バイバイ、神田さん
ぱんっという乾いた音が立って、最上くんは死んだ。
大して仲良くなかったし、惜しむほどいいやつでもなかったな。バイバイ、最上くん。
うっすらと煙を上げた黒光りする銃口がゆっくりとこちらを向いたことで、狭いコンビニの中に充満する火薬の匂いが濃くなった気がした。
「次は僕のーーーー」
ぱんっ。僕の番かって聞こうとしたのに、引き金を引いて答えるんだから敵わない。
ひたいを撃ち抜かれてどさりと倒れる僕。商品棚と床の隙間に溜まった埃が見えた。どうしてかまだ意識があるようなので、これ見よがしにバイト仲間の神田さんのパンツでも拝もうと首を動かす。スカートの中の太ももとお尻の境目の膨らみが見えた。
震えが止まらない太ももからかすかに水が伝っている。漏らしたんだろうか。
「……殺さないで、くださいっ」
神田さんは丸メガネの奥の澄んだ瞳を見開いて懇願する。無駄だと思うけどな、って思わずつぶやきそうになった。ひたいに穴が空いてるっていうのに、普通に唇が動くから不思議だ。
頭を撃たれても脳の中枢をやられない限り即死することはないらしいけど、それにしたって下腹部を含め大変元気な僕である。幸いなことにうつぶせに倒れているので短パンのチャックをこじ開けようとする膨らみを見られることはなさそうだけど、この姿勢だとほほが床で擦れて痛いので、あんまり首を動かせない。
どうせ死ぬんだから堂々と神田さんのミニスカートをのぞいて仕舞おうかとも思ったけれど、この分だとひょっとしたら助かるかもしれないので下手に動きづらい。
困ったなあ、誰かなんとかしてくれないかなあ、と思っていたら銃を撃った仮面のコンビニ強盗に動きがあった。
(ちなみに仮面と言ってもミステリーものに出てくるようなかっこいいものではなく、屋台で売っているような特撮ヒーローのもので、安っぽいプラスチックの光沢を帯びている)
「ひっ」
短くしゃくりあげる神田さん。仮面の強盗が右手で銃を構えたまま左手で神田さんのおっぱいを鷲掴みにしたのだ。嫌がるように体が横を向いたおかげで、スカートの中がばっちり見えるようになった。ありがとう犯人。これでもう悔いはない。
神田さんの薄い黄色のパンツは無地で、ふちが花びらを形どったレースになっていた。レース部分がうっすら透けていて肌が見えるのが最高にエッチだ。なんて考えていたら、うつむいた神田さんとばっちり目が合ってしまった。
目を丸くして驚く神田さん。どうやら僕の口角が釣り上がっているのがバレたらしい。というかまだ表情筋まで普通に動くんだな。マジで健康じゃないか僕。
そのまま膠着状態が続くかと思いきや、仮面の強盗が服の中に手を突っ込んで本格的に触り出した。これには神田さんも後ずさって抵抗する。
「……やめてください」
ほとんど聞き取れないくらいか細い声だった。
「あぁん?」
慣れていないのか、仮面の強盗はうわずった不恰好な声を出す。多分もっとドスの効いた声で威圧したかったんだろうな。というか、さっき最上くんを撃ったときも二発目以降だって言うのに安全装置がかかってないかおどおどしながら確認していたし、強盗自体初めてなのかもしれない。あっさり人を殺す癖に変な人だ。
なんて思っていたら仮面の強盗が急に神田さんのおっぱいから手を離して背を向けた。僕の位置からだと仮面をずらして呼吸を整えようとしているのが丸わかりだ。仮面でわからなかったけど顔面は随分汗ばんでいて、相当興奮しているようだった。
どうも人を殺すことに抵抗はないけど、殺しても何も思わないというわけではないらしい。それとも神田さんのおっぱいの感触がよかったのか。
仮面の強盗はまだ落ち着かないのか、レジ横に並ぶ売れ残りの飲料水を手に取ると、もぎ取るようにふたを開けてがぶ飲みしだした。銃を持っているだけあってやりたい放題である。誰も通報していないとはいえ監視カメラだってあるし、のんきに長居していたらさすがに捕まると思うんだけどな。
盛大なゲップをしたあと思い出したようにずらした仮面を被り直し、仮面の強盗は神田さんの方に向き直って再び銃口を向ける。
「脱げ」
神田さんの顔からさぁっと血の気が引いていくのが手に取るようにわかった。仮面の強盗が急かすと、絶望を体現したような深刻な面持ちになる神田さん。劇とか向いてるんじゃないだろうか。
普段から物静かで清楚な印象のある神田さんはそれでもなかなか脱ごうとしない。ついに痺れを切らした仮面の強盗が天井に向けて発砲し、蛍光灯が割れて白い粉が床に降り注ぐ。あーあ、この前取り替えたばっかなのに。
神田さんはうつむいたまま泣き出してしまって、真っ赤な顔を伏せたままコンビニの制服のボタンを一つずつ丁寧に外し始める。
ようやっとストリップショーが始まるようだ。思わず口元がにやついてしまう。今の僕の顔を見たら神田さんはどう思うだろう。最初に目があったときは笑っていて、そのあとつまらなさそうな顔になって、またにやにやしだしたわけなんだから、さすがにまだ生きていると気がつきそうなものだけど。
コンビニから支給された上着を脱ぎ、今度は下に着ていた白い長袖のシャツのボタンを外し始める神田さん。いよいよブラジャーも拝めるのかと思いきや、今更のように特徴的なサイレンの音が聞こえてきた。パトカーが近づいてきているらしい。
仮面の強盗は当然知っていたかのように装っているけど、足が思いっきり震えていたし、なんならさっき開けた飲料水を飲もうとして咳き込み、ペットボトルを床に落とした。この上なくかっこ悪い。
強盗がこぼした透明な水が床に広がり、先客の血だまりと混じった。絵の具みたいに血の色が薄くなることはないようで、混ざった血は鮮やかな赤を保ったまま水の中を煙みたいに侵食していく。ちなみにこの血だまりは最上くんのではなく、まっさきに撃ち殺された店長の血だ。
24時間働き詰めのせいでしょっちゅう死にたいとか言っていたくせに、撃たないでくれって声を張り上げながら死んでいった。最上くんと同じく即死だった。
「おい、店の奥に案内しろ」
じわじわと近づいてくるサイレンに苛立ちを隠せない様子の仮面の強盗。神田さんの腕を乱暴に掴んで引き寄せ、カウンターの奥へ連れて行こうとする。
そのときだった。濡れた床で足を滑らせた仮面の強盗が拳銃を落っことした。血の混じった水たまりの上をスライドした拳銃は倒れ伏す僕の鼻先にぶつかって止まる。こんな漫画みたいなチャンスがあっていいのだろうか。……頭を撃たれてぴんぴんしてる時点でおかしいとは思うけれど。
僕を死体だと思っている仮面の強盗は、腰をかがめて気味が悪そうにゆっくりと手を伸ばす。その顔が目の前まで迫った瞬間僕は左手で拳銃を奪い取ってばっと立ち上がった。
急に立ち上がったせいで目眩が酷かったけど、強盗は仮面越しにもわかるくらい仰天していてそれどころではないようだった。勢いよく後ずさったせいで背後のお茶売り場の商品棚に背中をぶつけていた。
「は? ……お、お前っ、なんで生きてんだよ」
僕が聞きたいくらいだ。
ぱんっ。一時期ハマっていたエアガンにならって狙いを定め、僕は引き金を引いた。拳銃は手の中で暴れたものの、至近距離だったために仮面の強盗の右の眉毛に命中した。と言っても仮面に描かれた特撮ヒーローの眉毛なので、実際どのへんにあたったかはわからない。
仮面の強盗がばったりと倒れたことで、引き金に手をかけた指から急速に温度が下がっていくのがわかった。血の巡りが悪くなってしまったのか、指先が軽く痺れ始めた。
煙を上げる銃口からする濃厚な火薬の匂いが鼻をつく。思い出したように神田さんの方に振り返ると、目を見開いたままマネキンみたいに固まっていた。……今ならおっぱい触ってもバレないかな?
「眞鍋くん、だよね……?」
と思ったら普通に喋り出した。目こそ開きっぱなしだけど、金縛りにあっているわけではないらしい。ドライアイとかにならないんだろうか。
「そうだけど。……ていうか、そうじゃなかったら誰?」
僕が軽い調子で返しても、神田さんは愛想笑いすら返してくれなかった。
「どうして? どうしてそんな風にしてられるの?」
「え?」
予想外の質問だった。これは言葉を選ぶのが難しい。
「いや、ほら、だってさ、店長も最上くんも容赦無く殺すようなやつだし、危ないかなって思って、だから、殺すのは別に、当然かなって、思ったから……」
舌を回らせるほど神田さんの顔が冷めていくのがわかった。興味が冷める方のやつじゃなくて、温度が下がる方のやつだ。
「……」
「……」
何も喋らなくなった神田さん。言葉が見つからない僕。どんどん大きくなるサイレン。
このままじゃまずい気がする。……とりあえず逃げるか。
「え?」
困惑する神田さんを置き去りにして僕はカウンターへ走り、奥の控室の裏口からコンビニを飛び出す。うっかり右手に持ったままだった拳銃は戦利品みたいに思えて、僕は安全装置をかけて短パンの右ポケットに銃口を突っ込んで夜の街を走った。
僕は神田さんを救ったヒーローだろうか。店長と最上くんを殺した強盗を倒した英雄だろうか。
きっと違う。
いつか誰かが言っていた。
殺人犯を殺した奴も、殺人犯なんだ。
逃げ出してしまったことだし、捕まれば僕は裁かれるだろう。逃げ切れる自信なんてないし、最悪自決しようにも頭を撃ち抜かれて死なないくらいだ、難しいかもしれない。
ひとまず小難しい今後のことなんか抜きにして、僕は今この瞬間の感覚に酔いしれていたいと思った。
「あーあ、やっぱ神田さんのおっぱい触っとけば良かったな」
仮面の強盗に揉まれてできた服のしわや、そのときの神田さんの表情を思い出すだけでぞくぞくした。でも僕はいまや人殺しだ。もう二度と会うことはないだろうし、会うべきじゃないんだろうな。
いい加減走るのも疲れてきて、止まって息を整えながら振り返る。偶然にも僕が神田さんたちとバイトしていたのと同じ会社のコンビニがあった。
「……バイバイ、神田さん」
感傷気味につぶやくと、コンビニのロゴマークがプリントされた看板照明が、こたえるみたいに明滅した。




