(前編)
まこから聞いた香織の結婚話。
ほんとは仕事なんか入ってない。
嘘をついてることなんて、きっとまこはお見通しなんだろうな。
朝から出掛けてパチンコ屋でじっと座って
ちっとも噴かない台に苛立つこともなく、ただ何となく銀の玉を打ち上げてた。
こんな賑やかな場所にいるのに、周りの音も気にならなくって
俺はぼんやりと昔の女の事を思い出してた。
あいつを見付けた日のことを。
あの女・・・・・・何してんだ?
初めてあいつを見つけた時、俺は信号待ちの車の中
後ろの車にクラクション鳴らされるまで、信号が青になった事に気づかないほどだった。
なにしろ歩道に立ってたあいつが空を見上げて
降り出したばっかりの雪を大口開けて食ってたから。
嬉しそうに手を広げて、持ってたカバンも地面において
空から降ってくる白い雪を食ってたんだ。
一目惚れって本当にあるんだなってそう思った。
車をUターンさせた俺はあいつの後をつけた。
最低だけど、でもどうしてもあいつを俺の女にしたくなった。
それまで味わったことのない不思議な感情だった。
アパートに入っていくあいつを見て
またここに来ればいつかチャンスがあるとそう思ってた。
次の日の朝、早起きの苦手な俺が珍しく早く目が覚めて
気がついたらあいつのアパートの前まで来てた。
これじゃストーカーだよなって思いながらも、駅に向かうあいつをつけて
帰りの時間はわからなくてもそこで待ってればきっと会えると思った。
あの日は急に雨が降り出して、駅で待ち伏せてた俺は今しかないと思って声をかけた。
「なぁ・・・乗ってかね?」
「・・・・・そんな、いいです。家こっから近いし。少しくらい濡れても大丈夫ですから」
「風邪ひくからさ」
「でも・・・やっぱり悪いですし・・・・・」
「別になんもしねーよ。そんなに警戒すんなよ」
「警戒なんて・・・・・してないですから」
俺が言った言葉に、そんなつもりじゃないとでも言いたかったのか
それからあいつは小さな声で、じゃお願いしますって言って車に乗った。
車の中ではずっと黙ってて、じっと窓の方を眺めてた。
さすがに住んでるところを知ってるとは言えないから、白々しく道案内だけはさせた。
アパートの前で何度も礼を言って、ちょこちょこと部屋に入って行く。
一人暮らしなんだから、俺が車出すまでは部屋に入るんじゃねーよって思った。
ほんとに危なっかしい女だなって。
次の日も仕事が終わってから駅の前で待ってた。
改札を出てきたあいつはちょっと驚いた顔をして
「今日は雨は降ってませんよ」
なんて言ったけど、そう言いながらもあいつは笑ってた。
二回目に会ったときに名前を聞いた。
・・・・・・香織・・・・・・・
車で三分もかからない距離を毎日送って帰った。
その短い時間の中でいろんな話をした。
今日のお昼は何食べたとか、会社の机で足の小指ぶつけたとか
仕事で嫌な事があったとべそをかくこともあった。
そんな他愛のない会話だったけど、それでも俺は楽しかった。
少しでも長く話していたいと思った。
「飯でも食いに行かね?」
「へっ?めし・・・ですか?」
何が食いたいか聞いたら、あいつはしばらく考えた挙句
「たこ焼き」って言いやがった。
めしって言ったのに・・・全く、面白い女。
俺がガキの頃から良く行くたこ焼き屋に行って、車の中で二人で食った。
ここのタコ大きいね、美味しいねって何度も言ってた。
あいつは猫舌で、何度もふーふーするもんだから
見てると可愛くて堪らなくなって、青ノリだらけの唇にキスをした。
香織は驚いた顔をして泣いてしまって、慌てて謝ったら
「・・・どうしてキスしたの?」
「なぁ・・・付き合ってくんない?」
そんな質問するかよって思ってこっちが恥ずかしかった。
こいつには口でいってやらないと駄目なんだなって思った。
まぁ、普通にそうなんだろうけど。
俺はそれまでそんなに本気で女と付き合ったことがなかった。
確かにその時、遊んでる女はいたけど、正直好きだとかなんだとか面倒なことは嫌いだった。
その女とだって、最初にキスしたらそのまま抱かせてくれたし
言わなくてもわかる女の方が楽でよかったはずなのに。
香織は泣きながら俺に謝った。
いきなり手出した俺が悪いのに、あいつは何度もごめんなさいって言ってた。
彼氏がいるという香織は、その男のことは今はあまり好きじゃないって
そして俺のことを好きになったって言うから
俺は香織にその男の事は心配するなって言って抱きしめた。
そんな手のかかる女に心底惚れてしまった。
俺は香織にその男に会わせるように言ったけど
先輩に相談してみるって、その人の紹介だからっていうからしばらく様子をみることにした。
本当は俺が話して別れさせてしまう方が早いのにって思ったけど
無茶なことしないでって香織が止めるから。
そして俺もそれから遊んでた女に話つけて、もう会わないからって伝えた。
どうせ向こうも遊びだったんだろうけどな。
香織に女のこと知られたら、またあいつの事だから泣くかもしれないって思った。
香織に聞いたらその先輩が話つけたからって言うから安心してたのに
実際その相手の男は相当にタチが悪かった。
夜中のうちに香織の家にやってきて、玄関のドアにベタベタと張り紙して帰ったのが始まり。
その張り紙を見せてもらったら、くだらない下衆な言葉が書いてあって
香織がめちゃくちゃ怖がってしまって大変だった。
それでも証拠がないからってあいつが言うから、俺は黙ってた。
そしたら今度は手紙が来たって見せられて、でもそれは手紙とかっていうもんじゃなくって
便箋13枚に渡って書かれた「香織」の文字。
さすがの俺もちょっとひいてしまったくらいだから、香織は本当に怖かったろう。
もうこれ以上は黙ってられないという俺を香織はそれでも止めたけど
その先輩に連絡とってその男に会わせてもらえるようにしてもらった。
香織が慕ってるその先輩がまこ。
香織とは正反対のはきはきした女で、その男の話をしたらさっさと手筈を整えてくれた。
元彼って奴と香織のアパートの前で待ち合わせて、香織には部屋に入ってるように言った。
香織は俺が暴力でも振るうんじゃないかと心配してた。
絶対手は出さない、男同士の話だからって約束したらやっと納得して部屋に入っていった。
夜に会ったから外は暗くって、部屋の窓を見ると香織がカーテンを少し開けて不安そうに見てた。
ここで手でも出そうもんならあいつ泣くだろうなって思って、その男と話し合いってやつをした。
話してみたら、まぁこいつの気持ちもわからなくもない。
今まで何も言われてなくて、急に好きな人が出来ましたって言われても簡単には納得できなかったという。
でも俺に会って、もう諦める決心をしたと言った。
俺は見た目で損をするといつも言われるけど、この時ばかりはそんな自分に感謝した。
最後に香織に直接謝りたいと言われて、本当はもう会わせたくなかったけど
ちゃんとあいつの前で終わりにした方がいいと思って
部屋の窓から隠れてるつもりで見てる香織を手招きして呼んだ。
なぜかその男も泣いてしまってちょっと驚いたけど
俺の手をとって握手してくるし、香織の手まで触って握手って、触ってんじゃねーよって思ったけど
香織がすでにビービー泣いてたから仕方なく三人で握手した。
ダサすぎだろ。
だけどこれで、やっと俺の女になったと思った。
初めて香織を抱いたとき、あいつは言ったんだ。
隆志が始めての人なら良かったって・・・ごめんねって。
その言葉に俺は、こいつを大事にしなきゃいけないって本気で思った。
今まで興味もなかった恋人の行事ってやつも
香織が嬉しそうに話すから、俺もなんだか楽しくって
あいつが行きたいって言った花火大会も二人で行った。
人混みと渋滞が嫌いな俺は、香織のせいでいつもそんなとこばっかり行かされた。
でも全然嫌じゃなくって、いつもあいつが笑ってくれるから。
俺は髪の短い女が好きだった。
別に意味はないんだけど好みって奴。
でも香織は何度言っても切ってくれなくって、それでもまぁ惚れた弱みって言うかなんていうか
どっちでもいいかって思ったりして。
香織は誰にでも基本的に愛想が良すぎるとこがあって
俺が声かけた時もそうなんだけど、頼まれたら断るのが下手で
どっかの男と遊びに行った時には、ほんとに頭にきて大喧嘩した。
相手の男の会社に電話してしまった俺に、香織が腹を立ててしまったからだ。
自分が他の男と遊んでて何でお前が怒るんだよって。
でも結局はまこの取り成しのお陰で、何とかおさまったんだけどな。
クリスマスに二人でツリー祭りとかいうのに行った。
ちょっと遠かったけど、香織がどうしても行きたいって言うから
俺は初めてブティックって所に入って、顔から火が出そうだったけど
香織に似合いそうな真っ白なロングコートを買ってその日に渡した。
あいつは俺に手編みのセーターを作ってくれてて、でもまたあいつ泣いてて
どうしたんだ?って聞いたら
「右と左の袖の長さが違うの。ぐすっ。うぇっ・・・編み直す時間・・・なくって・・・・」
「香織、泣くなって。ほら俺、左利きだからこの方が助かるぞ」
「・・・うぇっ・・・ほんとにぃ?」
「マジで。編み直されたら困る」
そう言ったら香織は嬉しそうに、涙でぐちゃぐちゃな顔で笑った。
俺が渡したロングコートは本当に香織によく似合ってて
歩道の脇の木が全部ツリーの電飾で飾られてるその道を二人でゆっくり歩いた。
その時ちょうど雪が降ってきて、俺が始めて香織を見付けたあの日のように
香織は両手を広げて大口開けて、また雪を食ってた。
俺の横で真っ白いコートを着て、くるくる回りながら雪を食ってる香織はほんとに綺麗で
この女が本当に好きだと思った。もっともっと幸せにしてやりたいと思った。
それなのに・・・・・
なんであんな風になっちまったんだろうな。