第七話 地元にて
「相変わらず、ボーナスも安いな」
一応ボーナスが支給されたが、その額は人様に語るのも悲しくなる額だ。
よくニュースでやっているボーナスの平均支給額だが、あれはきっと異世界の日本のお話なのであろう。
とは思わないが、大企業の平均なので私には実感が沸かなかった。
「出るだけマシじゃないか」
今日はお休みで、久し振りに友人と会っていた。
彼も決していい労働条件の会社に勤めているわけでもないし、彼の業界ではボーナスなんて出ないそうだ。
その変わりに、月給は大分いいようだが。
年収に換算すると、私の大敗だな。
「給料はいいんだろう?」
「とはいえ、とにかく仕事がキツイのも事実だ。今日なんて、二週間ぶりの休みだぞ」
私でも、あの夜勤地獄を除けば、最低でも週に一回は休める。
こいつに比べればマシなのか?
時給計算は、する気にもならないけど。
「そういえば、中村の奴から連絡ないか?」
「何度かあったけど、休みがなかなか取れなくてな。会う約束はしていない」
ちょうど、連続二十二時間とか、二十六時間勤務の時である。
やたらと誘ってきたが、その時は寝るのが最優先で断っていたのだ。
それに、言うほど友達かと言われると、判断に困る奴なんだよな。
知人以上、友人以下みたいな?
「あいつに関わるのはやめた方がいいぞ。あいつ、変なマルチ商法に嵌ってな。フリーターで金ないからって変な連中に騙されて、知人・友人に片っ端から変な健康食品を売りつけようとしてさ」
購入した健康食品を他の人に卸すと、自分にもロイヤリティーが入る。
年収一千万円も夢ではないという宣伝文句に釣られ、いわゆる『子』を探している最中なのだそうだ。
要はネズミ講なのであろう。
「石橋なんて、ちょうど時間が空いてるからってあいつと会ったら、そのあきらかに詐欺師にしか見えない連中の事務所に軟禁されたんだと。意地でも買わないと言って逃げ出したけど、激怒して中村の携帯番号消したって」
フリーターである中村からすれば、その健康商品の卸しで成功すれば人生逆転という考えだったのだと思う。
ただ、人生はそう思惑通りにいかず、詐欺に引っかかり、自分のみならず知人・友人も巻き込んで多くの人に縁を切られたというわけだ。
可愛そうな気もするが、だからといって健康食品はいらないな。
そんなものよりも、今の私に必要なのは休暇だろうから。
「皮肉にも、クソみたいなブラック企業勤めのおかげで、中村の魔手から逃れたというわけだ」
「魔手ねぇ……あいつ、全然儲かっていないみたいだぞ。それどころか、借金まみれなんだと。最初に入会金だの、講習費用だの、決められた商品の購入代金だので借金してるって話だ。変なところから金を借りて、というか金貸しもグルらしいけど」
なるほど。
中村からなけなしの金をすべて奪い、足りない分は自分たちの仲間に借金させる。
そのボッタクリ健康食品が売れたら借金を返済させるが、当然借りた金には利息がつく。
借金を返すため、また借金して健康商品を仕入れて売らなければいけない。
無間地獄だな。
本当、今の日本ってどうなっているんだろう?
せっかくの休みに、大して仲もよくなかった元知人の話をしても勿体ないので、私たちは話題を切り替えた。
「ボーナスって、何か月分出るんだ?」
「俺は一月分」
「意外と出てるじゃないか」
「色々引かれて手取りは十万切ってるけどなにか?」
「えっ? どういうことだ? それ」
ブラック企業にはよくある話だ。
要は、私の毎月の給料の基本給が十二万円しかないのだ。
「基本給の他に、技能給とか、職能給とか、三十時間分のみなし残業代がついて、手取りが二十四万円くらいになる仕組みなのさ」
一見それなりの給料に見えるが、残業代はどれだけ残業しても三十時間分しかつかない。
ボーナスの計算基準は基本給なので、一か月分だと十二万円だが、ボーナスからも色々と引かれるので手取りは十万円を切るというわけだ。
こういう数字のマジックに騙される人は多いんだろうなと思う。
ブラック企業あるある。
基本給が低く、他の変な手当てで水増しされている。
一見、他の会社の給料と差がないように見えるが、ボーナスの時期に悲哀を感じるというわけだ。
「お前も、転職時には気をつけるんだな。そんな心配はないか……」
「いや、そうでもない。うちもキツイからな。体を壊して辞める奴が多いんだ」
その補充がなかなかないので、残っている人がますます忙しくなる。
その分残業代は出るそうだが、勤務時間の増加でまた体や心を壊して辞めていくと。
まさしく負のスパイラルである。
「スーパーは、あまり考え事をしない奴は続くさ」
確かに忙しい時間もあるんだが、長い拘束時間のかなりの部分が『店に居続ける』であったからだ。
アルバイトやパートを増やせば人件費が上がって利益を圧迫するので、そのならみなし残業代のみで社員を置いておいた方がいいという考えであった。
そこに、労働基準法を守ろうとする気持ちは一ミリも存在しないわけだが。
ただ、待機中はそこまで忙しくないのも事実だ。
勿論トラブル等があれば大忙しだし、妙なクレームをつける客の相手をすると精神が摩耗していくが、なにもなければ待機だけしていればいい。
そういう風に考えられる人は続くと思う。
「とはいえ、それでも辞めていく奴は多いけど」
ただこの場合、小売り業という職種自体に問題があるというよりも、うちの会社に問題があるといった方が正しい。
そうでなければ、木崎君などは辞めなかったはずなのだから。
「うちは、労働時間も長くて激務だがな。給料は高いが、壊れて続かない奴が多い。実際、今の俺が果たして壊れていないのかどうか、自分でも判断つかないよ」
二人とも、このまま今の会社で働き続けるかどうか知らないが、こんな生活を年金が支給されるまで続けるのかと思うと、鬱になる人の気持ちがわかるというか。
さらに言えば、私も友人もいまは独身だからまだマシと言った感じだ。
うちの会社にも妻子持ちの人がいるが、辞めたいけど辞められないとその苦悩を漏らしていた。
自分一人なら、次の仕事を探すまで多少無職期間があっても凌げはする。
自己都合退職でも、九十日経てば失業者手当ても出るからだ。
ところが、家族がいる人はそうはいかないだろう。
「このまま三十を過ぎ、四十を過ぎて独身だと、世間からは駄目人間扱いされるだろうが、もうそれでいいような気がしてきた」
普通に結婚し、子供が生まれ、家族を養っていく。
その普通へのハードルの高さが、私も友人も怖かったのだ。
もしそれが叶ったとしても、それを維持していく労力を考えると本当に言いようのない将来への不安と恐怖心しか感じない。
さらに、それができない人を半ば犯罪者扱いする日本という村社会。
バブル崩壊、リーマンショックで、世の中が大きく変わった。
ひと昔前に比べると、その普通の大人のハードルが、実は高さが何メートルもあるのでないかと錯覚してしまうのだ。
「そういう風に思ってしまう俺たちが駄目なんだろうけどな。軽部なんてなんも考えてないけど」
「あそこはなぁ……」
軽部も、私からすれば中村レベルの知人以上友人以下みたいな扱いの人物であった。
入った高校をすぐに中退してしまい、その後はフリーターをやっていたんだが、そこで知り合った同じアルバイトの女子高生と出来婚してしまった。
以後も隔年で子供が生まれ続け、今では五人の子持ちであった。
今のこの世の中に子供が五人というのも凄いが、もっと凄いのは軽部がいまだにフリーターという部分であった。
さすがにもっと時給が高いアルバイト先に変更したが、彼の給料は当然私よりも少ない。
奥さんは度々妊娠しているので働けず、結婚後はずっと専業主婦と聞いた。
乳飲み子や幼い子供ばかり五人なので、奥さんに働く余裕などないのであろう。
「どうやって生活しているんだ?」
「どうもこうも。酷い有様だという噂は聞いている」
「実家の援助とかはあるのか?」
「いや、ないって」
そういえば、軽部の家も四人兄弟なんだよな。
ただ、軽部の父親はもう定年退職しているから年金しか収入がなく、兄二人はもう独立していたが、一番下の弟がまだ大学生だそうで、軽部に援助なんてできないというわけだ。
「奥さんの方も、実家の反対を押し切って結婚したから、縁を切られて援助なんてないさ」
奥さんの実家は、今の状況で結婚して子供を産むなんて無理。
可哀想だが今回は子供を降ろして、せめて高校を卒業して就職してから結婚してほしいと言ったそうだ。
せっかくできた赤ん坊を降ろす……殺してしまうのはよくないかもしれないが、将来のことをもっとよく考えて判断してくれ。
そう願う両親の親心を娘の方は拒絶してしまった。
自分のお腹に宿った赤ん坊を殺したくないという母性本能と、まだ高校生で人生社会がなく、子供を育てる大変さを甘く見たのだと思う。
この母性本能というものは実に厄介だなと思う。
本能に従った結果、自分が詰んでしまうなんて。
いや、これが他の動物なら間違ってはいないのか。
人間が動物とは違うからこその悲劇なのかもしれない。
と、結婚もできなさそうな私が言っても、モテない男の僻みだと思われて終わりか。
「軽部は、ちゃんと就職しないのか? 正社員になれば少しは違うだろうに」
「そんな気はないみたいだな」
今の経済状況で、夫である軽部に経済力があればよかったんだが、結婚後もフリーターを続けるような奴だからな。
なにも考えていないのであろう。
「最近、本当に困っているみたいだぞ。中村と別の意味で関わるなよ」
「積極的に関わろうとは思わないけどね」
少し可哀想だとは思うが、私は軽部ともそこまで親しくないからな。
助けてあげようなどという気持ちが湧いてこないのだ。
私も、ギリギリのところで生きているという自覚があるからかもしれない。
経済的に困っているということはないが、精神的な余裕は会社のせいでなかった。
「なんか、六人目ができたらしいって」
「お前、妙に詳しいな」
「軽部の奴、俺の実家の近くにある公営団地に住んでいるんだよ。同じ団地にスピーカーオバさんがいて、そこから何人か経由して俺のお袋にって寸法」
それにしても、おばさんという生き物は本当に噂話が好きだよな。
それを肴に酒を飲んでいる俺たちも、きっと同類なのであろうけど。
「公営の団地って、収入が低い人たちには安く貸すんだろう?」
「無料に近いような家賃らしいが、光熱費とかは普通にかかるし、なんせ七人家族だからな」
「もうすぐ八人になるけどな」
一体どうやって暮らしているんだという疑問と、よく破綻しないなという疑問が湧いてくるが、実質軽部の家庭はもう破綻しているのであろう。
破綻していても、それで軽部の一家はゲームオーバーで全員人生終了というわけではない。
破綻した貧乏子沢山の家庭が続いていくだけなのだ。
終わらない、破綻した家庭。
私には、悪夢としか思えなかった。
「あいつ、そんな状況なのに車と大型バイクを維持しているし」
「またそれは無茶な……」
「軽部が最初にバイトしたところはバイクショップだったから。趣味なんだろうな」
なんとなく嫌だからという漠然とした理由で高校を中退し、バイクに乗りたいから教習所代と大型バイクの費用を稼ぐためにバイクショップでアルバイトを始めた。
私はここまでは聞いていたのだが、そこにアルバイトに来ていたのが奥さんだったらしい。
軽部は懸命にアルバイトをして、大型バイクの免許を取得し、大型バイクの頭金を得ることに成功した。
そうしたら奥さんから新車に乗せてくれと頼まれ、そこからつき合いが始まったのだと、友人は教えてくれた。
「バイクか。これで女の子にアピールすれば彼女ができるかな?」
「年齢によるだろう。田舎はヤンキーがモテるそうだが、十代半ばから後半にバイクを入手すればイケたんじゃないか? 四捨五入して三十の俺たちが新車のバイクアピールしてもイタイだけ」
それもそうかと、私は思った。
結局、高校生がバイクに乗ったり、髪を染めたり、改造制服を着たりするのは、異性の関心を掴むためなんだと思う。
私たちのように、学生時代なにもトラブルを起こさない普通の学生たちはモテなかったりするのだ。
「こう言うとモテない男のやっかみに聞こえるが、軽部はイケメンのイの字も当てはまらない奴じゃないか」
そう言われると確かに、軽部はどちらかというとブサメンの方だった。
しかもかなり太っており、小・中学校と同じだったが、彼が女子にモテたなんて話は聞いたことがない。
それでも現役の女子高生とつき合えて結婚までしたのだから、軽部はある意味人生の勝ち組かもな。
「妊娠させていなければな。バイト先の現役の女子高生とつき合って、下品な話で申し訳ないが、定期的にヤレるんだから」
建前としては、友人の発言は下品である。
本音としては、羨ましいと思えてしまう男性は私も含めて多そうだ。
「それにしても、どうして軽部は最初に奥さんが妊娠した時に降ろさせなかったんだ?」
お互い、独自に生活の糧を得るまでつき合うだけにしておけばよかったのに。
と思うのは、後知恵の類なのであろうか?
「俺が思うに、わざとだろうな」
「わざと?」
「ああ、冷静になって考えてみろ。軽部のどこに、将来女性にモテる要素があるよ?」
「ええと、悪いけどないかな」
軽部は顔もよくないし、頭だって地元市では底辺に近い公立高校を『つまらない』と言って中退してしまうレベルでしかない。
元々太り気味で、今はもっと太ったそうだ。
実家が特別裕福というわけでもないし、彼の両親はバカな三男の所業に飽きれ、絶縁はないが交流や支援はないに等しい。
つまり、軽部にはなにもないというわけだ。
「たまたま購入した新しいバイクで新しい女子高生が釣れた。言い方が悪くて申し訳ないけどな。このままつき合ったとして、もし奥さんが高校を卒業して進学なり就職したとして、軽部を見てどう思うかな?」
結婚しても、フリーターを辞めないくらいいい加減な男なのだ。
愛想を尽かされる可能性が高いか。
「だからさ。俺は軽部がわざと奥さんを妊娠させたのだと思う。もしかしたら、奥さんも最初は子供を降ろそうと考えたかもしれない」
そこに、軽部がせっかくできた子供を降ろすのは人殺し。
それでも母親か!
などと強く言ったのかもしれない。
「きっと奥さんは、望まない妊娠で精神的にも不安定だったはずだ。最初に脅してさらに心を不安定にしておき、あとで優しく子供がいる家庭のよさ、みたいなことを囁いた」
その結果、奥さんは高校を中退して結婚・出産してしまったわけだ。
「そのあとに次々と四人産ませて、今も妊娠中だ。奥さんは逃げ道ないな」
友人の指摘に、私は背筋が寒くなるような気がした。
もし子供が一人だけなら、まだ奥さんも離婚して逃げるという選択肢が取れたかもしれない。
だが、子供が五人まで増えてしまえば、子供を捨てる覚悟でもしなければ軽部と離婚なんてできないであろう。
『子はカスガイ』と言うが、随分と怖い、軽部の執念の籠ったカスガイだな。
「軽部は、あんなに沢山子供がいても楽なフリーターを辞めない。好きな車に乗り、大型バイクを所持している。児童手当がかなりあるそうで、それを好きに使っているらしい」
乳飲み子や小学校修了前の子供が五人いるから、児童手当もバカにできない金額になるか。
本当は子供のために使う金だし、お上もそういう意図で支給しているはずなのだが、軽部の我儘の前には無力なようだ。
「まあ、彼女もいない俺たちが軽部のことをあれこれ言ってもな」
「まあね」
それでも内情をよく知らない人たちは、この少子高齢化の日本で、貧しいながらも沢山の子供を育てる偉い夫婦だと思うかもしれない。
特に年寄りなどは。
本当の事情を知らない他人なんて、いくらでも無責任な賞賛や綺麗事が言えるのだから。
子供からすれば生まれた家は選べないし、今は小さいからまだいいが、将来進学などで不利益を被るのだろうなと思う。
こうして貧困のスイラルは続いていくわけだ。
私も自分がワープアだという自覚があるが、そこまで深刻というわけではない。
とはいえ、今の仕事と収入で結婚しようとは思わないけど。
「俺たちって、結婚できるのかね?」
「さあ?」
残念ながら私は、友人の問いに答えることができなかった。