情報ありがとうございます。これで依頼を進められそうです」
「どういたしまして。もし他に質問があれば…」
「今のところ大丈夫です」
フィオナは礼を述べると、部屋を出ようとした。しかし、ドアの前で立ち止まり、振り返った。
「アルマディア。お前、明日の午後、時間はあるか?」
突然の質問に、ルークは少し驚いた。
「ありますが…」
「なら、王都の北門で会おう。午後二時だ」
それだけ言うと、フィオナは部屋を出て行った。
「おや、彼女は君に興味を持ったようだね」
教授が意味深な笑みを浮かべた。
「そうでしょうか…」
ルークは困惑していた。彼女が何を望んでいるのかは分からないが、エレメンタルウェポンを探しているということは、彼の目的と重なる部分がある。
「行ってみるつもりかい?」
「はい、行ってみます」
教授は満足そうに頷いた。
「気をつけたまえ。彼女は並の剣士ではないようだ。その動きからして、相当の実力者だろう」
「わかっています」
ルークは窓の外を見た。日が傾き始めている。今日は多くの発見があった。「全属性共鳴」の可能性、エレメンタルウェポンの情報、そして謎の剣士フィオナとの出会い。
彼の「ゲームマスター」能力も、少しずつ覚醒しているようだ。落下ダメージを軽減する機能まで発動したのは初めてだった。
明日、フィオナと会えば、さらに何かが動き出すかもしれない。彼は静かに決意を固めた。この世界で生き抜くため、そして「最弱」という烙印を返上するために、できることは全てやるつもりだ。
帰り道、ルークは「古の試練場」で手に入れたエルメンタルブレードを握りしめた。他の属性のブレードも手に入れることができれば、彼の力はさらに増すだろう。
「風鳴の洞窟か…」
彼はその名を呟いた。明日、フィオナが自分を誘った理由が、そのダンジョン探索に関係しているとしたら…。
興奮と不安が入り混じる感情を抱きながら、ルークはアルマディア家の屋敷への帰路についた。「最弱魔導師」の冒険は、今、新たな局面を迎えようとしていた。