第十八話 相関分析
秋葉原から帰還した私は、机の上に置いてあった参考書類を脇に寄せ、代わりに買ってきた本をどんと積んだ。15冊、全てライトノベルの単行本だ。書店に行って「幼馴染」という文言がタイトルに含まれたもので売れてそうなものを、一巻完結のものからシリーズものまで含め買ってきた。
「よし」
グッと伸びをし、肩をこきこきっと鳴らす。普段、勉強などを始める前のルーティンだ。ペンや付箋、ノートの準備も万端だ。私は積み上がっている本の一番上を手に取り、読み始めた。
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5時間後。夕飯の時間を挟みながらも、私は手元にある全ての本に加えて、インターネット小説サイト上での幼馴染ものの作品などいくつかなどまで読み漁り、その集計を終えていた。統計としてはまだ標本数が少ない気がするが、しかしこの時点である程度信頼できそうな仮説がいくつか出来つつあった。
私の関心は、いわゆるラブコメディにおけるヒロインの勝率に、幼馴染であるということがどれくらい影響するかということだった。まずはデータを見る。
ヒロインキャラを髪の色や性格、そして属性などで分類した結果、最も勝率に相関しているのは属性で、しかも意外にも幼馴染属性が一番有利だった。そんなバカな、と思ったのは、どうやら作品の時代によって勝率は変遷しているらしい。あくまで手っ取り早くデータが得られるネット小説の分析結果ではあるが、幼馴染の勝率は一時期非常に低い水準を彷徨っていたが、ここ数年は盛り返す傾向にある。続いて学年一の美少女、隣の席のクラスメイト、帰り道が同じだけの後輩、と言ったような順番だ。憧れの先輩などが勝率が低いのは、なんとなくのイメージ通りだった。
続いて性格の影響が大きい。最も高いのは小悪魔系で、続いてサバサバ悪友系、無感情系、高飛車系となっている。おっとり系やツンデレは、直近の作品傾向では勝率が低い。
髪型や色がほとんど影響していないのを見ると、上の二属性の影響は有意にあると言えそうだ。
「ふむ……」
遅いバスタイムを迎え、湯船に浸かりながらスマホに移したデータを眺める。これを踏まえると、私の勝率はどの程度となるか。
私は金髪ツインテールで、幼馴染だ。性格を決めるのがなかなか難しい。だが、あくまで外形的な判断をする場合、私は口が悪く攻撃的だったから、ツンデレ、になるのだろうか。でも、デレていないし。他方で、金髪ツインテールという髪型はツンデレという性格と非常に相関関係が高い。続いて高飛車系お嬢様、性格きつめ委員長、となっていくのだが、この中でどれが一番近いかと言えばツンデレではないだろうか。
それにしても、金髪ツインテールの髪型で、例えばおっとりお淑やかなキャラだったり、あるいはボーイッシュなキャラがいないのは何故だろう。……疑問をメモに残しておく。
よって金髪ツインテールのツンデレ幼馴染の勝率を見てみるのだが、これが恐ろしく低い。幼馴染、というだけだとかなり勝率は高いのに、そこにツンデレが組み合わさると一気に悪化する。大抵の場合その恋は実らず、主人公やヒロインにアドバイスなどをしながらも裏で涙を流すような、いわゆる「グッドルーザー」になることが多いのだ。
もしかすると、幼馴染の勝率はあくまで疑似相関に過ぎず、実際にはおっとりだったり一途だったりといったような性格面の影響が強いのかもしれない。
また別個に相性分析も行ったが、メインヒロインが特殊な境遇にいる存在であればあるほど敗北率が高まるという結果も出た。そうなると、例のリオラの特殊さと言ったら半端ではない。
少なくとも、一緒にゲームをやり暴言をぶつけてしまうような流れにならずとも、敗北する可能性は高かったのだろう。そこに輪をかけて、トキシック暴言祭り。普通はそこで切り捨てれられても全くおかしくはない。
だが、幸か不幸か今の私は幼馴染ではなくなった。果たして前幼馴染という概念と、逆の裏・対偶的なジェンダー事情とのどちらが特殊事情なのか。どちらも既存の文脈にはなかなかレアな概念なので、分析が難しい。
例えば。レアな組み合わせを目指すのはどうだろう。例えば金髪ツインテ、前幼馴染、おっとり天然キャラ。「ちょっとアンタ」みたいなセリフを言いそうな見た目からの、「はわわわ」である。
「はわわわわ」
口に出してみて、浴室の壁に反響する自分の声を聞いて、ないな、とすぐに分かった。多分土塊を見るような目で見られるに違いない。
そもそも、ここまで考えていたのはあくまで相関関係だ。「このときはそうであることが多い」という程度のことまででしかなく、因果関係の分析までは至ってないし、私の知識では至れる気もしない。
湯船の縁に頭を預け、天井を見る。首の周りまでお湯が浸かり、一気に顔が熱くなる。
高橋くんは、ある意味自分の人生を達観している。一時の感情に身を任せることを良しとせず、可能な限り俯瞰した判断をしようとする。それはどこか自分に他人事であることを意味しているし、だからこそまるでコンテンツを楽しむかのような感じで、私の混乱した言動を面白がることができるようなキャパシティがあるのだろう。
私は彼のそのような部分に救われたわけでもあるけど、でもそれだけでいいのだろうか、とも思う。……いや、そうされたら勝てないだろう、という打算もあるのかもしれない。しかしとにかく私は、彼を私に惚れさせようっていう気概を持って彼と対峙しなくてはいけない。その意味で、彼に理屈や客観なんてどうでも良くなるくらい色恋に頭を染めてもらいたいのだ。
じゃば、と脚を水面の上に出す。火照ったその足はすらりと長く、自分で言うのもなんだが扇情的だ。それなりに鍛えているだけのことはある。
しかし、性の概念を超越した愛を検討しているところ真っ只中な彼に対して、まさか色仕掛けをするわけにもいかない。
どうしたもんだろうという問いは、のぼせそうになるまで続いた。
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
作中に出てくる分析は全て架空のものです。




