第七話 1v1
さらに踏み込んだ話題に移るのを遮ったのは、他でもない私のスマホだった。突然の着信は仕事のマネージャーからだった。
「ーーあっ」
自分の顔からサッと血の気が引くのが分かった。今日仕事が入っていることを完全に忘れていた。予定は16時から撮影、前入りのため15時に神保町駅に集合。時計を見ると、時刻は15時ちょうど。完全な遅刻だ。
それを話すと、
「……よかったら車で送ろうか? 車ならすぐだし」
とリオラが言い出した。
「え。リオラ、車持ってるの。意外ーーでもないか。レースゲームとかもやるって言ってたし」
「先月かな、ついに納車された。まさに不幸中の幸い感じのタイミング」
正直時間の猶予を考えると、渡りに船、どころか豪華客船くらいの提案だ。だが、ここまでの経緯や状況を踏まえると、それがタイタニックかダイヤモンド・プリンセス号に転じる可能性は十分にある。
「ありがとうございます、でも、ーー」
断ろうとして、しかし考える。ここで断るのってとても心象悪くない? ただでさえ私を取り巻く状況は厳しい。
「……いや、それじゃあぜひ、お言葉に甘えようと思います」
「了解。あ、ちなみに車は二人乗りだから、シュウはお留守番ね」
「えっ」
――――
「……すご」
マンション地下の駐車場に行くと、そこに停まっていたのは何か立派な車だった。真っ白で、車高が低く、確かにぱっと見二人乗りだ。
「さてどれどれ……って」
せめて車だけでも見たいと、今の私の心境からしたらとんでもなく呑気な形で(あるいは彼なりの気遣いなのかもしれない)着いてきたシュウは、車を見た瞬間に硬直した。かと思えば震え始めた。
「え、え、え、え、LFーA!?」
どうやら凄い車らしい。確かになんとなく凄そうなオーラは私でも感じる。
「お、やっぱりシュウ分かるんだ」
「そりゃ分かるよ! え、これ本物?」
「本物だよ。2011年製の。運転してみる?」
ぶるぶると首を横に振るシュウを見て笑いながら、リオラは助手席のドアを開ける。
「はい、じゃあどうぞ」
「ありがとう……」
乗る前に、シュウと目を合わせる。
「……ごめんなさい。暴言のことも、他の人とのことも、無理やりついてきた挙句こうなっちゃったのも」
「……こっちこそ、早とちりがあったみたいだ」
ぎくしゃくとした会話に心が痛む。言葉尻だけ取れば和解できたようにも感じるが、そうではないことを直感した。だけどそれでも行かなきゃいけない。目を伏せ、私は助手席に乗った。
どこか重厚でしっとりとした音とともに運転席側のドアが開き、リオラが身をかがめて乗り込む姿が妙に様になっていた。持ち主に対して失礼な物言いこの上ないけど。
「……じゃあ、またね」
「……うん」
ずき、と胸が痛む。「またね」、という言葉に、またね、と返されなかった。それだけのことが、何よりもまざまざと彼の心中を語っているように思えた。
次の瞬間、ライオンの咆哮のような、貫くような甲高さとお腹が震えるような振動を伴ったエンジン音に、思わず小さく叫んだ。
「あは、ごめんね」
そのどこか軽薄に謝る様子には覚えがあり、やはり彼ないしは彼女が配信者ラオであることを言葉以上に雄弁に証明していた。車がゆっくりと駐車スペースから進み、シュウに見送られながら出発した。
――――
「あは、通話してた時からミオちゃんとはもっとお話しできたらなと思ってたけど、こんな短期間でまさかドライブデートまでこぎつけられる、なんてね」
「……軽いですね」
「境遇は重いくせにね?」
……突っ込みずらいことを言ってくれる。
「……ああ、ごめん。ちょっと距離感がバグっちゃってた」
「シュウとは、そんな感じで話してるんですか」
「まあそうだね。でもこういうのがネタになり始めたのはついここ最近の話だよ。あいつとはずっと龍ヶ崎リオラとして交流してきてただけだったから」
「知らなかったです。そんなに仲がいい人がシュウに居たなんて」
「そしたら、相当ここしばらくは疎遠だったんだね」
私はリオラの顔を見た。涼しそうな顔をしながら、その細い腕と指でこの巨体を操っている。
「一人称は、『私』なんですね」
反論が思いつかず、私は話題を変えた。
「男なんだったら、『俺』だろうって?」
「実際、ラオのときはそうじゃないですか」
「あれは積極的に男であることを、ラオっていう配信者パッケージングのためにアピールしてるからね。仕事の一環でもあるし。あなたも、モデルやってるときにキめたた表情したり、お高く留まりながらインタビューに答えたりするでしょ? それと同じ。自然体で居たら、私は私。男であろうとわざわざするまでもなく、私は男」
信号が赤になり、車が前傾姿勢になりながら減速し、そして止まった。単なる一般道なのに、反応がいちいち大げさというか、外連味があるというか、日常をそういうアトラクションにしてしまうような車だな、と感じた。
「……ちなみに言っておくと、本当に気付いてなかった。あなたがシュウの幼馴染だってことも、あなたが相談してるのがシュウのことだっていうのも」
「言ってなかったんですから、当然ですよ。もし知ってたんだとしたら、あまり『男らしく』はないですしね」
指で鍵かっこを付けながらそう言うと、彼女はふふっと笑った。
「敵に塩を送るような情報だけど、今のシュウはそういう感じのジョークが好きだよ。この前通話した、配慮しつつぎりぎりを攻める冗談」
「先に毒が送られてきた例もあるので、そこは割り引いて受け取ることにします」
「あはは、いいね」
ちなみに私は口角1ミリも上がってない。車が発進する。
「でもさ、今どきそういうツンデレはあんまり流行らないと思うよ? ツインテールでつんつんしながら本音を隠すなんて、昔の余裕があった時代はよかったかもしれないけど」
「何語なのか分からないですけど、そんなテンプレートに当てはめて分析するのは辞めてください。私の気持ちとか考えは、そんなものじゃないです」
「真剣に言ってるんだけどな。実際、シュウには伝わってこなかったわけだし」
「……どういうつもりなんですか。あなたは、私に味方しようとしてるんですか?」
「まさか」
リオラは笑った。
「ただ、シュウの人生のことについて、シュウには十分な情報を基に、真剣に考慮したうえで判断してほしいなって思うの。例えば私を選んでくれたとして、数年後に『ああやっぱりミオちゃんにしとけばよかった』なんて後悔されたら嫌だし」
「っ……余裕ですね」
「だって私は彼に告白してて、あなたはそれすら出来てないでしょ。精神的な余裕に甘んじてるとかじゃなく、客観的に私はいま優位に立ってる」
ふと、自分の手が上着の生地をぎちぎちに握りしめていることに気付いた。あわてて解く。しわになっていた。
「幼馴染あるあるってやつね。いろいろ関係性に甘えてかまけて、みたいなやつ。当たるも八卦当たらぬも八卦」
駅に着いた。彼女の、なにか創作の世界のテンプレートでこちらを説明してこようとする姿勢はとても気に食わなかった。反対にやり返してやろうとすれば、彼女があまりにもそれらから乖離しているために、こちらは何の反論も出来なくなってしまう。それが一層くやしさを助長させた。
けれど。
「じゃ、とりあえずはお仕事頑張ってきて」
「ありがとうございました。……ちなみに」
せめて、意思表明だけは。
「私は、あいつに選んでもらうとか、そんなしおらしいこと考えてません。私があいつを選んだんだから、あいつにも私を選ばせます。絶対」
そう言って、ドアを閉めた。外の空気が嫌に美味しく感じた。私は車を振り返らず、手を振るマネージャーの方へと歩いて行った。
――――
「ふーん……」
去っていく凛とした背中を見送りながら、私は一人にやついていた。威勢と虚勢が入り混じっていたが、あそこまで真剣に言うならば、それは真実になり得る。
これまで、どこか自分の人生を達観していた節があった。あくまでオーディエンス、リスナー気分で楽しんでいたが、自分の人生がこれまでになく面白くなってきたことを、これまで通りリスナーとしても、そして自分事・プレイヤーとしても楽しんでいる。そんな気持ちだ。
それにしても。去り際の彼女のまなざしを思い出して、思わずつぶやいた。
「やば、惚れちゃいそう」