『西村賢太論・・・七尾市の墓』
『西村賢太論・・・七尾市の墓』
㈠
能登半島の地震によって、被害を受けられた方々のことが、とても心配である。そしてまた、新たな被害の状況を知るなかで、七尾市に建てられた、西村賢太の墓、勿論、その隣にあった、藤澤清造の墓も、壊れた様である。
㈡
無論、墓は生命ではない。亡くなられた方々のことを思うと、辛い気持ちになる。しかし、墓が壊れたことも、自分にとっては大きなことである。西村賢太の墓の文字は、藤澤清造の筆跡から文字を取り出して、西村賢太、という名前を彫った、手の込んだものなのだ。
㈢
事の重大さは、様々に飛び火したんだなと思うと、西村賢太もあの世で泣いているに違いないと思う。自分も、阪神大震災で、その地震というものの怖さを知っているだけに、能登の悔しさは痛い程分かるが、阪神大震災から、今ではその地震の中核地域も、復興を遂げている。能登も必ず、復興する。