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Room1 箱から箱へ、出会いと別れ

 抜けるような青を誇る夏の空、中心に浮んだ太陽が射る様に地面を照りつける暑さの最中に、僕の家族はバカンスに南国へ訪れていた。体調の悪い妹の遊世ゆせをホテルに置いて、僕は両親と車に乗り、目的地へと向かっている。


 外は考える事が面倒になるほどの暑さだったけれど、車の中は空調が効きすぎるくらいに利いていて快適だ。今日は僕が父さんと母さんを独り占めできる。そんな想いが先行して、はやる気持ちが抑えきれなかった。これからどんな楽しい思い出を作る事ができるのか、海で何をしようか。お昼は何をねだろうか?そんな考えで僕の頭の中は一杯だった。


「母さん、今日は遊世がいないから僕も沢山楽しめるよ。色んな所に連れて行ってね!」


 そう言って僕は助手席の母さんを覗き込む。


「そんな事言ったら遊世ちゃんが可哀想でしょ。あの子は風邪で寝てるのよ?」


 母さんが助手席側に体を乗り出した僕に怒る。けれど、その顔は笑いを含んでいて、怒りよりも優しさに溢れている。しょうがないのだから、と言った苦笑が少しばかり含まれたような優しい笑顔。僕は母さんのこの笑顔が好きだった。


 母さんの顔を覗き込んでいる僕を見て、運転中の父さんが言う。


「こら、那世。そんな格好だと危ないじゃないか。後で大人しく座っていなさい」


 父さんは僕を笑いながら叱る。僕の両親も少なからずこの先の展開に期待が有るのかもしれない。


 僕はその状況、その空間を本当に愛していた。父さんと母さんとの時間の共有、これ以上楽しい時は無かった。それにそれが延々と続いていくのだと思っていたんだ。


 けれど、その先に待っていたのは銃を構える男達だった。


 流れ行く景色の先に突然、交通整理のように道路を塞ぐ男達の姿が目に飛び込んだ。母さんがあら、なにかあったのかしらと言い、父さんがその事に気がついて車を止めようとすると両側から隠れていた別の男達が飛び出して、無条件で僕等の乗る車に銃を向けた。タタタ、と言う断続的な音に続き、鼓膜を打つ爆発音、雷のような音と共に体を物凄い衝撃が貫いた。横転する車、跳ね上がる体、視界は回転して目まぐるしく変り、目の前は暗いとばりが落ちてゆく。


 はっとして起き上がると、そこはベットの上だった。今までに何度も繰り返し見た夢、覚めた後に本当の夢であったなら良かったのにと、いつも思う。けれど全ては現実に起きた事なんだ。僕が8年前に実際に体験した事実。僕の体はその当時のまま、止まってしまっている。実際に止まっているわけではないけれど、医療調査によると心因性成長障害という病気らしい。成長ホルモンが肉体に一切作用しなくなっているらしいのだとか。お陰で僕は実年齢17歳でありながら体は9歳児のままだ。もちろん、細胞自体が止まってしまっているわけではないから心臓も動いているし、内臓などの機能もしっかり働いている。それに、精神的な成長はしっかり進んでいると思う。


 ただ、外見は当時と変わらない。それだけなのだけれど。周りはそれを知らない。だから僕を見るとすぐに小学生扱いするのだ。仕方の無い事なのだけれど、僕は少し苛立ちを感じる。精神と肉体の不一致、その認識を初見の人に求める事、それ事態間違いなのだけれど。


 それに僕は原因が解らないのだけれど人の視線が怖いのだ。見詰められる行為、それを大人数から寄せられると僕は壊れそうになる。僕の内側から何かが競り上がる様に噴出してきて僕を破裂させてしまおうとするんだ。治す事が出来ない以上、僕はそれこそが僕自身の在り方なんだと諦めている。


那世なせくん!おきてるかな!」


 突然部屋の扉が開いて女の子が現れる、彼女は妹の遊世ゆうせだ。そんな事では驚かない僕だけれど、僕の驚いた顔が見てみたいと言い、いつもノック無しで乗り込んでくる。妹が僕の事を那世くんと呼ぶようになったのは僕の身長を妹が追い抜いてからだった。初めは気になったけれど今はすっかり馴れてしまっていた。その方が外で呼ばれた時にも違和感が無いだろう。


「うん、今起きたところだよ」


「那世くん。今日から暫く会えなくなっちゃうんだね。唯一残った家族なのに、妹の私としては寂しいよ」


 遊世は僕を抱き上げようと近づいてくる。


「ストップ、それ以上よらないで。僕は今、汗でべっとりだからね」


「またあの時の夢見たの?那世君には悪い事したね。あの時私も一緒だったら一人でそんな辛い思いはさせなかったのに」


「仕方ないよ。元々僕の責任だ。それに、僕としては遊世があの時一緒にいなくて本当に良かったと思ってる。あんな経験してしまったら真っまっとうな人間にはなれないから」


 僕がそう言うと遊世は悲しげに目を逸らし、タオル取ってくる、とだけ言い部屋から出て行ってしまった。僕の事を気遣ってくれる妹はとても有難い事だけれど、今の僕には少し辛かった。僕は今日で、遊世と別れなければならないからだ。


 遊世はあの日、結局ずっとホテルで寝ていたそうだ。本当は皆、部屋で過ごすはずだったのだけれど、あの日は僕が我侭で親を連れ出したんだ。結果的に父さん、母さんは帰らぬ人になってしまった。だから、僕は妹の遊世に立つ瀬が無い。彼等を僕が殺したようなものだから。けれど遊世はそんな僕に優しくしてくれている。遊世には感謝しきれない。


 両親が亡くなったことを知ったとき、遊世はどんな顔をしたのだろう?僕にどんな言葉をなげかけただろう?残念ながら、僕にはそれを思い出すことが出来ない。なぜなら僕はその時、病院のベッドの上だったはずなのだから。それにその間の記憶がぽっかり抜け落ちてしまっていた。僕の記憶はあの帳が下りたその瞬間から途切れてしまって、事件から一年後、病院のベッドの上で起き上がった所まで空白なのだ。


 近くから階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。遊世が戻ってきたみたいだ。


「はい!おまたせー、さあ、ふきふきしてあげよっか?」


 部屋に物凄い勢いで侵入してきた妹は犬でも扱うような口ぶりでそんな事を言う。


「いいよいいよ。いずれにしろ、これからは僕が一人で何もかもしなければならないからね。それに遊世だって僕の裸なんて見ても何も面白くないだろ」


 と、僕は面倒そうに言う。


「そんな事ないよ。那世君が体を見せてくれるのは遊にだけじゃない。遊はその事がとても嬉しいんだよ。私の記憶に今のうちに那世くんの身体をこの眼に焼き付けておかないとね」


 笑顔でそんな事を口にする。でも実際、遊世が明るくなってくれてよかったと思う。負の感情や暗い過去は全て僕が背負えばいい、顔に傷は無いけれど継ぎ接ぎみたいな手術痕が残る身体と真っ白な髪、成長しない化け物じみた身体。そんなの僕だけで十分だ。社会から外れるのは僕だけでいい、不幸なんて遊世には背負って欲しくはない。世界は優しくないけれど遊世だけには世界から優しさを受けて欲しい、そう思った。


 食卓にのぼった朝食のトーストと目玉焼きを黙々と食べて、食後に精神安定剤を水で飲み下す。そうして僕のこの家での最後の食事を楽しんだ。今住んでいる家は子供が居ない叔父さん夫婦の家なのだけれど、正直な話余り経済的な余裕は無いらしい。父さんや母さんの多額の保険金が叔父さん達の手に入ったはずなのだけれど、それを元手に発起した会社が不況にあおられて、あまり経営状況が良くないらしいのだ。妹一人くらいなら食べさせていくのは困らないけれど、僕のような金食い虫が居る事でかなりの負担がかかっているのだろうと言う事は、言われなくても推測できた。だから僕に試験体としての話が来たときには是非もなく受けたのだろう。


 それに僕はこの叔父と叔母が、結局今日に至るまで好きになる事が出来なかった。悪い人ではないのだけれど、いつも僕に対して距離を開けて、まるで他人のように接していた。実際の話、僕等は血が繋がらない他人なのだけれど。しかし、悪い事ばかりではない。遊世はうまくやっていた。叔父の事をお父さんとよび叔母の事をお母さんと呼ぶ、遊世は彼等と本当の家族なのだ。


「お父さんそれとって!」


 と、遊世が言い、


「ああ、解った。朝から忙しいやつだな。遊世は」


「本当ね。でも、毎日その声を聴けるから私も安心できているのよ」


 そう言って三人は笑いあう。


 そこに僕が入り込む余地は無い。けれど、遊世が楽しいならばそれでよいと思う。思えばこの食卓では明るい記憶が少なかったように思える、だが、座って四人で食事する事も今日で最後なのかと思うと少し寂しくもあり、反面ほっとする気持ちも無くはなかった。叔父、叔母の眼から開放される。人でないものを見るような眼。話さない僕を疑問で突き詰める目線。僕には毎回それが耐え難い苦痛だった。


「なぁ、那世。俺はすまないと思っている。」


 突然僕に話しかけてきた叔父に、僕はついびくついてしまった。叔父は目を細め哀れむように僕を見た。


「本当は家族全員、こうしてこの家で過ごしていくのが良いんだが、俺も母さんも限界なんだ。だから、お前が直る見込みの高い治療にかけてみたい。別々に暮らす事になるだろうが、お前の病気を治すことには必要な事だ」


 そう言って眼を閉じた。


「うん、解ってる。僕もこれ以上叔父さんや叔母さんに迷惑かけられないから。これからは一人で頑張るよ」


 僕がそう言うと叔父は、そうか、ありがとう、とだけ言って頭を下げた。


「那世ちゃん、帰りたくなったらいつでも帰っていらっしゃい。」


 そう言った叔母には作り物めいた笑顔が張り付いていたように僕には思えた。


「そろそろ時間だな、病院から迎えが来る頃だ。那世、お前の荷物はもう向うに送ってあるからな、頑張って病気を治して来い」


 叔父がそう言って立ち上がる。するとすぐに家のチャイムがなり、病院からの迎えが来たことが知らされる。遊世は僕に近づいてきてそっと耳打ちする。


「ごめんね那世くん。お父さんもお母さんも悪気があるわけじゃないの。二人とも色々な事が重なって、苦しかったり辛かったりで、疲れているんだよ。だから嫌いにならないであげて」


 それを聞いた僕は頷いて、立ち上がり玄関へ向かって歩く。もう戻ってくる事もないだろうと思い、最後に叔父さんと叔母さんに一言。


「いままでありがとうございました」


 そう言うと三人とも僕を見下ろすように上から見つめ、頑張ってこいよと叔父さんが言った。


 玄関へ辿り着くとそこにはスーツを着込んで眼鏡をかけたオールバックの男が、では、行きましょうと、僕の手をとって車へと向かった。


 後から走ってくる足音が聞こえて直ぐに声が追いつく。


「那世くん。またすぐに会いに行くよ。がんばって」


「僕は大丈夫。遊世は幸せになれるよ。僕の様には成らないで、遊世の事だけ考えて生きるんだ。僕の事は忘れていい」


 僕は後を向かず、妹にそれだけを伝えた。僕が妹に言えることはそんな事くらいだ。


「遊が那世君の事忘れられるわけないよ。遊の事忘れないで、絶対会いに行くから!」


 遊世の声が僕の足を鈍らせる事は無かった、これでいいんだ。僕はこの家に居るべきじゃなかった。僕は引き取られるべきじゃなかったんだ。あの時に死んでしまっていれば。こうして、僕のこの家での8年は幕を閉じた。


 悲しくなかったわけじゃない。だけど、僕の感情はどうやら普通の人達より薄いみたいだ。これも精神病が影響しているのだろうと思う。でも、実際のところ、僕の事など忘れてしまったほうが。遊世は幸せなんだ。そう割り切る事しか僕にはできない。僕には家族は遊世しかいない、だけど遊世は叔父や叔母が居る。本当の娘として見てくれる親が居るから。


 僕がこれから向かう先は蘇波グループという組織が経営する蘇波大学附属病院と言う施設だ、そこには病院棟、大学棟、附属高等学校棟が存在して、三つの区画に分かれている。僕がこれから生活するのはその附属学校棟と病院棟の間にある特別学科の施設なのだという話を聞いていた。僕はこれまで何度もこの病院棟への出入りはしているので大体の建物の位置を把握しているつもりで居るけれど、特別学科という建物が何処にあるのかというのは良く解らなかった。僕がこれから受けるのは高校で教わる事のできる授業と、試験体として病院の色々な調査を受ける事、特別学科の生徒と共に精神安定剤の試薬の投薬を受ける事らしい。


 もちろん認可の下りていない試験薬を投薬されることについては非合法なのだけれど、その実験や検査を受ける事で学費をただにしてもらえる上に、月々一定の額を貰えるという契約なのだ。僕は少しの額だけを専用に用意してもらった僕の口座に入れてもらい、他は残らず叔父の口座に払ってもらえるように話を申し込んだ。どの道、僕の体がこのまま成長が止まった状態が続くと長くは生きる事が出来ないのだから。この契約は本人と保護者、両者の了解を受けて初めて成立するのだと病院の係員の人が言っていた事を印象深く、僕は覚えている。


 という事は、特別学科に編入している生徒は皆、僕のように保護者に余り良い思いをされていない者ばかりなのかもしれない。ちなみにその生徒達は僕のような変わった人間ばかりなのだそうだ。初めて僕の仲間が出来るかもしれない、そんな事を思いながら僕は少し期待していた。


「私の名前は三森智久みもりともひさと言います。以降、覚えておいて下さい。あなたがこれから勉学に勤しむ特殊学科の一応の教諭と言う事になっています。私の事は三森先生、とでも呼んでいただければ結構です」


 運転席に乗る前にオールバックの男が僕にそう、挨拶する。なんだか冷たいイメージの人だな、とぼんやり感じた。


「僕は入間那世いるまなせです。よろしくお願いします。三森先生」


 そう言って車に乗り込み、車体が動き始めて少しすると。三森先生の表情が急に和らいでこんな事を言った。


「ふふ、すまないですね。君の保護者の前では私はああいった形でしか挨拶できないんです。ここで契約を反故ほごにされてしまう訳にもいかないのでね。大体普段僕はオールバックになんてしないんですが。まぁ、ここぞと言うときの正装だと思ってもらえればよいでしょう。演技を続けるのも楽じゃない」


 そう言ってにやりと笑う。大人の事情とは僕にはよく解らないな、そんな事を僕は思ってしまった。そうして車は僕の新しい住処へと向かい始める。


「先生、特殊学科なんですけれど、そこの生徒は僕のような人達が沢山居るのですか?」


 僕は思い切って一番尋ねてみたかった事を聞いてみる。


「いや、君と同じ症例の子は居ないですね。君は特別珍しい症例だから。でも、変わっていると言う意味では君と同じですね。今のところ5人だけなんです、特別学科の生徒は。彼等は皆、とても珍しい症例を抱えている、お互いそれぞれの環境の中、長い間孤独を感じてきた子達だからクラスの中では結束を感じているようですよ。君もすぐ慣れるでしょう」


「僕も以前そのように聞きました、けれど、僕のような化け物でも仲良くなれるでしょうか?」


 僕がそう言うと先生は怒った口調で言う。


「君はけして化け物なんかじゃないですよ。人は他人が自分と少し変わっていると言うだけでその人を排除したがる。君達のような多感な世代であればそれがより顕著けんちょに現れるでしょうね。人は強くない、成熟していない人間はそういった行いでしか自分を守れないんです。君はこれまで長い時間苦しんできたでしょう。精神的な病は治すことがとても難しい。特に君はそれに加え病理に外見まで影響を及ぼされてしまっていますから。けれどこれから行く特別学科の子達はそんな事を気にする事は無いと思いますよ。何故なら彼等はこれまで君と同じ辛さを味わってきているからです。だから間違っても自分の事を化け物なんていっちゃ駄目ですよ。少なくとも、私はそうは思っていません」


 先生が僕に視線を合わせる。見えたのは和らいだ眼差しだった。


「彼等の症例については私が答えるべきでは無いと思います。恐らく彼等もそれを望まないでしょうからね。だから君は自分であの子達から聞くべきだと思う。大丈夫、心配しなくても彼等はすぐに君を受け入れてくれるでしょうから」


 そう言って先生は僅かに口元を上げて僕の頭をなでた。


 こうして僕は車の中で三森先生から今日の予定の説明を受けながら病院へと向かった。気がつくと視界の先に巨大な建物が見えた。四角い三つの棟が威圧感を放って街の中心に鎮座している。先生が、こうやって見ると私の職場って奴は解り易いね。道に迷っても辿り着く事は簡単だ。有難い事だと思わないかい?と冗談を言っていた。


 すぐに病院棟につき、日中は身体検査をされることになった。特別学科が開く時間は夕方からなのだそうだ。昼間は普通学科の生徒達が大勢施設内に存在している。だからそんな時間帯に僕等が居合わせたらろくな事にならないのだろう。彼等に僕が彼等と同年齢なのだと知られたら僕は大勢の視線に晒されて自分の精神を保つ自身が無いから。今の僕にはこのシステムが有難かった。


 看護師さんに連れられて、身体検査や血液検査、CTスキャンやレントゲン、へんてこな絵をみて何に見えるかを答えるロールシャッハテストや、色々な色のチップを好きに選んでピラミッドを作るカラーピラミッドテストなど面倒な対応を一通り受けさせられ、教室が開く前に初日から僕は疲れ果ててしまった。


 広い病院棟をあちこち歩きまわらされて、色々な検査をされるのも楽じゃない。けれど普段から余り外の世界に出る事がない僕としては、中々楽しかったとも言えなくも無い。なれない作業をする事は、それはそれで楽しいのだ。かつては普通の中学や高校にも僕は通っていた事があった。中学校まではまだこの体でついていけた。けれど、高校となれば僕の体では無理だった。運動は元々出来ない体で、違いもはっきりっしすぎてしまうからだ。毎日色々な視線に晒された、視線はいつも僕に集中していた。精神安定剤で心の反発を抑えても僕は結局、発作を抑える事ができなかった。胃がひっくり返る程の吐き気に毎日襲われて、遂に僕は登校を諦めた。


 イジメにはあわなかったけれど皆僕を腫れ物のように扱い、距離を置いて接していた。唯一偽られなかったのは視線だけだったと思える。結局友達という存在にはめぐり合う事もできなかったけれど、僕はそれでも学校が楽しかったのかもしれないと、今では少し思うんだ。


 検査が一通り全て終わり、待合室で椅子に座っていると三森先生が僕を迎えにきた。先生はオールバックからソフトウェーブの髪型に変わっていた。僕の視線にきがつくと、あはは、やっぱり髪も体も自然が一番だよねなんて笑っている。


「そう言えば那世君、まだここへ来て何も口にしてないんじゃないですか?」


 そう言われて気がついた。僕は朝食から今まで何も食べていなかったんだ。特別おなかは減っていなかったので気にはならなかったのだけれど。


「君にここのパスカードを渡しておきますよ。これでここの食堂は使い放題と言うわけだ。育ち盛りなんだから沢山食べなきゃあね」


 先生は食堂へ行こうかと言い、歩いていってしまう。仕方ないので僕もついていくことにした。



 食堂は病院棟と大学棟との間をつなぐ、渡り廊下のような場所にあった。太陽が傾いで、食堂の中を照らしていた。窓の外はこの施設の真ん中に存在している公園の敷地に面していた。淡い日の光が木々を照らし出し、独特の陰影を部屋の中に浮かび上がらせていた。


 僕はこの食堂に入った事が初めてだったので意外な大きさに驚いていた。入って右側には長いカウンターが設置されていて、奥でおばさん達が忙しそうに動いている。カウンターの上には自販機が置かれ、セルフサービスの給湯器とコップが置かれていた。部屋には200脚程の椅子と長テーブルが整列して置かれていて、時間の関係か、人はまばらで僅かに大学関係者のような装いの20歳前後の人達が座っている。彼等は何か話しながらお菓子のようなものを口にしていた。僕等は適当なテーブルに腰掛ける。ここの食堂は食券式で自販機には硬貨、紙幣、カードの投入口がついていた。どうやらカードの投入口にカードを差し込んで好きなボタンを押すと食券が出る仕組みのようだ。


「あの自販機にそのパスカードを入れることで何でも好きな食べ物の食券が買えますよ。この食堂は一般のお客さんも使いますからね。硬貨や紙幣も使えるように作られているんです。そうそう、この施設内には附属高等部用の食堂もありますよ。だが、あっちは君には少し行きずらいでしょう。それに今の時間は開いていないでしょうしね」


 三森先生がそう言って周りを見渡し、ある方向で目線を止めた。


「おや、ここで彼女をみるなんて珍しいですね。今日はどうやら舞ちゃんでは無いのかな?」


 そんな事を呟くように言った。


 僕がそちらに目線を向けると、広い部屋の隅、窓側付近のテーブルに頬杖をかいて外を見つめている学生服を着た女性が見えた。


「折角ここで会えたんだ、彼女に挨拶していきますか?」


 立ち上がり、僕の了解も得ずに、僕の手を引いて彼女のほうへ向かう先生。


 こうして僕は初めて、苦しみを共有する仲間の彼女に出会った。


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