Room11 侵食と進攻、箱の占拠者の出現
「あかん、もう嫌や。やっぱりうち、絵は苦手やねん」
名瀬さんのその一声で僕は描く事を止めた。見ると名瀬さんは画材を膝に乗せ、両手を組んで上にあげて背伸びしている。阿須間君と相模さんもどうやら、描き終わった様で2人とも何か考え込むようにしていた。僕は自身が描いた絵を見てこんなものかな、そう思っていると、
「へえ、那世ちゃんも結構やるもんだね。上手いじゃない、ちょっと濃淡が薄いのが気になるけどさ」
と、僕の口が陽さんの声を代弁した。
「ふうん、うちにも見せて」
名瀬さんは僕の画用紙を奪い取って絵を見つめると顔をしかめた。
「まずいな。うちの絵、みせられへんわ。陽っちが描けばよかったのに」
「おっと、お前がした事、俺が忘れてると思ってるのか? 甘いな」
いつの間にか起き上がっていた伊勢君が名瀬さんの絵が描いてある画用紙を奪い取り、じっくりと見た後僕らに向けた。止めさせようと顔を赤くした名瀬さんが立ち上がり、前に出ようとして躓き、バランスを崩して伊勢君の足にしがみついた。
「ありさ画伯作、だな。なかなかどうして才能あるよ、お前」
「何すんね、止めや」
名瀬さんの描いた絵はなんだかとても可愛いものだった。外見で判断して僕が描いた絵だといえば一番しっくりくるのではと思わせるような絵だ。
「僕はとても可愛いと思います。良い絵だと思いますよ」
僕が思ったとおりの事を口にすると、名瀬さんは立ち上がって伊勢君から画用紙を取り戻して笑い、ベンチへと戻る。
「おせじはええねん。それよか、尋っちと只由っちもうちらに絵、みせてな。それでお相子やん。そしてこれが那っちの絵でーす」
少し怒った風に名瀬さんがそう言い、画用紙を持ち替えて僕の描いたものを掲げたまま、体を左右にひねって見せ付ける。相模さんと阿須間君は苦笑いを浮かべてそれを見ていた。
僕等はその後、それぞれに描いた絵を見せ合うと少し雑談してから教室へと戻った。残る2人の絵について、相模さんの絵は外側が薄く、内側に向けて濃淡が徐々に色濃くなってゆく、そんな手法がとられた絵だった。緻密さがあって相模さんらしいなと僕は思う。阿須間君の絵は全体的に陰影が強調されていてイメージとして記憶に残しやすい絵に見えた。
結局の所、僕らは全員同じものを描いていた。公園の中心にある大きな木、けれど描く人によってこんなにも印象が変わるのは不思議だなと思う。こういった経験は今までの僕はとても薄かった。これから先も少しでもいい、この皆と色々な経験を重ねていければ良いな、どうなるか解らないけれど出来るだけの努力はしてみよう、そう思った。
教室に戻ると杉原先生が教台上の画用紙に向いて鉛筆を握り、必死に何かを書いていた。僕等が戻ってきたことに気がつくと、顔をこちらに向けて片手を挙げる。
「やあやあ、お帰りですか。済みません、少々新しい設計を思いつきましてね、色々と試行錯誤を頭中で展開させまして、うん? ああ、そうでした。皆さんの描いた素晴しい絵を回収させていただかなければ」
僕等は直ぐに杉原先生に描いた絵を渡し、画材を先生に返した。
「おや、鳳さんがいらっしゃいませんが、今日は欠席なのですか?」
杉原先生が唐突にそんな事を言うので僕等は唖然としてしまう。連絡はされていなかったのだろうか?
「先生よ、舞は今日の朝、精神状態が悪くなって今は病院の個室で休んでるんです。と言うか、知らなかったんすか? 連絡は受けてないんですか」
「は、それは本当ですか! いや、それはまた、急な事です。とすると、薬が原因でしょうか、神経伝達物質に何らかの異常が……原因は解ったのですか? いや、それは梓君に直接聞いたほうが良いかな。これは又失礼を、入間君に会う事で頭が一杯だったものでね。そうですか、鳳さんが悪化。いや、一先ずこの絵はお預かりさせて頂きますよ。後々ゆっくりと拝見させていただきますよ。それを終えたらこの教室の壁にでも貼っておきましょうか。今日はお疲れ様でした、さて、僕は用が出来てしまった。これで失礼させていただきますよ。では」
伊勢君が鳳さんが居ない理由を話すと杉原先生が驚き、慌ててそう言い残すと急ぎ足で教室から出て行ってしまった。
「相変わらず訳わからん人やね、あの先生。今更気が付くなんて遅すぎやよ」
「というか、連絡が取れてないこと自体おかしくないか?」
名瀬さんが目をこすりながら眠そうに一言漏らすと、伊勢君が横目でみながらそう続けた。
「杉原先生は人の話を聞いている様で聞いていないところがありますからね。自分は解りませんが、天才型な人はああいうものなのかも知れません」
「杉原先生ハ思イツイタラソノママ進ム人ナノダト思イマス。変ナ人デアルコトハ間違イナイデスネ」
阿須間君と相模さんがお互い苦笑を浮かべ、そう言葉を残すと、陽さんが続いて言った。
「あたしはやっぱり苦手だな、あの先生。嫌いじゃないんだけどね。何考えてるか解らない所あるじゃない? あ、この教室にはあたし達以外誰も居ないからこの話し方で良いよね」
伊勢君が机に腕を組んで寄りかかり、僕を見た。
「さて、それじゃこの辺で今日の夜の事、話しておいた方が良いだろうな。寮に帰ると紅葉さんがいるから話し難いだろ」
「そうですね。自分も話しておいた方が良いと思います」
「眠なる話は勘弁してな。うち、そろそろ限界やねんて」
同様の動作で伊勢君が僕以外のクラスメイトを見回しながら話すと、阿須間君が頷き、名瀬さんがあくびをしながら答える。
「ありさは緊張感全くないのな。と言ったところで、俺達に出来る事なんてそんなに無いんだよな。薬飲んで眠って、部屋で暴れてやるくらいしか出来ない。気は向かないが、そんなことも言ってられない。今回は俺もアレを出さなけりゃならないだろうな」
「私達ガヤレル事ハ、出来ルダケ早ク眠ル事ダケダト思イマス。本当ナラ直グニデモ行ッテアゲタイノデスケレド。舞サン、大丈夫カナ」
2人のやり取りを聞いていると、突然僕の口が動き出した。
「ああ、もう。考えたって仕方ないよ。あたしも那世ちゃんの中で色々考えてみたけどさ。結局解らない、あたしなんて舞の中に戻れるかも解らないんだもの。それに、考え過ぎるのなんてあたしらしくないよね。何とかなる! そして何とかする! それで良いじゃない。皆が思ってくれてる事はとっても嬉しい。頼りにしてるよ。半分は強がりだけど、皆があたしを押してくれるなら、きっと何とかなる筈だよ」
その声には苛立ちが含まれて震えていた。僕が発声しておいておかしな話だけれど、まるで別の人間が話しているみたいだ。
「悪かった、お前が一番辛いんだよな。確かにやれることなんてもう決まってる。なんとかお前を舞の体に戻して舞の異常を直してやらないと、大丈夫、陽が自分で戻れなくても俺達が何とかするさ」
そうなのだ、陽さんが体に戻れる保障は確かに無い。この中で一番不安なのは彼女なのだ。陽さんには無事に舞さんの体に戻って欲しい、そう思う気持ちも僕の中には確かにあるのだけれど、一方で少し寂しさの様な感覚が僕の中で沸いてきているのも感じていた。今、この状態で居られる間だけは僕はどこに居ても孤独ではないのだから。それでも、僕を助けた結果がこの状態なのだから、恩を返さなければならない。僕は言う。
「今日の朝、陽さんに助けていただいたのだから、今度は僕が自分の存在をかけて何とかします」
僕等は話を終えて寮へと帰る事にした。教室を出て病院のロビーを抜け、寮へと向かう。疲れからか、それとも夜の事を考えているのか、皆は無言で歩き続けている。帰り道、僕は陽さんに体の制御を譲った。僕の体を動かす事ができるのも今日、僕が寝付くまでの間だけなのだから。とはいえ、可能性としてはこれから先僕の中にずっと陽さんがいつ居てしまう事も無くはないのだけれど。そんな事を思っていると陽さんがそれを介した様で、
確かにさ、このまま那世ちゃんの中に残り続けるのも悪くないかもね。でも、あたしは舞の一部なんだよ。だから舞に戻らなきゃ、それが自然でしょ。舞もあたしも月も、三人一緒じゃないときっとおかしくなる。あたしはそう思うんだ。だから、ごめんね。
と僕の中で意思を伝えた。すると直ぐに僕の体が足を上げ、思い切り走り出す。振り返って後の4人を見上げ、僕が発声した。
「ごめんね。皆、こんなに悩ませてしまって。あたしは何が有ってもこれから先、必ず皆を裏切ったりしないよ」
そんな僕の姿を見て4人は頷き、かすかに笑った。
僕等が寮につくと既に食堂のテーブルには食事が用意されていた。既に紅葉さんが座って頬杖をついている。疲れが完全に抜け切っていないのか眠りかけの状態だった。それを見ると直ぐに名瀬さんの姿が頭に思い浮かぶ。こういった連想をする事も久しぶりだ。紅葉さんはすぐに音で僕たちに気がついて佇まいを直す。
「おっと、お帰り。遅いから紅葉さん眠りそうだったよ。で、舞の様子はどうだったかな? まあ、大体の話は梓から聞いてるから。私も聞かれたんだ、あの子に何か起きていなかったか、変わった人格を見なかったかってね。正直、保護者的な立場として言えば私は失格だね。そんな予兆も何も感じなかったのだから。薬が原因、今のところそれが一番有力だそうだよ。暫く舞は戻って来れないかもしれない。済まないな、私が至らないばかりに。それよりも折角作ったんだ。夕飯は皆食べてくれるね。紅葉さんに対しての好き嫌いは許すが、食べ物の好き嫌いは許すつもりは無い、解っているね」
居心地悪そうな顔をした紅葉さんが座れと皆を促しながらそう言う。僕等はそれぞれテーブルにつき、正面を向き合う。料理はカレーライスとサラダ、スープのようだ。野菜入りのコンソメスープの横に薬が用意されて置かれていた。
「あ、そうそう。薬を渡す機会がなかったからと預ってたんだ。皆、今は飲みにくいと思うけれど、我慢して欲しい」
紅葉さんが追加でそう言うとすぐに伊勢君が目を逸らしながら頭を下げた。
「あ、いや、紅葉さん。俺、今朝酷いこと言ったな。ごめん、謝る」
「いや、いいんだ。当然の事だよ、それに言いたい事は言える時に言ってしまった方が楽なんだ。隠し事されるよりよっぽど良いさ。紅葉さんとしてはできれば嫌いになって欲しくないけれど、仕方ない事だからね。皆も気にせずに言いたい事を紅葉さんに言ってくれ。でも、夕貴が謝ってくれた事、紅葉さんは忘れない、有難う」
紅葉さんにそう答えられて伊勢君は目を泳がせると一人でいただきますと言い、先に食事を始めてしまった。僕等は後を追って食事を始めた。念のために陽さんには奥に戻ってもらっていたので朝の様な違和感を紅葉さんに感じられる事は無かったようだ。
食事を終わらせると薬を水で飲み込んで皆で食器を片付ける。名瀬さんは限界が近いようで食事もあまり進んでいなかった。そんな名瀬さんをみて紅葉さんが溜息をついていた。
やがて皆が片付け終わると伊勢君がそろそろ部屋に戻るか、と切出したので僕も戻りますと続く。伊勢君はクラスメイトの皆と何気なく視線を合わせると、おやすみ。又明日な。と言い残し階段を登っていった。僕も少し間を置いて自分の部屋へと戻った。
シャワーを浴びて歯を磨き一連の作業を終わらせた後僕は陽さんに表に出てもらい、少し話すことにした。陽さん、今日は助けてもらった上に貴重な体験ができたと思っています。有難うございました。
いや、あたしも楽しかった。感じ方が随分と違うんだなって実感したよ。舞や自分の事ばかり気にしないで居られたのは那世ちゃんのお陰だと思う。実はあたしはさ、那世ちゃんに秘密にしてくれって病院の人達に言われてる事があるんだ。あたしだけじゃない、クラスメイトも皆なんだよ。そんなの有り得ないよって思っていたけど。今日それが事実だったんだって確認できた。
それは、一体何のことですか?
ごめん、言えない。ここまで言っておいて悪いと思うけど。でも今はまだ言えない。那世ちゃんが自分自身の事をもっと理解できる様になればきっと気がつくよ。あたしはさ、隠し事するのが苦手だから、隠している事があるって事を先に言っておこう。そう思ったの。でも余計混乱させるだけか、ごめん。さあ、そろそろ寝ようよ。奥に戻るね。那世ちゃん、今日一日有難う、戻れるかはまだ解らないけど、もし戻れたならこの記憶を舞達と共有できるようにしたいと思う。あたしが消える事になっても、今日の記憶だけは覚えておきたい。忘れたくない、忘れないから。
大丈夫ですよ、陽さんが消えることなんて無いはずです。僕がそう話しかけても、答えは戻ってこなかった。やがて僕は眠りへと落ちていった。
瞼を開ける、どうやら部屋に入れたようだ。僕は陽さんの姿を探す、すると部屋の中心で手足を曲げて丸くなって眠っている陽さんの姿が見えた。僕は彼女に近づくと、耳元に口を近づけて話しかける。
「陽さん、目を開けてください。舞さんが待っていますよ」
陽さんは目を開けるとおはよう、でいいのかな? と言い、僕の顔を見つめ、僕の頬を両手で押さえた。
「ありがとう、楽しかったよ。そろそろ戻らなきゃ、だね」
そう言って僕から手を離し、立ち上がると体を解し始める。
「さて、あたしの体も戻った事だし、一暴れしますかねっと。取り合えず那世ちゃんはあたしの後についていて。あたし達の部屋がどうなってるか、徹底的に調べなきゃ。今すぐにでも乗り込みたいところだけど、あたしは体が資本だから。ここで足を引っ張るわけに行かない。確実に舞を助けなきゃ」
一通りの動作を陽さんが終える。
「それじゃ、行こう! ついてきて」
陽さんが扉を開けて奥の部屋へと足を踏み入れた。僕はそれに続いてゆく。
部屋の中は数多くの影に満たされていた。2、3人の人の形を混ぜ合わせた様な手足が複数あり、頭も複数持っている影が100を超える数蠢いている。部屋の中は前の変事の時と変わらなかった。壁にひび割れが走り、天井が割れて裂け目から真紅の川の様なものが渦を巻いて部屋の周りを流れているのが見えた。僕等がそれを見上げて呆然としていると、影が数体僕達に近づいてきていた。と、影の中心から腕が突き出てくる、瞬時に影が振動して溶けて消えた。
「余所見してるなよ。遅いぜ那世。陽も一緒だな、今回は俺達が一番乗りみたいだ」
影消えた後に伊勢君が構えて立っていた。名瀬さんと阿須間君はまだ来ていないようだ。
「それよか夕貴、舞達みなかった? まずは舞を助けなきゃ」
「いや、みてない、多分あの影の中だろ。この様子だと月が結界張ってると思うが、この数のジャンクは始めてみるな」
伊勢君が影が密集している部屋の中心部を指差す。陽さんが拳を作ってそれを見つめた。
「あたし達だけじゃ対処しきれないかな。ジャンクに触れられると数を増やすだけだもんね。こっちから触れる分には大丈夫だけど、この数となると。そうだ、舞、来訪者もいるって言ってなかった?」
「ああ、そういえば、言ってたな。って事は」
伊勢君がそれを言い終える前に部屋の中心部、影の集合体の中から影の隙間を縫いながら何かが走って近づいてきた。
「いいか、那世。来訪者は俺達を見つけるとすぐに危害を加えてくる。ジャンクは近づかなければ基本的に何もしないが、来訪者は違う。気をつけろ」
僕らの前に姿を見せたその『来訪者』は完全な人型だった、筋肉質の整った体付き、高い身長を持っている。けれどその姿は黒く薄い霧のようなもので覆われていて顔を良く確認することは出来なかった。目の色だけがやけに白くて、そこだけが浮いているように見える。その目が僕等を捉えたようで直線的に僕等の方向へと向かってきた。
「おいおい、今回はやたらときつそうなのが来たな。あんな速く動けるやつ初めて見るぜ」
「夕貴、じっくり見てる暇無いよ。あたしが名瀬ちゃん連れて右に動くから、左お願い」
僕は又何も出来ないのか、そう思ったところで僕の左手が陽さんに引かれ、強制的に場所を移動させられる。来訪者は周りに居た影の内の一つを抱え上げ、僕らに向けて投げ飛ばしていた。
僕等がもと居た場所にその影が激突して消え去るのを確認すると、僕と陽さんの目の前に来訪者がいつの間にか移動してきていた。筋肉質な太い腕を陽さんに向けて振り下ろす、その動作がなされて腕が陽さんに到達する寸前、伊勢君が足を払い、来訪者の体勢がぐらついた。すかさず陽さんが回し蹴りで腹部を蹴り飛ばす。後に倒れこむ来訪者、伊勢君が倒れこんだ所に止めとばかりに中腰で拳を叩き込もうとする、そこを来訪者の腕に逆に掴まれてしまった。僕はただ、それを呆然と見つめるばかりだ。
「う、まずい、先にアレ使うべきだったか」
「まだ焦らなくても大丈夫だよ。あたしがいるから」
伊勢君を掴む腕の肘部分を陽さんがサッカーのシュートの動作で思い切り蹴った。微かな音がして来訪者の腕が正常とは逆のくの字に折れた。来訪者の口から大音量のノイズが発声される。
「夕貴、とどめ!」
「ああ」
伊勢君が先程と同じ動作で拳を叩き込もうとする、と、伊勢君の胴が巨大な黒い腕に掴まれた。これは一体なんだのだろう、と思って腕に沿って見上げると巨大な影が伊勢君を掴みあげている。それが言葉を発した。
「遅いよ。待ち疲れちゃったじゃん。そんなの相手にしてないでさ、私と遊ぼうよ」
巨大で頭が四つ、足が三本、腕が七本ついた歪な影のそれは来訪者を一本の腕で掴み上げる。その間も伊勢君は必死でもがいているけれど、腕から逃れる事は適わないようだ。同時に部屋の壁に扉が出来て、そこから更に沢山の歪な影が沸きだした。
「これはもうダメだね。壊れかけの玩具はいらない」
巨大な影は来訪者を掴み腕を振り上げて、部屋の中心に向けて思い切り投げ飛ばす。途中の影を巻き込んで来訪者は飛んでゆくと、放物線を遮る何かに当たったらしく、打撃音を上げてバウンドし、断末魔のような叫びを最後にあげ、溶けて消えた。直線状に影が消え去ったために中心に隠れていたものが姿を現す。そこに在ったのは白い半球体だった。
「こんな、無理だよ。どうしよう、どうしよう、夕貴が」
陽さんが未だその腕に掴まれたままの伊勢君を見上げて僕に問いかけた。伊勢君がそれを聞いて僕等に向かって言う。
「に、逃げろ、くそ。完全に俺のミスだ。だから、お前らだけでも」
「面白くなって来たね。お兄さん、空を飛んでみたいでしょ? 私も飛びたいって思ったこと有るよ。叶えてあげる」
まさか、そんな。伊勢君を投げる気なのだろうか。その先に在るのはどうしようもない絶望だ。そうだ、身代わりを名乗り出れば、せめて伊勢君は救われるかもしれない。
「僕を、僕を身代わりにしていただけませんか? 伊勢君は代わりに助けてあげて下さい。お願いします」
声を聞いて顔の無い黒いだけの頭がこちらを向く。すぐに陽さんも声を上げようとするけれど先に影の声が響いた。
「ダメ、ダメだよ。君とはまだ沢山遊びたいもん。大丈夫、飛べるんだよ、きっと楽しいよ。バイバイ、お兄さん」
伊勢君は顔を歪ませながらも強引に笑顔を作る。
「後は、よろしくな」
伊勢君がそう言い残すと、影は腕を振り上げて伊勢君を半球体に向けて思い切り投げ飛ばした。