第3話:前世の記憶と既視感の世界
光の中から現れたルークが目にしたのは、「古の試練場」とは全く異なる風景だった。空が広がり、草原が一面に広がっている。彼はもう地下ではなく、地上に戻ってきたようだった。
「ここは…」
周囲を見回すと、遠くに王都エルテミアの塔が見える。どうやら森の外側、王都に続く平原に出てきたようだ。不思議な力で転送されたのだろうか。
「もう夕方か」
空を見上げると、太陽はかなり傾いていた。ルークは何時間もダンジョンの中にいたことになる。アルマディア家の屋敷に戻らなければ、心配されるだろう。
彼は懐に手を入れ、獲得したエルメンタルブレードを確認した。青い刃は不思議な光沢を放っている。誰にも見られないように隠しながら、彼は王都の方向へと歩き始めた。
「この短剣があれば…」
その言葉を胸に、ルークは足を進めた。前世の記憶と今の状況を整理しながら、彼は考えを巡らせた。
「クロニクル・オブ・アルカディア」というゲームで、彼はかつて「ファントム」というキャラクターを操っていた。一人の冒険者として、数々のダンジョンを攻略し、強大なモンスターを打ち倒してきた。そして最終的には、ギルド「ファンタズマ」を率いて、世界最強のプレイヤーの一人に数えられていた。
その記憶と知識が、今の彼の武器になる。特に「古の試練場」のような、ゲームでも知られていないダンジョンの攻略は、大きなアドバンテージになるはずだ。
「あれれ〜、何をお探しで?」
突然、甘い声が聞こえてきた。ルークが振り返ると、道端の木陰に小さな屋台が出ていた。そこに座っていたのは、紫色のローブを纏った老婆だった。
「あ、いや…帰り道を」
「ふふ、ダンジョンから帰ってきたようね。何か良いものは見つかった?」
老婆の言葉に、ルークは警戒した。どうして彼がダンジョンにいたことを知っているのだろう。そして、「ゲームマスター」の能力が情報を表示した。
【??? Lv.???】
【属性:不明】
【警告:対象の完全な情報は取得できません】
「あら、そんな目で見ないでちょうだい。私はただの行商人よ」
老婆は笑みを浮かべた。シワだらけの顔だが、その目は若々しく、不思議な光を宿している。
「どなたですか?」
「名前で呼ぶなら…そうね、『運命の旅人』とでも言っておきましょうか」
老婆は屋台に並べられた品物を指さした。そこには奇妙な形の壺や、鮮やかな色の宝石、古びた地図などが並んでいる。
「何か欲しいものはある?特別に安くしてあげるわよ」
ルークは戸惑いながらも、品物を見ていた。その中の一つが目に留まった。赤い表紙の本で、表面には見覚えのある文様が刻まれている。
「それは…」
「ほう、目が利くわね。それは『エレメンタル・グリモワール』。属性魔法の基礎を記した古い魔道書の複製よ」
ルークは思わず手を伸ばした。前世でこの本の存在を知っていた。ゲーム内では、初級魔法使いのクエストアイテムだった。内容は初歩的だが、属性魔法の原理を理解するのに役立つものだった。
「いくらですか?」
「あなたにとっては、とても価値のあるものになるでしょうね」
老婆はルークの懐を見るような視線を送った。
「そのブレードと交換してもいいわよ」
エルメンタルブレードのことだ。ルークは一瞬息を呑んだ。この老婆は彼の持ち物を知っている。
「それはできません」
「そう、残念ね。では、小さな宝物で構わないわ」
老婆は手を差し出した。
「宝物?」
「そうね、例えば…スライムの核はどう?」
ルークは驚いた。朝方、スライムを倒して手に入れた核のことだ。彼はポケットから緑色の小さな球体を取り出した。
「これでいいのですか?」
「ええ、十分よ」
老婆はスライムの核を受け取ると、グリモワールをルークに手渡した。
「本の内容をよく読んで、理解するのよ。それが、あなたの新しい力への第一歩になる」
「ありがとうございます」
ルークは礼を言って本を受け取った。その瞬間、老婆の目がまるで彼の心を読むように光った。
「転生者よ、前世の記憶を大切にしなさい。それはあなたの最大の武器であり、時に最大の弱点にもなる」
その言葉に、ルークは息を飲んだ。
「あなたは…」
「私のことは気にしないで。ただの通りすがりの老婆よ」
老婆は屋台を畳み始めた。その動きは、老婆とは思えないほど素早く軽やかだった。
「行くわね。また会う日まで、幸運を」
振り返る間もなく、老婆の姿は消えていた。まるで最初から、そこにいなかったかのように。
「何だったんだ…」
ルークは首を傾げながらも、グリモワールを大切に鞄にしまった。王都の門が近づいている。彼は足を速めた。
***
「ルーク様!無事でしたか!」
アルマディア家の屋敷に戻ると、老執事ジェラルドが門で待ち構えていた。その表情には安堵の色が浮かんでいる。
「ジェラルド、心配をかけてすまない」
「森でコボルドに襲われたと聞いて、皆心配していたのです」
ルークは軽く微笑んだ。皆というのは、おそらくジェラルドだけだろう。他の使用人たちは彼に関心がないし、家族はなおさらだ。
「無事に戻れたよ。報告は?」
「マークス様が大魔導師様にお伝えになりました」
やはり、兄は父に報告したか。それはつまり、父は特に何も言わなかったということだろう。
「わかった。部屋に戻るよ」
ルークは疲れた様子を見せながら、自室へと向かった。彼の様子を見て、ジェラルドは何も聞かなかった。老執事は長年の勘で、若様が何か大きなものを抱えて帰ってきたことを感じていた。
部屋に戻ったルークは、扉を閉め、窓のカーテンも引いた。誰にも見られないようにしてから、エルメンタルブレードとグリモワールを取り出す。
「では、勉強しよう」
彼はグリモワールを開き、その内容に目を通し始めた。前世で見たことのある内容だが、今は単なるゲーム設定ではなく、実際に使える魔法の知識として読み進める。
グリモワールによれば、魔法の基本は「精神の集中」と「魔力の流れの制御」にある。詠唱は魔力に形を与えるための補助であり、本質的には意思の力が重要だという。
「意思の力か…」
ルークはエルメンタルブレードを手に取り、水属性の魔法に集中した。短剣が青く光り、彼の意思に呼応する。小さな水滴が刃の先端に形成され、滴り落ちた。
「できた…」
彼は続けて魔法の実験を行った。水のボールを作り、その形を変え、動かす。小さいながらも確かな進歩だ。
数時間の練習の後、ルークは疲労を感じ始めた。魔力を使うことは、精神的にも肉体的にも負担がかかるようだ。彼はベッドに横たわり、天井を見つめた。
「この世界は本当に『クロニクル・オブ・アルカディア』と同じなのか?」
ゲームでの記憶と現実の違いを考える。確かに基本設定は酷似しているが、「古の試練場」のような未知の要素もある。そして、あの謎の老婆の存在。
「前世の記憶…か」
老婆の言葉が脳裏に浮かぶ。前世の記憶は武器であり、弱点にもなる。どういう意味だろう。
彼は眠りに落ちる前に、明日からの計画を立てた。
まず、魔法の基礎練習を続ける。エルメンタルブレードを使い、水属性の魔法を極める。そして、再び「古の試練場」を訪れ、他の属性のブレードがないか探す。
「明日からは、学園にも行かなければ」
彼は苦笑した。サボりたい気持ちはあるが、それでは目立ちすぎる。むしろ「最弱」を演じながら、秘密裏に力をつける方が得策だろう。
その夜、ルークは久しぶりに穏やかな眠りについた。
***
翌朝、ルークは早めに起き出し、庭の片隅で密かに魔法の練習をした。エルメンタルブレードを隠し持ち、小さな水の魔法を繰り返す。
朝食を済ませた後、彼は王立魔法学園へと向かった。屋敷を出る際、ジェラルドが心配そうに声をかけてきた。
「本当に学園へ行かれるのですか?無理をなさらずに…」
「大丈夫だよ、ジェラルド。昨日のことは気にしていない」
ルークは微笑んで答えた。老執事は安心したように頷いた。
王都の石畳の道を歩きながら、ルークは周囲の風景を改めて見渡した。高い塔と石造りの建物、行き交う人々、時折飛んでいく小さな使い魔。これらの光景は、ゲームの中で何度も見たものだった。
「既視感というより、故郷に帰ってきたような感じだな」
佐藤遥人は「クロニクル・オブ・アルカディア」を愛していた。単なるゲームではなく、第二の故郷のような場所だった。そして今、彼はその世界に生きている。
王立魔法学園に到着すると、予想通り、好奇の目が彼に向けられた。
「見て、あれがアルマディア家の落ちこぼれ」
「昨日、コボルドに追われたんだって」
「よく生きて帰ってこられたね」
ルークはそれらの声を無視し、授業の教室へと向かった。最初の授業は「基礎魔法理論」。最も得意な科目だった。理論は完璧に理解できていたが、実践ができなかっただけだ。
教室に入ると、ヴァイス・フォーゲルの姿が見えた。彼は友人たちに囲まれているが、ルークが入ってくると、一瞬会話を止めた。
二人の視線が交わる。ヴァイスの目には、驚きと疑惑が浮かんでいた。ルークは何も言わず、自分の席に着いた。
授業が始まり、教授が今日のテーマを告げた。
「今日は属性の相性について学びます。六大属性、火、水、土、風、光、闇の関係性を理解することは、魔法使いにとって基本中の基本です」
ルークは熱心にノートを取りながら、前世の知識と照らし合わせていた。ゲームでの属性相性と、現実のそれは基本的に同じようだ。火は風に強く水に弱い。水は火に強く土に弱い…そのような基本的な法則がある。
「そして最も稀なケースとして、複数属性適性を持つ魔法使いがいます。これは非常に珍しく、通常は二つか三つの属性が限界です」
ルークは興味を持って聞いていた。彼は全属性に適性があるが、それぞれが弱いために「最弱」と呼ばれている。しかし、教授の説明によれば、それは非常に稀なケースらしい。
「複数属性を操る難しさは、魔力の干渉にあります。異なる属性の魔力は互いに反発し合い、制御が難しくなるのです」
そう言われてみれば、ルークが魔法を使えなかったのは、全属性の魔力が互いに干渉し合っていたからなのかもしれない。しかし、エルメンタルブレードは特定の属性だけを増幅させる。だから魔法が使えるようになったのだろう。
「ルーク・アルマディア」
突然、教授が彼の名前を呼んだ。教室中の視線が彼に集まる。
「はい」
「あなたは全属性に微弱な適性があると聞いています。理論上は非常に興味深いケースですが、実践的には難しい状況でしょう」
教授の言葉に、教室からくすくすと笑い声が漏れた。ルークは平静を装った。
「はい、そうですね」
「今日の授業の後、少し話をしたいのですが」
「わかりました」
教授の申し出に、ルークは軽く頷いた。教授が彼に興味を持ったのは初めてではない。しかし、今回は何か違う気がした。
授業が終わり、学生たちが退室する中、ルークは教授の元へと向かった。教授の名はルーミス・ヴァイル。魔法理論の権威として知られる老学者だ。
「アルマディア君、昨日は大変だったようですね」
「はい、少し」
「怪我はありませんでしたか?」
「いいえ、無事です」
ルークは答えながら、教授の意図を探った。教授は周囲を見回し、誰もいないことを確認してから、小さな声で話し始めた。
「実は、あなたの状態に興味があります。全属性適性を持ちながら、どれも微弱というのは、歴史上でも非常に稀なケースです」
「そうなんですか?」
「ええ。実は一つの仮説があるのです。あなたのような状態は、古代魔法の時代には『全属性共鳴』の前兆だと考えられていました」
ルークは驚いた。ゲームでも聞いたことのない用語だ。
「全属性共鳴とは?」
「全ての属性の魔力を同時に操る能力です。伝説では、『創造主の力』とも呼ばれていました」
教授の目が輝いた。彼は明らかに興奮している。
「しかし、それは単なる伝説であり、実証された例はありません。ただ、あなたのケースは研究価値があると思うのです」
ルークは慎重に答えた。
「どのような研究ですか?」
「魔力の流れを観察し、記録する程度のものです。もし良ければ、放課後に私の研究室に来てくれませんか?」
ルークは迷った。教授の申し出は研究のためだけなのか、それとも何か別の意図があるのか。しかし、「全属性共鳴」という言葉が気になった。それが彼の可能性を示唆しているならば、知る価値はある。
「わかりました。伺います」
教授は満足そうに頷いた。
「では放課後、東塔の最上階でお待ちしています」
ルークは教授と別れ、次の授業へと向かった。彼の心の中では、さまざまな思いが交錯していた。
この世界の真実。自分の能力の可能性。そして、前世の記憶が示す未来。
すべてがまだ謎に包まれている。しかし一つだけ確かなことがある。彼はもう「最弱」ではないのだ。そして今日から、その事実を隠しながら、力をつけていくことになる。
「全属性共鳴」。それが彼の目指すべき道なのかもしれない。エルメンタルブレードを握りしめ、ルークは次の授業の教室へと足を進めた。