We’re almost there.
これまで直接関わりのなかったホーガン伯爵家からの手紙ということで、父母は怪しんでいた。昨日ドーガティ公爵家に呼ばれたというだけで仰天していたのに今日は伯爵家だ。夜会で知り合った相手だ、と兄ジェロームが弁解してくれたために、両親の手による開封は免れた。それをジェロームから渡される。
「あの夜のビリージョー・ホーガン殿だろう? 次期伯爵の」
「そうだと思います……」
よければ植物園の観覧券を手配するがいかがか、とお伺いの内容だった。なぜ植物園なのかは、公爵家で見事な庭を見せてもらえなかったことに起因しているのだろう。
「お兄さま、こちらお受けしてもいいの? 貴族的なあれこれの社交辞令だったらどうしましょう」
「四の五の言わず行ってこい。社交辞令でもなんでもいい、実績を作るんだ」
ジェロームは威圧的に、にっこりと返信用の便箋を押し出した。放っておけば嫁き遅れもものともせず堂々と生き抜いてしまいそうな妹には絶好の機会だ。どうにもならなくなれば養ってやる予定ではあるが、せめて足掻いてほしい。
デートをしろ。男を知れ。失敗したら慰めてやるから、と兄は背中を押した。
なのでウィロウは了承の返事を送った。
当日、妹が玄関にたどり着く前に、兄がビリージョーと話していた。
「お誘いありがとうございます」
ウィロウが、それ私の台詞、とにこにこしている兄に目をすがめる。出張りすぎだ。デビュタント前の子どもじゃないんだから。
「いえ。彼女が心配でしたら、ジェローム殿も」
「いやいや。ビリージョー殿に全面的にお任せしますよ。世間に不慣れな妹だが、どうかよろしく頼みます」
これを牽制ととるべきか、信頼ととるべきか。
夜会でひょんなことから会話が弾んだジェロームのことだから、信頼だと思いたい。
ウィロウとクィアンナが遭遇したあの夜、歩いて三分とかからない場所にジェロームとビリージョーもそれぞれ居た。
片想い相手に振られてから二週間。ジェロームは夜会ごとにやけ酒に溺れる。みっともないから家に帰るまでに酔いを醒まそうと首元を緩めて外をさ迷っていたらベンチに辿り着いた。
「モテたかったわけじゃねーんだよ、一人に好かれりゃさぁそれでよかったんだよぉ」
大きなひとりごとを撒き散らして、ぐるぐるする頭を抱える。
ジャリ、と小石を踏む足音が聞こえて目線を上げた。
「すまない、聞くつもりでは」
美丈夫が心底困った顔をしている。
「人がいるとは思わずに……、こちらこそ申し訳ない」
「いや。心中お察しする」
「あなたみたいな美形に慰められるのはなぁ、説得力がなくって虚しいですよぉ」
骨がないような動きでベンチの背にもたれる。意外にも青年はジェロームの隣に腰を落ち着けた。
「俺だって失恋くらい幾度も経験している」
対象はたったひとりきりではあるが。
「その顔でぇ?」
「どうにもこの顔には見飽きているらしいので」
「もったいねーな。世の中どうなってんだ」
思わず素がぽろりしてしまい、ジェロームは口を抑えた。
「運命の女神は顔に関係なく、釣り合わない相手には厳しい」
全ての真理を見た、といった具合に言い切る。
「そうはっきり言ってもらえると、むしろ気が晴れる。
上手くいく相手とはすんなりいくってことだしな。これから探せばいいだけだ」
気を持ち直して、手を差し出した。
「お互い似合いの相手が見つかりますように。ありがとう。
私はジェロームといいます」
「どうも。俺はビリージョーです」
取っ替え引っ替えパートナーを変えて踊るクィアンナに耐えられず外に出てきたが、見ず知らずの同志と結束することになるとは、と笑っていた。
生垣の向こうからお兄さま、と切羽詰まった声が響いた。ジェロームがそれまでの酔態からは予想できない素早い動きで立ち上がる。
「ウィロウ!!」
あのチェリー・ローレルの生垣を越えなければ、ジェロームにも会えなかった。ベンチに座ろうという奇妙な親切心を出さなければ、そのままウィロウと顔を合わせることもなかった。
「あ、の、……ビリージョーさま……?」
びくびくしながら、ウィロウは馬車に乗ってじっとしている次期伯爵の名前を呼んでみた。美形の名前を呼ぶのは勇気が要る。しかし彼は不思議そうにウィロウを見やった。
「何を怯えているんだ? 怖いことがあったか?」
「お名前をほんとうに呼んでいいのか、わからなくて。どなたか怒りませんか?」
クィアンナなどは幼馴染らしく “Billy-Joe” の文字を抜き出したビージェイ、と愛称を使っているが、ぽっと出のウィロウが許されるのだろうか。彼に想いを寄せる女性たちに恨まれたりして。
「俺が呼んでくれと言ったのに、誰も怒るわけないだろう。別に呼びづらかったらビリーでもジョーでも構わない」
ーーそこは構ってください! なんで知り合ったばかりの私が愛称でいいのぉぉ!?
だがやはり、ビージェイとは提案されない。
「ビージェイ、とはクィアンナさまだけですよね……」
「いや? 俺の父母からもそう呼ばれている。自然と移っただけだろう」
「……やっぱり恐れ多いのでやめておきます」
「変なことを気にするんだな」
合点がいかないようで、首を捻っていた。外の景色に目を移す。
心の中で呼んでみる。
ビリーさま。
ジョーさま。
はたまた、ジェイさま?
それまで窓を見ていたのに、彼は真正面に向き合ってにこりとする。とくん、と心臓の動きが遅れた。
「もう着くぞ」
We’re almost there.
(もう着くぞ。)