Room13 触れ合う掌、箱と心と力の形
部屋を蔽いつくす程の数、存在していた影が今はすっかり取り払われて、奥にかたまっている伊勢君達の姿が良く見える。あれだけの影の相手をしたのだから疲れてしまって当然だろう。その上、今回は伊勢君と相模さんは相当な無理をした様だった。僕と舞さん達三人は走って彼等の元に向かう。陽さんの報告によれば、それ程大事には至らないだろうとの事だったけれど、確かめない事には安心できない。その筈なんだ。
僕等が伊勢君の元に辿りつくとすぐ、舞さんが、皆に頭を下げた。
「皆、ごめんなさい。私のためにこんなに傷ついてしまって。本当ならば私自身で解決しなければならなかった事。どんなに感謝しても感謝しきれない」
「あたしからも、本当に有難う。こうして舞の近くに居る事ができるのはやっぱり夕貴や尋のお陰だもの」
舞さんの言葉を引き継ぐように陽さんが頭を下げてそのまま皆に向かって言った。
「もう礼なんていらねえよ。充分に陽からは礼をされた後だろ、それに今回あれを使ったのは俺の判断だ、お前らが気にする事じゃない」
「そ、そうですよ。私達が勝手に良いと思ってした事なんです。舞さんや陽ちゃんからお礼されることなんて無いです」
「そうだよ。俺達は当然の事をしたまでだ。今更礼なんて逆に落ち着かない」
腰を下ろしている伊勢君と相模さんが体調が優れない調子のまま、無理に気を張り、前を向いて僕らの顔を見上げ僕らに答えた。
舞さんが尚、頭を深々と下げる。
「そんな事無い、私は感謝しています。私の口からそれだけは伝えなければならない。皆、本当に有難う、有難うございました」
「それならうちも謝る。うちらがもっと早くここにいられたら、みんな危険な目にはあわへんかったはずやもん、ごめんな」
「そうです。自分も後悔しています。鳳さんが危険な状態だと解っていながらすぐに眠りつく事ができなかった。それに今回は足を引っ張ってばかりでした。自分はもっと何かできたはずです。ですが自分は結局……」
名瀬さんと阿須間君が座り込む二人を気遣いながら僕らに視線を向けて言った。その後、阿須間君は何か思う所があるのか俯いてしまう。
伊勢君が頭を左右に振って立ち上がる、と直に頭を片手で押えてふらついた。それを名瀬さんが肩で支えに入る、と支えきれないのかがくりと体を揺らした。そこへ陽さんもサポートに入り伊勢君の両脇を抱える。
「おっと、悪いなありさ、陽。只由、舞、お前達は気にし過ぎなんだよ。俺は感謝してるぜ、俺がこうしてここに居られるのは只由のお陰でもある。俺達はさ、誰が欠けても駄目なんだよ」
「うん、せやね。うちもそう思う。それよか夕貴、本当に大丈夫なん?」
伊勢君と名瀬さんの言葉を聞いて、僕はやはりそうだろうかと思ってしまう。本当に僕は必要なのか。でも、それは先程舞さんとの会話で確かめたばかりなので敢えて口にはしなかった。
「俺は、大丈夫だ。尋、お前はどうなんだ?」
「私も大丈夫です。それよりも、舞さん。あの子は一体どこから現れたんですか? これまでに私達が見たことも無いジャンクを操っていたあの女の子」
相模さんが舞さんを見つめ、僕の聞きたかった事を聞いてくれる。どうやらそれは舞さんと月さん以外、僕等全員が聞きたかった事の様で、一瞬で舞さんに視線が集まった。
「あの子は、私のこの部屋が崩れた時、天井の裂け目から現れたらしいの。私にも良く解らない。あの時の私は頭が割れそうな痛みで周りが見えていなかった」
「あの時、わたくしは、見ました。天井の裂け目、そこから巨大な目が覗き、その後、女の子が一人、わたくし達の前に、降り落ちて、現れました。女の子は、わたくしに、制止させる、間も与えず、舞の体に、触れた、のです」
「私は、あの女の子に触れられた時の事は憶えている。女の子が触れた瞬間、私の頭痛は消えたのだけれど、代わりに私の中の何かが奪われて行く感覚を感じた。このままでは私は消えてしまうと思った」
「わたくしは、女の子が、舞に、触れた瞬間、舞の姿が、複数に、ぶれる事を、確認、致しました。わたくしは、それが、攻撃行為なのだと、理解し、女の子を、舞から、離そうと、したのです。けれど、わたくしは、見えない、力で弾かれて、女の子に、触れる事が、出来なかった、のです。あの時、わたくしは、舞の手を、握る事しか、できなかった」
「私は目を開き、ぼんやりとした視界の中で月と女の子の姿を確認した。体は女の子に触れられたまま動かす事が出来なかった。痺れている感覚がずっと続いていた。陽の姿を確認できなかった私はとても不安になった。私自身の欠片が全て揃っていなければその瞬間を乗り切る事が出来ないと思った」
月さんと舞さんが交互にそう話す。それはきっとあの発作が起きていた時の状況だろうか。現実世界で舞さんに発作が起きていた時、こちらではそんな事が起きていたのかと改めて僕等は知らされた。同時に周りの皆が驚いているのが解る、どうやら月さんが積極的に話す姿が珍しいらしい。
「月っち、そんなに話す事できるんやね」
唖然とした顔の名瀬さんが呟くと伊勢君が話の先を促した。
「折角月が話してくれてんだ。腰を折るなよ」
再び舞さんは何事もなかった様に言葉を続け始めた。
「その時、私の片手にとても暖かなものを感じた。瞬間、私の視界は暗転して気がつくと君、入間君が私の手を握っている姿が見えた。それと、君と重なって陽の姿も見えたの。私は君の中に陽がいる事を知って安心した。けして陽が消えたわけではないと知る事ができた。そして私のために集まってくれていた皆の姿を見て、私の不安は唐突に全て解消された。再び世界が暗転すると、私に触れていた女の子が私から離れる姿が見えた」
「わたくしは、ぶれていた、舞の姿が、一点に、重なり合うのを、確認しました。途端に、女の子が、小さな、悲鳴を、あげて、触れていた、手を離しました。わたくしは、その僅かの間に、壁を張って、女の子を、私達から、遠ざけたの、です」
「その後、女の子は私達に向けて全部は貰えなかったけど、少しは貰えたからいいや、と言った。そして女の子が部屋の壁に触れると、扉が現れて中から多くのジャンクが溢れてきた。その後、女の子の口笛で一体の来訪者を裂け目から私達の部屋へ侵入させたの。そうして女の子の姿が薄れると私達の部屋の中で消えてしまった。私達はすぐに体の制御ができない事に気がついた。私達の精神の感覚とは別の何かが私達の体を動かしている事を知った」
あの女の子はやはり、舞さんの体を乗っ取っていたんだ。けれど、それは僕の体を陽さんが制御したやり方とは全く違った形みたいだ。僕の体は僕の意思が働かなければ入れ替わる事ができない。替わりに、入れ替わった後はその人格の意思が働かなければ戻る事ができない。けれど、あの女の子は意思に関係なく入れ替わりを行えるみたいだ。
「途中、ジャンクや来訪者が凍ったように動きを止めて、直後に女の子が姿を現した。その時私達に少しだけ時間をあげるよと言ったの。その間を使って私は外の世界で皆に話しかけた。私達だけではどうにもならなかったから、本当に助けて欲しかった」
そこで何か気になったのか、相模さんが舞さんに話しかけた。
「ごめんなさい、話の途中ですけれど。でも、とても気になる事があるんです。今まで聞いた事が無かったのですけれど、舞さんや陽ちゃん、月ちゃんが表に出ている時、この世界はどんな形になっているんですか? 私は意識が向こうへ飛ぶと、意識の中自体に部屋はなくなってしまうのですけれど、陽ちゃんや月ちゃんが居る事を考えると、やっぱり部屋が残っている状態で入れ替わりが可能なのですか?」
問われた舞さんに替わって隣で頷いていた陽さんが答える。
「そっか、あたし達はそれについて話した事無かったものね。そうだね、尋のいう通りだよ。あたし達は向こうの世界に意識があってもこの場所は消えない。三人の内、意識を送っている一人がここで眠っている状態になるだけなんだ。でも、他の二人も視覚は共有できるみたい。頭の中に現実を見ている一人の視界が映って見えるんだよ」
少し考え込む仕草をした後、再び陽さんが口を開いた。
「そう言えば、那世ちゃんの中に居た時は部屋が無かったね。なんだか、常に体を共有している感覚だったかな。ふうん、あたし達の方が特殊なのかな。それより、あたしが居ない間、舞や月がどれだけ辛かったかって思うと、申し訳ないよ。ごめん、舞、月」
舞さんの前に移動した陽さんが彼女を抱きしめて舞さんの肩の上に顔を乗せた。それを受け止めて舞さんは陽さんの腰にそっと手を回す。
「陽、私はその事は気にしていない、この経験で得られた事も私には有るから。話を続けましょう。私は病院の個室に私の体が有る事を知っていた。あの子が私の体の制御を行い続けている間も、私には視覚が流れ込んできていたから。そうしてあなた達が私の元に来ていてくれている事を知って話したいと切望していた。そこで影達が動きを止め、あの子の姿が消えた、不自然だったけれど私には選択肢が他に無かった。私は月に遮蔽を解いてもらい、体に戻るとあなた達に助けを求めた」
その時が僕等が舞さんと病院の個室で会話した瞬間だったんだ。あの女の子は何が目的で舞さんの体の乗っ取りを行ったんだろうか。あの子には自分の体が無いのだろうか。
「わたくしは、再び、女の子の姿を、認めると、壁を張らない、わけには、ゆきません、でした。そうして、舞の、会話を、分断、せざるを、得ません、でした」
「いいのよ、月。あの子に再び触れられてしまったら私はどうなるか解らなかったのだから。それから再び私達は月の壁の中に閉じ籠り、動きを止めていた影達も再び動き出した。あとはあなた達の知る所と同じ」
舞さんはそれだけ話し終えると、体を話した陽さんと月さんを見て、再度口を開いた。
「私は怖い。あの子が再びこの部屋に現れた時、簡単に体の制御が奪われてしまうのではと思える事が」
「いや、今度はあたしもいる。それにルームの亀裂も直ったじゃない。だから簡単には奪われはしないよ」
陽さんのその言葉に反応して伊勢君が声を上げた。
「ああ、そうだ、あの壁の亀裂、どうやって直したんだ? あんなに急に直るなんて予想してなかったぜ。ジャンク達が消えて舞が安心したって事か?」
舞さんがその言葉を受けて僕の前に進むと屈み込み、僕に目線を合わせて僕の右手を握る。
「私は入間君のこの手に触れさせてもらった、それだけ。それで不思議と部屋の亀裂が消えたの」
驚いた表情を作り、伊勢君が僕に向けて言う。
「それが、那世の力なのか?」
「僕の力、では無いと思います。僕は無力な存在ですから。けれど、それでも役に立ちたい気持ちはあります。ですから、舞さんのルームの亀裂が消えた要因に、僕の存在が絡む事ができたなら、とても嬉しい。今はそれを信じたい、そう思っています」
確信の無い事を僕の功績にはできない。それに僕にはそんな力が備わっているとは思えなかった。だから、今は僕はこう言う事しかできない。僕の右手を握る舞さんの手の平に一瞬力が加わった気がした。
「ううん、違うよ。それは那世ちゃんの力だよ。夕貴やありさみたいな特殊な力じゃないかもしれない、ただ、舞が偶々安心できただけかも知れない。だけどさ、そんなのどうでもいいんだよ。那世ちゃんが手を差し伸べてくれた時、確かに舞は助かったって思っているんだから」
陽さんがそう言い、舞さんの肩に手を置く。僕は舞さんの顔を見つめた。舞さんは両手を僕の右手に上下に重ねて包み込む。
「私は今回、この手の平に何度も救われた、それは事実。これから先、私に何が有るのか解らない、けれどその時には必ず君のこの手が必要になる。だから君も自分を信じて、私の言う事を信じて欲しい。ありがとうだけでは伝わらない私の感謝も、この手を伝わって伝えられたらと思うけれど。今私が伝えられる精一杯の言葉がこれだけ」
舞さんはその後、僕の体を引き寄せて抱きしめ、耳元で一言ありがとうと言うと立ち上がり、僕から離れた。
「それじゃ、俺達も那世の手の平に触れたら頭痛が治まるかな。じゃ、こっち来てくれよ那世」
「あ、じゃ、うちも握る。ほら、今回うちも結構頑張ったと思うねん。功労者が先」
「私もそれでは、肖ろうと思います。まだ少し、頭痛が残っているんですよね」
「自分は良いです、などとここで断ったらきっと後悔するでしょうね。自分もよければお願いします」
今まで口を閉ざしていた四人が口々に言った。どうやらいつもの調子が戻ってきたみたいだ。このままの雰囲気を持続させる事ができるならば、どれだけ幸せだろうか。僕はこの状態を続けるために努力しようと思う。
「残念、舞の次はあたしだよ」
陽さんが僕の手を握り、伊勢君の元へと駆ける。僕は引き摺られるままに移動して左手で伊勢君と握手をした。僕はそれから次々に握手を繰り返す。
「小さい手だな。不思議とお前の手に触れてると頭痛が治る気がするよ。やっぱり、これがお前の力なのかもな」
「なんで夕貴が先やねん。ちょとどいてな。うん、安心できるわ。やっぱり那っちの手は温かいよ。ふにふにで柔らかいし、良い感じやわ」
「私はこうして誰かに触れる機会を、避けて来ました。何故か拒絶感を覚えてしまうんですよね。でも、今日は触れられて良かったと思います。頭痛も治まりましたよ」
「この手に何が秘められているんでしょう。自分には解らない、だけれど、自分にも入間君、君の力が必要になる日がきっと来ると思います。その時は自分を救ってやって下さい」
僕の手を触れて皆が一言ずつ僕に声をかける。僕はただ頷くだけだ、けれど体の奥に確かにじわじわと何か温かい物が沸き起こるのを感じていた。感動や嬉しいと思う事から生まれる感情はこういった感覚なのだろうか。もう少し、もう少しで僕は変る事ができる、そんな気がした。
最後に月さんが僕の手に触れて目を細め、微笑をその顔に浮かべた。
伊勢君が思い出したように疑問を口にする。
「ここから先、俺達はどうなるんだろうな。舞は大丈夫か? まだ個室に居るんだろう。すぐに寮に戻ってこれるのか?」
「それは解らない、多分すぐには無理でしょうね。私が戻ったとしても色々と受けなければならない検査があるだろうから」
あれだけの事が有ったのだから当然だろう、僕は舞さんの明日からの事を考えると申し訳なく思った。長時間を浪費する、数多くの検査が待ち構えているのだ。
「まだ危険が去ったとは言えないだろ、これから先の事も話しておかなけりゃな」
「あたしが思うに、あの子があたし達の体を乗っ取る事ができたのはこのルーム内に亀裂が走っていたからだと思うんだよね。でも、これはあたしの直感だから、本当かどうか何ともいえないんだけど。でも次に乗り込まれたらあたしだって大人しくはしていないよ」
「陽は怒らすと怖いからな。ま、陽が居れば安心か。でも暫くは来ないんじゃないか、あれだけ俺達の力を見せ付けてやったんだ」
「そうだと良いのですけれど。私も病院の関係者や紅葉さんにあの女の子の事を聞いてみようと思います。もしかしたら、この施設内にあの女の子が居るかもしれませんから」
相模さんの言葉を聞き、思う。そうか、そうかもしれない。このルーム内に現れた者達が病院内に居る可能性は低くはない。
「そうですね、自分もそう思います。明日は誰が自由組だったでしょうか?」
「うん? そう言えば、紅葉さんに予定確認せえへんかったね。明日はどうかな。今日の予定が狂ってしもたから、全員検査なんて事にはならへんよね。うち、それがありそで怖いわ」
阿須間君の確認を聞いて名瀬さんが身をよじりながらそんな事を呟いた。
「いえ、自分の記憶が確かならば予定の通りなら自分と伊勢君、名瀬さんが自由組みだったと思います」
「お前、覚えられないから前日に紅葉さんに訊けばいいと思ってるだろ」
伊勢君にそう言われ、名瀬さんが大袈裟に怒った仕草を体で表し、伊勢君に飛びついた。
「助けたった恩人にそんな事言うのはこの口か。もう助けてやらへん」
「ああ、そうか、ありさに借りを作るなんて俺としては最大の失態だ。でも考えてみりゃ貸しの方が圧倒的に多い気がするが、どう考えても相殺できないほど俺の方が貸し多いだろ」
「甘いわ。夕貴の命を救った今回はとっても大きい功績やねん。相殺なんてできひんしさせへんわ」
また始まったなと思い、僕等は傍観している。けれどこれが僕等の本来のあるべき姿なんだ。やっと皆、安心を掴めている。
「まあ、この辺にしてだな、明日の事は向こうに帰ってから相談すべきか。舞、悪いな。もしこっちに戻れ無いようならまた教えてくれ。必ず明日も皆でお前に会いに行くよ。それと気をつけろよ」
伊勢君がそう締めくくった時、僕は今日は随分と長い時間をこちらで過ごせていたことに気がついた。徐々に馴染んできているのかもしれない。
「また、会いましょう」
僕はそう言って舞さんと握手をした。彼女達三人は改めて僕に頭を下げて言った。
「ありがとう、また」
その瞬間、一瞬だけだけれど僕は始めて三人が一人の人間に見えた。