第2話:蔑まれる魔導師家の落ちこぼれ
太陽が高く昇り、森の中に暑さが広がる頃、ルークは十体目のスライムを倒していた。
【対象撃破!】
【経験値獲得:5】
【レベルアップ!現在レベル:2】
【能力値が上昇しました】
彼の視界に青いウィンドウが現れ、レベルアップの通知が表示された。前世のゲーム知識から、これが何を意味するかは理解できた。この世界でも、経験を積むことで強くなれるシステムがあるようだ。
「ふう…」
ルークは額の汗を拭い、木の下で休憩することにした。太陽の光が葉の間から漏れ、斑模様を地面に描いている。彼は拾った木の枝をじっと見つめた。何度もスライムを叩いたため、すでにひび割れが入っている。
「このままじゃ武器がもたないな…」
思わず独り言が口からこぼれる。前世では、キャラクターを操作して敵を倒すだけだったが、この世界では全てが現実だ。疲労も痛みも、そして達成感も、リアルに感じる。
「せめて短剣くらいは欲しいところだが…」
魔法は使えなくても、剣術の基礎くらいなら、ルークも教わっていた。アルマディア家では、魔法が使えない場合の保険として、基本的な武術を習得させるのが伝統だった。当時は「最弱」の彼が馬鹿にされていたが、今となっては貴重な技能だ。
休憩を終え、森の奥へと進もうとした時、遠くから声が聞こえてきた。
「あれはアルマディア家の三男じゃないか?」
「本当だ。噂の『最弱の魔導師』が何してるんだ?」
三人の若者が、彼の方へ近づいてきた。王立魔法学園の制服を着ている。一年ほど先輩にあたる生徒たちだった。筆頭はルークと同い年の赤髪の青年、ヴァイス・フォーゲルだ。名門フォーゲル家の長男で、火属性の天才と呼ばれている。そして彼のお気に入りの標的が、ルークだった。
「おい、最弱。学園をサボって何してる?虫でも捕まえてるのか?」
ヴァイスが嘲笑うと、周りの二人も笑い出した。ルークは何も言わず、立ち上がって歩き出そうとする。
「おい、無視するな」
ヴァイスが彼の肩を掴んだ。その瞬間、ルークの視界にデータが表示された。
【ヴァイス・フォーゲル Lv.5】
【HP:75/75】
【MP:60/60】
【主属性:火】
【副属性:無し】
【特性:「炎の加護」炎属性魔法の効果が1.5倍】
「驚いたな。本当に森で修行してたのか?」
ヴァイスは軽蔑的な笑みを浮かべたが、ルークの目が変わったことに気づいたようだ。その視線に、わずかな警戒心が混じる。
「人に話しかけられたら返事くらいしろよ、アルマディア」
「帰るところだった。邪魔しないでくれ」
ルークは冷静に答えた。前世で佐藤遥人だった頃、彼はこんな単純ないじめには動じない性格だった。それに、ヴァイスのレベルが表示されたことで、この能力が人間にも有効だとわかった。これは貴重な情報だ。
「ほう、生意気になったな。父上に頼らなきゃ何もできないくせに」
ヴァイスは挑発を続けた。ルークは無視して歩き始めたが、突然背後から熱気を感じた。振り返ると、ヴァイスが小さな火の玉を手のひらに浮かべていた。
「ちょっと炎の熱さを教えてやろうか?」
「やめろよ、ヴァイス。ここで魔法を使ったら問題になるぞ」
仲間の一人が制止したが、ヴァイスは聞く耳を持たなかった。彼は火の玉をルークに向かって放った。
とっさにルークは身を翻し、火の玉をかわした。木の幹に当たった火の玉は、樹皮を焦がして消えた。
「おっと、意外と身軽じゃないか」
「森で火を使うな。山火事になる」
ルークは冷静に言った。これでヴァイスが引き下がってくれれば良いが、相手の性格を考えれば、そうはならないだろう。
「心配するな。この程度の火では燃え広がらん」
ヴァイスは再び手のひらに火の玉を作り出した。先ほどより大きな炎だ。この状況は危険だった。ルークは逃げるべきか、それとも戦うべきか、瞬時に判断を迫られた。
その時、森の奥から大きな咆哮が聞こえてきた。
「なんだ!?」
全員が声のした方向を見た。木々が揺れ、何かが彼らに向かって近づいてくる。
「コ、コボルド!?」
ヴァイスの仲間の一人が叫んだ。森の木々を押しのけて姿を現したのは、人間の形をした犬のような生き物だった。片手に粗末な短剣を握り、凶暴な目つきで彼らを見ている。
【コボルド・ファイター Lv.3】
【HP:45/45】
【攻撃力:8】
【弱点:火、聖】
【特性:「群れの力」同種が近くにいると攻撃力上昇】
ルークの「ゲームマスター」能力が情報を表示した。コボルドはゲームでは中盤のエリアに出現する敵だった。なぜこんな初心者エリアにいるのか。
そして問題は、コボルドは通常、群れで行動するということだ。
「くそっ、こんなところで…」
ヴァイスは顔を引きつらせた。彼のレベルなら、一体くらいなら倒せるだろう。しかし群れならば話は別だ。
木々の間から、さらに二体のコボルドが現れた。彼らは狩りの途中だったのだろう。獲物を見つけて、今や興奮している。
「逃げるぞ!」
ヴァイスの仲間が叫び、三人は一斉に森の入口へと走り出した。ルークも逃げるべきだと思った。しかし、コボルドたちは彼らの動きに反応し、追いかけてきた。そのうちの一体が、最も遅れていたルークに狙いを定めた。
「くっ…」
ルークは走りながら視線を投げ、コボルドの動きを観察した。ヴァイスたちは魔法で攻撃しながら逃げている。ルークには魔法が使えない。手元の木の枝では、コボルドには太刀打ちできないだろう。
「どうする…」
ルークは焦った。そのとき、彼の「ゲームマスター」能力が何かを感知したように、視界の隅に矢印が現れた。それは小道を示していた。ゲームでいう「隠しルート」だろうか。
迷っている暇はなかった。ルークは示された方向へと走った。狭い獣道のような小道だったが、コボルドよりも体の小さい彼なら通れる。
「ここだ!」
コボルドは彼を追いかけようとしたが、木々の間に体が引っかかった。怒りの咆哮を上げながらも、すぐには通れない。ルークにとって、それは貴重な時間稼ぎになった。
小道を抜けると、そこは小さな空き地だった。中央に古い井戸のようなものがある。いや、よく見れば井戸ではなく、地下へと続く階段だった。
「これは…ダンジョン?」
ゲームでは、森の中に隠しダンジョンが存在することがあった。プレイヤーの多くは見逃していたが、佐藤遥人はそれらを探し出すのが得意だった。
コボルドの咆哮が近づいてきている。考えている時間はない。ルークは階段を駆け降りた。地下は予想以上に明るかった。壁に埋め込まれた鉱石が淡い光を放っている。
「魔法鉱石…」
魔力を蓄える鉱石で、ダンジョンの照明としてよく使われる。ルークは階段の下で立ち止まり、上を見上げた。コボルドが追ってくるかどうか、見極めたかった。
しかし、地上との入り口が突然閉じた。石の扉が滑り落ち、階段を塞いだのだ。
「な…!」
驚きながらも、ルークは安堵した。少なくともコボルドの追跡からは逃れられた。しかし、今度は地下に閉じ込められてしまった。冷静に状況を確認する。
彼の目の前には、石造りの通路が続いている。壁には古代文字らしき彫刻があり、床は不思議なほど埃一つない。長年使われていない割に、保存状態が良すぎる。魔法の力で保たれているのだろうか。
「とりあえず、進むしかないな」
ルークは慎重に通路を歩き始めた。「ゲームマスター」能力が反応し、彼の視界に情報が表示された。
【古の試練場 Lv.???】
【難易度:不明】
【特性:「古代の魔力」この場所では特定の魔法が増幅される】
「古の試練場…」
ゲームでは聞いたことのない名前だ。これが本当に「クロニクル・オブ・アルカディア」と同じ世界なら、未発見のダンジョンか、あるいはゲームには実装されていなかった要素なのかもしれない。
通路を進むと、広い部屋に出た。部屋の中央には石の台座があり、その上に何かが置かれている。
ルークが近づくと、それが短剣であることがわかった。刃は不思議な青い金属でできており、柄には見慣れない文様が刻まれている。
「この短剣は…」
彼が手を伸ばすと、再び情報が表示された。
【エルメンタルブレード(水)】
【品質:希少】
【攻撃力:15】
【効果:水属性の魔力を微弱でも増幅する】
【説明:古代の魔法鍛冶によって作られた武器。持ち主の魔力に呼応して力を発揮する】
「水属性の魔力を増幅…?」
ルークは驚いた。彼は全ての魔法属性に対して微弱な適性しか持たない。だが、微弱でもあるには違いない。この短剣なら、彼の弱い魔力でも何かできるかもしれない。
彼は恐る恐る短剣に触れた。手に取った瞬間、刃が淡い青い光を放った。
「反応してる…!」
ルークは水の魔法を試してみることにした。魔法学園では百回失敗した初級水魔法「ウォーターボール」。彼は短剣を握りしめ、もう一方の手を前に出して詠唱した。
「流れよ水よ、我が意のままに。ウォーターボール!」
予想外のことが起こった。彼の手のひらから、小さいながらも確かな水の玉が現れたのだ。拳ほどの大きさで、不安定ながらも形を保っている。
「できた…できたぞ!」
ルークは興奮した。生まれて初めて、まともな魔法を発動させたのだ。水の玉は数秒後に崩れて消えたが、それでも大きな進歩だった。
「これで…これなら…」
彼は短剣を握りしめた。この発見が、彼の人生を変えるかもしれない。「最弱の魔導師」から脱却する第一歩になるかもしれない。
さらに部屋を調べると、壁に大きな文字が刻まれていることに気づいた。古代語だが、アルマディア家の教育のおかげで、彼は読むことができた。
「『属性の試練を乗り越えし者に、更なる道を示そう』…?」
その言葉の意味を考えているうちに、部屋の奥に別の通路が開いた。ルークはエルメンタルブレードを手に、次の試練へと進むことを決意した。
***
アルマディア家の屋敷では、使用人たちが騒然としていた。
「ルーク様がまだお戻りになっていません」
「森で魔物に襲われたという報告が…」
老執事ジェラルドは心配そうに窓の外を見ていた。若様が無事でありますようにと、心の中で祈る。
そこへ、青年が一人、執務室から出てきた。鋭い目つきと整った顔立ち、炎のように赤い髪が特徴的なその人物は、アルマディア家の次男、マークス・アルマディアだった。
「何があった?随分と騒がしいな」
「マークス様、大変です。ルーク様が…」
「ルークが?また何か問題を起こしたのか?」
マークスは冷淡な口調で言った。弟に対する関心は薄い。才能のない者に時間を割くくらいなら、自分の修行を優先したい。それがマークスの考えだった。
「フォーゲル家の御子息によれば、森でコボルドの群れに襲われたそうです。御子息たちは無事逃げ帰りましたが、ルーク様の姿が…」
「ふん、そうか」
マークスは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに平静を取り戻した。
「父上にはまだ報告していないな?」
「はい、大魔導師様は重要な儀式の最中で…」
「では私から伝えよう。それまでは騒ぎを大きくするな」
マークスは冷静に言った。しかし、その表情からは、彼もまた何かを感じていることが窺えた。
一方、王立魔法学園では、ヴァイス・フォーゲルが友人たちに囲まれていた。
「アルマディアの落ちこぼれは死んだのかな?」
「まさか。あんな奴、死ぬわけないだろ?」
「でも、あのコボルドの数じゃ…」
ヴァイスは黙って窓の外を見ていた。本当はルークの姿を最後まで見ていたのだ。彼が不思議な小道へ逃げ込むのを。そして、追いかけてみたが見失ってしまった。
「おい、どうした?後悔してるのか?」
友人の一人が尋ねた。ヴァイスは首を横に振る。
「いや…あいつ、なにか変わったんだ」
「何が?」
「目の色というか…視線というか…」
ヴァイスは説明できなかった。しかし、彼は確かに感じた。ルーク・アルマディアが、何か特別な力を身につけたことを。
***
古の試練場の奥深く、ルークは次々と試練をこなしていた。水のエレメンタルブレードを使い、水系の魔法を繰り出すことで障害を乗り越える。
「これが…『最弱』でしかない俺の力…?」
彼はかつて使えなかった魔法を駆使し、次の部屋へと進んだ。そこには大きな石碑があった。その上には古代語で次の言葉が刻まれていた。
「『選ばれし者よ、汝が力は微かなれど無限なり。属性の壁を超え、真なる力に目覚めよ』」
その言葉とともに、ルークの「ゲームマスター」能力に新たな情報が表示された。
【特殊能力「ゲームマスター」の一部機能がアンロックされました】
【新機能「属性感知」を獲得しました】
【説明:周囲の魔法属性の流れを可視化する能力】
「属性感知…」
ルークが集中すると、周囲の空間に様々な色の流れが見えるようになった。赤、青、緑、黄、白、黒…六大属性の魔力が、この空間に満ちていることがわかる。
そして彼はある事実に気がついた。彼の体内にも、全ての属性の魔力が流れているのだ。どれも微弱だが確かに存在する。そして、エルメンタルブレードを持つことで、水属性だけが僅かに増幅されていた。
「もしかして…俺が『最弱』と呼ばれた理由は、単に全属性に適性があるからなのか?」
通常、魔法使いは一つか二つの属性に強い適性を持つ。それが魔導師としての基本だった。しかしルークは全ての属性に適性を持つ。だからこそ、どの属性も微弱になり、「最弱」と見なされたのではないか。
「でも、それは同時にチャンスでもある…」
彼は思った。もし全属性の魔法が使えるようになれば、それは比類なき力になるはずだ。普通の魔導師が一生かけても到達できない領域だ。
「やってやる…」
ルークは強く決意した。この世界で、自分の力で生きていく。「最弱」の烙印を跳ね返し、真の力を手に入れる。そのために、この「ゲームマスター」の能力と前世の知識を最大限に活用するのだ。
彼は石碑に刻まれた最後の言葉を読んだ。
「『今日より汝は試練の探索者となる。古の力を解き放ち、世界の謎に挑め』」
その言葉とともに、石碑が光り、ルークの前に新たな道が開かれた。
「行くぞ…」
エルメンタルブレードを握りしめ、彼は光の中へと歩み出した。「最弱魔導師」の異世界攻略は、まだ始まったばかりだった。