第4話:孵化
―――――いつだか、「竜の卵を温める時はとりあえず一度だけ数十分も抱えれば後は毛布にでも包んでおいてもいい」と読んだことがあった。
要は卵の方が温められていると察知すればいいのだという。
その時は「そうなのか」程度にしか思っていなかったのだが、弱った卵を温める立場になるとそれより長く抱えていたら効果があるのか気になって仕方がない。
夏場にガンガン焚いた暖炉といい、とりあえずかき集めてみた毛布といい、もう完全に我慢大会の様相を呈してきた。我慢大会と違って水分補給は自由だし、火属性魔法の応用で排熱も可能なのだが。
しかし、流石に魔法の連続行使は負担が大きかったらしい。
暑すぎるので暖炉の火を消し、そのまま卵を抱えて布団に転がったらいつの間にか眠りに落ちていて。
――――――真夏でありながら、不思議と虫の声が聞こえない静かな夜だった。
あるいは虫たちも里のあちこちから感じる新たな竜達の気配を感じ取っていたのかもしれない。卵といえど竜は竜。虫たちも弱いからこそマナの流れには敏感だ。
そしてそんな静かな夜だからこそ、その音はやけに大きく響いた。
ピィ、と鳥の雛が鳴くような甲高い声。
聞き慣れない音に寝ぼけ眼を擦れば、一瞬、自分の抱えているヒビの入った白い物体はなんだろうかとまだ上手く回らない頭で考え―――――。
「って、孵ってる!?」
正確に言うなら孵ろうとしていた。
恐らく、寝起きの良くない俺が起きるまでにそれなりの時間が経っていたのだろう。驚きのあまり布団の上を転がって卵から離れると、ちょうど卵の殻を突き破り、白い物体が姿を見せた。
それは、確かに竜だった。
卵と同じ新雪のように白い鱗に、夜明け前の空のような透き通った青色の瞳。いかにも鋭そうな鉤爪に、既に生えそろった牙。
幼竜はどちらかというと珍しい四足で布団の上に転がり出ると、ぎこちなく翼を広げながら自分についた粘液を舐め取り、弱々しく鳴いて。
不意に、幼竜と目が合った。
幼竜は不思議そうに目を数回瞬かせると、もう一度ピィ、と鳴いてそのままぺしゃりと布団の上に突っ伏した。
「………っ。だ、大丈夫か!?」
慌てて近寄れば、どこからか聞こえてくるのはギュルギュルという腹の虫。
どうやら腹が減っているらしい、というベタ過ぎる答えに思わず安堵したのも束の間。―――――なんとまだ餌を用意していないということを思い出した。
元々卵を選んでから決めるつもりだったのだが、弱っているからと付きっきりでいることに拘り過ぎたのだろう。まさか一晩で孵るなんて思わないし。……家に他の誰かがいればまた違ったのかもしれないが。
とにかく竜に与えるべきはマナの豊富な肉や血液。
できれば魔獣であることが望ましく、新鮮でなければならないのだが――――当然ながら、魔獣なんてものは普通の動物よりも貴重であり、一般家庭に鮮度の高いものが備蓄してあるなんてことは無いのだ。
「――――やべぇ」
繰り返し何度も習うくらいの常識だが、竜は特に生まれて初めて口にしたものでその成長の大体を決めるという。適当でいいやくらいに思っていたのに、こうして竜が生まれるところを見るとそんなことも言っていられない。
自分が選んだ卵の竜であり、自分の相棒。
なら、しっかりと育て上げるのが責任というものだろう。
しかしどうすることもできず、幼竜に駆け寄った姿勢のまま何か手はないかと考える。古い魔獣の肉を引っ張りだして魔力を注入してみる? 今から魔獣の部位を扱ってる店に駆け込んでみる?
どうやっても古い肉は古い肉だし、窓を見れば今はまだ外は暗い。
八方塞がりで真っ白になった思考は、ふいに指に感じたこそばゆい感覚で中断される。ちょうど幼竜の顔の近くにあった右手の薬指を幼竜が弱々しく噛み付いていたのだ。
「ちょっ―――――いや、待てよ」
要は、魔力を扱える動物の新鮮な血液があればいいのだ。魔法を扱えるくらいだとなお
いい。そんな都合のいいものがいるのかと言えば、
「―――――いるじゃないか、ここに」
右手を幼竜の口から引っこ抜き、ありったけのマナを右手に集める。
集まった魔力で淡い赤色に輝く右手の指先に軽く傷をつけれやれば、出てくるのは魔獣とも遜色ないマナを持った血液だ。
人間は、決して強力な生物ではない。
かといって、人間という種族が弱いかと言えば否。工夫や技術、知恵で力を補う人間は魔獣にも負けない。だからこそ多くの村や町があり、国がある。
超強力な魔獣には足元にも及ばないだろうが、そこらのウサギやら牛やらと人間のどちらが強いかと言えば答えは明らかだろう。……それに、ある程度の血液でいいならマナをかき集めて強さを誤魔化すこともできる。
血の流れ出る指を幼竜に差し出すと、幼竜はゆっくりと、しかししっかりと咥えて。
―――――その青い瞳が朝焼けのような色彩に輝いたかと思うと、貧血のように急激に意識が遠くなった。
「――――――ぇ、ちょ……っ」
意識を失う直前に、幼竜の口から指を引き抜くことができたのは火事場の馬鹿力か、あるいは単純に幼竜が満足しただけか。いずれにせよ、俺は再び布団の上で眠る――――もとい、気を失うことになった。
―――――――――――――――――――――――
――――――今日はやけに鳥が騒がしい。
どうしてか身体は泥のようで、まだ眠っていたいと本能が叫んでいた。
すると鳥はひとしきり人の周りで騒いでいたかと思うと、不意に冷たい鱗の感触が頬に触れ。そのまま鞭のようにしなって頬を軽く叩いた。
「―――――って、うわっ!?」
思わず目を開ければ顔に触れるくらいの至近に、心なしか胡乱げな目でこちらを見ている幼竜の鼻先が。器用に身体を曲げている姿からして、恐らく頬を叩いたのは尻尾だったのだろう。
幼竜はそのまま鋭い牙が生えそろった口を大きく開けると、催促するように鳴いた。
………どうやら、餌の催促に来たらしい。
そういえば幼竜は3時間に1度くらいは何か食べると本で読んだだろうか。
外は日が昇ったばかりなのか僅かに明るいくらいで、当然ながら店は空いてないだろう。そして、これ以上マナを吸われると俺は割と本気で死ねる。マナ=生命力だし。
たぶん、想定外にマナを幼竜に吸われたせいで気絶していたのだろう。
……その間に食いつかれなくて何よりである。
「……よし、とりあえずこれとかどうだ」
試しに幼竜を抱えて(案外大人しかった)台所に行き、俺の主食である干し肉を切って与えてみる。すると、なんだか嫌そうな雰囲気を醸し出しつつ丸呑みにし―――そのままこっちの指に噛み付こうとした。
「うおっ、やめろ馬鹿!」
咄嗟に首根っこを掴んで阻止し、ジタバタと暴れる幼竜が口を開けないように押さえつけ。それでも止まらないので仕方なく近くにあった空の木箱に放り込んだ。
するとしばらくの間は甲高い鳴き声による猛抗議と共にガタガタと木箱が激しく揺れていたものの、すぐに蓋をこじ開けて飛び出してきた。
「―――――こわっ!」
ここは逃げるが勝ちか。と、不意に机の上に置きっぱなしになっていた竜使いの必需品である小型ポーチを見つけ。咄嗟に中からオヤツ用の小さな火蜥蜴を取り出して幼竜に放り投げた。
危険を感じたのか、体表を火のマナで発熱させて赤く光るという特技の威嚇をした火蜥蜴だったが、腹ペコな幼竜の眼前に放り投げられたのが運の尽き。むしろ光ったせいで目に留まったのかもしれないが、目にも留まらぬ早業で丸呑みにされ。別段熱がられもせず、すぐにおかわりを催促される始末。
……まぁ蜥蜴と竜じゃこんなものだろうか。
ともかく口にものを入れたからか、幼竜もやや大人しくなったように見える。
「……うお、ちょっと待てって」
ポーチに食いつかれないように餌くれアピールをする幼竜を左手で抑えながら、二匹目の火蜥蜴を取り出す。一応ポーチには各属性の小型な魔法生物を二匹ずつ入れてあるのだが、まだこの前の試験で使った土蚯蚓は補充していない。
と、そこで幼竜が意外と大人しく待ってくれることに気付いた。
ひょっとして犬みたいに「待て」とか「おすわり」とかできるんじゃないだろうか。少なくとも犬より賢くないことはないだろう。
「待て」
言いながら右手で火蜥蜴をぶら下げ、左手で幼竜が飛びつくのを抑えると、なんとなく察したのかすごい不満そうな目をしながらも一応止まり。
「よし、いいぞ」
言いながら火蜥蜴を差し出すと、口を開けたので放り込んでやる。
なんだか機嫌よさげに尻尾を振ってるあたりも犬っぽく見えてきた。げっぷ代わりに煙を吐き出しているところを見ると明らかに犬じゃないが。というか熱々の卵とかと同レベルで熱くなるんだけどその火蜥蜴。
ともかくそんな感じでポーチに入れてあったオヤツを全部を与えるとようやくお腹いっぱいになったのか、幼竜は生まれた場所である俺の布団の上で毛布に潜り込んで丸くなった。
けれどもこれで本当に今持っている魔獣系統のものは全部品切れで、もう一度ねだられると腹ペコ幼竜との追いかけっこが再び始まってしまうわけである。
「―――――仕方ない、餌を貰ってこよう」
そうと決めれば即行動。
さっきの干し肉の残りを自分で食べつつ着替えて庭に出ると足に魔力を集めて垣根を飛び越え――――ようとしてマナが足りずに断念。しょうがないのでハシゴを持ってきて突破し、お隣さんの敷地へ。ここ何年かはやってなかったが、昔はよくやったものである。
でもって、ちょうど俺の家の側にあるティアの部屋の窓をノックした。
「……おーい、ティアー?」
「……………アルトっ!? ななっ、なんで――――」
何かをひっくり返したような音が部屋から響き、ガタガタと引き出しを開けているような音がしたかと思うと不意に静かになり、それからカーテンが開いてティアが顔を覗かせた。
「な、何の御用でしょうか――――って、大丈夫!? 死にそうな顔してるよ!?」
「あー、うん。朝早く悪いんだが……卵が孵ったんだけど餌が無くて自分の血をあげたらこうなった。そしてもう何もないから助けてくれ……」
「……えっと、馬鹿?」
「うん、馬鹿」
本気で心配してくれたらしいティアは安心したのか呆れたのか、恐らくはその両方なのだろうが白い目でこちらを見た後「ちょっと待ってて」とだけ言って部屋に戻り。
ものの数十秒で金属製の皿に載せた肉を持って戻ってきた。
「すまん、助かる――――」
と、受け取ろうとするがティアはそれを無視すると開け放った窓からサンダルを落とし、軽やかに窓を飛び越えた。
「そんな死にそうな顔で送り返すなんて心配だわ。私も行く」
「………お、おう。ありがとう」
どうやらさっきの物音は上着を出して寝間着の上に羽織っていた音だったらしい。
ちなみにマナ不足で大ジャンプもできないと言うとティアに溜息を吐かれたが、先に垣根を飛び越えたティアにハシゴを持ち上げてコッチ側に移してもらって解決。
――――――で、ティアに貰った火炎魔牛の肉を少し切り。残りを食料倉庫に入れてから部屋に戻ると、幼竜に大歓迎された。
具体的には扉を開けた瞬間に足に飛びかかってきた。
……ティアの方から妙に可愛らしい悲鳴が聞こえた気がしたのだが、ともかく先に幼竜をなんとかする必要がある。
「待て、おすわり」
「………えっと、アルト? それ犬じゃなくて竜だよね……」
手で座るように示してやると、幼竜は「餌ちょうだい」とばかりに口を開けたまま座った。なかなか賢い。ティアには呆れ顔をされたが。
「いやほら、この頃から教えとけばいけるかなーと。ほら、いいぞ」
言いながら皿に載せて薄切りの肉を与えると、
「――――…私、成竜のおすわりとか見たくないけど」
それは確かに。かなりシュールなことになるだろう。
一応、世話について竜使いの授業としては「世話さえしとけば襲われなくなる」くらいしか教わってなくて、調教とかは学校で授業としてやることになっているのだが。ああでも、幼竜の頃から首輪をして繋いどくのを推奨されていただろうか。
「うん、上下関係をはっきりさせておくのが大事だって古い文献には書かれてたけど。でもご飯さえあげとけばなんとかなるって言う人も多いよね」
「あー、俺のとこは父さんが放し飼いにしてたからなぁ……」
「はっきり言って、個人差がありすぎるものね」
「餌によっては本気で草食動物並になるみたいだしな」
この前の授業で少し出た「最初の餌でウサギをあげた場合」とかでもそうだが、小型竜は気性が比較的穏やかなことが多いらしい。中型は割と気性が荒く、そして大型になってくると逆に大人しくなることが多いとか。
餌次第の竜の多様性の弊害だろうか。
猛獣みたいなのもいればウサギみたいなのもいて、正しい育て方なんて存在していないのだ。……まぁ、傭兵としての竜使いが生まれたのがここ百年程度という比較的新しい時期というのもあるかもしれないが。
「―――――むぅ、人間の血は思いつかなかったなぁ」
「止めとけ死ぬぞ。というかそれ噛まれないか?」
何だかんだで腹いっぱいになった幼竜は、座った俺の膝の上で丸くなるとゲップ代わりに煙を吐き出し。そのままうつらうつらし始めた。そしてそんな幼竜の頭を撫でようとティアが手を近づけようと試みては幼竜に微妙な目で見られて止めるのを繰り返していた。
「でもほら、なんだか人懐っこくない? 膝の上で寝るのなんて初めて見たもの」
「……うーん、まぁ確かに。でもありそうっちゃありそうだろ」
言いながら幼竜の背中を撫でてみると、ひんやりとした鱗の感触が心地いい。
ティアも負けじと手を近づけると、威嚇なのか口から煙を吐き出す幼竜に涙目になりながら抗議した。
「うぐっ、ちょ、ちょっとくらい良いじゃない……」
「正面から行くからじゃね?」
「それだわ」
そう言ってティアは俺の後ろに回ると、肩越しに手を伸ばして幼竜の背中を撫でた。……なんかいい匂いがするんですが。
と、撫でられた幼竜は後ろからなら気にならないのか、あるいは相手をするのが面倒なのか、寝ることに決めたらしく完全に丸くなって眼を閉じた。
「……か、かわいいっ」
「まぁ、確かに」
なんとなく背中から首へ、首から頭へと撫でる位置をずらして行くと、幼竜には半目で睨まれたもののそのまま頭を撫でることに成功した。
小さな頭はやはり背中と同じような感触だが、撫でられてみると満更でもなかったのか尻尾をパタパタと振っている幼竜を見ると可愛らしい。
と、不意にティアは音もなく―――ただし勢いもよく立ち上がり、幼竜を起こさないように小声で宣言した。
「――――私も孵してくる! ……あ、その子の名前が決まったら教えてね!」
「お、おう」
軽やかに走っていくティアを見送り、名前を考えていなかったことに気づく。
……というかコイツは雄なのだろうか、それとも雌なのだろうか。
tips
『ティア』
ティアの祖父は里の長老会(里に二つある議会の一つ)の議長であり、けっこうなお嬢様。アルトとは昔大喧嘩の末に悪友みたいなものになったとか。主な悪事は学校に不法侵入して訓練竜に乗ったりなど。そんな関係で、アルトに対しては割と口調が砕けている。数年に一度の秀才と呼ばれるが、兄は数十年に一度の鬼才とか呼ばれていたため、割と気にしている。
『サンダル』
帝国からの輸入品。ティア曰く流行最先端なのだとか。
『竜の里の文化』
元々は割と和風。最近は帝国からの流入品の影響もあって洋風が多い。なおサンダルの前は下駄だったのだとか。
『火蜥蜴』
危険を感じると発熱・発光する魔法生物。見た目は赤い蜥蜴。狭くて暗い場所だと割と大人しいため、竜使いのポーチの中身の定番。その熱さたるや熱々のおでんに匹敵し、相手が竜じゃなかったら投げつけるのは大変な嫌がらせである。