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Room21 変化の漣、浮ぶ箱達への影響

どっこい何とか生きてます。


「君は、まさか、本当に意識が戻ったのかい? これは大変だ、すぐに皆に知らせなければ。那世君、どうですか? 意識は、私の事が誰か解りますか?」


 声の主が慌てふためきながら僕に駆け寄る。眼鏡と長髪、やはり、声の主は三森先生だったみたいだ。

「ご心配お掛けしました。何とも有りませんよ、意識ははっきりしていますし、僕は至って平気ですよ、三森先生こそ落ち着いて下さい」


「全く、君は少々無茶をしすぎだ。今も体調は万全ではないでしょう、これだけの傷を負ったのだから、これから先は慎重に行動すると私に約束して下さい」


 僕の態度を見て安心したのか、お腹の辺りを手で払って佇まいを直しながら、三森先生が言葉を継ぐ。


「これは中々に朗報になりますね。伊勢君に続いて入間君も目を覚ましたとなると、やっと一息つけそうだ」


「先生、那世君は本当に大丈夫なんですか? 私、また那世君が昏睡状態に戻ってしまうんじゃないかって……」


 遊世が間を空けずに先生にそんな事を聞いた。


「遊世、大丈夫だよ僕は。どこもおかしくないよ。痛みも感じないしね、ただ、少し体の動きが鈍くなっている気がする、それだけだから」


「那世君、全然大丈夫じゃないよ。三十二時間も眠り続けて、それに凄い怪我だよ、病気を治すために病院に来ていたのにこれじゃ余計酷くなっただけじゃない」


 緩んでいた目元を鋭く変えて僕を睨み、そのままの眼差しを三森先生に向ける遊世。三十二時間、僕はそんなに長い間寝ていたのか、病室の壁にかけられている時計を見ると午後七時を指していた。


「済みません、その点は私達の落ち度です。しかし、今後こんな事は二度とは起こさないとお約束します。確かに病院では起こってはならない事態でした。しかし、こうして那世君の意識も戻った。精密検査の結果では、那世君の外傷も内臓や脳に関しても特に異常は見受けられませんでした。ですから那世君は大丈夫でしょう。それにしても、遊世さんが居られる内に那世君の意識が戻った、これは喜ばしい事ですよ」


「はぐらかさないで下さい。私、もしこれ以上那世君に何かあるようなら叔父さんに連れ戻してもらえるように頼んでみたいと思います」


 何を言い出すんだ遊世、それだけは嫌だ、僕はもう居場所の無いあの家には戻りたくはない。何も無いあの部屋には戻りたくは無い。折角僕にも仲間ができたのに、それを失う訳にはいかないんだ。


「遊世、止めてくれ。僕はこのままで良いんだよ。僕の意思を尊重してくれ、僕は別にこの体が治らなくても、怪我だらけになったとしても構わない、僕が選んだ道だから。もうあの家には戻りたくは無いんだ、あの家には僕の居場所はもうないよ、もうここで生きて行くしかないんだ。残りの時間を、ね」


「でも、私は我慢できないよ。私の気持ちも解って、たった一人の本当の家族なんだよ、その家族が苦しめられていたら放って何ていられないよ。なんとかするもん、私は那世君が家を出る事、最後まで反対したんだから。でも那世君の体が治るかもしれないって、そう言われたから。でも、こんなのおかしい、おかしいよ」


 遊世の必死さを目の当たりにして、伊勢君の姿が思い浮かんだ。あの何としてでも弟を助けようと必死になっていた伊勢君の姿が。これまでは解らなかったけれど、今なら解る、遊世の、僕を助けたいという気持ちの流れが。けれど僕はその気持ちを受け取る事はできない。もう後戻りなんてしたくは無いんだ。


「ごめん、僕はここが好きなんだ。先生も大丈夫だと仰って下さったじゃないか。遊世は何も心配なんてしなくて良いんだよ。お前はお前の事だけを考えていてくれたらそれで良いんだ」


「遊世さん、私も出来る限りの事はしようと思っています。那世君の事を思う気持ちは良く解る。けれど、ここで那世君が治療を止めてしまったら確実に彼の命を縮める事になる、言ってしまえば、那世君は今、奇跡的に生き残っていると言って良い状態なんだ。だからこそ那世君をここで連れて行かれるわけには行かない、行かないんですよ。これでも私は医療に携わるものとしての意地があるんです。だから、どうか、那世君を私達に任せてはくれませんか、いや、いただけませんか?」


 遊世に責められた三森先生は感情が外に現れ始めたのか語調がどこか崩れていた。遊世は潤んだ目で真直ぐに三森先生を見据えて数分間そのまま立ちつくしていた。


「解りました、那世君がそこまで言うなら、本当は一緒に帰りたいけど我慢します。でも先生、今後同じ事が有ったら私は先生を許さない、一生恨み続けますから、そのつもりでいて下さい」


 突然口を開いた遊世が予想もしない言葉を浴びせ、先生は遊世の顔が直視できないのか少し顎を下げ、俯いた。何故そんな事を言うのだろう? 先生は全く恨まれる必要なんて無いのに。


「何言ってるんだよ、遊世。どうしようもない事だって有るじゃないか。今回の事だって僕の意志で僕が望んで怪我を負っただけなんだ。先生には何の責任も無いよ。もし傷ついたなら僕を恨めばいいじゃないか。何もしてあげられなかった僕を」


「那世君は……そんな事言わないで。那世君は私を、遊世を助けてくれたんだよ。那世君は忘れてしまったかもしれないけど。だから私は……とにかく、先生。私は今後も時々、那世君に会いに来ますから、絶対に約束守って下さい!」


 どういう事だろうか、僕が遊世を助けた? いつ、どこで、僕には憶えが無いのに。記憶を失う以前の話だろうか。僕が黙ったままでいると先生が面を上げて静かに頭を下げる。


「その御言葉、この身に刻ませて頂きます、今後の那世君の安全は私が責任もをって保障しましょう」


「本当ですね。信じていいんですよね。那世君も無茶しちゃ駄目だよ。那世君が傷ついたら私が悲しむって事忘れないで、先生、お願いします、信じてますから」


 遊世はそう言って先生の手を取って頭を下げる。そうして次に僕の目を覗き込んで心配させないでと一言、消え入りそうな声で僕に言った。


 遊世はそれか少し、僕と話した後帰って行った。いつものようにもう来なくて良いとは僕は言わなかった。僕と会う事が遊世のために良い事だとは思わない、けれど会わない事は今の遊世にとってはもっと悪い事なのかもしれないと感じたからだ。三森先生は終始硬い表情のまま、僕等が話し終わることを待っていた。やがて遊世を病院の外まで送ると言って遊世と共に病室から出て行った。


 何故だか、意識が戻ってから僕の感覚は研ぎ澄まされている気がしている。これまでの世界の感じ方と何かが違っているように思えた。三十分程だろうか、時間が経った後に三森先生が僕の様子を見に戻ってきた。


「済まないね。妹さんや入間君には申し訳ない事をしてしまったみたいだ」


 三森先生はそう言って再び深く頭を下げる。そして再び面を上げると溜息を一息ついて僕にぽつぽつと話しかけ始めた。


「医療チームの人間は恨まれる事が多い、特に医師となるとね。けれど私は医師ではないんだ、製薬部の人間。だから、こうした直情的な感情をぶつけられる事に馴れていないのですよ。覚悟は有ったんだ、けれど、実際言葉をぶつけられる事がこれ程に苦しさを伴うとはね。私は本当に、医療部所属で無くて良かったよ。それでも私は出来る限り君たちに対しては親密になりたい、ならなければならない君達のためにも私のためにも。だからこそ口調も時折こうやって砕いて接しやすい形に変えているのだけれどね、肝心な医療内容に触れる下りになるとどうしても外面が面に浮き出て堅苦しくなってしまう。キャラクタが定まっていないなんて良く陽ちゃんには言われたよ。最近では寧ろこっちの明け透けな言葉の方が使い辛くなってきている、拙いとは思っているんだ。けれどね、入間君、君には解って欲しい、私はけして人の感情抜きで君達に投薬や治療を取り組んでいる訳じゃあないんだ、だから君はどうか、私達を悪く思わないで欲しい、いや、済みません。忘れて下さい、私はどうも、疲れているのかな」


 遊世の言葉が余程三森先生に衝撃を与えたのか、心が揺れているのだろうか、普段の先生の形を失っていた。


「先生、僕は先生方に感謝しています。僕にこういった環境を与えてくれた事を、僕に仲間を紹介してくれた事を、だから、大丈夫ですよ。僕は先生達を嫌ったりしません、治療も拒絶したりしませんから。ただ、少し僕の我侭わがままも聞いて欲しいんです、出来る限り皆に早く会いたい。伊勢君や名瀬さん、クラスの皆に早く会いたいんです」


 僕は皆に会わなければならない。伝えたい事、話したい事、確認したい事などが山積みになっている、それに今の僕の存在意義は皆の役に立つ事だから。先生は僕の言葉を聞いて頷いた。


「出来る限り、善処しようと思う。入間君には何故だろうな、本心が話しやすい。それはきっと入間君が人間的に飾ったり、嘘をついたり、或いは感情をあらわにする事が無いから、なのだろうね。私自身は権力に良い様に言いなりになって君達を道具にしているのに。都合の良い事だ、私は最低な大人なのかもしれない……いや。一体、私は何を言っているのやら、どうも良く有りませんね、こんな事本来入間君に話すべきことじゃあ無いのに、済みません。大丈夫、簡単な検査を受けていただければその後は寮に戻れるよう手配しましょう。恐らく私達にとってもその方が良い結果が得られるかと思います、もっとも、私の一存で決められる事ではないので、少し時間を下さい。きっと良い返事を用意できるはずですから」


 三森先生がそう話していると、突然カーテンが開かれて外から頬にガーゼを張り付けた誰かが僕に抱きついて来た。抱きついたまま僕の肩に顔を乗せている。顔が確認できない程に突然だったのだけれど、薄茶の長髪が視界を横切ったので僕は彼女が誰なのか気がつくことが出来た。三森先生は呆然とした顔付きでそれを見ていてすぐに、気がついたように視線を逸らすのが見えた。


「ごめん、ごめんよ。私がいながら君を守る事ができなかった。また助けられなかったのかと思ったよ。こんな形で君と別れるのは絶対に嫌だった、それに病気じゃない、目の前の暴力によって命が失われるなんて考えたくも無い、けれど、紅葉さんは考えてしまった。私を許して欲しい。君が意識を失っている間、私は気が気じゃなかったんだ。君がこうして意識を取り戻してくれたお陰で、私は君に救われた。本来私が止めなければならない暴力を夕貴が止めて、今度は夕貴の暴力を君が命がけで止めた、それなのに私は何もできなかった、謝らせて欲しい、どうしてもそれだけを伝えたかった」


 僕の耳元で声を響かせる。そう、紅葉さんだ。紅葉さんはどうやらあの時伊勢君やあの男性を止められなかった事に責任を感じているみたいだ。


「先程、遊世さんをお送りした時に連絡を入れておいたのです。加賀美さんは那世君や伊勢君が意識を失ってからの落ち込みが激しくて。見ているこちらが辛いほどでしたよ、それでも寮生の皆の前では平常心を装っていたようですがね」


 三森先生にそう声をかけられた紅葉さんは僕の肩から顔を離し、即座に言い返す。


「うるさいよ、智久君。紅葉さんの事はどうでもいい。智久君の方こそ随分と動揺していたようじゃないか。入間君に動揺する姿まで見せてしまって。その様子だと遊世ちゃんに随分きつい事言われたみたいだねえ。そんなことでへこんでるようじゃまだまださ」


「い、一体いつから後ろに隠れていたんですか、全く、そんな事を目の下に酷い隈を作ったままの貴女に言われても全く説得力が有りませんよ。これではどちらが治療する側なのかわかった物では有りませんね」


 紅葉さんの言葉に慌てて、取り繕う三森先生。一通り言い終えると溜息をついた。


「確かに、智久君の言った通りだ。私も彼も、君が居ることで助かっている要素は多いって事だよ。医師側の人間なのにね。こんなに弱くてどうするんだって、そう思うだろう?

 だけれど、私はこの人間性を捨てたくはないのさ。なんでこんな仕事続けているんだろうね。けど、君達が退院していく姿を見るとどんな事をするよりも私は幸せを感じる事ができるそう信じてるのさ。きっとそのために頑張っているからなのだろうね。そのためには君達の辛さも私は一緒に感じていたいんだ、私が一番この病院で君達に近い位置に居るのだから、できるだけ君達と感覚を共有して居たいんだよ。良かった、本当に君に何か無くて良かったよ」


 紅葉先生は僕の顔を両手で固定させている。右の頬にはガーゼが張り付けて有り、確かに目の下には酷い隈ができていた。僕はふと、あの時の事を思い出していた、確か、紅葉さんはまた救えないのか、なんて叫んでいた気がする。それよりも、今は伊勢君の状態を聞かなければ。僕の目の前で消えてしまった精神世界の伊勢君、彼が本当に自分の身体に戻れたのだろうか。


「紅葉さん、それに三森先生。僕はこうして無事で居ますが、伊勢君はどうなのでしょうか? 彼の意識ははっきりしていますか?」


「君の口から出る言葉は本当に寮の皆の事ばかりだね。偶には自分の体の事も気にした方がいい、紅葉さんも伊勢の事は気になるよ。でもね、今は自分の事を気にするべきだ。君はまだ油断できない状況に有るんだ。いつ意識をまた失ってもおかしくないのだからね」


「でも紅葉さん、僕は知りたいんです。伊勢君、本当に変わらないまま意識を取り戻したんですか」


 紅葉さんは一瞬目を逸らし、三森先生の顔を見た。三森先生は紅葉さんに一度頷くと口を開く。


「伊勢君は確かに意識を取り戻しました。大丈夫ですよ、彼は以前の元気なままの彼でした。どこにも異常は見られません。既に寮の何人かは彼にあっています。ですから、入間君は治療に専念して下さい。ただ、君は暫くは伊勢君には会わない方が良いでしょう。何か間違いがあっても良くない。妹さんにもきつく言われてしまいましたからね」


 そんな、直接会って話したいのに、伊勢君には会うことが出来ないなんて。


「そこを何とかして頂けませんか。僕は伊勢君に会いたい、会って無事を確かめたいんです」


「君の言う事は解るよ。だけど、ここは私達を信じて納得して欲しい。あんな事が有ったばかりなんだ。これ以上紅葉さんを心配させないでくれ。それに智久君がこれ以上君の妹さんに非難されるのも可哀想じゃないか」


「でも、そこを何とか……」


 僕の言いかけた言葉を手で遮る紅葉さん、


「済まないけれど、智久君。少し、この子と二人にしてくれないかな。私は今の内にこの子に話しておこうと思う。この子が襲われた時私は結構取り乱していたからね。いずれ知られてしまう事なら私の口から話しておきたいんだ」


 そう言ってカエルの時計を手にとって三森先生に向けた。どうやら僕が眠っている間は腕から外されていたらしい。


「それは、そうですね……私もそれが良いと思う。済みません、以前その時計を見かけた時に彼に少しお話してしまいました。けれど、具体的な事は何も話しては居ません、それでは私は失礼しますね」


「少し話したって? どの程度話したんだい? 智久君、後で待っていてね、少し言いたい事がある」


 紅葉さんが怒っているみたいに声を荒らげると、三森先生は足早に勘弁して下さい、入間君、ではまた、と言残し病室から出て行った。


「で、どの程度この時計の事を彼から聞いたのかな?」


 紅葉さんにそう問われ、思い出す。確か、このカエルの腕時計はあの寮ができてから、始めて治療に訪れた女の子に紅葉さんがあげた物だと聞いたはずだった。


「その時計は寮が完成してから、初めて治療に訪れた患者の女の子に紅葉さんがプレゼントした物だと聞きました。確か、その女の子は重度の精神病で併発した身体の異常と精神の衰弱から亡くなってしまったのだとか」


「なんだ、殆ど知っているんじゃないか。智久君は口が軽いな、紅葉さんに何も言わずに人のプライベートな事まで簡単に話してしまうなんて。

 そうだよ、その時計は私の始めての患者だった女の子にあげたものだったんだ。その女の子はね、あるカエルの童話が好きだったのさ。女の子の親が彼女に教えてあげた童話らしくてね。私に良く聞かせてくれたよ。

 その童話はね、井戸の中から始まるんだ。井戸の中にはカエルの王国があってそこで生まれたおたまじゃくしが狭い空を見上げていてね、いつか外に出て冒険したいと夢見る。やがて、おたまじゃくしはカエルに成長して、大雨の日に沸き立つ他のカエルを尻目に遂に井戸から脱出する。そして外の世界を冒険して回る、そんな童話なんだ。女の子は昔から病弱でね、ずっとベットの上の生活だった。だから井戸の中のおたまじゃくしと自分を重ねていたのかもね。

 私はなんとか元気付けてあげたくてその女の子にカエルの腕時計をあげたんだ。いつか良くなって外の世界を旅できるって。けれど、結局私の願いは届かなかった。彼女は私の目の前で苦しんで、苦しんで、集中治療室に入ったまま戻らなかった。女の子の親は不慮の事故で死んでしまっていて彼女は孤児だった。君と同じだよけれど、彼女には引き取って貰える親族も一人も居なかった。

 そんな女の子を珍しい症例だからと蘇波社長が養子に迎えてね、この病院で治療を続けられるようにしたんだよ。けれど、可哀想に彼女はずっと一人だった。だから私は彼女の家族になってあげたかった。私は悔いたよ、力ない自分に腹がたって仕方なかった。

 勘違いしないで欲しい、紅葉さんは君に女の子の願いも叶えて欲しくてその時計を託したんだ。君ならきっと今の病気を克服できると思ったんだよ。私もできる限り支えるから、今回のような無茶はしないで欲しい。これまではずっとその腕時計、手放す事ができなかったんだ。私はずっと自分を責めてきた、どんな時でもその時計を見る事で自分を支えてきた、けれど、君を見て、あの子を思い出している内にそれは間違っている事に気がついたんだ。

 それを見て自分を立たせる事はあの子の思い出を利用しているだけだ。だから、私は前を向くために君を治す事に努めようと考えたんだ。君が元気に退院する姿を私に見せてくれたら、きっとその思い出がこの先、何がっても私を支えてくれるだろう。こんな事君に伝える事は卑怯だと思うかい? 

 けど、紅葉さんは本気だよ。今度ばかりは、君が、どんな難病であっても治ってもらわなきゃ。だから、今はまだ我慢して欲しい、知りたい事があったら私に、この紅葉さんに何でも聞いてくれ。できる限り伝えようと思う。それに寮にも近い内に復帰できるようにするよ。その点は難しくないだろうけれどね、だからどうか、今の間は安静にしていて。それが紅葉さんからのお願いだ」


 過去にも僕のような子が居たのか。紅葉さんはその子と僕を重ねて見ているのだろうか。だけど、僕はきっとこの先、そう長くは生きる事はできないだろう。僕は原因不明の難病なんだ、いつ死んでしまってもおかしくは無い状態なのだから。


 そこまで言われてしまったら、僕はもう折れるしかなかった。今後、このベットの上で眠る事でまた、ルームに出入りして皆に会えるだろうか、その時には伊勢君の元気な姿も確認する事ができるだろうか。


「解りました。暫くは治療に専念します。けれど、僕はきっと駄目だと思う。紅葉さんの思いは有りがたいけれど、僕の病気はきっと治らないと思います。だから、僕にはこの時計、貰う権利は無いと思います」


「何だい、亡くなってしまった女の子の時計なんて気持ちが悪いかな? それとも、私がこんな話をしたから持ってい辛くなってしまったか」


「違います、その女の子が嫌なわけでは有りませんし、時計も当然有りがたいと思います、けれど、僕には紅葉さんの期待に答えられる自信が無い。きっと、僕にその時計を託してしまったら、僕が死んでしまった時、紅葉さんは凄くがっかりするでしょう。それならば、始めから」


「良いんだ、君に貰ってほしいのさ。君じゃなければ駄目なんだよ。それにもう一度あげたものじゃないか。もう返品は受け付けないよ。嫌なら捨ててしまっても構わない、大切なのは物じゃない、君の病気を治す事だからね。それにもう、私にはその時計は必要ない、辛くても君達に接する事で耐えられるさ」


 紅葉さんは笑顔を浮かべると僕を抱き寄せ、背中を二回ほど叩いた。そしてベッドの横のテーブルの上にカエルの時計を置いた。


 「今はまだ点滴だね、明日からは食事を楽しめるはずさ。それに診察が待っている、だから今日はゆっくり眠るべきだ。この後簡単な往診が有るはずだったのだけれどこれだけ明確な会話が出来るなら、きっと大丈夫、往診の予定も明日に先延ばししてもらうよう伝えておくよ。それじゃあ入間君、くれぐれも安静に」


 紅葉さんがそう言って僕の手を一度硬く握り、病室から出て行った。僕は暫く、病室の中を眺めてこれまでの事を考えていた、伊勢君の事、紅葉さんの事、青い髪の女の子の事、時計の元持ち主の事、そして薬や影が現れる原因など。やがて看護師さんが現れて僕の腕に点滴の針を刺して、簡単な会話を交わして部屋から出て行った。


 僕は横になって静かに目を閉じる。伊勢君に再び会える事を願って。


次回更新は、神のみぞ知ると言う事でどうか宜しくお願いいたします。

しかし、十五万字超えって、長くなってしまいましたわ。その上完結にはあと十万字は必要かと。もうだめだ、もうだめだ。

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