悪逆の悪役令嬢
王家主催の下で、毎年盛大に開かれる学園の卒業式。
着飾った卒業生たちが男女で手を取り合い、心と体を揺らす晴れ舞台。
今年度の卒業生である皇太子の声が響く。
「――もういい……。もう、たくさんだッ」
先ほどまでダンスホールに鳴り響いていた、王家ご自慢の王室楽団による演奏は止まっていた。
晴れ舞台のダンスホールの中央。
そこで口論を繰り広げる二人を周囲は固唾を呑んで見守っていた。
「あら、よろしくて? 私にはまだまだ言い足りないことがありましてよ?」
煌びやかな赤いドレスに身を包んだ女性は、南に地盤を持つ辺境伯家の跡取り娘――アナスタシア。
縦ロールした紫髪に同色の瞳。薄い紫色のルージュとアイシャドウを引いた彼女の顔立ちは、元の目力も相まって見る者に力強さを与えた。
アナスタシアもまた、皇太子と共に今年学園を卒業する生徒の一人だ。
彼女は歯に衣着せぬ物言いと、その素行から学園内外で何かと有名な存在だった。
「お前にはあっても私にはもうない! アナスタシア! お前にはもううんざりだ! お前との婚約はこの場で破棄させていただくッ!」
本来であれば、婚約とは家同士の決め事。
ましてや皇太子殿下の婚約者。当人とは言えおいそれと解消できるものではない――
「父上ッ!」
――この場に、王国の最高権力者である国王がいなければ。
会場のひときわ高い場所に設置された、ひときわ豪華な椅子に座るひときわ豪華な服を着飾った壮年の男。彼こそがこの国の国王だった。
息子の要望を受けた国王は、
「……うむ。いたしかたあるまい。アナスタシアよ。沙汰があるまで領地にて蟄居せよ。これは王命である」
鷹揚に頷くと、そう言ってアナスタシアへと沙汰を下した。
それは全面的に皇太子殿下の言い分が認められて、アナスタシアの言い分は破棄されたことを意味した。
事態を察した者たちが息を呑む。
唇を噛み締めたアナスタシアだが、
「……かしこまりました」
ドレスの裾を摘まみカーテシーで一礼すると、足早にダンスホールを後にする。
彼女のその背中は震えていた。
その彼女の胸中を知ってか知らまいでか、
「実は父上。私は学園で運命の出会いを果たしたのです。今日はその者を父上にもご紹介したく――」
会場を後にする彼女へ追い打ちをかけるように、皇太子殿下の声が彼女の背中を追いかけてきた。
◆
蟄居を命じられて一ヶ月後の、辺境伯領。
辺境伯とその家族が居を構える城。
『――王家の豚どもがぁぁああああ!!』
アナスタシアの部屋の前にいた二人の使用人たちに、室内からくぐもった叫び声が聞こえてくる。
枕か布団で口を抑えているのだろう。それでもなお、その声は廊下までだだ洩れだった。
年長の使用人の女性が、
「あらあら。おひいさまがまた荒ぶられていらっしゃるわ」
困ったわ、と顎に手をあてた。
その口ぶりに反して、その顔はまったく困っていなかった。
それを聞いて小さく震えたのは、ひと際若い一人の少女。
顔にそばかすのある彼女は、最近になって辺境伯家に仕え始めたばかりだった。
「あ、あの……。私、まだここに仕えたばかりで、その、おひいさまに粗相をしてしまわないか心配で……」
「あら? あなた、おひいさま当番は初めて?」
「は、はい!」
おひいさまとは、アナスタシアの通り名。
アナスタシアは幼少期から両親の愛を一身に受けて、蝶よ花よと育てられてきた。
「そう。他の家で仕えたことは?」
「い、いえ! ありません! 使用人として働くこと自体が初めてで……」
不安そうに手をもじもじとさせる少女は続けて、
「それで……その……偉い人に粗相をすると酷い罰にあうってお母さまが……」
彼女の辺境伯夫人もまた他家で使用人の経験があり、その心構えだけは既に叩き込んでいたようだ。
「初めてがおひいさまなの?」
コクリと大きく頷く少女に、
「それはおかわいそうに……」
年長の使用人は同情の意を示した。
「そ、そんなに怖い方なんですか……?」
「それはね――」
『誰かいないのッ!』
「はい。おります! すぐに伺います! ――会えばわかるわ。ただ堂々としていなさい」
部屋に入った二人の目に映ったのは、不機嫌そうな表情を隠そうともしないアナスタシアだった。
寝間着姿のアナスタシアが着替えを所望すると、二人掛かりで彼女を着せ替える。
「痛ッ……」
「あ、あ、あ。ご、ごめんなざい!」
若い使用人が背後から上着を着せる際に、アナスタシアのその長い髪を巻き込んでしまい、アナスタシアは痛みに声をあげた。
少女の顔色が蒼に染まる。
アナスタシアは振り返って若い使用人を見つめると。
「あなた手際が悪いわね」
「ごめんなざいごめんなざいごめんなざい」
少女は一心不乱にペコペコと何度も深く頭を下げる。
「ごめんなざいごめんなざいごめんなざい」
「……ダメよ」
若い使用人の顔がこの世の絶望を迎えたような顔色に変わる。
「ダメよ、女がそんなに簡単に頭を下げちゃ。安く見られちゃうわ」
それまで真顔だったアナスタシアだが、ふっと笑ってみせた。
「……え?」
「私に仕える者は常に堂々たれ。教わらなかったの?」
アナスタシアが年長の使用人に視線を送ると、その視線の先で使用人は頬んでいた。
「もう。お前たちもダメよ? 新人をいじめては。クラテリスにとっては初めての従僕のお仕事なのだから」
若い使用人は、主人であるアナスタシアの口から自信の名前が出たことに驚きを隠せなかった。
それを見ていた年長の使用人は、
「あら、おひいさまはこの者を既にご存じで?」
年長の使用人の問いかけに短く鼻を鳴らすと、
「当たり前よ。私に仕える者に無駄な者などいないわ。それなのにその名を覚えなくてなんとするの」
「失礼いたしました」
年長の使用人は慣れた所作で一度だけ頭を下げた。
「彼女のように謝罪は一度でいいわ。あとはこれからよくなればいいのだから。
むしろ、あなたこそ後進の者はしっかり教育しなさいな」
そう言って微笑みながら年長の使用人に釘を刺すと、アナスタシアはそのまま部屋から出て行った。
蝶よ花よと育てられた彼女は、奇跡的にそれが彼女の人格形成に良い方向に働き、
――周りに甘えてばかりはいられないわ。
と自立心の強い女性へと成長を遂げた。
部屋にはベッドメイキングと部屋の清掃の作業のために二人の使用人だけが残った。
「どうだった生おひいさまは?」
それは聞く間でもない質問だった。
アナスタシアと会う前まではあれだけ緊張に沈んでいた彼女の表情が今や輝いていた。
「か、かっこいい……! かっこいい! かっこいい! かっこいいですッ! 私のおひいさま! お母さんや妹に自慢しなきゃ!」
「はいはい。そうやって気を抜くのは、全部のお仕事が終わってからにしてくださいね」
年長の使用人は暖かい目ではしゃぐ後輩を見守る。
辺境伯家の使用人の多くが通ってきた道。
おひいさま当番。
それは数ある使用人の仕事の中でも圧倒的な一番人気を誇る仕事。
一週間持ちまわるその仕事は、使用人たちにとってはある種の御褒美。
新人時代を除けば、前週に成果を残した使用人にのみ与えられる権利。
使用人生活は、おひいさまを知る以前と以後に別れると豪語するものが現れるほど。
ほかでは考えられないアナスタシアの使用人に対する対応に、沼る使用人が続出しているのが現状だった。
今日もまたその沼にはまった者が辺境伯家に一人生まれたのであった。
◆ ◆
朝食を済ませたアナスタシアは、応接室で武官と文官の高官と領地運営の方針について意見を重ねていた。
部屋にはアナスタシアの他に、眼鏡をかけた青白いヒョロヒョロとした文官と、
筋肉隆々で深い髭に覆われた強面の武官の姿があった。
当初は卒業後に辺境伯の跡は継ぎ、アナスタシアが辺境伯を襲名をする予定だった。
それが卒業式でのいざこざにより宙ぶらりんになっていた。
襲名こそまだだが元より襲名が内定している身。
アナスタシアは領地に帰還後は精力的に口出しをしていた。
「王家が私の領地の関税を引き上げた?」
アナスタシアは文官の用意した資料に目を通し眉を顰めた。
「は、はい……。そのようです。今はまだ大丈夫ですが、これからの冬を考えると不安が残ります」
「しかし、その数字は万が一の場合。何も早急に動く必要はあるまいて。それより、西の遊牧民がきな臭い動きを見せております。先にそちらを片付けるのが先決では?」
それを聞いていた武官の高官が口を挟むが、
「だめよ! 私の民に万が一など。それは億が一でも許されないことだわ!
私の蓄えた宝物を売り払いさなさい。目録を用意させる。仔細は任せる!」
皇太子と婚約中に、ご機嫌取りのために他家から山のように送られてくる貢物を、アナスタシアはそのまま家財として保管していたのだ。
しかし、あれだけひっきりなしに送られてきた貢物も、婚約破棄されてからはさっぱり止んでいた。
今では親しい友人たちから季節の贈り物を受け取るくらいである。
「しかし、おひいさまッ!」
家財を売り払うことが知られれば、辺境伯家を快く思わない者たちから貧乏人の誹りは免れない。
貴族とは名誉を重んじる存在。そにれ仕える者もまた同じ。
主家の汚名に泥を塗りかねる行為に、武官が難色を示したが、
「くどいッ! 私はかまわぬと言ったわ! そして、西の遊牧民ね。小賢しいわね。誰ぞが私の領地に餌を撒いたのかしら。私が直々に成敗してくれるわッ!」
そう言ったアナスタシアの言葉に目を剥いて慌てふためくことになった。
「な、なりませぬ。なりませぬぞ、おひいさま! おひいさまに何かあっては辺境伯家はお終いです!」
アナスタシアは不満そうに口を尖らせると、
「何よ? 私の鍛え上げた戦士たちが遊牧民に負けると? そう言うの?」
「い、いえ! そうは言いません! 言いませぬが!」
武官は額にびっしりと湧き出る汗を手拭いで拭った。
「ならいいじゃない。私はお前たちを頼りにしているわ。私の領地で育まれ、武官たちが育てた兵よ。遊牧民なんておそるるに足らないわ」
「お、おひいさま……」
アナスタシアの言葉に武官が涙を流す。
それを見ていた文官も張り合うように、
「わ、私ども文官もおひいさまのお役に立てるようこれからも誠心誠意がんばりますッ!」
「いい心掛けね。お前たち文官が私欲なく尽くしてくれるから、私たちも外に目を向けられるというもの。これらかも頼むわね」
「お、おひいさま……」
今度は文官が涙を流す。
大の大人が年若い少女の前で惜しげもなく涙を流していた。
「あら? これから家族の昼餉の時間だわ。私はいくわ。お前たちを頼りにしているけど、悩んだら躊躇わず話すのよ。わかったわね?」
「はいッ!」
二人の返事が重なって響いた。
◆ ◆
食事の用意された大広間。
そこでアナスタシアの家族が一堂に面していた。
食事を終え、家族で食後の紅茶を味わっていた。
「不謹慎かもしれないけど、タシャとこうして落ち着いて昼餉を食べられるなんて私嬉しいわ」
母親である辺境伯夫人がそう口を開けば、
「そうだね。タシャはいつも精力的に動いているからね」
父親である辺境伯がその意見に追従する。
タシャとは両親のアナスタシアの呼び名。
アナスタシアは何かとニックネームで呼ばれることが多い人物であった。
それを聞いていた妹のアレクシアが寂しそうな顔を浮かべたことを、アナスタシアは見逃さなかった。
「母上。父上。ありがとうございます。しかし、アリーも見てやってください。彼女はついに不自由なく強化魔法を使えるようになったのですよ」
アレクシアは妹のアレクシアをアリーと呼び、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
「しかし、アナスタシアがアレクシアの年齢だったときには――」
アナスタシアは家長である父上の言葉を遮り、
「父上ッ!!」
机を強く叩いて立ち上がった。
それは憤怒の形相だった。
放たれるのは貴族令嬢にあるまじき凄まじい怒気である。
辺境伯はその怒気にあてられて、椅子の上で腰を抜かしていた。
「私とアレクシアを比較するのはお止め下さい。アリーも気にしないの。お前は私の自慢の妹よ」
「は、はい。で、でも――」
「でも、じゃないわ。――父上のことは気にしないで。それよりどう? このあとよかったら魔法を見てあげましょうか? それとも剣? アリーが望むなら昔みたいにお馬さんごっこでも。昔よく泣いていたときに私が馬になってあやしてあげたものね」
「や、止めて下さい姉上様。私はもう泣き虫だった子どもではありません」
「あら、そう……」
妹であるアレクシアのすげない反応に、打って変わってシュンと肩を落とすアナスタシア。
「あ、ああ。よ、よかったら今から魔法を見ていただけないでしょうか?」
「もちろんよ。それじゃあ行きましょう。母上。父上、御機嫌よう」
コロっと笑顔を浮かべたアナスタシアが、アレクシアの手を引いて部屋を出ていく。
それを笑顔で見送った二人だが、二人の足音が聞こえなくなると部屋の気温が急に下がる。
「……あなた、さっきのは失言よ。あの子が怒ってなくても私が怒っていたわ」
「ご、ごめんなさい」
辺境伯は上座で震えていた。
普段は辺境伯家の当主でもある辺境伯の顔を立てていたが、夫婦間には越えられない上下関係が存在していた。
アナスタシアの辺境伯は――辺境伯家への入り婿であった。
「タシャはこれからどうなるの?」
「わ、わからない。いま間諜や人づてに情報を集めてはいるけど――正直かんばしくない」
「話して」
辺境伯は夫人の剣呑な視線に、ごくりと唾を呑み込んだ。
「こ、皇太子殿下は最近になって、聖女と呼ばれる少女との婚約を発表したそうだ」
スゥーと辺境伯夫人の眼が細くなる。
「タシャを棄てて?」
吞み込んだはずの唾が再び喉を満たした。
「ど、どうやら二人は学園で出会って、陰で、その、関係を深めていたらしい。
世間では婚約破棄についてはタシャは悪役令嬢扱いで、殿下は真実の愛に目覚めた、って」
のどを潤そうと紅茶の入ったカップを手に取るが、カチャカチャと震えて中に入っていた液体が右に左に零れる。
口に入った量と床の絨毯を濡らした量。どっちが多いかわかったものではない。
辺境伯の後ろに控えた執事が色の変わった絨毯を見て、こっそりと片眉を顰めた。
「陛下はなんて?」
「次の王である殿下にすべて任せる、と」
「それで?」
「それで、って?」
辺境伯は恐る恐る辺境伯夫人へと尋ね返す。
辺境伯夫人は、はぁーー、とくそデカため息を吐くと、
「私のタシャが舐められて黙っているのかって聞いてんの」
「私たちじゃあ――」
「――あ”ぁ”?」
「あっ、なんでも、ないです……」
「あったまきた。王家の豚どもがギッタンギッタンにしてやんよ」
「抑えて抑えて」
側室をもたず姉妹をこさえていることからわかるように、夫婦間に明確な上下関係はあるが、その仲はいたって良好であった。
◆ ◆ ◆
城内の中庭。
アレクシアの魔法の練習を終え、今は姉妹水入らずでのんびりとした時間を過ごしていた。
アナスタシアは、芝生の上へ座り込んだアレクシアに膝枕をしてもらっていた。
「――姉上様は怖くないのですか?」
「怖い? 何の話かしら?」
まるで尊いもの触るかのような手つきでアレクシアは、アナスタシアの肩に手を置いた。
「姉上様は世間では悪役令嬢と呼ばれています。殿下の眼を曇らし、乱世を望む、その、えっと……」
アレクシアは顔を赤くしてその先を言い淀む。
「淫売かしら?」
ケロッとした表情で本人がその続きを引き取った。
「ご、ご存じだったのですか?」
「当たり前じゃない。民の声に耳を傾けるのも為政者の責務よ」
「今じゃ姉上様は悪者です。それが私には、怖くて仕方ありませんッ!」
叫ぶようなアレクシアの声に、アナスタシアは眉を顰めて耳を抑えた。
「急に叫ばないで……」
「ご、ごめんさない」
叱られてしょんぼりするアレクシアの頬に、膝枕された状態で手を伸ばす。
「いいのよ、私を想ってくれてのことだもの。ただビックリするから至近距離で急に叫ぶのはおやめなさいね?」
「は、はい……」
一陣の風が中庭を通り抜けた。
夏の終わりを知らせ、冬の足音を知らせる風。
「悪役令嬢、ね……。私はそれを恥じないわ。むしろ、誇りに思っているもの」
「ど、どうしてッ。本当の姉上様は私なんかにも素敵でお優しい――」
アレクシアの膝の上で体勢を変えたアナスタシアは、左手の示指でアレクシアの口を遮った。
「”なんか”じゃないわ。あなたは私の自慢の妹よ」
「で、でも――」
なおも言い募るアレクシアにアナスタシアは上体を起こし、今度は指全体でアレクシアの両頬を掴んだ。
「お、おねえひゃま……?」
「ねぇ。あなた私を信じてる?」
「も、もひろんでふ!」
それを聞くと、アナスタシアはふふっと笑いその手を離した。
「なら憂うことはないわ――あなたが信じている私があなたを信じているのだから」
アナスタシアはアレクシアの瞳をまっすぐに見つめた。
彼女の中にある姉への劣等感を追い払うように。
「お、お姉さまぁぁああーーッ!!」
「あらあら、泣き虫は卒業したんじゃなかったの?」
二人は芝生の上でしばらくの間、互いを抱きしめ合うのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
西の遊牧民を下し、家財を売り払って後顧の憂いなく冬を乗り切った辺境伯家に待ち受けていたのは、王家からの逆賊としての討伐令だった。
辺境伯家の討伐軍を真っ先に迎え撃つのは、辺境伯家の頼子である女爵家だった。
その女爵家の家中は二つに割れていた。
辺境伯家に仕えるか、王家に鞍替えするか。
「王家の先触れとして現れたのは、西の伯爵家を盟主とした一大連合です」
「どうする? 辺境伯家は頼親ではあるが、我が女爵家単独では討伐軍に太刀打ちできんぞ」
「辺境伯家には恩はある」
「しかし、お家の一大事ぞ」
女爵家の有力な家臣団が一堂に会した広場。
その上座に座るのは、家臣団と比べてひと際若い一人の少女だった。
「わ、わたしは、へ、辺境伯家の、お、お見方をし、したいです」
彼女のか細い声が家臣団の騒音に飲まれていく。
二年前に学園を卒業し、女爵家を襲名したばかりの少女――ユーリは、いまだに家臣団をまとめきれずにいた。
ほろりとその瞳に光るものが浮かぶ。
少女の手前の上座に座る老齢の将軍が叫ぶ。
「ええい。肝心の辺境伯家からの返事はまだか」
「で、ででで伝令ッ!」
そこにタイミングを見計らったかのように飛び込んできたのは、女爵家が辺境伯家へ出した使者であった。
「おお、誰ぞ辺境伯から返事がきおったか!?」
「そ、それがッ!?」
にょっと使者の背後から姿を現したのは、
「私が来たわ」
「ひ、”姫若子”ッ!?」
女爵家の家臣団の顔色が引きつる。
”姫若子”。
それは、アナスタシアの二つ名。
桃色の女性らしい鎧を身に纏い、男性より豪快に戦果を刻み続けたことで定着した勇名。
「おひいさまもそうだけど、私ももう若子という年齢ではないのだけれどね」
「な、なんで渦中の当人が前線に」
老齢の将軍の言葉に、
「渦中の当人だからでしょう。まさかと思いますが――私を裏切ろうなんてしていませんよね?」
そう言って室内を睥睨する。
上に立つ者として有無を言わせぬ威圧感が彼女にはあった。
顔を蒼くする家臣団と違い、
「ナスターシャ様ッ!」
上座に座る少女だけが唯一、その曇っていた表情を晴らして歓迎の意を示した。
ナスターシャとは友人たちが好んで使うアナスタシアの呼称。
「ユーリ。元気にしていましたか?」
「ご、ごめんさない。わ、私じゃ家を纏められなくて……」
「あら。学園を卒業して当主を襲名したあなたの命令を聞かないものが家中にいるの?」
スッ、とアナスタシアの眼が細くなる。
「ち、ちがッ。き、きっとそれは、わ、私がわがままだから……」
そう言ってユーリは恥じるように顔を俯かせた。
そんな彼女を見て、
「ちがうわユーリ。貴族足るもの我儘でいいのよ!」
ドンと胸を張った。
「え?」
アナスタシアの気勢にはっと顔をあげたユーリに、
「散財? 豪遊? 上等じゃない。私たち上の者がお金を動かし、経済を循環させないでどうするの!
昔から言っているでしょう。あなたはもっと我儘になっていいの。もし、あなたの我儘を許さない連中がいるなら私に言いなさい。あなたの敵は私の敵よ――私たち友達じゃない」
ぶわっと堰をきったかのようにユーリの頬を涙がつたう。
「もうアレクシアといいあなたといい、昔から泣き虫なんだから――」
そう言って呆れた顔を見せるアナスタシアだったが、ユーリへ近づくと彼女の頭を胸元へそっと抱きしめるのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
王家からの命令を受けて、辺境伯家討伐の為に出陣した西の遠征軍。
遠征軍の実態は、西に領土を領主たちの諸連合軍であった。
辺境伯家の頼子である女爵領を目前としたその天幕の中。
「閣下。本当に侵攻なさるので」
「……ううむ」
「本当に本当ですか?」
「………ううむ、うむ」
「最後に……正気ですか?」
「……………儂とて本意ではない。しかし、王命なのだ」
閣下と呼ばれた遠征軍の総大将の天幕。
そこには遠征軍を率いる錚々たる顔ぶれが揃っていた。
揃ってはいたのだが――
「私は嫌ですよ先方なんて」
「我が家も同様です」
「それを言うなら我らとて」
我も我もと今回参戦している集団の頭が先陣をなすりつけあう。
本来であれば、先陣は戦の誉。奪い合うのが常。
しかし、今回の遠征軍では真逆の現象が生まれていた。
「閣下もご存じでしょう? あの家、怖いんですよ……」
「先陣を切ったことが後でばれたら辺境伯家の報復を受けます」
遠征軍の誰もがこの遠征で、辺境伯家を討ち取れるとは微塵も考えていないようだった。
南が武勇でブイブイと言わせていることに対して、
西はと言うとアットホームなことで定評があった。
「それでも、どうしても、と望まれるなら閣下が先陣を切ってください」
「えぇ、儂ぃ? 孫が”姫若子”狙っとるで、嫌われたくないんじゃが……」
「あー、ずっる、閣下ずっる!」
ぶーぶーと関係者から不満が漏れる。
その中で使者が天幕に割って入ってきた。
「た、大変ですッ!」
「なんだ! 今は作戦会議中ぞッ!」
「そ、それがッ! それがッ――」
――”姫若子”出陣。
渦中の人であるアナスタシアが、辺境伯家を出て、直々に頼子である女爵家へ入ったという報せだった。
「これめちゃくちゃ死人が出ますよ――うちの」
「南の、というか辺境伯家の兵士はやばいですって閣下!」
「あいつら全員”姫若子”への忠誠心が振り切ってますからね。彼女が率いた戦は大小含めてこれまで負けなしですよ!」
「昨年の秋にも、王家がけしかけた西の遊牧民を撃退するに留まらず、これまで誰も手を出せなかった山岳地帯にある遊牧民の本拠地に乗り込んで、賊滅させたって話ですよ!」
王国の西は険しい山岳地帯に面しており、敵国とは隣接していないものの、そこに住む異民族との衝突は長年の頭痛の種であった。
それゆえに、平地に住む者が山岳地帯に押し入って異民族を滅ぼした、という事実がどれだけ凄いことか身をもって実感していた。
混乱の極みである天幕へさらなる乱入者が現れた。
「大親父ぃ! 聞いたかぁ! ”姫若子”が来たってよぉ! 俺ぁ行くぜぇ! ――野郎どもついてこいやぁぁああーー!!」
「あ、こら! またんかッ!」
総大将の孫は槍を手にすると、彼の部下たちと一目散に女爵領へ突っ込んで行った。
それから一時間後。
天幕にやってきたのは、台車に山のように積まれて捕虜となった仲間たち。
それは縄で乱暴にぐるぐる巻きにされた孫と、その郎党だった。
その先頭には薄い桃色の鎧を身に纏った”姫若子”アナスタシア。
「お前の孫を捉えたが、私はどうすればいいと思う?」
アナスタシアの足元で芋虫のように這いつくばっている孫だが、
「大親父ぃぃいいい!! やっぱ”姫若子”強ぇぇええーーッ!!」
孫は元気そうだった。
「堪忍してくれんか……。儂の宝なんじゃ」
「いいだろう。ただし条件がある――」
西部の遠征軍を退けた辺境伯家に、次に届いたのは王家からの使者であった。
辺境伯家の居城の謁見の間。
上段に位置する椅子へと座る辺境伯。
その脇には同じく椅子に座る辺境伯夫人の姿もある。
使者が王家からの手紙を広げて読み上げる。
「これは王家より王家からの最終通告である!」
要約するとこうである。
殿下の心を乱し、聖女との仲を妨げた罪。
王国内で残虐的な行為を繰り返し、血をもたらした罪。
弁明するどころか、王家の差し向けた軍勢に武力抵抗した罪。
王家の反抗した辺境伯家、中でも討伐軍に直接手を下したアナスタシアの罪は認めがたい。
上記のことからアナスタシアが王家の体制に逆らったことは明白であり、その行為は王国にとって悪以外の何者でもない。よって、王国法に基づきアナスタシアを公開処刑とする。
至急アナスタシアを、王都へ送還されたし。
さもなくば辺境伯家に叛意ありと見なし、その家名は逆賊として永遠に歴史へ刻まれることになる。
使者が手紙を読みおえると、
「……ふーん」
辺境伯夫人の鼻を鳴らす声がやけに鮮明に室内に響いた。
王都からの使者が手にした親書を読み上げ終わるころには、室内の空気が凍っていた。
さすがの王城の使者の顔も、
あ、俺死んだ? という表情で、その体は震えていた。
しかし、震えていたのは使者だけでなかった。
当主である辺境伯もまた震えていた。
辺境伯の脇に座る夫人から漏れ出す怒気によって。
「クソボケがぁぁああああッ!!」
殺気と魔力が爆発した。
「お、お母さまッ!?」
「どうどうッ! 落ち着いてッ! 娘たちの前じゃ貞淑で通す約束でしょッ!」
「知るかぼけぇッ!!」
暴れ出した辺境伯夫人を素早く引き留める辺境伯。
清楚で大人しい辺境伯夫人の印象を与える家族計画が音を立てて崩れていく。
暴力的なまでの殺気をモロに受けた使者は、腰を抜かしてその場に倒れ込んでいた。
その混沌の中、アナスタシアは使者へと堂々と足を向けた。
背筋をピンと張り、カツカツと音を立てて歩く姿は美しい。
アナスタシアは倒れ込んだ使者に手を貸して起き上がらせると、
「委細承知いたしましたわ。あなた、王都へ一つ伝言を頼まれてくださる?」
整った顔立ちに見つめられ、使者の男はコクコクと壊れた人形のように頭を上下に動かした。
――体制に逆った私は悪? よろしい。ならば戦争よ。
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