第5話:道場な日常
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竜が孵化するまで、そして最低限の分別がつくまでの大凡の期間である一週間が学校が休みになっている。再開後の学校で竜に具体的な調教や戦闘訓練などが行われる。
――――――音はなく、動きもない。ただ、そこには負けられない戦いがある。
僅かに左手を動かす――――が、それはブラフ。
視線を逸らした幼竜、ソフィの隙を突くように一気に右手でその獲物を引き抜き――――即座に飛びかかるソフィだが、その瞬間には俺は動作を終えている。
一瞬の攻防に必要なのは、ただ工程の単純さだけ。
先手必殺、慈悲はない。
「――――もらったぁ!」
「……何で毛布一つでそんなに大騒ぎしてるのよ」
と、まだ自分の卵が孵化しないとかで暇つぶしに今日も現れたティアさんである。
ティアが遊びに来ると朝飯が保存食から焼きたてのパンとかにグレードアップするので普通に有り難いのだが。
「そりゃあ、洗濯しようとしたらソフィが阻止しようとしてくるからだろ」
「あ、名前決めたんだ」
「そうそう。なんか雌みたいだしソフィでいいかなーと」
「なんか雑…っ」
「後は名前の響きがいいかなと」
「う、うん、まぁ確かに」
どうやらソフィは自分が生まれた俺の布団の上を巣か何かだと勘違いしているようで(あながち間違いでもないような気もしないでもないが)、毛布を持っていくのになかなか納得しないのだ。そろそろ洗濯したい。
と、その様子を見ていたティアが不意に言った。
「もう『待て』でいいんじゃない?」
「いや、そう簡単に納得しないだろ。……待て」
と、果敢に俺の持ち上げた毛布に食いつこうとジャンプしていたソフィだったが、命令を聞くと不貞てたように布団に伏せた。……やだ、賢い。
「よし、ティア謹製のパンを一欠片だけ褒美にくれてやろう」
「……なんで竜にパンっ!?」
あつあつだぞー、とソフィの顔に近づけてやれば、拗ねたフリをしながら尻尾がパタパタと動くソフィ。単純である。
「ほら、いい子いい子――――って、今俺の指ごといこうとしただろ!?」
「アルト、子犬扱いしてるとそのうち大怪我するんじゃない?」
パンに食いついたソフィだが、明らかに指狙いであった。
小動物扱いされるとイラッとくるのかもしれない。一応こんなんでもドラゴンだし。パン食べてご機嫌になってるけど一応ドラゴンだし。
「まぁティアの焼くパンは美味いから仕方ないな」
「………褒めてもパンしか出ないから」
そんなことを言いながら朝食を食べた、卵選びから2日後の朝食。何年ぶりかに家に来て焼いてくれたパンだからか、なんだか無性に美味しく感じた。
「そろそろ私のも孵りそうだから」とティアが家に帰り、毛布を洗濯していると不意に玄関の呼び鈴が鳴った。
ちらり、とソフィの方を見ると呼び鈴に驚いたのか「なに!?」とばかりに布団の上に駆け込んで、威嚇なのか火蜥蜴のように身体を発光させていた。火蜥蜴と違って白色だが。……ランプ代わりに使えそうである。ドラゴンなのに。
そんな様子に苦笑しながら玄関の扉を開け――――。
「どちら様でしょうか―――――すみません、勧誘とかはお断りしてるんで」
「ほう、儂の顔を忘れたと言うのか小僧」
玄関に、道着を纏った筋肉がいた。もとい、老人がいた。
鋭い目つきに厳つい鼻、顔にある傷はかつて竜と剣で戦った時のものだとかいう、超武闘派な竜の里の最高権威である『長老会』の議長にして道場『天地無境流』の師範。ティアの祖父でもある、ログナム長老その人だ。
2メートル近い長身といい、一度も鍛錬を欠かしたことはないらしい筋肉といい、ゴリラ系の魔獣と殴りあっても勝ちそうな危険人物である。
「……ああ、すみません。こんな朝っぱらから道着での来客とか想定してなかったので、道場の勧誘かなと」
「クハハ、小僧を合法的にぶっ叩けるのなら本当に入門してもらいたいがのう。とりあえずウチの道場に来い小僧」
あと割と話を聞かない。
悪い人ではないのだが、剣術と孫娘に関しては容赦無いというか、どうせティアが俺の家に来てることに関して釘を差したいのだろう。
「ははは、今ちょっと幼竜の世話で忙しいので今度でいいですか?」
「ハハハ、そんなことではティアのことは許さんぞぉ?」
「長老の基準で行くとティアも嫁き遅れ待ったなしでしょうね」
「………ティアならばそのうちに本当に良い男を見つけると思うがのう!」
互いに顔を引き攣らせた笑顔を交わし、しかし空気は凍ったまま。
「………」
「………」
「―――――あーもう煩いぞジジィ! なんの用だオラァ!」
「えぇい、貴様の家からティアが朝帰りした件についてだこの糞餓鬼め!」
……ああ、昨日のか。
単純に早朝に来て朝に帰っただけなのだが、いつの間にか大事になっていたらしい。というかそういうことを大声で叫ぶと――――。
「―――――朝からっ、何を大声で叫んでいるのですか、お祖父様の馬鹿…っ!」
「グフゥ…ッ!?」
垣根を飛び越え、脇腹を抉るような見事なブロー。
息を切らせながら跳んできたティアは、頭痛を堪えるように頭に手を当ててから笑顔(ただし目は笑っていない)を浮かべて丁寧にこちらに一礼した。
「……すみません、コレがご迷惑をお掛け致しました」
「あー、うん。………今回ばっかりは俺にも非があると思うから、後でそっちの道場に行くわ」
流石に助けてもらったのにティアだけをこの爺さんの愚痴に付き合わせるのは正直申し訳ない。強制的に黙らせても後で煩そうだし。
「えっと、気持ちは嬉しいけど無理はしなくていいよ?」
「いつも世話になってるし。とりあえず洗濯だけしてから行くな」
と、ティアの声が聞こえたからか、バタバタという音と共にソフィが玄関に飛び出してきて、大ジャンプで俺の肩に乗ってから歓迎するかのように「ピィ」と鳴いた。正直に言って心臓に悪い。可愛いけど。
「……襲われたかと思ったぜ」
「あはは……ありがと、ソフィちゃん」
と、長老のあまりに筋肉ぶりかあるいは長身に驚いたのか、ビビって俺の影に隠れようとするあたりソフィの将来が不安なのだが。少なくともジャンプ力は大したものである。
―――――――――――――――――――――――――
(―――――もう、お祖父様ったら)
年頃の孫娘が朝帰りとか近所で大声で叫ぶのはデリカシーが無いとは思わないのだろうか。……余計なお見合いが減ってくれるのなら、そんなに悪く無いけれど。
そんなことを考えるティアは、道着に着替えて家の敷地内にある“二つ目の”剣道場に来ていた。昔から入り浸っていた場所であり、基本的には身内とか友人用のものだ。一つ目の門下生のためのものよりも小さめだが、強い魔法を使っても壊れないように堅牢な作りになっている。
お見合いなんて、かつて誓った『最高の竜使いになる』夢と比べれば時間を取られる障害でしかない。
『―――――竜使いに必要なものは、何か』
少なくともお見合いではないだろう。ティアは、それを昔から自己鍛錬だと定義してきた。最も才能を持ち、それを磨いた人間こそが最高の竜使い足りうる、と。
それを体現するのが若手のホープとされる兄であり、長老である祖父。そしてかつての両親であった。
かつては祖父も、ティアにはひたすらな鍛錬を求めていた。
そんな祖父が変わったのは、両親が戦いで命を落としてからだ。恐らくはティアに平凡な幸せを探して欲しいのだろう。
あるいは、昔のままならティアはその祖父を疎んでいたかもしれない。『それしか教えなかったくせに、私に才能が無いから見捨てるのか』と激怒したかもしれない。
――――それを間接的に防いだアルトを、お祖父様が嫌っているのは皮肉な話だけれど。
不意に道場の扉が開け放たれ、入っていくるのは見慣れた黒髪の少年。
普段のやる気なさげな目ではなく、研ぎ澄まされた刃のような瞳にどうしてか視線が引き込まれる。……肩に乗ってピカピカ光っている幼竜には思わず気が抜けたけれど。
基本的に、この道場では言葉はない。
『剣で語れ』というなんとも脳筋な流派であり、師範である祖父も、私と何度も手合わせして天地無境流を熟知しているアルトも、口を開くという無駄な行為を由としない。
「あ、ソフィ。ちょっとティアのとこにいてくれ」
……基本的には、無駄口はない。
さすがのソフィちゃんも自分の竜使い以外に抱えられるのは嫌なのか、アルトの肩を飛び降りて私の横に大人しく座ると、竹刀を持ったアルトは瞑目しているお祖父様の対面に移動して構えた。
――――――お祖父様が立ち上がり、互いに一礼。
一瞬の緊張、無限にも思える一瞬の後、風が吹いた―――――そう思われるほどの疾さで、お祖父様が動いた。
正眼からの振り下ろし。単純にして、強烈な一撃。
ひたすらに無駄を省いた一撃は、自然すぎて斬りかかったのだという理解した時には一撃が入っているほど洗練されている。
しかし相手もさるもの。それを柳のように受け流し、即座に胴を狙うのは、元々は私の振り下ろしを防げなかったアルトが編み出した技。それを防ぐためにまた私が返し技を考えて、ということを繰り返した結果、アルトは豊富な返し技とかなりの反射神経を持っている。
決して才能が豊富ではないものの、努力で磨きぬかれた剣技。
泥臭く、精密で、大胆な剣技はひたすらに一撃の鋭さを重んじる無境流とは似て非なる我流だけれど、それでも間違いなく強い。少なくとも、無境流を倒すために編み出された剣技であるのだから。
一撃、二撃、三撃、お祖父様の強烈な剣が何度も音を鳴らし、しかしアルトにすんでのところで届かない。そして無境流の奥義である必殺の突きを放とうとするたびに、巧妙な足運びと数手先を読んでいるかのような剣で妨げる。
試合そのものはお祖父様が圧倒している。
アルトが一撃放つまでに十は攻めているだろう。そのどれもが防ぐことに失敗してもおかしくないギリギリの防御か回避だ。
ただ、必殺の技を放たせないという点においてアルトは徹底していた。
流派を熟知しているという最高のアドバンテージをこれ以上なく活かした先読みに、ついにお祖父様が痺れを切らし―――――。
爆薬が炸裂したかのような、強烈な音が響いた。
新緑色に輝く竹刀を掲げるお祖父様に、嫌そうな顔を隠そうともしないアルトの竹刀も淡い紅に染まっていく。
「――――ええぃ、小癪な! じゃが、無境流の真骨頂は防げぬ剣よ!」
「大人げないぞ、ジジィ!」
(……というかお祖父様、戦闘中は無口が基本の流派なんですけど)
まぁ、なんとなく負けたような気がして叫ばずにはいられなかったのだろう。
最近では私もアルトに負けることはほぼ無いが、勝てることもまた稀なのだ。それだけアルトの無境流に対する先読みは卓越している。
強烈なマナを込められた竹刀の威力は、そうでないものの比較にならない。
地響きと共に踏み込んだお祖父様の一撃を受けた瞬間、炸裂音と共にアルトが派手に吹き飛ぶ。
それでも足に魔力を集め、上手く着地してみせるのは私の剣を何度も受けたからだ――――と言ってみるのはダメだろうか?
「ほう、マグレで一刀防ぎおったか―――――それがいつまで保つかのぅ?」
「マグレって言っとけばいいと思ってるあたり情けないぞ、ジジィ」
「えぇい、くたばれぃ!」
「誰がくたばるか!」
そんなこんなで、今日も私の家は平和です。
……あ、そうだ。卵を温めてこないと。
その後、ソフィちゃんがお腹を空かせて乱入するまで二人の打ち合いは続いたという。