第1話:竜使いの掟
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戦場を覆うのは、いくつもの黒い影。
何時からか戦士たちはその黒い影に怯え、逃げ惑うようになった。
空を見上げれば、矢も届かぬ高空で争う翼を持った眩い鱗の竜たち。仮に自国の雇った竜が敗れれば、残る敵国に雇われた竜たちはたちまち自分たちに襲いかかり、頭上から炎を振り撒き、踏み潰し、蹴散らされる。彼らは人間などより遥かに大きく、強靭で、獰猛であった。
少なくとも、竜たちに制空権を握られてもなお生き残った国はいない。地上を這う誰もが理不尽を嘆き、幾つもの国が消えた長い戦の終わりを感じ取る。
既に、飛べる竜を握っているのはたった一つの里になった。
各国の保有していた空を飛べない竜は既に時代遅れの遺物で、どこの国も自国の兵士たちに価値を見出してはいない。
―――――――戦場の主役は竜であり、それを操るものたちであった。
彼ら“竜使い”と呼ばれる者たちは卵から竜を育てること、そして元々は翼に独自の切れ込みを入れて飛行できないようにすることで竜を従えていた。そうしなければ獰猛な竜を従えるのはあまりにも危険で、不可能であると思われていたためである。
しかしある時、その前提は覆された。
“竜の里”と呼ばれる、元々は遊牧民族だった者たちが築いた隠れ里。そこで生まれた一人の竜使いが、翼の切れ込みを改良することで飛行能力を持った竜を従えることに成功したのである。
その竜たちは“飛竜”と呼ばれ、竜の里は―――そして傭兵として彼らの協力を得た大陸北部の新興国家、ヴェルガーナ帝国は旧来の竜を用いる国家を次々と蹴散らして併合し、大陸北部戦争を勝ち抜いた最大の軍事国家として覇を唱えた。
竜は全ての戦場における支配者であり、畏怖すべき力の象徴で。
そして竜の里で竜使いを目指す人間にとっては、各々の栄光への手掛かりであり、生きる手段であり、あるいは憧れでもあった―――――。
――――――――――――――――――――――――――――
いつかの景色。いつかの青空。
まだ、その空が何処までも続いていて、眩く輝いているのだと信じていた頃。
―――――――その姿は、どこまでも自由で。
どこまでも青い空を、眩い蒼穹色の鱗の竜が翔ける。
渦巻く突風のような魔力の奔流が、その竜が決して翼だけの力だけで飛んでいるわけではないことを教えてくれる。風の精霊の助力を得て竜はどこまでだって飛んでいけるし、その身体が大きくともどんな鳥にだって遅れは取らないのだと本能的に感じた。
「わぁ……」
だから、口をついて出たのは純粋な感嘆。完成された美術品を眺めるような、あるいは自然という永い競争の中をを生き抜いてきた最強の生物への憧憬。
ふいに、その竜が地上を見下ろして進路を変える。円を描くように高度を落とし、隣にいた父さんが寄り添うように俺を抱え上げる。
見たことがないほど厳しい表情をした父さんは、静かに前方を見据えていて。
「父さん?」
「なぁ、アルト。俺たちみたいな“竜使い”には決して忘れてはいけないことがある。―――――それは、竜からすれば俺たちはあまりにも弱いってことだ」
前方にいたのは、どうしてか一緒に連れて来ていた、何度か世話をしたことのある牛だった。家の裏にある牛舎で飼っていたうちの一頭で、昔からいたから何度となくミルクをもらったことがあったのを覚えている。そして、その牛が悲鳴をあげて駆け出した。
――――――気づかれたと分かった竜の動きは素早かった。翼を折りたたむと矢のように急降下、鋭い鉤爪が閃いたかと思うと牛は竜に地上スレスレで水平飛行に移った竜に蹴り飛ばされ。派手に地面を転がったかと思うと動かなくなった。
呆然とする俺の前で、竜は牛を一呑みで食べてしまう。
別に家族とか、ペットというほどの関係ではなかった。なんとなくいつも牛舎にいる牛の中の一頭というだけ。けれどまだ幼かった俺には十分以上に衝撃的で。竜に食べさせるために連れてきたのだということなんてまるで分かってはいなかったのだ。
「竜は恐ろしいものだ。人を殺すのに苦労なんてないだろう。だから“俺たち”は、竜を育てる。決して竜と人との力の差に劣らぬ“絆”を育てるんだ――――」
俺を地面に降ろし、竜に向かって歩き出す父さんに何か言おうとするも声はでない。ただ、そこにあるのは漠然とした恐怖。父さんも“ああ”なってしまうのではという当然の恐怖は――――しかし、頭を下げて嬉しそうに喉を鳴らす竜の姿にあっさりと裏切られた。
「おう、ランス。悪かったな、あんまり来てやれなくて」
恐れること無く竜の頭を撫でる父さんに、嬉しそうに目を細める竜。恐れがなければ疑いもない。そこにあるとすれば、種族を超えた確かな信頼だけで。
だから、そう。俺はどうしようもなくそれが、羨ましいと思ったんだ―――――。
――――――そう、思っていた。“あの時”までは。
――――――――――――――――――――――――――
大陸の北部での戦争がほぼ終結して、およそ2年。
世界はそれなりに平和を取り戻し、竜使いの里でも戦いに出る姿は見られなくなった、そんな時。俺は、学校に通っていた。
――――――竜使いの里にある学校は一つである。
決して人口が多くない、元々は少数民族が集まってできたこの里ではとりあえず全ての子どもはこの学校で竜について学ぶことになっている。
それは遊牧民族だった頃はとにかく竜を飼いならさなければ魔獣の多い山岳地帯で食料を確保することが困難だったという過去と、傭兵として破格の稼ぎを叩き出せる竜使いの育成は肥大化した竜育成の予算を賄うために必須という現在がある。
要は、最初の頃は竜を飼いならしてなんとか食事が取れるような状態だったのが傭兵として働くことで稼ぎが上がり、“他の”竜使いに勝つためにより大きく強い竜を育てることで更に稼ぎを大きくし――――大きな竜を賄う莫大な餌代のために傭兵を続けることが必須になった。
つまり現在のような平和な時に竜を育てるのは財政を圧迫する自殺行為でしかないのだが、数がいなければ傭兵としての働きも満足にできない。そんなわけで、現在でも15歳の成人と共に竜の卵を育てることはこの里の全ての子どもの義務となっているのであった。
例外的に竜使いに嫁入りすることが決まっていて免除を希望する女子ならともかく、全ての男子と里の外で働く気の女子には必須と言える。
だから、竜使いとしての教育は受けざるを得ない。そしてもう既に15歳の誕生日を迎えているから、1週間後に迫った“卵選び”にも参加するしかない。成績が良かった順に卵を選ぶことができるが、逆に成績が悪くても順番が遅いだけで結局卵は選ばされる。
そうなれば卵が孵化しなかった場合を除いて、竜が成竜になるまでの数年の期間に教育を受け、なし崩し的に傭兵として働きに出ることになるだろう。
――――――例え、竜使いになりたくない場合でも。
カツカツと音を立てて、白いチョークが黒板を走る。
つい数年前に帝国で開発されたというこのチョークは、かなりの早さでこの竜の里にも導入されており。そうしたところにも両者のつながりが感じられる。
ただクラス担任である金髪碧眼、ガネーシャ先生はいかにも不慣れといった様子でチョークを使っており、ちょっと字が読み難い。まぁそれがむしろ良いと言う生徒は多いのだが。
そんなスタイルは良いのだがイマイチ背が低い先生は背伸びしながら『竜に与えるべき餌の選定』というタイトルを書き終えて、どういうわけか目立たないように影に徹しているこっちを見つつ言った。
「さて、竜を育てる上で最も大切なのが、最初に与える餌です。竜はあらゆる環境に適応できるよう、特に初めて口にしたものに合わせて自身の身体を成長させることが知られています――――では、アルト君。火炎魔牛の肉を与えるとどんなふうに成長するでしょうか?」
「――――えー、牛になります」
「なりませんよ!?」
「じゃあ丸々太る――――」
「太りません! 正解は属性が火に近くなり、やや筋肉質になります! これは火炎魔牛の吐き出す炎や脚力、そしてパワーに対抗するためであると考えられています――――はい、アルト君ノート取って!」
「……へーい」
そう、竜は食べた獲物の力を自らのものにするという能力がある。さすがの竜といえども何の理由も前触れもなく強くなるのは不可能だが、食べたものの特徴を読み取り、それに対抗するように成長することが竜使いたちの長年の経験で分かっているのだ。
「では次――――そのように竜の餌には魔獣の肉や血液を与えるのが望ましいですが、その他に注意すべきことが分かる人いますか?」
と、二人の手が上がる。一人はどこかおどおどした印象を受ける金髪の少年、もう一人は無表情な優等生といった雰囲気の黒髪の少女だ――――と、その少女と不意に目が合い、ジト目で睨まれた。口の動きで抗議すると、相手も同じように返してくる。
(……なんだよ)
(クズですね)
「知ってるくせ」にと非難する、不満とやる気に満ちた目は、がむしゃらに竜使いになろうとしていた頃の自分を彷彿させられるようで思わず目をそらし。そうこうしている間に金髪の少年の方が指名された。
「―――はい、じゃあロイン君。何だと思う?」
「は、はい! ……えっと、弱い魔獣の餌をあげると弱くなっちゃう…とか?」
「むむっ、凄くいい考え方だけど――――実は、どんな弱い魔獣でも生き残るための知恵を持ってるの。そして竜は、それも会得することができるんだ」
例えば、ウサギ系の魔獣の肉を与えられたなら竜はウサギの瞬発力を学習し、力を犠牲にして速度を伸ばす。そして、あまり身体が大きくならない。与えられた餌から周囲には小型の草食獣しかいないと判断して、それを捕まえることに特化するのだ。
他にも毒を持った生き物を与えられれば毒に適応した姿に成長するし、水中の生き物を与えられればヒレが生えることもあるという。竜万能すぎである。まぁそれだけ餌が重要になるのだが、そのあたりが竜使いの腕に見せ所なのだろう。
「だから、竜にあげちゃいけない種類の動物はいません。――――じゃあ、それを踏まえて何に気をつけたらいいか分かるかな? ティアちゃん」
「はい、竜が読み取るのは生命エネルギーであるマナなので、鮮度が悪い餌を与えられるとうまく能力を学習できないことがあります」
黒髪少女――――幼馴染であるティアは事も無げに答え、当然のように正解。
全ての生命に宿るエネルギー、“マナ”は魔法の行使に必要なエネルギーであり、生命エネルギーと呼ばれるだけあって死んで時間が経てば大地に還元されてしまうとされている。鮮度が悪い食べ物を貰った竜は、それほどまでに食べ物が困窮していると判断して少しでも食事量を減らすべく成長を止めてしまうこともあるのだとか。
「そうです、ティアちゃん正解。竜使いは自分が望む竜の姿を考えて新鮮な餌を与える必要があります。これは特に生まれて初めての餌の影響が大きいことで有名ですが、いわゆる成長期の食べ物も影響が大きいことが分かっています」
そう言って先生は、代表的な餌の例を黒板に書いていく。
火炎魔牛や森林虎、断崖鷹など、それなりに大きい肉食の魔獣がメインである。
「はい、ここで注意ですが――――毎年、毎年必ず無理してベヘモスみたいな巨大魔獣のお肉を頑張って用意して破産しそうになる人がいます。ものすごい勢いで竜が大きくなって食事が大変なことになるので絶対にやめてください」
「……ええっ、ダメなんですか!? ぼ、俺の完璧な予定が……」
ちなみにベヘモスっていうのは“歩く災害”なんて呼ばれ方をする巨大な亀である。小さな山に匹敵するほど大きく、時折周回ルートを変える動く大迷惑が町を踏み潰したという報告は数年に一度はある。そんな肉なんて食べたら未曾有の危険を察知した幼竜が爆発的にデカくなって手に負えなくなる。もれなく怪獣大決戦である。
しかしながら、誰しもが自分の考える最強のドラゴンを育てることを目指して頑張っているクラスのあちらこちらから嘆きの声があがった。
「えー、だめなのー!?」
「嘘だろおい」
「いっそ大怪獣決戦しようぜ!」
「絶対ダメですよ!? 食事療法で過剰成長を止めるのも竜に負担がかかりますし、小さくすることはできません。竜舎に入らなくなったらどうにもできないですからね!」
「………せんせー、もう行商人の人に予約しちゃいました」
「ええっ」と愕然とする先生の気持ちは推して知るべし。
この時期、新米竜使いにはその手の危険物は売らないようにという話が行商人には周知されていると聞いたことがあるのだが…。
兎にも角にも、先生は僅かに焦った様子で言った。
「……わかりました、現役に欲しい人がいないか聞いてみますから、絶対に幼竜にあげちゃダメですよ」
「はーい……」
と、そこでちょうど終業のチャイム。
少し元気の無くなった先生は問題解決のためにも急いで職員室に向かいたいのか若干早口でHRを済ませた。
「――――はい、明日から期末試験です! 特にこのクラスは初日から『騎乗試験』がありますから、絶対に遅刻しないように! 遅刻したら追試扱いで合格最低点しか取れませんからね! 何か連絡のある人いますかー? はいじゃあ解散!」
少々ザワつく教室は、やはりというか竜に与える最初の餌を何にするかという話題。それと試験と、成績の話。
期末試験は初日に騎乗試験、二日目と三日目に記述試験があり、それらのテストの成績の合計得点が高い順に成人の儀式の時に竜の卵を選ぶことができる。基本的に生きのいい卵から持っていかれるので成績の高さはけっこう重要だったりするのだが。
まぁ、試験は適当に手を抜いて『竜使いにならない布石』にするとして、『もしも竜が孵化してしまった場合』に餌は何を与えれるのが一番“適当”か考えとかないと――――などと思いながら荷物をまとめると、唐突に強い力で腕を掴まれた。
「――――…ちょっと来て」
「へっ」
振り返れば、相変わらず無表情ながら「拒否権はない」とでも言いたげなティア。幼馴染とはいえ美少女に腕を掴まれるのは満更でもない――――などと考えるより前に身の危険を感じるのは俺の日頃の行いのせいだろうか。しかしティアは有無を言わさず、こちらを引きずる勢いで歩き出した。
「ま、待て落ち着け。分かった、自分で歩くから!」
「……ん」
(………まずい、どれで怒ってるのかさっぱり分からない)
まずどれで怒っているのだろうか、などと考えてしまうあたり日頃の行いはお察しである。しかし怒られる心当たりはいくらでもあるが、こうして引きずられて前連れさらわれるのは想定外。靴を履く時まで逃げないよう睨むのは勘弁して欲しいが。
そんなピリピリとした空気のまま校門を出て、何故か家とは逆方向へ。ティアとは家が隣同士なので、自動的に二人共家から離れることになるのだが。
「……ティアさん、家が遠ざかってるんですが」
「私を家に上げるのと、私の家に上がるのと、人気のない場所で話をするのならどれがいい?」
なんかちょっと怖い笑顔のティアの言うとおり、家に上がるとなんやかんやと周囲がうるさい。特に、里一番の優等生と里で一番の問題児が一緒ともなれば。
「……できればどれも遠慮したいなーと」
「じゃあ私が決めるわ」
やっぱり拒否権はなかった。そんなこんなで、歩くこと数分。
元々山と山の間に作られた竜の里の道は大体が険しく、特に学校はスペースの関係で里の西の端っこの山の頂上付近に造られているので、中央に位置する市街地と反対方向に進めばすぐに人気のない場所に出る。
そうして辿り着いたちょっとした広場は“西物見”と呼ばれる里の西の端っこにある物見櫓のある場所で。……西方の魔獣が多い地域の警戒のために現役の竜使いが必ず詰めている場所なので、どう考えても内密の話には向かない場所なのだが。
学校が既に終わった夕方ともあって夕日が眩しいその場所で、ティアは到着するなり無表情ながらも真剣な目つきで言った。
「――――――明日の試験、本気でやって」
その言葉に、僅かに息が詰まる。
何の要件かと思えば――――試験の話。……まぁ、真面目にやってる人間からすれば故意に手を抜いてるヤツは目障りだろうが。それでも何も考えずに手を抜いてるわけではない。
「……俺はいつだって真面目だ」
「真面目に手を抜いてるでしょ。―――――だって。まだ、好きなんでしょう?」
まだ、好き―――――そりゃあ、何があったって好きだったものをそう簡単に嫌いになんてなれやしない。それに、嫌いだから竜使いになりたくないわけでもない。
一歩、距離を詰められる。
咄嗟に距離を取りそうになるが、逃げたら負けを認めるようで踏みとどまり。
「……それでも、俺は――――竜使いになんてなりたくない」
―――――初めてしっかりと口に出した言葉に、僅かに胸が痛む。
脳裏を過るのは、いつかの焼け焦げた鉄の匂い。徐々に熱を失っていく鱗。真っ赤な染みが広がるのをただ呆然と見ていたあの心が焼けつくような冷たさを、何もしてやれない無力さを、忘れて日なんてなくて――――。
「………アルト?」
「…っ」
戸惑うような、あるいは気遣うような幼馴染の瞳。
糾弾するために呼んだんじゃないのか、と皮肉るつもりが口を出たのは掠れた音で。ティアは意を決したように手を振り上げ。
「―――――ふんっ!」
「……いってぇ!?」
ばちーん。音が響くほどの突然のビンタに目を白黒させる俺に、ティアはなぜか満足気な顔で言った。
「ちょっとはマシになったわ」
「俺の顔はマシどころか悪化したんだけど!? なんで叩いた、オイ!」
「そうね。じゃあ、明日の試験で負けた方がなんでも言うこと聞くってことにしましょう」
「話聞けよ、こら」
思考が沈んでいたから気合を入れた――――という意図はまぁ分かるのだが、ドヤ顔をされると微妙に腹立たしい。頬に紅葉ができてそうである。と、いつの間にか眼前にまで来ていたティアは不敵な笑みを浮かべて言った。
「あら、私じゃ不満? ――――まぁ、完膚なきまでに叩き潰してあげるけど」
「………いや、だから」
顔は美少女なのになんでこんな性格なのか。
けれど、不思議と嬉しそうに笑うティアを見ていると怒っているのも馬鹿らしく思えて。……いや、決して笑顔に見とれたわけではないのだが。
「それじゃ、また明日ね?」
「……へいへい」
面倒事が増えたなー。と思いながら、とりあえず一緒に歩くのは気まずいので市街地方面に去っていくティアの背中を見送り。そうすると不意に背後に気配を感じた。
どうやら知り合いのようである。できればあんまり会いたくなかったのだが。しかも「やあ」などと声をかけてくるものだから無視することもできない。
しぶしぶ振り返れば、ティアによく似た顔立ちの黒髪の男性の姿。まぁ端的に言えばティアのお兄さんなのだが、妹と違って人の良さそうな雰囲気がにじみ出ている。……実際はこっちのほうが人が悪いのだが。
―――――まぁ、ティアが場所に妙な配慮をしていた時点でもしかしてこの人の入れ知恵ではないかと若干思った。
「いやぁ、妹がすまないねアルト君」
「ケイさん――――なるほど、ティアが場所をここにしたのはそういうことですか」
あえてこの西の物見――――竜使いが駐在する場所で話をした理由。
元々ケイさんことケイオスさんが俺に話をするためにティアに頼んでいたのだとすれば納得がいく。面倒なことしないでくださいという胡乱な目を向けてれば、苦笑いを返される。
「ま、そういうことになるのかな? 僕としても邪魔が入らない場所で話したかったからね」
ニコニコと微笑む姿は、昔からその真意を窺うことが難しい。現役で働く竜使いであり、非戦時中の今でも里の外でも働く許可を得ているかなりの凄腕。現在の里の長老会議の議長の孫でもあり、確か年は俺よりも7~8歳は上だっただろうか。
間違っても里一番の落ちこぼれと関わるような人ではないのだが……親同士の仲が良かったのだからある程度は仕方ないと思うしか無い。
関わりたくないことに間違いはないが。
―――――――誰だって、諦めようと思ったものを見たくはない。
「……えーと、できれば早く帰って明日の試験の勉強したいなーと」
極めてマトモな言い分であろう。自分でも言っててそう思ったのだが、全く笑みを崩す気配のないケイさんは大して気にした様子もなく言った。
「うん、じゃあ簡潔に―――――今の里は凄く、竜にとって窮屈だと思わないかい?」
そう言って、ケイさんは笑った。
平和な時代と、戦争のための竜は合わない。その歪みは確実に出てきているし、このまま行けばいつか破綻するのではないかというのは容易に想像できる。それで本当にいいのか、と。
「――――無理にとは言わない。けど、僕は竜たちがより自由に暮らせるように現状を変えたい。そして僕は、君ならその力になってくれると信じている」
「………」
なるほど、それは正しいように思える。
けれどそれでも、俺は――――――戦いたいなんて思えない。臆病だと笑われようと、もう二度とあんな―――――虚しい気持ちになるために、竜を育てたくはない。
歯を食いしばり、痛いくらいに拳を握りしめる。そんな俺を見て、ケイさんは困ったように笑った。
「まぁ、頭の片隅に置いておいてくれればいいさ。けど、どうせなら――――理想のために戦いたいじゃないか。……それじゃ、明日の試験頑張ってね」
それだけ言って、ケイさんは物見櫓の方に戻っていき。
後には立ち尽くす俺だけが残された。勝手に言いたい放題言いやがって、と愚痴の一つでも言いたいところだが。
「―――――父さん、俺は……」
―――――覚えている。
死んでいった母さんを。帰らなかった父さんを。なんとか母さんを送り届けようと、満身創痍で、今にも力尽きそうになりながらも帰ってきた時の竜の姿を、まだ覚えているんだ―――。
『――――まだ、好きなんでしょう?』
それはそうだ。子どもの頃に憧れた“夢”を、そうそう嫌いになんてなれやしない。
けど、その竜を戦いに駆り立てるのが竜使いだというのに、それが大切な“家族”を奪っていったのに、どうしてそんなものを目指せるというのだろうか――――。
誰も何も言ってはくれず、冷たい風だけが通り抜けていく。
不意に影が上空を横切り、力強く羽ばたく竜が自由に大空を舞う。その姿に感じたのは、やはり強い憧れで。それを振り切るように、振り向くこと無く家路を急いだ。