第八話 自分に問うてみよ
寝覚めは最悪だった。きっちりとルーティン通り朝5時に目が覚めたけれども、眠りに落ちたのは恐らく4時を回ったころだった。布団に入ってから、ずっと同じ考えがぐるぐると巡っていた。
「シュウと関係を修復し、さらにその先に行くためには、ここから一体どうすればいいだろう」、という問いが。
頭はぼやけて、脳みそが渇いているかのような不快感があるのに、勝手に体が動くのが気持ち悪い。まるで自分の体が見えない糸で操られているようだ。服をジャージに着替え、下に降りる。顔をバシャバシャと洗い、ランニング用の眼鏡を掛けると目元にはっきりとしたクマが浮かんでいるのを視認した。
「……みっともない」
水をコップ一杯分飲み、マスクとキャップを着けて、ランニングシューズを履く。玄関で軽くストレッチ。まだ両親が寝ている二階の寝室に向けて、小さく
「行ってきます」
とつぶやいて、玄関の扉をガチャリと開けた。
――――
4月も終わりかけとはいえ早朝はまだ薄暗く、走り始めは寒いくらい。だが距離を進めるごとにじわり、じわりと汗ばんでいく。マスクから漏れる呼気で眼鏡が曇るのを時折気にする。
全身の筋肉が心臓となって、血液をぐるぐると巡らせる。きっとこんな睡眠不足の状態であれば体に悪いに違いないのだが、それでも無理やりに覚醒していく体と脳の感覚に、独特の陶酔感を覚えた。
無心で走り続け、家から5キロほど離れた公園に着いた。そこの自販機でスポーツドリンクを買って、ごくごくと飲む。古い水分を体から絞り出し、新しい水分を体に入れる。なんだかゼロサムのようで、そうではない。
「――でさ、やっぱりあそこの展開はさ」
そんな声が聞こえる。
「もっとこう、前作までに積み上げてきたものを踏襲しつつ作るべきだったと思うんだよね……」
「あー、なるほどね……」
自販機の近く、まだ薄暗い公園を照らす街灯の下のベンチで、男女が二人寄り添いながら語り合っていた。脇にはお酒の缶とおつまみの空き袋。大学生くらいだろうか、若い二人は数メートル先に居る私や、足早に駆け抜けていく犬の散歩中の主婦などは一切眼中にないようで、互いの頭を寄り添わせながら、語り合っていた。
ああ。世界の人々が全て、一対一の運命の人の組み合わせで余りも被りもなくペア分けできればいいのに。そうしたら全ての人々が、あんな幸せな微睡のような時間を享受できるのに。
――なんて、他人事が過ぎる。幼馴染という立場への甘えだとか、照れ隠しだとか、そういったもので大切な繋がりを壊してしまったのは、全て自分の責任だ。けれど、それに真正面に向き合おうとすると、目の奥が熱くなって仕方がない。実際、昨日の夜もそのせいで眠れなかった。
シュウは優しい。絞り出すような昨日の、最小限の謝罪に対して、それを受け止め、返してくれたんだから。だけど、それが本当の意味での許容であるとは思えていなかった。あの場にはリオンという第三者も居た。彼女の眼前であるということを慮ってくれたのかもしれない。
空になったペットボトルをぎゅっと握りつぶし、ごみ箱に捨てた。再び、5キロのランニングに戻る。
――――
シャワーを浴び、メイクをし、コンタクトを付け、いつもの私を作り上げてから改めて家を出た。偶然の鉢合わせは、今日も無い。私は始業の30分前には学校に着くようにしている。シュウはそれより、もっと遅い。先週まではもどかしかったそれが、今日の私にとっては少しありがたかった。
学校へ向かう電車の中で、昨日乗せてもらったリオラの車についてググった。「LF-A」で調べ、その結果に悲鳴を上げそうになる。新車価格で3750万円。小さめの一戸建てなら余裕で建つじゃん。
けれどあれが10年以上前の中古車であることを考えると、その相場はもう少し安いかもしれない、と思ったが甘かった。7000万円と出て来て、桁間違いかと思ったけれどどうやら事実らしい。世界に500台しかなく、しかも売れるくらい状態の良いものとなると数がさらに限られる、とかでプレミアが付くそうだ。
汗が流れる。ランニングの時のような気持ちいいものじゃなく、背筋が凍るような嫌な汗。モデルの先輩で今は配信活動をメインでやっているという人と話したとき、「配信業っていまだに社会的な信用がないからさ、ローンとか組めないんだよね~」と言っていたのを思い出す。その前提を真とすると、リオラはあれを、現金一括で買ったということになる。
スケールがそもそも違う。そう思ってしまった。流れでVtuberとしての彼女を調べたら、登録者数は124万人。適当に開いた動画は「例の彼とデートTB」みたいなタイトルで、見ればその「彼」はシュウだった。
動画のコメント欄は、シュウとリオラをカップルとして扱って、「てえてえ」だとか「シューリオ」だとかいう不思議な言葉を交えながら、しかしそれを好意的に受け止めているようだった。
私はなんて、狭い世界を見ていたんだろう。
モデルの仕事をして、周りの友人からは綺麗だ、大人びているなんてちやほやされて。それでいて幼馴染がはまっているというゲームをやり始めたら何だか妙にそれが上手くなっちゃって。それをきっかけに近付いて、あわよくば昔のように仲良くなれたら、なんて思っちゃって。
それでまるで全部うまく行く、なんて思って。ずっとその間あいつが何をしているかなんて、どう先に進んでいるかなんて見てなかった。彼は超人気配信者と仲を深め、そしてその関係は世間で広く認められようとしている……。
『敵に塩を送るような情報だけど、今のシュウはそういう感じのジョークが好きだよ。この前通話した、配慮しつつぎりぎりを攻める冗談』
リオラの言葉がリフレインする。
私が知ってた、ストレートな汚言で殴り合いのコミュニケーションを取るシュウは、過去のシュウだ。それに縋ろうというのは、つまり先に進もうとする彼に対して、昔に戻れというようなものだ。そんな真逆なこと、受け入れてくれるはずがない。
そしてそんなことを考えながら、自分がまだ諦めていないということに気付いて思わず自嘲の笑みが零れる。リオラに対しての宣言は、本当にカラ元気だった。だけど今私は、一体どうすればいいかを真剣に考えている。学校で顔を合わせるだろうシュウに、謝罪と共に、一体何を伝えればいいか。
「今のシュウ」に向き合うため、あるいは向き合わさせてもらうために一体どうすればいいのか、電車が目的地に着くまでの間、私はひたすらに問い続けた。だが、一駅過ぎ、二駅過ぎ、段々と学校が近づいてくるにも関わらず妙案は出て来ない。
どうしよう。焦りに、情けなさに、鼻の奥が少しツンとしてくる。
なにか、なにかヒントは。藁にもすがる思いで周囲を見渡すが、皆一様にスマホを見つめてばかりだ。
一人だけ、肩身を狭そうにして新聞を読んでいるおじさんが居た。その紙面を覗く。
『〇〇戦争 爪痕未だに』『物価上昇止まらず 中央銀行は静観』『汚職疑惑の〇〇氏 辞任を発表』
思わずため息が出る。見てても一層暗くなるようなニュースばかりだ。こんなものに満ちているものを、よくもわざわざ電車の中で読む気になれるもんだ。
「……ん」
そう思ったのに、何かが引っかかった。何かそこに、今の状況を打開するためのヒントがあるような、そんな気がしたのだ。
私がやらかしたこと、その責任と落とし前を付けるような、そんなアクション。
やがて私は、一つの答えにたどり着いた。
感想、評価、ブックマーク、本当にありがとうございます。とても励みになっています。