第六話 鉢植えの松は、面倒見てもらえるだけマシ
「眠い……春日のジジイめ……」
また、いきなり他の店に転勤になった。
その理由は、この状況で社長がいきなり人件費の見直しをしたからである。
要するに、社長基準で人件費が高いと思う店長のクビを何名か切ったわけだ。
なんでも、新店オープン時に採用したアルバイトとパートの他に契約社員の募集も行って、そこから予想以上に若い人たちを正社員化できたかららしい。
新店のオープン準備や、オープン直後の喧騒が終われば、彼らを他の店に回せる。
実際にそうなり、すると今度は人余りとなって、なら人件費が高い方を切ればいいや、という話になったらしい。
相変わらず、労働基準法もクソもないが、うちの会社ではよくある牧歌的ともいえる光景である。
「それで、菅谷店長の下に新店のオープン準備をしていた契約社員が入り、私はまた別の店で年配の春日店長の下についた。同時に、やはり契約社員の若い新入りも入っている」
従来の店舗で正社員が三人……契約社員の人は三ヵ月の試用期間が終われば正社員になるので正社員でカウントする……なのは、遂に私が店長にされる……正直なところやりたくないので、されるで十分であろう。
新たに契約社員として入社した奴隷……じゃなかった、太田君が正社員として登用された時、年寄りで太田君より人件費が高い春日店長はクビになるという仕組みだ。
そんな状況の中で、私は実はあまり面識がない春日店長と対面したわけだが、当然空気がいいはずなどない。
三か月後にクビが決まっている春日店長からすれば、私にあれこれ教えるのも嫌なはずなのだから。
それにしても、相変わらずこの会社のフィールド内では労働基準法は欠片も効果がない状態だな。
というか、木崎君以外で会社と戦った人を見たことがない。
きっとまともな会社の社員なら戦う……のであろうか?
下手に会社と争うと、次の転職に響くという考えが主流である間は、きっとクビにされても素直に受け入れてしまうのであろう。
どおりで、日本からブラック企業がなくならないわけだ。
そんな感じで始まった新しい店での勤務なのだが、いきなり大問題が発生していた。
実はこの店舗、二十四時間営業なのだ。
夜間には夜間専用のパートさんたちがいて、彼らに仕事を頼むのだが、突然二名が辞めてしまったために私が代わりに働いていた。
午後一時から普通に働らき、そのまま夜が明けて店長が出勤する朝十一時まで働く。
そして翌日は朝八時に出勤し、そのまま翌日の午後十一時まで。
連続二十二時間と連続二十六時間勤務を交互という、悪夢の始まりである。
なお、この地獄の時間が終わるためには、誰か夜間専門の新しいパートさんが入らなければならない。
休み?
そんなものは消えた。
タイムカードでは、私はちゃんと休んでいることになっている。
きっと、休んでいる私はパラレルワールドの私なので、この世界の私は休みを実感できないのであろう。
はっきり言って、今の春日店長がこれまでで最悪な店長であろう。
三ヵ月後、クビになる奴になにを言っても無駄だが。
奴は、ずーーーとネットで対戦将棋を指して碌に仕事なんてしていない。
契約社員で入った太田君は、多少スーパーの経験があって助かった。
少なくとも、基本的な作業はすぐ覚えてくれたからだ。
「あの……大丈夫ですか?」
「まあ、なんとか」
それでも、ベテランの夜間パートさんに同情されて、早朝の品出し以外の時は寝ていていいですよと言われているので助かっていた。
ずっと寝ているわけにはいかないが、三時間くらいは仮眠が取れるからだ。
これがなければ死んでいた……連続三十六時間勤務の勤務医さんに比べれば贅沢かもしれないけど。
年収は、勤務医さんの十分の一以下なんだけどね。
「うちの店長、完全に開き直っていますよね?」
「だろうな」
どうせクビになるのだからと、とにかく仕事をしない。
ずーーーと、ネットで将棋か囲碁をしている。
とんでもないブラック企業に勤めてから初めての反撃なのであろうが、会社にだけ負担をかけてほしいと願うのは、私の贅沢なのであろうか?
この二週間、私に休みはないのだ。
チャット機能がついたネット対戦将棋で、本物かネカマよくわからない女性対戦者と楽しそうに対局しているのを見ると、後ろから蹴りを入れたくなった。
日本の爺さんという生き物は、女が絡むとネットも器用に使いこなすな。
その昔、AVビデオでビデオデッキの操作を覚えた世代だからか。
「でも、新しい夜間パートさんが入ってよかったですね」
「本当、もう少し伸びていたら死んでたかも」
待望の新しい夜間パートさんが入ってきたので、あとは数日仕事を教えて終わりだな。
教育に関しては、残っているベテラン夜間パートさんが継続して教えることになっているから。
ようやく状況が落ち着いてきたと思ったら、今度はいきなり社長が来襲した。
二十年選手だった人事部長を切り、自らがその職を引き継いだので、代わり春日店長に引導を渡しにきたというわけだ。
「早すぎません?」
「そういえば……」
三ヵ月の猶予期間には、まだ大分早いような……。
「春日、お前はクビ! 理由はわかっているよな?」
「……」
まあねえ。
そりゃあ、社長が来たのはアポなしだったけど、春日店長は今日も楽しくネットで将棋やっていたからなぁ……。
そのパソコンの画面が証拠というわけだ。
「(やべえ、遂に店長かよ……)」
とにかく、凄くやりたくない。
責任ばかりで給料が減るんだから当然だ。
と思っていたら、社長から思わぬ言葉が飛び出した。
「君は、菅谷君のところに戻って」
「はい。でも、どうしてですか?」
「下につけていた渡部君、辞めちゃうんだ」
新店オープンのついでに雇い入れた契約社員が定着すると思ったら、そうでもなかったらしい。
うちで正社員になっても、そんなにいいことないのは確かだから仕方がないか。
「それで、この店の店長は高尾店長ね」
「高尾店長ですか?」
あの人、あれからずっと前の店長が売り上げ横領していた店舗の後始末をしていたよな。
立て直しにひと段落ついたのであろうか?
「○○店は閉店だから、実は、残った契約社員は太田君だけでね」
「えっ、太田君だけですか?」
店を増やすから沢山入れたはずの契約社員だが、もう残っているのは今私の隣にいる太田君だけなのだと、社長はまるで他人事のように語った。
そのせいで他の店舗が回らなくなっており、特に菅谷店長は休みもなく危機的な状況で、私を戻したいらしい。
ふと隣にいる太田君をみると、『これから大変そうだな』といった表情を浮かべていた。
社長は、そんなことを気にするような人ではないので、そのままニコニコしている。
彼の笑顔には色々と裏がありすぎて、それはもう笑顔ではないと私は思うようになっていた。
「太田君も頑張れば、すぐに店長だよ」
「(えっ? どうしてそうなるの?)」
常識的に考えれば、ここは太田君を菅谷店長の下に送り出し、私と高尾店長を組ませ、次のこの店の店長は私というパターンだ。
ああ、菅谷さんは本社出身で、社長のお気に入りだった。
彼に苦労させたくないから、私を回すのであろう。
ブラック企業なのに、社長が稀に見せる優しさというわけだ。
冷徹に人を切れる菅谷店長に配慮したわけだ。
「もう一人、このお店に契約社員を入れるから」
なるほど、そうやって太田君を店長にする下準備を始めるわけか。
教育に時間がかかることを考えれば、高尾店長は春日店長よりも運がわずかにいいと言える。
私は助かったのか?
無能だと思われている?
どちらでもいいけど。
「春日、今週いっぱいだ! 荷物を纏めておけよ! じゃあ、あとはよろしくね」
春日店長には憤怒の表情で、私たちにはニコニコと笑みを浮かべながら、社長は去って行った。
いきなり今週いっぱいでクビにされた春日店長は茫然としているが、私も太田君も彼に話しかけるつもりなどない。
どうせ今まで遊んでいたので、彼がいなくても店は回るからだ。
私と太田君は仕事があるからと、逃げるように事務所を出ていった。
「あの、うちの会社って……」
「今日のようなことは、さすがにそうはないから」
それにしても、短期間でまあよくぞここまで色々と人事が変更になるものだ。
というか、この人事は危険である。
あの働かない高尾さんと、せっかく生き残っている太田君を組ませるなんて。
○○店への転勤は、前店長の売り上げ横領と、テナント店舗の売り上げ誤魔化しという非常事態だからこその絶妙な人事であったが、高尾店長と通常の店舗の組み合わせは悪すぎる。
あの人は本当に動かないので、下の者が困ってしまうのだ。
ただ、これを社長に進言するつもりは一切なかった。
どうせワンマンで人の意見なんて聞かないし、不機嫌にしてしまうだけだからだ。
そこまでして進言するほど、この会社に愛着などないというのもあった。
「わかりましたけど、いきなり店長ですか?」
「こんなことは初めてなんだけどね」
それだけ、不景気で会社の状況が加速度的に悪くなっている証拠なのであろう。
結局、春日店長は一か月ちょっとの命だったか。
これも労働基準法違反……一か月以上前にクビって宣言したからアリなのか?
でも、三ヵ月でクビにするって話だったな。
どうでもいいけど。
「高尾店長ってどんな人ですか?」
「動かないから、太田君も覚悟した方がいいかも」
「そうですか……」
結局、私はまったく有給も使えないままクビにされた春日店長の最期を見届けてから、またも菅谷店長の下に戻った。
これで何度目の転勤だ?
とにかく人が入ってもすぐ辞めるので、転勤ばかりで疲れてしょうがない。
それでも、菅谷店長は春日店長よりもマシ……あくまでも比較論だけど……仕事をしていたら、事務所の電話が鳴った。
すぐに出ると、電話の主は社長であった。
「高尾君の店舗に戻ってくれないかな? 太田君も辞めたから」
「はい……」
私は人生ゲームの駒か!
社長のよくわからない人事シャッフルのせいで、私は短期間に転勤を繰り返すことになるのであった。