第10話:非常の手
2話目です。
「―――――知らない天井だ」
絶対死んだと思ったんだけどなー。
どういうわけか、妙に身体が気怠いけれどそんなに痛みはない。と、寝ぼけた頭で考えると、心なしか嬉しそうな声でベッド脇に置かれた椅子に座っていたティアが言った。
「病院ですから」
「あ、ティア。おはよう? いや、こんばんはか……えっと、ありがとう?」
そういえば入院したことはなかったけれど、なるほど確かに病院らしく。しかし真夜中なのか、外は暗く、室内も僅かな明かりしかない。
どう考えても外を出歩く時間じゃなさそうなのだが、よくよく見ると目が赤く腫れたティアは拗ねたような顔をしつつ言った。
「言っておきますけど、運び込まれた時は出血が激しくて致命傷だって言われてたんだからね」
「あー、そういえば落ちた時に腕を切ったかも」
けっこうザックリいった気がしただけあって、今もギプスでガチガチに固められている。全治何ヶ月だろ、と乾いた笑みを浮かべると、目に涙を浮かべたティアがすごい剣幕で睨みつけてきていることに気付いた。
「………何があったの?」
「乗ってた訓練竜から体当りで落とされかけて、ソフィがキレた。で、細工がしてあったのか俺の命綱も切れた」
ティアはそれを聞くと僅かに顔を顰めたものの、僅かにトーンを落として言った。
「グルド……あの卒業生も重症だよ。もう二度と竜使いになることはないと思う。でも業腹だけど、規則を杓子定規に捉えるなら――――」
「直接襲われた場合を覗き、竜が他の竜使いを襲ってはならない。だろ」
まぁ訓練の一部だ、とか助けようとしたら焦って激突してしまった、とか。命綱の点検を怠ったとかゴリ押ししてきそうな感じはする。ティアがわざわざ言ってくれるということは、面倒なことになっているのだろう。……一応、その里の最高権力な議長の孫だし。
「私は例外だと思ってるけど……それに、その……アルトの腕も」
言われ、思わずガチガチに固められて感覚の無い自分の右腕を見てから、泣きそうなティアの方を見る。……なるほど。言われてみれば動かないのではなく動かせないのかもしれない。確かにこっちの腕も使い物にならないのなら、いずれにせよ使い手のいないソフィは“危険”だと処分されても仕方がないのか。
―――――嫌な流れだ。
出る杭は打たれる、ということだろうか。こうまでトントン拍子に嫌なことが並ぶと、見えない何かの悪意を感じてしまうが。
いずれにせよ、ソフィは……まぁ、ちょっと過剰防衛してくれただけだろうに。だから“竜使い”って仕組みは好きじゃないんだ――――と考えて、とある案が浮かんだ。
打つ手が無いのなら逃げちまえ、という雑な案だが。
点滴を外し、慎重に足をベッドから下ろす。
僅かに痛むが、まぁ誤差の範囲。ティアには信じられないものでもみたような顔で見られたけれど。
「……ねぇ、アルト。致命傷だったって言わなかった?」
「いや、ほら。ちょっとソフィを逃がしてこようかと」
「……………気持ちは分かるけど、犯罪だよ?」
「致命傷で寝てる患者が勝手に動くわけないだろ?」
「じゃ、じゃあなんで動いてるのよ!」
「つい、カッとなって?」
よいしょ、と両足で体重を支えてみると腰に激しい痛みが走った。
痛い。かなり痛い。が、歩けないほどではない。体内のマナを活性化させてやれば痛みもある程度まではごまかせる。
「悪いティア、もし誰か来たら誤魔化しといて――――って、おい」
「そんなの布団でも丸めておけばいいの。行くんでしょ、私も今回は腹が立ったし。私が忍びこむからアルトは灯台でも消して気を引いて」
せっせと偽装工作を始めるティアに思わずツッコむが、まぁいれば心強いのは間違いない。とはいえいくら灯台が楽に逃げるために重要でも、灯台よりソフィを逃がすほうが……。
「……そのまま逃げたら、死んじゃうわよ」
「あ、ははは……」
まぁ、あわよくば一緒に逃げたいと思っていたのは否定しない。
けれど確かに気を張っていなければ倒れそうなのも事実で、泣きそうなティアに「それでもいい」なんてことは言えそうにはなくて。
「いい? 危なくなったらフレイを呼んで。アルトの言うことも聞くように頼んでおくから」
「……ありがと。至れり尽くせりだな」
そこまでしてもらわなくても、と言いたいところだけれど要は呼ばなければ大丈夫だろう。最悪捕まっても、ソフィが逃がせれば特に心残りもない。
「鏡を見て言って。死にそうな顔してる」
「割と昔からそうだよ」
「――――あと、灯台が無理だったら諦めていいから」
「誰に言ってんだ」
うだうだと諦めが悪いのは専売特許なんだ、と言うと「イマイチ格好良くない」と言われ。二人で顔を見合わせて僅かに笑った。
「悪い、頼んだ」
「無理しないでよ」
ティアは軽やかにフレイに飛び乗り、それを見送った俺は灯台を探そうと周囲を見渡し――――。
見つからない。いや、里のどこでも見えたはず……と考えて、病院のすぐ近くに設置されていたことを思い出した。灯台下暗しをまさかこんなふうに味わう羽目になるとは。
「……近ッ!? え、なにこれ50メートルもないじゃん」
確か、暗くても病院にだけはすぐに行けるようにという意図があっただろうか。どうりでティアがあっさりと許可を出すはずである。とはいえ有事にはサーチライト的な使い方もされることもあり、今だけは消えてもらっていた方が都合がいい。
しかしどうやって明かりを消すか――――必ず二人くらいは竜使いが詰めているはずだし、ティアが手伝ってくれていることを考えれば、バレずに終わらせたい。
弓矢と魔力を併用すれば灯台まで届かせることくらいはできるけれど、それで運べる程度の水じゃあ火を消すのは無理だろう。かといって爆破したりしたら中にいる人が危ない。さてどうしたものか、と考えたところで竜のための病棟……もとい、病院の竜舎が目に入った。竜がいればなんとかなるかも、と思い覗いてみれば、ちょうどどこかで見た竜が。
「……あ、昼間の」
つい先程のことのようにも思える、飛行訓練で乗った訓練竜。今考えるとあの時は下剤でも飲まされてたのかなー、と思いつつ頭を撫でてやると元気そうに小さく鳴いた。
「………元気そうだな」
万一フレイを呼んだら使うかも、ということで持ってきていたポーチからオヤツをやると、訓練竜は嬉しそうに頭を擦りつけてきた。
「…………なぁ、ちょっと乗せてくれないか?」
………………
…………
……
「なぁ、今何か影が見えなかったか?」
「蝙蝠か何かだろう? それより、一応は物見台から合図がないかだけは確認しとけよ。今はお前の番なんだからな」
「ううっ、世知辛い里だ……んぐぅ」
「外だって下っ端はこんなもんだろ…………な、んだ……急に……ぐっ」
見張りが話し込んでいる隙に、風上から眠り薬を軽く撒く。
竜が全く気にならず、人はぐっすり眠る程度だけ。するとあっさりと見張り二人は眠りにつき(元々は竜を眠らせるために身につけたものなのでかなり強力である)、難なく灯台の上部に侵入成功。灯台の上にいた竜には挨拶がてらオヤツを放っておいたので機嫌よく見逃してくれる。……まぁ、同じ里の竜に咆えたらやかましくて仕方ないのだから当然といえばそうだが、なんとも杜撰である。
「……えーと、薪は………魔法で炭化させちまえばいいか」
マナは薪そのものから引き出せるので、一瞬かつノーコストで真っ白な灰のできあがり。一瞬で光が消えるが、夜目の利く竜からすれば眩しいものが無くなった程度でしかない。もう一度灯台の竜に賄賂代わりのオヤツを放り、訓練竜にまたがって病院へ。
なんとか意識を手放さずに竜を繋ぎ直し、片手でも案外いけるじゃないかとちょっとだけ後悔しつつもベッドに戻り。すぐに鍵を開けていた窓が開き、ティアが軽やかに部屋に侵入してきた。
「作戦成功、だよ」
「………そっか」
ありがとう、と呟くとドッと疲れが押し寄せてきた。
ソフィを逃せた安心か、あるいは目的を失った無気力か。いずれにせよそのまま意識を手放し。ティアの焦る声を尻目に眠りに就いた。
――――――――――――――――――
それから一週間。優秀なフレイのお陰で割と暇なので私は毎日アルトの見舞いにいった。
結局、アルトのことはなぁなぁで終わったといっていい。
あの愚兄など、「失うものがないならいいよね」などと言って議会での派閥の力を強めるために利用していたフシさえある。お祖父様は規則には煩いのでアテにはできない。
とはいえ、ソフィの見張りが相手の派閥だったために逃がしたことで面目を叩き潰してやった(逆に知り合いだったら頼めば手伝ってくれたとも思う)けれど。
まぁ、なんと言ってもアルトは死にかけて意識不明だったわけで。医師も「起きられるわけがない」と太鼓判を押してくれたくらいである。………それくらい、危なかったのに。
とにかく善意の誰かが勝手に逃がした、それくらい非は向こうにある。という愚兄による情報操作も上手くいってるようである。……私もアルトについていたので外に出ていない、ということになっている。時折、何故か恋人扱いみたいな話にまで膨れ上がってたのは兄様を引っ叩いたけれど。
とりあえず、下手においておくと八つ当たりでソフィが毒殺なんて可能性もあったので逃がしたこと自体は間違っていはいないと思う。それくらい最近の里の上層部はピリピリしているというか、空気がおかしい。それに一応、兄様も自分の派閥にはソフィも見つけても捕獲したり攻撃したりしないで連絡するように通達してくれてるらしいし。
「アルト、腰はもう平気?」
「………ん? あー、大丈夫。ありがとう」
ただ、アルトは完全に死んだ魚みたいな目になってしまった。
入院しているからまだいいけれど、これで誰もいない家に帰ったらそのまま引きこもってしまうのではないかという心配すらある。
………夢も目的も、相棒も一度になくしてしまったのだから仕方ないと思うけど。
なんとかソフィを合法的に戻せないかお祖父様に相談しても難しいと言うし。できれば兄様には頼りたくなかったけれど、そうも言っていられないのかもしれない。
後は何かアルトが元気になりそうなイベントは無かっただろうか。
……大規模バザーだろうか? 年に数回、帝国や西の協商連合を中心に多くの(里にしては)商人たちが訪れるバザーなら里の外からの出店ということであんまり竜とか関係ない品が多いし、種類も豊富だ。確かちょうどアルトの退院の日からバザーだったはず。見た限りではなんだかんだで体は元気そうだし。
「――――というわけでアルト、退院したらバザーに行きましょう?」