第2話:勝負
戦いがある前は、いつも決まって里の中は大騒ぎだった。
傭兵としての契約金による臨時収入とか、それでお酒を飲むとか色々な理由はあっただろうけれど、結局のところ皆不安だったのだろう。
いくら竜が強いと言っても、一般的な竜使いは戦闘中も竜に乗り続けることはできない。特に竜と竜が戦うような時には、荷物を抱えたままでは邪魔になる。というか乗っていても特に役に立たない。だから敵の竜が突破してくれば命の危険だってあるし、竜の背に乗っていても矢の雨を浴びれば竜に効かなくとも竜使いには致命傷になる。
それでも立派な竜使いである父さんと母さんなら。そしれその相棒であるランスとレイシアなら、誰にだって負けないと無邪気に信じていた。
『―――――やりたいことをして、なりたいものになればいい。そのために、俺たちは戦ってるんだから』
父さんと母さんを乗せて、二頭の竜が空の彼方に消える。幾人もの仲間と共に。
それからどれだけの時間が経ったのだろう。いつの間にか周囲は暗く、星明かりも見えない闇の中。しばらくして、聞こえてくるのは誰かの悲鳴。
あれだけいたはずの竜たちはランスだけになり、その背に乗っている―――乗せられていたのは、父さんではなく真っ赤に染まった母さんで。
―――――――その日、最後の戦いで。里にいた熟練の竜使いの半分が消えた。
そして、俺の幼馴染―――――ティアの両親だって、帰らなかったんだ。
――――――――――――――――――――――――――――
「――――――夢、かぁ」
目を開ければ、いつもどおりの朝。
もう少し高くなった太陽が、暑いくらいに部屋を照らして……。
「……あれ」
なんか、妙に太陽の位置が高いような気がする。
まぁ正確な時間なんて学校みたいな大きな施設にある時計くらいでしか分からないのだから、別に遅刻なんていつものことなのだが――――それでも今日は何かあったような。
「あ、試験か」
成人の儀式の一環として行われる“禊の儀式”こと“卵選び”の順番は、成績が優秀な順番に行われる。大体良い卵は先に選ばれていくわけである。普通の竜使い候補生にとって成績は死活問題だ。まぁ、俺はいっそ最後でもいいのだが――――。
『――――――明日の試験、本気でやって』
思いつめたような誰かの顔を、思い出した。
ちなみに試験に寝坊したアホに静かに怒りを燃やす姿とセットで。
「………あ」
冷や汗が流れだし、思わず布団から飛び出す。
試験で遅刻すると点数が――――というのはまぁいい。卵選びの順番とかはむしろ遅くていい。ただ、流石にテストをサボったりした日には流石の幼馴染でもマジギレするかもしれない。
………まぁ、なんだかんだ出来る限りは嫌われたくないと思っているわけで。けどまぁとっくの昔に嫌われてるだろうなぁというのも――――。
「――――ああもう、面倒くせぇ!」
こうして寝坊して急ぐのも何時ぶりだろうか、なんて益体もないことを考えながらも寝巻きを脱ぎ捨てて制服に着替えた。
――――こうなれば、魔法を使ってでも急ぐしかない。
人間を含む一部の生物は、万物に宿る精霊に生命力を与えることで、望む現象を引き起こす技術を持っている。竜のブレスなどはその最たるものだ。また人間はその応用―――あるいは劣化技として、生命力を身体の一部に集中させることで一時的に身体能力を高める”気”と呼ばれる技も持っている。
意識を沈め、高まった魔力が風を起こす。
危険を訴える本能を無視し、ありたっけの生命力を脚へ――――!
―――――――――――――――――――――――――――――
―――――で、ダメでした。
校庭にポツンと立つのは、俺と先生と訓練用の小型竜だけ。
時計はもう既に11時になっており、試験開始は2時間前だったことを教えてくれている。家を出た時点でもう終わってたようである。
「――――あのね、アルト君。確かにアルト君は名前順でも最初の方だから辛いのは分かるけど、もう全員終わってるからね? というか遅刻したの君だけだからね?」
「あー、すみません?」
“魔法”を使って登校速度を上げてみたのだが、アレって人間の持ってるマナ量だと30秒も高速で走れば確実に息切れするくらい消耗が激しいのでちょっとした小技か、いざというときの必殺技くらいにしか使い道が無かったりする。
下手に魔法で脚力を強化して走ると地面に穴が開くから使いどころも難しいし。
ちらりと校舎の方を見てみれば、とっくに試験を終えて教室に戻っている生徒たちのうち数人が窓からこっちを見ており。その中に能面みたいな顔をしたティアがいて冷や汗を流す。それに比べて呆れているだけの先生のなんと優しいことだろう。……もう諦めてるだけとも言えるが。
「もう……とにかく追試するよ。その子に乗って飛行して、あっちの小山に立てた旗を回ってスタート地点まで戻ってきて。試験時間は今から10分とします」
言われ、視線を上げれば300mほど離れた学校の敷地外の小山に立ててある訓練用の旗が風に僅かに靡いているのが見える。試験としては簡単な部類だろう。
「わかりました、っと」
さて、竜に乗る時に気をつけるのが大体の訓練竜に乗る際は献上品が必要になることである。竜使いの正式な相棒なら何もなくとも乗れたりするらしいが、誰でも乗れるように竜を調教するにはそれが一番簡単らしい。
ちなみにオヤツの選び方は竜の色を見るのが一番簡単なのだが――――火属性の赤竜には火属性のオヤツなど――――バランス良く育てられて茶色っぽくなった訓練竜では判別が難しい。
………まぁ、一番生徒に不人気な“土蚯蚓”でもあげとけばいいんじゃなだろうか。同じものばかりだと飽きるだろうし。
というわけで竜使いの必需品たる小型ポーチからうねうね動く新鮮な土蚯蚓を取り出して訓練竜に放ってやると、そこそこ嬉しそうに一呑み。味わってる隙に背中につけっぱなしの鞍に飛び乗り、鞍にある固定用の紐がしっかりと繋がっていることを確認してから足に結びつけて落ちないように固定する。
そして命綱を竜の首に通してベルトで固定、手綱を持てば飛行準備は完了である。どうやら土蚯蚓を食べ終えたらしい竜の首を軽く叩けば、やる気になってくれたらしく力強く嘶き―――。
「よし――――行けッ!」
足で竜の脇腹を軽く押し、早駆けの合図を送る。ポイントは早駆けの合図を出したまま手綱を一瞬だけ引くと『飛べ』という合図になることだろうか。
竜は勢いよく駆け出し、こちらは腰を浮かせることで強烈な振動を軽減する。
そのまま一気に加速して離陸するわけだが――――竜使い初心者がやりがちなのが落ちそうだからと無駄に手綱を強く引いてしまうこと。
命綱もあるし、もういっそ落ちてもいいんじゃないかくらいの気持ちで手綱を緩めて竜に任せるのがスピードを出すコツである。実際、やり始めは死ぬほど落ちるが、訓練してればいつの間にか落ちなくなる。熟練の竜使いなら誰でもできる技だが。
そうして竜が一際強く地面を蹴ったタイミングに合わせて鞍の上に戻り、後は全て竜に任せてしまえばいい。
――――――風が強くなる。身体が浮き上がる。大地を離れる。
心地よい緊張と共に、瞬く間に自由な大空へ。
細かな指示なんて要らない。誰よりも竜こそが、飛び方を知っている。だから竜使いは竜を従わせるのではなく、力を借りる人間に過ぎない―――。
訓練竜に限れば、誰だって空は飛べる。ただ竜を信じることさえできれば。
「―――――さあ、せっかく今日最後の飛行なんだ。好きに飛んじまえ!」
既に試験で何度も旗を回って飛んだ竜は、言われずとも目的なんて察する。そこらの馬や犬などは比較にならないほど賢いのだ、竜は。
現在の風から最適な高度を、言われずとも感じ取ることができる。最も早く飛ぶための航路を、竜こそが知っている。
一気に舞い上がり、楽しそうに鳴く竜に合わせて笑い声を上げる。上空の追い風を捕まえ、やや大回りなくらいに進路を取る。
瞬く間に目的の旗が近づき、足を固定した紐を両手で強く掴んで上体を固定すれば、それを察した竜が斜めに傾いて急旋回する。
そのまま一気に高度を落とし、反転したことで向かい風に変わった追い風の影響を最低限に、落下の加速すら活かして低空を滑空するように一気に校庭まで到達。そのまま盛大な土煙と共に着地し―――――竜に着地を任せたこともあって驚くほど小さな衝撃だけ受けて、ゴール地点に着地した。
「……き、記録59秒38……って、どうしてそんなに早いのっ!?」
と、帝国製らしき懐中時計を見て叫ぶ先生に「ちょっと早すぎたか」と反省。竜が思いの外早速く飛びたがったので仕方ないといえば仕方ないのだが。……まぁ、竜使い候補の指示で何度も飛んでれば竜もストレスも溜まるだろうけど(俺も含めてほぼ初心者しかいない)。ハッキリ言って竜に任せるのはタイムも竜の性格次第になるのでタイムアタックでは賢いやり方ではない。ストレスフリーなのは間違いないが。
熟練の竜使いは飛べば最適な飛び方が竜と同じくらい分かるらしいが、俺はとてもそんな領域にはなれない。
「あー、たまたまですよ。行きが追い風でしたし」
「いや、だってアルト君が竜に乗る前からだよ? それで1分切ってるんだよ? しかも訓練竜だよ? ティアちゃんの59秒35とほとんど変わらない2位だよ? すごいじゃない!」
げっ、そういえばティアと勝負だったのに負けたのか。
空を飛ぶと色々なことが頭から吹っ飛ぶのは昔からの悪い癖だったりするが…。と、先生から恨みがましそうな目で見られた。
「……遅刻さえなければ満点あげられたのに」
「あはは……落第せずに済みそうでなによりです」
追試扱いなので満点をとっても最低限のC評価。
一応本気ではある……と思うので、ティアにもそこまで怒られないはず。
そんなこんなで試験1日目はこれだけ。
教室に戻れば遅刻者のせいで帰宅できなかったクラスメイトたち(自習していた)に軽く文句を言われたものの、元々クラスには同学年の12人しかおらず仲も良いこともあって大過なく初日は終了となった――――と思いたかったのだが。
わいわいと教室を出て行くクラスメイトたちと対照的に、どういうわけか俺の机の前に立っていらっしゃる幼馴染さんが一人。どうやら怒ってるわけではなさそうなのだが、心なしか機嫌が良さそうで一体何を要求してくるのか――――。
「えーと、ティアさん?」
「……竜も疲れてる最後であの飛行は凄かった、と思うから。今回はアルトの勝ちでいい」
「へっ!?」
いや、待とう。
確かに試験が最後で竜が疲れてるというのはあると思うが、それもこれも遅刻する阿呆が悪いのである。しかも負けたら言うこと聞く的な状況で―――。
「……不満なの? 私が負けを認めたのに? せっかく何でも聞いてあげるのに?」
拗ねたように眉根を寄せつつも、若干口角が上がっているティアさんである。
こ、こいつ何か照れ隠しして――――いや、昔から妙になところで素直だったが、俺がキチンと“本気で”やったのが嬉しかったのか。勝負のこととか忘れたなんて言えねぇ。
………まぁ、ここは適当なところに落としておくか。
「んじゃ、報酬は俺が負けたらどうするつもりだったのか教えるってので」
「――――鬼畜…っ!?」
「はぁっ!? そんなに酷いこと命令する気だったのか!?」
「そ、そんなわけないでしょ! 自ら負けを認めた敗者を踏みにじるその姿勢が鬼畜なの!」
普段の余裕ぶった外向きの顔が剥がれるくらいドン引きするティアに、こっちも思わず「いや本気で何を命令する気だったんだよ」と引くくらい驚いたが。なんやかんや言ったことは守るのがこの幼馴染。
「わ、私はただアルトも一度ちゃんと竜を育ててみてほしいっていうのと、あと最近よそよそしいから“ティアさん”なんて呼び方やめて欲しいのと、それとあまりに遅刻が多いから起こしに行ってもいいかなーって――――ええ、全く大したことは無いわ」
「多いわッ!」
そういえば『言うことを聞く』とだけ言ってたけど何個か指定されてなかった――――怖っ!? 俺はもしかしてとんでもない不平等な賭けを結ばされていたのかもしれない。と、思わずツッコミを入れてからティアがニヤリと笑ったことに気づく。
「――――3個は多いのね、分かったわ」
「くっ、しまった」
なんとなく2個までしか要求しにくくしてしまった!
いや、元々特に何も要求する気は無かったけどさ。俺の方がタイム遅いし。……あ、そういやどうしたら負けなのかも特に指定されてなかったのか。
ま、いっか。もう終わったことだし。
「はぁ……とりあえず帰ろう」
「うんっ」
荷物を纏めれば、機嫌よく付いてくる気満々のティアに苦笑いだけ返し。久しぶりに二人並んで歩き出した。