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ハロウィンの悪戯

作者: 壱札キセキ

 トリック・オア・トリート。お菓子をくれなければ悪戯するぞ。

 開口一番に先輩からそう言われた俺だったが、あいにくお菓子を持ち歩く習慣もなければ今日がハロウィンだということも忘れていたため、何も持ち合わせていなかった。

 すると先輩はニヤリと笑って「なら悪戯だな」と言いながら月見うどんを啜った。

 で。

「ドッペルゲンガーが現れた? 会長のですか?」

 悪戯という名前の謎解きをすることになった俺は、話の始まりを聞くなりオウム返しに言った。

 ドッペルゲンガー。

 江戸時代には「影の病」や「影のわずらい」と言われ、英語風に「ダブル」と言われることもある現象の一つだ。

 これはどういうものかと言うと、要するにもう一人の自分が本人の意思と関係なく別の場所に現れるというものだ。もし自分のドッペルゲンガーと出会ってしまうと、しばらくして死ぬという言い伝えもある……らしい。正直、俺はその存在さえ知らなかった。

 昼休み。色々な食べ物の匂いと、外から運ばれてきた金木犀の匂いが微かに混ざり合った食堂で俺――前川大地はカレーを食べていた。満席に近い食堂では雑談する声があちこちから飛び交っており、なかなかに賑やかだ。窓から差す秋晴れの太陽光が温かい。

「正確に言えば現れた『らしい』んだ。私は見ていないからな」

 正面の席で月見うどんをちゅるんと啜りながら頷く我らが大枝佳苗先輩に、俺は思わず安堵の溜息を漏らす。

 俺こと前川大地は一年生の生徒会役員であり、大枝佳苗先輩は二年生の生徒会会長だ。会長とは何かと縁があり、入学した直後から色々な事件や謎を共にしていた。

 生徒会メンバーは大枝会長、二年男子の副会長、二年女子の会計、俺を含む一年男子の書記二人という五人で構成されている。基本的に放課後以外はあまり接点を持つことのない五人だが、その中で俺と会長は例外的にこうして放課後以外でも一緒の時間を過ごすことが多かった。大半は偶然会った後に話す程度だが、時々お互いのどちらかが相手を訪ねていくこともある。ちなみに今こうして向かい合って食べているのは前者の偶然会ったパターンだ。最近たまに周りから言われるが、俺たちはいわゆる男女交際というものをしていない。そう言うと何故か溜息を吐かれることが多いのだが……はて?

 それにしても……存在自体が既に怪しいとはいえ、もしドッペルゲンガーなんてものが実在するなら会っていなくて良かった。時期は秋、十月三十一日の金曜日。まだ会長もその任に就いてから間もないというのに、そんな変なもののせいで死んでしまったなんて面白くもない洒落である。

「ミステリでは禁じ手の実はソーセージでした、っていうオチでもないんですよね」

「あいにく私に食用肉の家族はいないな。それを言うなら双生児だろう」

「ソーセージ」

「『せ』の後の『い』に気を付けろ。お前が私を豚だと言いたいなら別だが」

 単に滑舌が悪いだけなんです。睨まないでください。

 というか発音的にはあんまり変わらないような気がするのだが……会長って意外と細かい性格なんだ。何か豚かソーセージに関するトラウマでもあるのだろうか。

 そんな俺の心の中を読んだわけでもないはずなのに、会長の目が更に鋭くなったので話を本題へ戻して誤魔化すことにする。

「だけど会長が見たわけじゃないなら、誰が見たんです?」

「違うクラスの友人だ。その二人は三時間目がLL教室での授業だったんだが――」

 一度鼻を鳴らしてから会長も本題に戻る。短髪眼鏡美人の先輩によると、話の詳細はこういうことらしい。ちゅるん。

 二時間目と三時間目の間の休み時間。どこでも同じように授業の合間は騒がしくなり、LL教室付近でもこの食堂に負けず劣らずの活気が生まれていたという。

 ドッペルゲンガーがLL教室の前にいた姿は影しか見えなかったけれど、聞こえてきた声が会長のものだったので友人たちは近寄ろうとした。しかし二人が近づく前に、影は教室を出てすぐ隣にある階段から下りていく。

 影が会長だと思い込んだ友人たちは、今から授業が始まるのにどうしたのだろうと訝しく感じ小走りで階段へ向かった。しかし時間的に考えてまだ階段を下りているはずの会長は既にそこにおらず、代わりに上ってくる女子が一人いただけだった。

 常識的に考えれば友人たちの勘違いだろう。だが二人は頑なに「あれは佳苗に違いなかった」と言い張っているらしい。姿は影しか見えなかったけれど、聞こえてきた声は間違いなく会長のものだったと。

 だが会長はその時自分の教室にいた。教室で雑談をしていた友人の証言もあるという。

 これは一体どういうことなのか?

「……ということだ。前川はどう思う?」

 俺はカレーを食べる手を止めて考える。

 状況的に言っても友人二人の勘違いである可能性は高い。だが二人をそれで納得させないのは、間違いなく聞こえたという会長の声だ。教室にいた会長の声だけが瞬間移動してLL教室に移動する。そんなことが可能か?

 結論から言えば可能だ。だけどそれは論理的におかしい。

「会長、最後に学校の誰かへ電話をしたのはいつですか?」

「電話か? なんでまた……って、ああなるほど。そういうことか。だが前川、それはおかしくないか?」

 俺の言いたいことを悟ったのだろう。会長は赤いフレームの眼鏡を外してスープを一口飲むと、ゆっくり噛み砕くように話す。

「確かに携帯電話を使えば私の声を教室からLL教室まで飛ばすことは出来る。だが受話音量は最大にしても周りに聞こえるほど大きくならないし、精々相手の声が大きかった時に漏れ聞こえるかどうかという程度のはずだ。それにその時間に電話をしていればいくら私でも気付くし、仮に私が気付かなくても周りの誰かが気付くんじゃないか?」

 この話はお前だけじゃなくクラスの何人かにも話しているが、誰も何も気付かなかったぞと会長。

 その通りだ。だから俺自身この考えには納得していない。

 数学ではないのだから、人生における答えなど自分が納得出来るものをテキトーに作り出してしまえば良いのだ。肩肘を張りながら生きていては早々に疲れてしまう。別にそれが当たっていようと間違っていようと、誰かに迷惑をかけないなら何も問題ないし。

 とは言っても、どうしても納得の出来ない問題というものはある。そういう時は今回のように少し頭を働かせて答えを探してみることも面白い。

 だがいくらテキトーで良いと言っても、その結論に納得出来ないならダメだ。たとえ自分に嘘を吐いて無理矢理納得させたとしても、それはやはり肩肘を張って生きているから楽にはなれない。どうせ楽になれない道を選ぶならテキトーに結論付けず、哲学のように一生かけて答えを求め続けた方が良いだろう。

 さて、それなら他にはどんな可能性が考えられるか……。俺はスプーンをカレーの中に入れたまま置き、親指を顎に当てて思考する。

「そうだ。電話といえば前川、昨日の夕方に留守電を入れたんだが聞いたか?」

「え、留守電?」

 思考の海へ沈もうとした瞬間の言葉に、俺の意識は一気に現実へと引き戻された。

 その様子だと気付いていなかったみたいだな……と会長は溜息を吐くと、最後の一口らしいうどんの麺を口に運んで一息吐いた。

 慌てて携帯電話を確認すると、確かに昨日の六時頃に会長から電話が入っていた。六時頃というとちょうど電車に揺られていた時間か。寝る前にメールは確認したけど留守電の方は確認しなかったのが仇となった。

「すいません、すぐ聞きます!」

「いや、目の前に私がいるんだから直接訊けばいいじゃないか」

 騒がしい食堂では普通に受話部分へ耳を当てても聞こえるかどうか判らない。そのためスピーカー機能をオンにして再生しようとする俺に、会長は呆れ顔で言う。

 曰く、昨日の帰り際に先生が今やっている体育祭の仕事で訂正事項と追加事項を持ってきた。そのため栞なども全て刷り直しになり、今日は帰りが少し遅くなるかもしれない。各自そのつもりでいてほしいという内容の電話だったらしい。

 とりあえず急を要する件ではなかったようで、俺は再び安堵の溜息を吐いた。それくらいだったら後で家に一本連絡を入れれば済む。

「しかし前川が聞いていないなら他の奴らも怪しいな……。一応確認した方がいいか、それとも聞いていると信じるか……」

 いつの間にかスープまで飲み終わった会長は眼鏡をかけ直しつつ唸る。申し訳ないことをしたと落ち込む気分のままカレーを口に運ぶと、ルーが気管に入りかけて一瞬息が詰まった。水を一気飲みしてなんとか事無きを得たが、喉が少しひりひりする。

 大きく息を吐きつつ視線を前へ向けると、見慣れないものが会長の手の中にあった。

「あれ、ケータイ変えたんですか?」

「ん? ああ、前のものは通話機能が壊れかけてまともに聞こえなくなりつつあったからな。昨日買い替えてきたんだ」

 まともに聞こえなくなりつつあった? 昨日買い替えた?

「それ、具体的には何時頃のことですか?」

「たしか……七時くらいだったと思うが、それがどうかしたのか?」

 再び親指を顎に当てて考える。思考という名前の知恵の輪が音をたてながら頭の中でぐるぐる回り、やがて外れた。もう一度逆から考えて外した輪を組み合わせてみるが、矛盾はないようで簡単に嵌った。

 なるほど、そういうことだったのか。これでやっとドッペルゲンガーの正体が解った。

 つまりこういうことだろう。

 昨日の夜六時頃。会長は俺も含む生徒会役員へ電話をしたが、おそらくほとんどの役員が出られなかったのだ。そうでなければ「他の奴ら」という表現は出ないはずである。そして七時頃にケータイを買い替え今に至っている。

 ここまでは前提条件というか確認だ。

 さて、では問題のドッペルゲンガーの正体は一体何だったのか? 諸々の要素を考える限り俺の出せる答えは一つだけ。生徒会会計の二年女子だ。

 うちの高校は男子校でもなければ女子校でもないため、生徒会役員も三対二の割合で男女がいる。影とはいえ身長や体格的に男女を間違えることはないはずだ。時間差的にも考えて、影の主はクラスメイトが見たという階段を上って来ていた女子に違いない。

 そしてその女子が会計の人なら全ての謎は解ける。おそらく彼女はその時、会長が入れた留守電を聞いていたのだ。

 大抵の場合、人は自分や相手の声が聞こえにくいと大きな声で話すようになる。昨日携帯電話を買い替える前に留守電を入れた会長もそうしたことだろう。

 それでも普通に聞いていては、さっき会長が言った通り精々が漏れ聞こえるかどうかという音量にしかならない。離れた場所のクラスメイトたちには届かなかったことだろう。

 だが三時間目前のLL教室付近は、この食堂と同じくらい騒がしかったという。そんな場所で留守電を聞こうとするなら、ドッペルゲンガーの正体である彼女はどうしただろうか。おそらくさっきの俺と同じようにスピーカー機能をオンにするか、イヤホンなどを付けてしっかり聞き取れるようにしようとしたはずだ。

 もしイヤホンなどを持っておらず、スピーカー機能をオンにしていたら。そして入っていた留守電が大きな声で録音されたものなら。留守電は廊下に響き、離れた場所にいた友人二人にも聞こえたのではないだろうか。

 溜息を小さく吐いて、俺はカレーをまた一口食べる。

 正直な話、この推論が正しいかどうかは判らない。いくら頭を働かせても物的証拠をはじめ証拠になりそうなものは何もないし、ドッペルゲンガー自身に訊かなければ正否など判りはしないからだ。

 だがそれでいい。人生における答えなど大半がテキトーなものなのだ。自分が納得出来て、誰かに迷惑をかけなければ問題ないではないか。俺はこれ以外の答えを思いつかないし、納得出来たからそれでいい。

 一人頷いていると、休憩も終わり水を飲み終えた会長が席を立つ。

「さて、それじゃあ私は教室に戻る。さっきの謎の答えがもし解ったらまた教えてくれ」

「あ、はい。わかりました」

「頼んだぞ。――じゃ、またな」

 携帯電話を胸ポケットにしまい、トレイを返却口へ返してから会長は食堂を右手の方へ出て行く。

 まるで存在していないかのように人波の中を縫い進んでいく後姿を見送ってから、俺も最後の一口を食べ終わって席を立った。ふと腕時計を見ればまだ昼休みは半分以上残っている。さて、これから何をしようか。

 とりあえず家には一本連絡を入れないといけないか。今なら母さんも暇な時間だろうし丁度いいかな。

「お、前川じゃないか。珍しいな、お前が食堂に来るなんて」

「え? あれ、会長?」

 食堂を出ながら携帯電話を弄っていると、運動場のある左手の方から聞き覚えのある声がかけられた。まさかと思って振り返ればやはり大枝佳苗会長だ。

「あれ、今反対方向に出て行ったばかりですよね?」

「は? 何言ってるんだ、私は今来たばかりだぞ」

「え? さっきまで月見うどん食べてませんでしたか?」

「食べてない。確かに今日は月見うどんにしようとは思っているが……なんだ、白昼夢でも見ていたのか?」

 白昼夢? 本当に?

 いや違う。だって間違いなく俺は満腹になっているし、財布の中を見てもカレー代がなくなっているうえ喉もひりひりと痛んでいる。それに白昼夢なら、これほどハッキリとさっきまでのやり取りやカレーの味を思い出せるはずがない。結局は夢なのだから。

 まさか……。

「そうだ前川。少し訊きたいことがあるんだが、暇なら付き合ってくれないか? 今日の三時間目前に不思議なことがあってな。――お前、ドッペルゲンガーというものを知っているか?」

「……はい、知ってます。どうやら今会ったみたいですし」

「は?」

 きょとんとする会長に構わず、俺は一気に重たくなった頭を片手で支えるようにして目を覆った。

 ハロウィン。それはもともと発祥国における日本で言うところのお盆であり、有害なものから身を守るために始められた魔除けの儀式だったという。

 どうやら俺はそれに混じった「何か」に化かされたらしい。

「これが本当の悪戯ってか……?」

 トリック・オア・トリート。夢なのか現実なのか、誰か納得出来る答えをください。

 思わずそう叫びたくなった高校一年目の秋は、俺の頭と胸の内を混乱させたまま過ぎ去っていった。

 どこからか聞こえてきたクスクスと笑う声は、きっと気のせいじゃない。

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