第十九話 リオラの哲学
元幼馴染(あの子は「前幼馴染だ」と主張するけれど)と秋葉原でVRデートをしたその日の夜。私はシュウといくつかTBの試合を回した後に、ボイスチャットを繋いだままいつものように雑談を始めて、流れで今日起こったことを話した。すると、
「ええっ。じゃあ、あの前にリオラと会ってたんだ」
「へ?」
すると今度はシュウの方から、その後シュウとあの子の二人でメイドカフェにランチを食べに行ったのだという話が出てきた。
「なにそれ、聞いてない!」
「そりゃ今話したからね」
「でもそっか……ふーん? シュウってメイドカフェとかも行けるタイプのオタクなんだ?」
「なっ! 別に、そういうわけじゃ」
焦った声にちょっと笑う。
オタクにもいろいろなタイプが居る。同じようにアニメを見ているオタクでも、二次元のアニメキャラにしか愛を向けないオタクもいれば、声優のコンサートに足繁く通うオタクも居る。
秋葉原といえばメイドカフェ、みたいな風潮もあるけれど、実際にメイドカフェに通っているオタクは意外と少ない。まあそれは、最近のメイドカフェというかコンセプトカフェがあまりにもガールズバーチックなせいもあるかもしれないけれど……。
「そんなに好きなら、今度お給仕してあげようか? 私も働いてた経験あるよ、アキバのメイドカフェで」
「そうなの。初耳なんだけど」
「そりゃ今話したからね」
「……」
ふふ、自分の言葉で返されるのは悔しかろう。
「……え、じゃあオムライスにケチャップで絵を描いたり?」
「余裕だね。なんなら今度、チェキ撮ってあげよっか?」
「このSNS時代に、Vtuberとあろうものが随分意識低いね」
うぐ。ほんとこの少年は。
「ふーん、じょーだんでーす。シュウくんとはチェキもプリも撮ってあげないんだから」
「チェキはともかく、プリクラって……あれだけは僕、本当よく分からないんだよな。あんなふうに自分の顔が歪められる装置、少なくともあれは写真機ではないと思うんだよね。”真実”を”写”してないんだから」
「……でも、思い出は本物だよ?」
「絶対今思いついただけでしょ」
「あ、バレた」
そういってケラケラ笑うと、シュウも苦笑をする。机に置いてあった、微温く炭酸の抜けたレッドブルを一口飲んで、
「で、結局どーなったの。その後は」
「どうって、そのまま解散したけれど」
「えー。意気地が無いな、あの子は。せっかくのチャンスだったのに、それじゃなんのために幼馴染を辞めたのか分からないじゃん」
「……リオラはさ」
シュウの声のトーンが、それまでよりも一つ、真剣味が加わったものに変わった。
「この状況とか、折原さんのこととか、どう思ってるの?」
「どうって、例えば?」
「いや……なんだろう。まず、僕は折原さんのことが好きだった。けれどあんなことがあって、気持ちが離れた。そしてそこで君と出会って、仲が深まり、そして君は告白をしてくれた。けれどその後に、折原さんの行動がある種の誤解に基づいていることがわかって、彼女は謝罪した。僕としては、彼女の謝罪は受け入れたし、彼女の幼馴染を辞めるっていう言動も、ちょっと面白いというか、色々考えてくれたんだなっていう真摯さを感じてる」
私は椅子の背もたれに体重をかけた。高い金を払って買った20万円のハーマンミラーの椅子は、軋む音一つも立てず、それを受け入れてくれた。
「けれど、彼女の対応は言ってみれば、後出しジャンケンみたいなものだな、とも思う。率直に言って、僕は順番に結論を出すのが筋だと思うんだ。つまり先に告白してくれた君に返事をして、そしてその後に折原さんとの関係についても結論を出すべきなんだ。なのに、何故か今僕は、君と彼女を天秤にかけようとしている。それってとても、君に対して不義理だと思うんだ」
「そんな不義理なシュウに対して、私がどう思っているかを聞きたいってこと?」
うっ、という声が漏れるが、
「それとも、ちょっと違う。それも気になりはするけど。でもそれより、この状況づくりに君も随分と加担しているだろう?」
「加担。悪しざまな言い方するなあ」
「ごめん、いい言葉が出てこなくて。でも、君はなんなら、折原さんと僕が近づくことを拒むどころか、許しているようなところもあるよね。その心を知りたかったんだ」
私はレッドブルの缶をあおって、中身がもう空になっていることを覚った。
「……もっと率直に思ってること、あるんじゃないの?」
「え?」
少しの沈黙の後、
「……うん、ある。君がさ、単に僕たちを……いや、僕を弄んで楽しんでるんじゃないか、って疑っている。だって、なんで僕なんかを……とは、思うよ、どうしても」
「だろうと思った」
私は、ふっかぶかとため息を吐いた。
「なんというか、まずすっごいそもそもの所だけど。私、遊びとか悪戯でこんなことをするほど、暇じゃないよ」
「え?」
「言ってみたら、私なんて配信すればするほどお金貰えるような、そんな仕事なんだよ。それに今度のライブだったり、案件の仕事だったり、収録だったりで、めっちゃ忙しい。暇つぶしでこんな延々と一人の人と絡んだりはしないよ」
「……ごめん」
「いいよ。確かに、気持ちを疑われるようなことをしたのも事実だし」
天井を仰いだ。さて、どこから何を話したらいいものか。
「シュウがあと勘違いしてるのはさ、私達一人ひとりが選ぶ立場にあるってこと」
「……どういうこと?」
「誰が、誰と付き合うとか、添い遂げるとか、そういうのは誰かが誰かを選ぶ、っていう一方通行の問題じゃないってこと。君が私に選ばれた、だけじゃなくて、君が私を選んだ、も揃わないと、関係性が成り立たない」
「……そんなの」
「当たり前、だと思ってる? でも思えてないんだよ、まだ。自分に全部の決定の権利が、能力がある、と思ってるでしょ。でも違うよ。お互いが合意するっていうのは、50:50(フィフティーフィフティー)の責任になるってこと。もし『自分が決めなきゃ』って思ってるんだったら、それは驕りだよ。自分だけが決めればそれで全てが決まるように思える場合でも、同じようにその瞬間瞬間に、相手も君の選択を待つことを決意しているんだから。その決定はいつでも各個人がしていいし、それが反対に転ぶことだって当然許容される」
シュウが息を呑むのが、通話越しにもわかった。
これは、私自身にも言い聞かせるように紡いだ言葉だ。
「シュウ、もし真剣にさっきのことを思ってたんだとしたら、それは謙虚じゃなくて傲慢だよ。君が彼女や私を待たせる決断をしたんじゃなくて、私や彼女が、君の決断を待つという決断をしたんだよ。だから今の状況がある」
「……認めるよ。それは確かに、僕の驕りだった」
ウェブカムはオンにしていないけれど、間違いなく今、シュウは顔を手で覆ってるんだろうな。声がくぐもったし。
「決断の順序とか、有効性なんてものは私は重視していない。これが結婚とかになったら、それは契約が法律上どう扱われるかっていう問題になるけれどね。これでもさ、私はいろんな人を見てきたよ。その中でシュウを今選んでいる。だからシュウにも、きちんと全部を色々考えてもらった上で、選んでもらいたい」
そう言ったあとに、「というか、選ばせるけどね」と冗談めかして付け加える。
各々の決意は各々でする。それは当然だ。
だけれど、その決意に何かしら影響を与えようという行いも、当然行われる。
「もしその場の流れで私を選んでくれたとして。でもその後に一瞬でも、『もしリオラじゃなくて折原ミオを選んでたらどうなってたんだろう』なんて思われたくないの。一切の後腐れのない形で選んでもらいたいし、選ばせる。私はそのためにこの状況を作った。そういうことだよ」
ゆるり、ゆるりとやっていきます。




