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就職氷河期のララバイ  作者: 塩見義弘
10/15

第九話 大塚店長再び

「えっ? 飲酒運転で捕まった? 軽部が?」


「勿論というのは変だが、あの日の帰りじゃないぞ。あの日も、軽部は車で居酒屋に来ていたけど」


「今初めてその事実を知ったが、それも酷い話だな」




 あの日の休みから一週間後、事務所で昼食をとっていたら友人から電話があった。

 すぐに出ると、なんでもあれからすぐ軽部は飲酒運転で捕まったそうだ。

 一発で免許を取り消され、アルバイト先もクビになったそうだ。


 あのアルバイト先は、別に運転免許など必要ないし、軽部の自宅からなら自転車で通勤しても十分とかからない。

 飲酒運転は悪いことだが、プライベートの時間での交通違反なので、軽部がクビにされるのはおかしいはず。


 つまり、普段から軽部の勤務態度や同僚たちとの接し方に問題があったのであろう。

 会社側は、彼をクビにして新しい人を雇うチャンスと見たわけだ。


「あいつは、これからどうするんだ?」


 もうすぐ六人目の子供が生まれるというのに、無職になってしまったのだから。

 それと、確か飲酒運転の罰金はかなり高額だったような……。


「それで、片っ端から家族、親戚、知人、友人に金貸してくれって尋ねまくっている。うちの家にも来て辟易したよ」


「貸したのか?」


「まさか。今俺は両親と同居だから、『あいつはなんなんだって!』ってなぜか俺が両親から怒られて散々だった」


 自分の息子がそんな奴とつき合いがあるのだと思われれば、両親も心配して当然か。


「お前は大丈夫なのか?」


「俺も実家住まいなんだけど、今、両親は旅行中でいないんだよ」


 沖縄に一週間旅行に行くとかで、今家には誰もいないのだ。

 私が帰宅するのは夜中だし、どうせ家に帰っても寝るだけなので、軽部とは会わないはずだ。


「それはラッキーだったな。つうか、あいつに二百万円貸すなんて、ドブに捨てるようなものだろう。そんなことをする暇あったら、次の職を探せっての」


 確かにそうなんだが、軽部の学歴と職歴だと、車の免許がないのは辛いと思う。

 比較的簡単に就職できそうな配送業やルート営業では、車の免許が必須だからだ。

 確か、飲酒運転で免許取り消しになると、二年間は欠格扱いで免許が取れなかったはず。


「よく知ってるな」


「まあね」


 大塚店長がそうだったからな。

 でも、実は大塚店長の方が飲酒運転にひき逃げで、はるかに罪が重たかったのだ。

 上手く示談して、被害者もそこまで重傷はなかったのでひき逃げの前科は消えたが、冷静に考えると大塚店長の方が酷いという。

 それを考えると、今の私は日本の最下層にいるのだと自覚させられてしまう。


「あいつのなにが怖いって、自転車で回れるエリアにある各家庭に金の無新をしているのに、あいつ車で移動しているんだぜ」


「はあ? 軽部は免許取り消しなんだろう?」


 それって、無免許運転なんじゃぁ……よく通報されないな。


「通報なんてして、それが奴にバレて恨まれでもしたら嫌じゃないか。あいつは、これ以上失うものなんてないんだから」


 例えば逆上した軽部に怪我をさせられたり最悪殺されても、彼から賠償金を取るなんて不可能なのは確かだ。

 下手に関わりたくないというのが本音なのであろう。

 私だってそうだ。


「あいつの車、保険料が払えなくて無保険状態だしな。あんなのに轢かれた奴が不幸だな」


 無免許で無保険で、もしそんな車に轢かれた人は不幸以外のなにものでもないな。

 

「人に金を借りる前に、その車と大型バイクを処分する方が先だろうに……」


 常識的に考えるとそうなんだが、今の軽部にそんな常識を求めてもなと思う。

 それと、今の軽部は家族以外のすべてが自分を攻撃する敵という認識なんだと思う。

 格好いいスポーツタイプの車と大型バイクは、彼のわずかに残った正常な部分を守る防御壁のようなものかもしれない。


 果たして、今の軽部の状態は誰のせいなのか。

 自己責任だという層と、これも今の日本社会の被害者だという層が論争を始めたら一生決着がつかないかも。

 私は軽部が愚かだと思うが、その軽部の愚かさの中に本人以外の責任が微塵でもないとは思えず、それに私とてそこまで立派な人間ではない。

 いつなにかが狂って、軽部のようになるかもしれないのだ。


「軽部は金を借りられなかったらどうするんだろう?」

 

「生活保護じゃないの? フリーターよりも収入が高いし、医療費もかからないからな」


 その後の軽部一家であるが、実は離婚した。

 とはいえそれは偽装で、軽部一家は相変わらず公営団地に一緒に住んでいる。

 地元の某宗教団体が支持母体である政党の議員に泣きつき、生活保護を得たそうだ。

 生活保護を請求したのは軽部の奥さんで、彼女は出産の費用も無料になるし、なにより六人の子持ちだ。

 形式上離婚したのは、母子加算狙いもあるのであろう。

 妊婦加算というのもあるらしい。


 随分と手厚いなと思うが、これのせいで軽部はさらに調子に乗ってしまった。

 『働くなんて負け組』だと無職のままで、離婚したはずの奥さんの生活保護にタカリ、彼は車と大型バイクを維持している。

 二年後の欠格解除がきたらまた運転免許を取るためだ。


「毎日、楽しそうに車とバイクを洗車しているってさ」


 乗れもしない車をよく二年も維持するよなと思ったが、どうせ奥さんから出してもらうお金なので、痛くないと思っているのであろう。


「あと、もう地元で飲み会はできないぞ」


「どうしてだ?」


「この前ので味を占めたんだよ」


 軽部は知人友人が飲み会を開くとそれに参加して、『俺は無職で金がない! 子供も沢山いて大変なんだ!』と、散々飲み食いしてから、お代も払わず先に帰るのを繰り返すようになったらしい。

 

「そんな方法で無料飲みしてるのか」


 『貧すれば鈍する』とはいうが、軽部は段々と嫌な奴に進化していくな。

 なにもない軽部が開き直ったとも言えるか。


「まあ、そんな方法は続かないがな。みんなもう、あいつを見下しているよ」


 それでも以前は、アルバイトでも働いていた方がマシだったのか。

 今では無職で、偽装離婚して生活保護を得ている奥さんのヒモになってしまったのだから。


「マジでヤバイよ。あの一家には関わらない方がいい。奥さんの実家も、もう完全に娘のことは諦めたみたいだ」


 最初は、高校生ゆえの無知で、軽部に騙されている被害者と考える者も多かった奥さんであったが、この状況で離婚もせずに偽装離婚した旦那を生活保護で養っている時点で駄目だろう。


「奥さんの場合、もう完全に共依存状態なんろうな」


 どんなに酷い旦那でも、別れずにそのまま夫婦生活を続けてしまう。

 子供六人を抱えて不安も大きかろうから、そこを見事に軽部に付け込まれた形だ。

 とはいえ私に、顔を見たこともない奥さんを助けてやる義理はない。

 それに、その環境に甘んじているのは彼女の方だ。

 すでに彼女も、四捨五入すれば三十になる。

 もういい年なので、自分の将来くらいは自分で決めるべきだと思う。


「そういえばふと思ったんだが、軽部って幸せなのかね?」


「生物としては幸せなんじゃないの?」


 子孫を残すという最大の目標を達したからだ。

 だが、人間としてどうだと言われるとわからない。


「今はいいけど、年を取ってからどうなるかってのもある」


 今は、好きな車とバイクを運転はできないが、手放さずに済んだ。

 二年すればまた免許も取れる。

 無職で金はないが、奥さんの生活保護費から金を抜けば、今のところは問題ない。


 だが、酒ばかり飲んでブウブク太っているし、間違いなく年金なんて掛けていないであろう。

 年を取ったら体にガタがきて、悲惨な老後を迎えるかもしれないのだ。


「ただ……」


「ただなんだ?」


「それを、今の俺たちがどうこう言ってもな」


 私と軽部、一体どちらが幸せなのか?

 残念ながら、今の私にはきっぱりどちらと言える状態ではなかった。





「酷いな、そいつ。人間のクズじゃねえか」


 後日、なぜかうちの店にやってきた大塚店長とその話になってしまった……私としてはこんな話をしてもしょうがないように思えるが、そうなってしまったのだ。

 軽部の話をしたら、大塚店長は彼のことをえらく批判していた。


 それはわかるのだが、人間とは不思議なものだ。

 自分も飲酒運転をして、しかも軽傷ながらひき逃げまでしているのに、同じく飲酒運転をした軽部を批判しているのだから。

 きっと大塚店長は、軽部のその他の行状と合わせ、総合点で自分の方がマシだと思っているのであろう。


「あっ、そうだ。俺はまたこの店の店長になるから」


「えっ! 高尾店長はまだ……」


 今日は高尾店長が公休なので、つい大声をあげてしまった。


「あの人は、もう社長も限界だと」


「またなにかしたんですか?」


 これまでの行状だけでも大概酷かったが、またなにかをやらかしたようだ。

 前からいつ切られるかという話題に事欠かない人物であったが、ついに終焉を迎えるらしい。

 その終焉には、まったく感動できないわけだが。


「それがさ、まだ富田さんの奥さんと不倫していて、あの夫婦は離婚するんだよ。奥さん妊娠しているけど、高尾さんの子供みたい」


「あちゃぁ……」


 うちの社長は、若い夫婦が貧しいながらもつつましく懸命に暮らすのが大好きである。

 そういう人の方が安く使えて逃げ出さないから……ってのもあると思うけど。

 そのわりには、本社には社長の愛人とかがいて、自分には究極に甘いが他人には厳しい性格が垣間見れるというわけだ。


「自分が仕切った結婚が半年保たなかったからな。しかもその原因が高尾さんなんだ。もう終わりだろう。ちょうど一店舗○○店も閉まるし」


 以前から赤字経営が続いていた店舗が、ついに閉店となるようだ。

 そうなると人が余るので、誰かのクビが飛ばされる。

 その最有力候補が高尾店長というわけだ。


「さすがに、あの人ももう終わりだろう。今回ばかりは、高尾さんの奥さんも堪忍袋の緒が切れたらしい」


 これまでも不倫は繰り返してきたが、さすがにその相手を妊娠させるまでには至らなかった。

 ところが今回は、富田さんの奥さんを孕ませてしまっている。

 

「二人で示し合わせて、富田さんの子供ってことにして育てさせようとしていたみたいだな。そりゃあ離婚になるって」


「そんな修羅場なら、暫く三人は会社に来ないでしょうね」


「それどころじゃないからな」


 高尾店長、富田さん、富田さんの奥さんは共働きで本社勤務だったので、この三人が急に来なくなったわけだ。

 余計に社長は激怒したであろう。


「これからどうなるんでしょうか?」


「さあ? なるようになるんじゃないのか」


 こういう何事にも動じない人を見ると、私はとても羨ましく感じてしまう。

 私では到底不可能なことだからだ。

 

「仕事するか」


「そうですね」


 私と大塚店長は、会話を切り上げて仕事に戻った。

 この店舗は私たちの安い賃金のおかげもあり、黒字額も多くてうちの会社の命綱でもあったからだ。

 ちゃんと仕事をしないと、今機嫌が悪い社長の逆鱗に触れるかもしれない。

 もっとも、今の状況ではさすがに私たちのクビを飛ばせないとは思うけど。


「(むしろ、クビを飛ばしてもらった方がいいのかな? 会社都合ならすぐに失業手当も出るから、じっくり転職活動ができるかも)」


 などと考えたりもしたが、どうせうちの会社はどんな酷い辞めさせ方をしても自己都合であり、それが今までまかり通ってきたところだ。

 そんなことは無理だなと再確認し、仕事に集中するのであった。


 どうせ会社都合で転職活動をしても、ここよりマシなところに入れる保証もないのだし。


 

 この店舗は都内のいわゆる下町にある。

 東京都民以外からすれば、東京はほぼ都会みたいなイメージがある人も多いと思うが、下町に行ってちょっと裏路地に入れば、そう地方都市と大差ないことに気がつく。

 小さく古臭い民家が立ち並び、碌に区画整理もされていない狭い、奇妙な曲がった道が続く。

 そんな道路には、『軽自動車以外立ち入り禁止!』とかいう立て看板が立っていたりする。

 別にその道路を軽自動車以外が通っても法には触れないが、単純に道幅が異常に狭いので抜け出せなくなるだけだ。

 あくまでも立て看板は、地元の住民が親切で教えてあげているというわけだ。


 この手の下町には古くからの住民が多く、さらに年寄りばかり住んでいて大半が年金暮らしである。

 収入もそう多かろうはずがなく、あったら古い下町が残っているはずがないのだが……。


 今いるお店は、そういう層を相手にする小さめのスーパーであった。

 ベッドタウンにあるファミリー向けの店舗ではないので、若い人は近くにある会社などから買い物に来る人ばかりだ。

 総菜コーナーにお弁当があるので、これと、インスタント味噌汁やスープ、菓子パン、総菜パン、プリンやゼリー、ヨーグルトなどのデザート類も売れる。

 ただ、本当に子供はほとんど来なかった。


 その辺に事情はとっくに本社も理解しているはずなのに、どうも今度就任した新しいバイヤーは売れもしない商品を送り込んでくるので困ってしまう。

 うちは中小なので、実は発注予定書を見て取引先に連絡し、それら特売品の注文数をある程度増やしたり減らす権限も与えられていた。


 いつものように、大塚店長も賛成したので売れない子供用の玩具つきお菓子の注文数を減らしたのだが、これに気がついたバイヤーが怒って電話をかけてきた。

 大塚店長に任せると言い争いのみになってしまう可能性が高く、私が代わりに話をする羽目になっていた。


「俺がこの数でいいって発注かけたんだぞ! 俺に恥をかかせるつもりか?」


「田中バイヤーもご存じだと思いますけど、この店は昼間は会社勤めの方々。朝と夕方は近隣のお年寄りばかりです。玩具つきのお菓子をこんなに送られても売れませんよ」


「売れないだと! お前らの努力不足だろうが!」


 そんな、無茶なと思わずにいられなかった。

 いくら華麗なセールストークをしたところで、老人に〇リキュアのシールや玩具のついたお菓子は売れない。

 お盆などで子供が孫を連れて帰省したとかなら理解できるが、都内では逆にお盆には人がいなくなる場所の方が多いのだ。

 いらないものはいらないし、定番品なら賞味期限が切れても返品もできるが、特売品には適用されないケースが多い。

 だから特売原価で仕入れられるという事情もあったりするのだから。


 大半は返品できることになっているが、実はその商品を返品できるかどうかいちいち問屋に問い合わせ、返品伝票を記載しと……そんな無駄な手間はゴメンなので、最初から売れない商品ならカットしてしまうのが定番であった。

 

 そうでなくても忙しいのに、これ以上の手間はゴメンなのだ。


「だったら、○○店に送る数を増やしてくださいよ。あそこ、いつも足りなくて追加発注をかけるじゃないですか」


 逆に、某首都圏郊外にある店舗では、子供の数が多いのでこの手の商品はよく売れる。

 足りなくなることもあり、以前はわざわざこの店舗から配送業者に頼んで運ばせていたそうだ。

 そんなことをしていれば経費も余計にかかるし、それなら最初からその店に送る数を増やせばいい。

 ○○店も、わざわざ問屋に追加発注したり、うちの店にその商品が残っていたら送ってくれと頼まないで済む。


 こんな簡単なことが、新しいバイヤーには理解できないというか、前のバイヤーからそうだった。

 なによりおかしいと思うのは、田中バイヤーは以前○○店で店長をしていた人物なのだ。

 その辺の事情がわかっているはずなのに、なぜかそのおかしな部分を直さず、こちらに勝手に注文数を減らすなと言う。


 果たして、これは一体どういうことなのであろうか?


「田中の野郎、バイヤーになったら調子に乗ってやがるな! 俺に代われ!」


「ますいですって! 大塚さん」


 大塚店長はヤンキー気質なので、田中バイヤーの言い分に激怒していた。

 自分が○○店にいた時には、前任者をこの件で批判していたくせに、自分がバイヤーになったら同じことをしてしまう。

 挙句に、こちらの商品数の変更を批判し始めた。

 大塚店長のみならず怒っても当然なんだが、だからと言って今の激高した大塚店長に田中バイヤーの相手をさせれば、とんでもないことになってしまう。

 私が、田中バイヤーの相手をするしかなかった。


「次からは許さないからな!」


 田中バイヤーが捨て台詞のような怒鳴り声と共に電話を切ると、ようやく店内の事務所に平穏が戻った……なんてことはなく、大塚店長も激高していた。


「田中の野郎! 無駄骨折らせやがって! ぶちのめすぞ!」


「前任の加山バイヤーの時もそうなんですけど、これって一体どういうことでしょうか?」


 最初から、その商品が売れる○○店に多めに送っておけば、誰も面倒な作業をしなくて済むので嬉しいはずなのに。

 田中バイヤーも店長時代には、その件で仕事が増えて怒っていたと聞いた。

 それが、自分がバイヤーになってしまうと、前任者と同じようなことをしているのだから意味がわからない。

 

「俺にもさっぱりわからない。どういうことなんだろう?」


 まったく首を傾げる状況であったが、すぐにどうしてなのかが判明した。

 その理由は、実にくだらないものであった。

 その時々ですぐ社長が支店を増やしたり、閉店させたりするので、うちと取引がある問屋はうちの会社を面倒な取引先だと思っている。

 チラシに載せるような特売商品の発注を受けた時、どの店にどれだけの数を割り振るか、いちいち小口取引先の客筋なんて把握していないので、お店の古さだけで判断しているそうだ。

 私がいるこの店は開店してから長いので、沢山入れても大丈夫。

 ○○店は新店舗なので、控えめにしておくといった感じだ。

 

「だったら営業に言って修正すればいいような気が……」


「ざけんな! 二度手間じゃねえか!」


 激高した大塚店長は本社の、それも社長に電話をし始めた。

 田中バイヤーに言うよりも、社長に言った方が話が早いのは確実だ。

 この会社は、社長のワンマンなんだから。


「というわけで、こっちも二度手間なんですよ。全体の仕入れ数が減っているわけじゃないんですから、各店舗に割り振る数を考慮してください」


 それにしても、さすがは元ヤンキー。

 実に度胸があるな。

 私も含めて、直に社長に電話するなんて真っ平ゴメンだと思っている社員も多いというのに。


「えっ! いや、そこまでする必要はないと思います……」


 なんだ?

 急に大塚店長が弱気な口調になったな。

 一体どういうことなのであろうか?


 私は、電話を切った大塚店長に、急に弱気な口調になった理由を尋ねた。


「社長が、『じゃあ、田中は駄目だな!』って店長に戻すって」


「ええっ! どうしてですか?」


 特売商品の各店舗ごとの入り数を調整してくれと頼んだだけなのに、どうして田中バイヤーが降格されるんだ?

 ただ『やっておけ』と言えば済む問題だろうに……。


「うち、マジでワンマンだな……」


 自分が引き金となって、その対応には腹が立ったが、せっかく昇進したバイヤーが降格されてしまった。

 ワンマン社長の鶴のひと声を甘く見た報いなのであろうが、それは私も同じだった。

 まさかと思って当然というわけだ。


 そして翌日……。

 さらに頭の痛くなる事件が発生した。


「大塚! てめぇ!」


「ああん? やるのか? てめえ!」


 まがりなりにも、営業中のスーパーの商品搬入口で喧嘩をするいい大人二人。

 田中元バイヤーは、大塚店長のチクリで降格されたと思っていて……実際にそれも否定できないのだが……田中元バイヤーとしては、大塚店長にひと言言っておかなければ済まなかったのであろう。


 今日は公休なのかどうか知らなかったが、うちの店に乗り込んで大塚店長と喧嘩を始めてしまった。

 大塚店長も、今回の件に関しては少しは悪いと思っていたようだが、元ヤンキーとして売られた喧嘩は買わないとういけない……そんなわけないか。

 とにかく、いい年をした大人二人は盛大に殴り合いを始めた。


 私はこの手の荒事に慣れていないので、ただ見守ることしかできなかった。

 間に割って入って怪我をしても、病院に行く時間もないのだから仕方がない。

 それに、さすがは大塚店長。

 一方的に田中元バイヤーを殴り続けていた。

 残念ながら、田中元バイヤーは私寄りで喧嘩に慣れていないのだから当然だ。


 喧嘩ってのは、経験も重要だと聞く。

 あまり喧嘩と縁がなさそうな田中バイヤーには荷が重かったのであろう。


「大塚店長、これ以上は」


「けっ、弱いくせによ。ぺっ」


 大塚店長は、散々に殴られ地面に泣きながら倒れ伏している田中元バイヤーにツバを吐き捨てた。

 この辺の容赦のなさは、さすがというべきか。

 社会人としてどう思うかという疑問だが、それはちゃんとした会社の話で、うちのような零細ブラック企業は働ければ問題ないって感じだな。

 でなければ、大塚店長などとっくにクビになっているはずなのだから。


「おいっ! 仕事があるんだ! 戻るぞ」


「あの……でも……」


「知るか! 勝手に喧嘩を吹っかけてきたこいつが悪いんだ! 俺が殴っている時間分、帰るのが遅れたじゃないか。お前も、そんな奴は放置して仕事に戻れ!」


「はい……」


 残念ながら、今の私に大塚店長に逆らってまで田中元バイヤーを助けようとは思わなかった。

 元々、この人の融通の利かなさから出た結末だとも思っていたからだ。


「いらっしゃいませ」


 店内に戻ると、大塚店長は愛想よく接客をしていた。

 とても、ついさっきまで他人をタコ殴りにしていた人とは思えない。

 このくらい割り切れる人なら、この会社もそれなりに楽しいのかもしれない。


 そんな風に考えながら、私も商品の陳列に戻るのであった。

 

 あなたが購入している特売品には、もしかすると人の血と涙がついているのかもしれない。

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