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就職氷河期のララバイ  作者: 塩見義弘
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第十三話 末路

「へえ、繋ぎであそこの工場に入ったのか」


「繋ぎだけど、給料も労働時間も前職よりもいいのが問題だな。抜け出せなくなるかもしれない」


「正社員職で探した方がいいぞ」


「だよな」


「でも、変なブラック企業の名ばかり正社員よりはマシなんだろうな」


「だから困っている。世の中、そんなに都合のいい仕事なんてないのが実感できるから」




 職場が地元になったので、石井や藤田と会いやすくなったのはよかったと思う。

 工場はカレンダーどおり休めるし、ゴールデンウイークも、お盆も、年末年始も長期の休みがあった。

 工場の機械は頻繁に電源を落とすと調子が悪くなるので、祝日などはなるべく仕事をして、長期休みの前に大規模な掃除とメンテナンスをしてから電源を落とすというわけだ。

 それでいて、ゴールデンウイークも、お盆も、年末年始も仕事があった前職よりも給料もいいのだから、あの会社は間違いなくクソだったのであろう。

 そのせいか、モラルも崩壊していたようにも思える。


「今日は、軽部はいないよな?」


「いてほしいか?」


「いいや」


 俺は、石井の問いにきっぱりと答えた。

 どうせ奴が来ても、無料酒を大量に飲んでから、金がないと行って先に帰るだけなのだから。


「あいつ、まだ無職なのか?」


「らしいな。楽を覚えたからな」


 形式上は別れたことになっている奥さんと、もう生まれたので六人になった子供たちの児童手当で結構な金額になるそうで、それで毎日ブラブラしているそうだ。

 飲酒運転による免許再取得停止の期間が終わったら、今も手放していない車とバイクで移動範囲を広げるつもりなのであろう。


 無職が移動範囲を広げてどうなるという話なんだが。


「もうそろそろかな?」


「どうしたんだ? 藤田」


「今日、久しぶりに塩野が来るってよ」


「へえ、それは久しぶりだな」


 塩野も、中学の頃の同級生で仲はよかった方だ。

 一応地元に住んでいるのだが、仕事が忙しくてなかなかこういう集まりに顔を出せなかったらしい。

 

「もうすぐ八時か……。もう来るはずだ」


「やあ、久しぶり」


 藤田の言った通りに、塩野が居酒屋の奥の部屋に入ってきた。

 何年ぶりだろうか? 

 あまり昔と顔が変わっていないというか、でも少し太ったように見える。

 仕事が忙しいからか?

 仕事で忙しいとつい疲労感から飲みすぎ食べすぎてしまい、実は運動量は落ちているので太る人が多いと聞いたことがあった。

 まあ、私たちもあまり人のことは言えないけど。


「よう、また来てやったぜ」


「「「えっ?」」」


 続いて、今日は呼んでいない、というか二度と呼びたくない、一番来てほしくない奴が顔を出した。

 どうしてこんなことにと、私たちは思わず顔を見合わせてしまう。

 

「なんか、居酒屋の前で会ったんだけど。別に構わないでしょう?」


「構わないだろう?」


 と、塩野の後ろでしてやったりという表情を浮かべる軽部。

 今日の飲み会も、碌なことにならないような気がしてしまう私であった。




「工場で期間工? 底辺だなぁ。俺を見習えよ」


 別に呼んでもないのに、勝手に飲み会に参加している軽部は、早速大生ジョッキを頼んで一気に飲み干した。

 その無料酒は、さぞや美味しいのであろう。

 当たり前のようにお替りを店員さんに頼み、ついでのように私の仕事にケチをつけてくる。


 正直なところ、酒代も出さない無職の、この前よりもさらに太った軽部だけには言われたくないのだが、同時に彼の根拠もないのに偉そうな態度を崩さない彼に対し、ほんのり感心している自分がいた。

 このくらい図々しいと、逆に楽しく人生を生きているのではないかと思ってしまったからだ。


「俺は今、起業の準備をしているところでな。じきに、みんなをあっと言わせてやるぜ」


 すぐさま二杯目の大生ジョッキを頼み、それをまた勢いよく飲み干した。

 随分とハイペースだが、どうせまた金を払う気などないのであろう。


「起業ってなにをするんだ?」


 半ば相手を侮蔑するような視線を向けながら、藤田が軽部に尋ねた。

 バイトすら碌にできない怠け者で、特に頭の回転も速くない軽部が起業など不可能だと思っているのであろう。

 軽部本人以外、みんなそう思っていると思うけど。


「飲食店だ。ラーメンは儲かるらしい」


「「「はあ?」」」


 いや、そんないきなり無職が経験もなしに飲食店なんて開けないだろう。

 第一、偽装離婚している奥さんの生活保護にぶら下がって生きているくせに、どうやって開業資金を出すんだ?


 さらに言うと、飲食店は軌道に乗るまでが大変だ。

 バイトすら碌にできない軽部が、どうやって店を回すのであろうか?


「俺は店長だからな。部下に命令を出せばいい」


 ラーメン屋だから、仕込みとかは自分でやらなければいけないだろう。

 スープのレシピはその店の命、そう簡単に働いている人に教えてはいけない……そんな常識論、軽部に語るだけ無駄か。

 ラーメン店なんて、出せば潰れるで競争も激しい。

 とても軽部に務まるとは思えないのだが……。


「資金はどうするんだ?」


「借りる」


「借りるって……担保とかどうするんだよ?」


 至極当たり前の質問を、石井は軽部にした。

 別に夢を語るのは勝手だが、夢の実現には金がかかるわけで。

 それを、碌に働きもしない軽部が言ってもなと思う。

 せめて、働いて貯めた金を資金の一部にするとかならわかるのだが、軽部は無職なので働いた金を貯めようがなかった。


「借りるって、担保もないだろう」


 精々、あの車と大型バイクくらいか。

 奥さんと偽装離婚し、生活保護費を流用してまで維持している軽部が手放すわけないけど。


「ある。実家と、親父の退職金もあるな」


「いや、それはお前の金じゃないだろう」


 藤田のみならず、軽部以外の全員がそう思った瞬間であった。


「安心しろ。倍にして返す予定だから。普段は両親も兄弟たちも、俺にいい加減働けとうるさいが、ラーメン屋の成功で、家族の俺を見る目は大きく変わる」


 随分と、穴だらけの計画というか。

 起業なんて楽天的な人でないとできないので、ある意味軽部は向いているのか?

 太っていて、頭にタオルとか巻けばラーメン屋の店主みたいだし。

 軽部が料理を作れるのかは知らないけど。


「実は、ある人と知り合ってな。今は不景気でいつ職がなくなるかもしれない時代だからこそ、男は起業して自分の城を持つのが一番だと。支援もしてくれるそうだ」


 軽部を支援って……すでにもう怪しさで一杯だな。

 

「へえ、そうなんだ。オープンしたら食べに行くよ」


「ありがとうな、塩野」


 なにも知らないのか、これまでの軽部の行状を知らないからか。

 塩野の励ましの一言で軽部はご機嫌になり、それから数杯ジョッキを煽ると、また勘定も支払わずに居酒屋を出てしまった。

 さすがに起業前なので、無免許状態で車に乗っておらず、その日は自転車で帰っていった。

 自転車でも飲酒運転は違法なのだけど、前よりはマシというわけだ。


「いなくなったね」


「塩野?」


「石井、あの手の輩を本気で相手にしても無意味だからさ。どうせ酒代なんて払わないだろうから、早く満足させて帰らせてしまうのが一番なのさ」


「お前、随分と大胆になったな」


 藤田が、塩野の変わりように驚いていた。

 昔の彼は、いわゆるオタクで気も弱かったからだ。


「進学、就職で人が変わることもあるさ。オタクなのはそのままだけど」


 私も昔は漫画、アニメ、ゲームの話で塩野と盛り上がったものだ。

 石井と藤田も、好きな作品があったのでその話で盛り上がったりして、どこにでもいる普通の中学生だったんだと思う。


「そういえば、全然そういうのに触っていないな」


 前職の時は、単純に時間がないから。

 今、地元の工場で働くようになって時間は空いているのだが、そういえばアニメや漫画に縁がなくなったな。

 ゲームも、長時間プレイするのが億劫になったのだ。

 私ももう年かもしれない。


「年なんていうほどまだ年じゃないと思うな」


「そのうち、家に置いてある漫画でも読み返してみるかな? 塩野は、どんな感じなんだ?」


「今の作品も、全部じゃないけど追いかけているしね。休日には小説も書いている」


「小説?」


「そう、いわゆる二次小説ってやつ」


 塩野によると、二次小説とは既存作品のファンフィクションや話の変更、新しいキャラクターなどを登場させるお話だそうだ。

 同人みたいなものだと説明してくれた。


「そんなものがあるんだ」


「WEBの投稿サイトに投稿して感想を貰らったりしてね。自分のオリジナル作品を投稿する人も多いよ」


「小説の投稿かぁ」


「やってみたら?」


「ははっ、私は読書感想文にも苦戦した男。長文は無理」


 そんな長文、私に書けるわけがない。


「暇があるんだったら、読んでみるとハマるかもよ」


「そうなんだ。古い作品のやつもあるといいな」


「普通にあるよ」


「じゃあ、見てみよう」


 どうも私は、労働が生きるために必要な糧を得るための義務にしか思えない男であった。

 さらに、大塚店長のように会社のおっさんたちに気に入られるために無理をするようなこともできなかった。

 せっかく休みが増えたので、昔のように趣味に走るのも悪くないか。

 

 いわば、オタク趣味の復活というわけだ。


「塩野、俺にもお勧めの漫画とか教えてくれよ」


「俺も」


「ライトユーザー向けの作品も結構あるからね」


 軽部がいなくなってよかった。

 あとは、四人で久しぶりに漫画、アニメ、ゲームの話題で盛り上がれたからだ。


「そういえば、軽部の奴も無謀なことを」


 藤田の言わんとしていることは理解できた。

 軽部は、一見なにも考えていないように見えたが、本人なりに無職なのを悩んでいたのかもしれない。

 これまでの生き方のせいで、家族とも疎遠になっていると聞いた。

 そこに、ラーメン屋を開業しないかと声をかけてきた人物か。


「中村の二の舞だな」


「そうだな」


 中村は、おかしなマルチ商法に関わってほとんどの友人たちから手を切られてしまった。

 怪しげな健康食品の購入で多額の借金を背負い、今では完全に行方不明だと聞く。

 地元でも姿を見なくなったそうだ。


 彼は彼なりに人生を切り開こうとしたのであろうが、その選択肢は最悪だった。

 そして、軽部も同じ道を歩むというわけだ。


「その人の標的は、軽部の両親の資産だろうね」


「なるほどな」


 その人物も、無職で金がない軽部から吸い取れるとは思っていない。

 きっと、彼の両親を借金の保証人にして……というパターンであろう。

 軽部とは違って、彼の父親は有名企業に勤めていたし、資産もそれなりにあったからだ。

 

「軽部の両親も、バカじゃないから引っかからないだろう」


 と、石井がその話を締めくくって、あとはまったく関係ない話題で盛り上がって飲み会は終了した。

 そして、それから数日後……。


「あれ? ここまた店ができるのか」


 工場に出勤する途中、私はとある雑居ビルの一階にある貸店舗で工事が始まっているのを目撃した。

 確か、前もなにか別の飲食店があったはずだ。


 個人経営の居酒屋だったかな?

 場所が悪いのか、すぐに潰れてしまったのを思い出した。


「どんな店ができるんだろう? 一人で入れる店がいいな」


 当方、彼女も奥さんもいない身なので、お洒落な店なら入れないので新店も意味がないと思ってしまったのだ。

 できれば、男一人で入れて美味しくてコスパがいいお店でありますように。


「ラーメン屋とか? 軽部の? まさかな」


 そんな光景を目撃してから、二週間以上経ったと思う。

 仕事帰りに工事中の店の前を通ると、なんと軽部がチラシを配っていた。


「よう、再来週にラーメン屋をオープンさせるんだ」


 どうやら本当に、工事中の店は軽部がオーナーらしい。

 どうやって資金を集め……。


「うん、オープンしたら行くよ」


「オープンしてから三日間は、お得な価格でラーメンを提供するからさ」


 チラシを受け取った私は、なるべく軽部と長話しをしないよう、足早にその場を去った。

 仕事の邪魔をしてもなと思ったのと、どう考えても上手く行かなそうな気がするので、それを彼に悟られたくなかったからだ。

 つい表情に出てしまうかもしれないからだ。


「ああ、軽部ね。あんな息子でも、親は結局見捨てられないみたいだぜ」


 気になったので石井に電話してみると、彼は事情を知っていた。


「軽部の両親からすれば、あいつだけが心配の種だった。もしラーメン屋を成功させてくれれば、息子もきっと一人立ちできると思って金を貸したようだ。ちゃんとしたコンサルタントがついているんだと」


「事情通だな」


「うちの母親が、軽部の母親から聞いたんだよ。なんでも軽部を支援しているのは、これまで何店舗も飲食店を成功させた凄腕なんだとさ。あいつと一緒に家に来て、是非息子さんに出資をとお願いされたんだと」


 なんでも、東京で複数の繁盛店のプロデュースに関わった本物のコンサルタントなのだそうだ。

 軽部を成功させるため、徹底的にラーメン屋をプロデュースしてくれるらしい。

 他店との差をつけるための豪華な内装や、素人でもちゃんと調理できて絶品なラーメンの各種素材の仕入れなど。

 金はかかるが、間違いなく成功させると。

 

「一店舗目が上手くいけば、支店も増やしていく。これでうちの息子も飲食店経営者としてようやく成功してくれると、軽部の母親が喜んでいたらしいよ」


「怪しくない?」


「怪しいに決まっている。間違いなく詐欺的な開店商法だろうな」


 まず、そのコンサルタントがなによりも胡散臭い。

 コンサルタントなんて、公的な資格がないわけでもないが、基本的に誰でも名乗れるので詐欺師みたいな人も一定数いると聞いたことがあった。

 実は、前に勤めていたスーパーでも、数字が伸び悩んで社長が短期間だけコンサルタントに頼んだことがあった。

 正直なところ、そのコンサルタントはまったく役に立たなかった。

 それっぽい助言は言えるのだが、その通りにやってもまったく売り上げが伸びなかったのだ。

 結局社長がすぐにクビにしてしまったのだが、それ以降、私はコンサルタントは胡散臭い連中の集まりだと思っている。


「物件の選択、店の内装、調理器具、素材の仕入れ。全部、間にコンサルタントが入っているから、ボッタクリのような値段だろうな。そこから、奴が金を抜くんだ」


 そうやって、軽部の両親に大金を出させるわけか。


「それでな。店をオープンさせるだろう」


「ああ」


 その後の展開は、石井の言う通りになった。

 軽部のラーメン屋は無事オープンした。

 早速お店に顔を出してみたが、まずお店自体が大した作りではないように見える。

 例のコンサルタントが中抜きしているのであろう。

 第一、店の場所が悪すぎる。

 とにかく人通りが少なすぎて、これまでに何店舗も飲食店ができては潰れている場所だったからだ。


 それでも、事前のチラシが効果を発揮したようで、店は多くのお客さんで賑わっていた。

 今日から三日間はオープン記念でラーメン一杯100円なので、当然と言えたが。

 

「よう、大盛況だぜ」


 私がお店に入ると、軽部がご機嫌で客を案内していた。

 どうやら、業務用の素材だけで作っているいかにもなラーメン屋にも関わらず、軽部は調理すらアルバイトたちに任せてしまっているようだ。

 これでは先が思いやられるな。


「どうだ? 美味いだろう?」


「そうだな」


 今の時代、そう簡単に不味いラーメンになどお目にかかれない。

 なぜなら、業務用でもちゃんと普通に美味しいからだ。

 だが、ただ美味しいだけでは飲食店を続けることは難しかった。

 他になにか特徴がなければすぐに飽きられるのだが、少なくとも軽部の店にそれは見当たらないように思えた。

 今日客がいるのは、ラーメン一杯100円だからだ。

 通常の値段に戻せば、全部業務用の材料で作られた、不便な場所にあるラーメン屋なんてすぐに閑古鳥が鳴くであろう。


「軽部さん、順調ですね」


「土方さん、おかげ様で大盛況ですよ」


「上手くいきそうですね。このままのペースでいけば一年で三店舗は支店を出せますよ。軽部さん、頑張りましょう」


「はい」

 

 店内に、高級そうなスーツに身を包んだいかにもな若い男が入ってきた。

 彼が、例のコンサルタントなのであろう。 

 大盛況もクソも、ラーメン一杯100円という大赤字価格でやっているのだから当然だ。

 オープンの三日間が終われば、すぐに客はいなくなるであろう。


 これも石井の予言であったが、それは的確に当たった。

 本当に一週間もすると、仕事帰りに店の前を通りかかっても、誰も客がいなくなっていたのだ。

 やはり業務用の材料のみで作ったラーメンなど、誰も高い金を出して食べないのだ。

 それなら、自分でスーパーで購入した生ラーメンを作った方がマシというものだ。


「仕入れた材料には賞味期限があるから、売れなくても時がくれば捨てなければいけない。お店を営業するためにまた仕入れるのだが、これがとても高価で、かなりの金額がピンハネされてコンサルタントのポケットの中だろうな。さあて、いつまで保つかな?」


 石井の予想は次々と当たっていく。

 軽部は奴なりに店を繁盛させようと努力……はしていなかった。

 全部アルバイトにやらせて、自分は店の外でつまらなそうにタバコを吸っている。

 私は、彼に見つからないように自転車を強く漕いだ。

 

「またチラシだな」


 家のポストにチラシが入っていて、軽部のラーメン屋は再びラーメン一杯100円のセールをやると書かれていた。


「コンサルタントの入れ知恵だろうな。梃入れってやつ。まあ無駄だけど」


 その日は客が来るであろうが、所詮ラーメンが業務用オンリーで手抜きなので、その日だけ客が来て、あとはまた閑古鳥が鳴くような状態に戻った。

 私は仕事帰りに店の前を通るのだが、客が入っているいるのを見たのは最初の一週間だけであった。


「移転する?」


「なんか、市内の中心部にいい物件が見つかったんだと。蟻地獄だな」


 また大金がかかるが、どうせ軽部の両親が出す金なので、軽部もコンサルタントも気にしないはずだ。

 しかし、基本的に怠け者の軽部が自分でラーメンのスープなど炊くはずもなく、前と同じ業務用の素材なら、例えオープン時は盛況でも、すぐに客は飛んでしまうであろう。

 いくら店が赤字になっても、軽部は自分の金ではないので責任感の欠片もなく、我が子可愛さでお金を貸した軽部の両親のみが金を失っていく。

 それを利用して金を抜いているコンサルタントは性質が悪いが、これを詐欺というのは難しいであろう。

 ちゃんと店舗はオープンさせているのだから。

 大体、軽部は家賃、内装費、材料の仕入れ代金が適切かどうか確認もしていないはずで、だからコンサルタントは金を抜き放題というわけだ。


「あと何か月保つかな?」


「怖いことを言うな、石井」


「事実だからな。軽部の両親も、もうすぐ金が尽きるんじゃないか? まだ家と土地が残っているか」


 石井の予想は、一つも外れなかった。

 軽部のラーメン屋は、市の中心部に移転したことでさらに借金を増やし、最後には雇っていたアルバイトたちに払う賃金にも事欠き、最後は一人で店をやっていた。

 一人で十分店を回せるほどの客しか来ず、結局一年ほど潰れてしまった。

 軽部の実家には『売り家』の張り紙が張られ、つまり実家の家や土地まで担保に入れて軽部に金を出していたわけだ。


 子供可愛さで、退職金も家も土地も失い、軽部の両親は父親の方の実家に戻ったと石井から聞いた。


「軽部の父親は、いいところに勤めていたからな。実家に空き家があるそうで、そこで年金暮らしをするらしい」


 軽部の両親はすべての資産を失ってしまったが、年金があるので生活には困らないというわけか。


「そういえば、軽部も見ないな」


「あいつも、半ば幽閉だな。父親の実家に」


 軽部は拘っていた車も大型バイクも手放し、両親に連れられて田舎の農家で働くことになったそうだ。

 これまでの悪行の報い……軽部自身は愚かなせいで悪行だと思っていないかもしれないが、今の世の中ではバカも罪なのだ。

 彼のせいで両親まで財産を失ったとあっては、それなりの罰が下って当然というわけだ。


「軽部は、兄弟たちの怒りを買ったみたいだな」


 彼らは軽部のせいで、学生である弟など奨学金を借りなければいけなくなってしまったそうだ。

 軽部の商売についても、それを知ったのは彼の商売が大分行き詰ってからで、もうどうにもならなかったらしい。

 将来貰えたであろう財産がなくなり、怒った彼らは軽部が二度とそんなバカなことしないよう、彼を田舎に押し込めてしまったというわけだ。


「親の愛情で、軽部の家は駄目になったんだな」


「そうだな」


 勝手に高校を中退し、無責任に子供を何人も作っておいて碌に働かず。

 そんな子供でも、軽部の両親は最後の最後で彼を見捨てられなかった。

 詐欺師という名のコンサルタントに騙され、勝ち目のない飲食店への出資で年金以外のすべての資産を失ってしまったのだから。

 そして軽部も、これからは田舎で農作業だそうだ。


「軽部のことだから、逃げ出すかもしれないけど」


「そうは問屋が卸さないって話だ。第一、あいつはいまだ運転免許も取れないからな。欠格期間中で、今回の件で車もバイクも手放した。軽部の父親の田舎は、とんでもない山奥らしい。でっぷり太った奴が、徒歩や自転車でそこから逃げ出せるかな? 逃げ出せたとしてどうなるって話だ」


 確実に無一文だろうし、農作業をして飯を食わせてもらうしかないのか。


「いいダイエットかもな」


 私と石井は話を終えた。


 この件について後日談があるので語っておこうと思うが、生活保護受給のため軽部についていかなかった……形式上は離婚しているので当然であったが、彼女は七人目の子供を妊娠していた。

 父親は軽部ではなく、パチンコ屋で知り合った男性らしい。

 彼女は軽部に生活保護費を取られてしまうので、パチンコ屋で勝った男性に声をかけて援助交際をしていたそうで、その誰かの子供らしい。


 それを聞いた軽部が『ビッチはいらん!』と激怒し、二人は形式上のみならず本当に別れてしまったそうだ。

 おかげで生活保護費を取られることがなくなり軽部の奥さんも安心……かと思ったら、彼女はパチンコ屋で勝った男性相手の援助交際をやめなかった。

 これで得た金で遊ぶようになってしまったのだ。

 高校を中退してから十年以上、次々と子供を生み、軽部のせいで苦労の連続でタガが外れてしまったのであろう。


 そのうち、援助交際の相手とつき合い始めたが、彼も軽部と同類の人間だった。

 彼女の生活保護目当てでつき合い始め、自称ミュージシャンで軽部よりも暴力的な彼は、さらに金を搾り取ろうと、彼女の援助交際の元締めをするようになった。


「彼女の両親、随分とやせ衰えたみたいだな」


 自分の可愛い娘がまるで物語のように転落していく噂を聞き、心労のあまりやせ衰えてしまったのであろう。

 だが、他所の人間がなにを言っても彼女は聞き入れないであろうし、軽部の次の男は奴よりももっと性質が悪いそうだ。

 彼女の子供に暴力を振るい、これ以上子供が酷い目に遭わないようにするためには金を稼いでこいと、奥さんを援助交際に送り出しているそうだ。


 どうしてそんな酷い男ばかりと思わなくもないが、彼女はいわゆるダメンズ好きなのであろう。

 選択肢は数多あったはずの彼女なのに、彼女は自分で最悪の道を選んでしまった。

 彼女の不幸は、彼女の子供にも遺伝するであろう。

 人間は環境の生き物で、狼に育てられた子供が狼みたいになるように、彼女の子供たちの将来も父親や母親とそう変わらないはず。

 不幸というか貧困の連鎖。

 今の日本なら、そう珍しくもない家族というわけだ。


 どういうわけか、こういう子供に限ってかなりの確率で結婚して子供を作り、親と同じようなことをするらしい。

 就職氷河期で、結婚や子供を諦める計算ができるまともな人の子孫が残らず、軽部のようになにも考えていない奴の子供たちが、成長して軽部と同じようなことをする。

 もしかしたら、もう日本という国は駄目なのかもしれないな。


 それを、このまま独身まま人生を終えそうな私がどうこう言うのもおかしいのかもしれないけど。

 なぜなら、軽部や新しいヒモからすれば、私の方こそ駄目な負け組かもしれないのだから。

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