第九話 奇策
その日、僕は幼馴染を失った。
――――
昼休みになってお弁当をカバンから出し、クラスで仲良くなったオタク仲間とご飯を食べようとしたところで、スマホに通知が来た。送り主は「折原ミオ」。
『地学講義室に、来てくれませんか』
「……ごめん、急用ができちゃった」
「え、マジか。せっかくMRゴーグル持ってきたのに」
TBで遊ぶ約束をしていたそいつに平謝りをし、僕は地学講義室へ向かった。教室棟を端から端へと渡り、増築の後生々しい連絡通路を渡ると、すえた匂いが立ち込めた古い研究教室棟に着いた。
その2階の奥、地学講義室にははたして、ミオちゃんが待っていた。
「ありがとう、来てくれて」
「ううん、まあ、別に」
人気のないこの建物はそもそも静かだが、ミオちゃんと二人きりの講義室の静けさはなおさらだった。
晩春の昼の日差しはカーテン越しに、空気の流れの少ないこの部屋を火照らせている。どこか体の輪郭がぼやけるような、そんな暖かさだった。彼女のポニーテールが、カーテンの隙間から差し込む光条に照らされ光る。
「……ごめんなさい」
そんなまどろんだ空気を振り払うように、ミオちゃんは頭を下げた。
「え、ちょっ、どうしたのさ、急に」
「全然急じゃない。TB中に暴言を吐いたこと、距離感を測り間違えてたこと、昔のシュウのことを、今のシュウにそれを押し付けてしまったこと。全部、私が悪い」
「そんな、えーと、とりあえず頭を上げてもらって」
校内一の美少女との声も名高い彼女が、僕なんかにこんな誰も居ない教室で頭を下げている構図なんて、誰かに見られたら逆に僕が大変なことになりそうな気がしてならない。そんな慌てた僕の気持ちが伝わったのか、ミオちゃんはおずおずと頭を上げた。
「……そんな、別にこの前、謝ってたじゃないか」
「仕事でバタついてたなか、それに便乗した言い方だった。改めて、ちゃんとした形で謝りたかったの」
どこか弱々しい声でそう言う彼女。
「……たかだか、ゲームでちょっと熱くなっただけでしょ」
「それだけだったら、あんな風にはならないよ。シュウに対して、どこか軽く見てると言うか……下に見てるようなところが、あったのかもしれない」
「……そうなのかもしれないね」
ミオちゃんは僕の言葉に、ぐっと下唇を噛んだ。
不思議な気持ちだった。ゲームを通じて仲良くなりたいっていう気持ちは一緒だったはずなのに、一体どこですれ違ってしまったのだろう。
今でも彼女が魅力的な女性であることは変わらない。それこそ、なんで僕なんかに興味を持ってくれたかわからないくらいに。
彼女の目を見る。目元にありありと浮かんだ隈。寝ていないのだろうか。
けれど。リオラの真剣な眼差しが脳裏を過る。
なら、いっそ。
「……分かった。許すよ。前も言ったけど、小さい頃に僕だって、何ならミオちゃんだって知らずにミオちゃんに悪口言ってたんだから。これで手打ち、無かったことにしよう。元通り、幼馴染に戻るってことで」
最大公約数の言葉だった。彼女はきっと許しを得て、さらにその先に進みたい、と思っている。だけれど、僕は「元通り」になるということを伝えた。
先には進まない。反対に、元の疎遠な状態に戻ろう、ということだ。
「……それは、出来ない」
返ってきたのは、予想していない返事だった。嫌だ、ではなく、出来ない?
「謝るだけじゃだめだし、それで元鞘なんてのも、都合が良すぎだって思う」
「……自分に厳しすぎるんじゃないかな」
「ううん。きちんと責任を取らなきゃいけない」
「責任?」
「私……私は」
ミオちゃんは、意を決したように言った。
「……シュウの幼馴染を、辞める」
「………………」
「……」
無言の間。一体、なんだって?
「………………ごめん、もう一回言って」
「私には、シュウの幼馴染で在り続ける、あるいは名乗る資格なんてないと思う。だから今回の過ちの責任を取って、幼馴染を辞める」
もう一回聞いたけど、全然頭に入ってこなかった。こめかみを押さえながら、自分で口にしてみる。
「幼馴染を、引責辞任する、ってこと……?」
ミオちゃんは大真面目な顔をして頷いた。
「じゃ、じゃあミオちゃんは僕の、何になるの?」
「シュウにほかに幼馴染が出来ない限りは、前・幼馴染……だと思う。さらに新しく出来たら……元幼馴染に」
「幼馴染って役職だったんだ……」
再び無音。
だが、今度は長く持たなかった。
「……っ。……っふ、ふふ、あは、あははっ!」
「え……?」
駄目だ、我慢できない。僕はお腹を抱えて笑い出した。ミオちゃんが困惑しきりという顔でこちらを見ているが、それでも構わず僕は笑い続けた。
ミオちゃん、面白すぎるよ流石にそれは。まさか、そんな意味不明な発想にたどり着くなんて。
「ひーっ……み、ミオちゃん、全然寝てないでしょ」
「ど、どうして?」
「目元、隈ひどいし、それにそうじゃないと幼馴染を辞めるなんて発想、出てこないって!」
「……わたしは、真剣に」
「ごめん、だけど……ああ、ようやく、収まってきた」
お腹を抑えながら、僕は改めて彼女に向き直った。
「前幼馴染になったミオちゃんと僕の関係は、どうなるの」
「もう一度、やり直し。少なくとも、幼馴染としての関係や、それに付随するメリットは全て放棄する」
「め、メリット?」
「シュウを呼び捨てにしたり、朝起こしに行くことを画策したりっていうのは出来なくなる」
凄い、相当支離滅裂なことを言っているのに、全然そんな表情をしていない。彼女が隠し持っていた恐ろしいまでのシュールギャグ的な才能に、僕は感動していた。
だが一方で、こんなことになるまで頭を悩ませて考え抜いてくれた彼女に対して、変な言葉遊びで逃げようなんていうのは良くない、そう思った。
僕も真剣に向き直らなきゃならない。その上で、真正面から真剣な答えを返さなくてはならない。
リオラもきっと同じことを言うだろう。そういう確信があった。
「……分かった。その辞表、受け取るよ」
その瞬間、ばっと顔を上げるミオちゃん。ツインテールがふわりと揺れた。
「……ありがとう」
「対外的な呼称は、折原ミオ前幼馴染で良い?」
「……ミオちゃんって、呼んでほしいけど。でも、幼馴染じゃないから。折原さんで。私も、これからは高橋くんって呼ぶから」
「……そっか」
「じゃあ……またね、高橋くん」
「うん」
そう言ってミオちゃん――いや、折原さんは去っていた。
こうして僕は幼馴染を失った。だが、何か新しいものを得たような、そんな気がした。
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