情熱ごと身を投げて
夜。鬼ごっこを楽しんできた鈴木重定は、暫しの仮眠を取っていた。
刀を抱き、胡坐を掻いて眠る。夜間以外に眠るときは、父親に刀を譲り渡されてから、ずっとこうしていた。父もまた、こうして大切にこの刀と共に眠っていたから。
浅い眠り。現と夢が交錯する世界の境界を彷徨う彼は、戸締りの悪い小屋の戸を開く音で、現へと引き戻された。
「兄さま、重政、ただいま帰りました。」
艶やかな黒髪に、はっきりとした双眸、鈴の音の様な声と、白くしなやかな身体を白い襦袢で包んだ、まるで少女の様な容貌をした少年だった。
肩には、此処に来て、殺害された日本兵から奪い取ったのだろう。名を、鈴木重政。鈴木重定の実弟である。
「政。いい加減、その態度を改めろ。」
ゆっくりと目蓋を上げた重定は、その何処か遠慮がちに聞こえる重政の口調を咎めた。
そう言われた重政は、申し訳なさそうに視線を落とし、おどおどとした様子で、か細い声で弁明の言葉を連ねていく。
「申し訳ありません、兄さま。けれど、その、これは某の性でありまして……。」
「そうだからお前は見下される。胸を張れ。お前も雑賀の一人。そして決して弱くは無い。」
鈴木重定は何も実弟を疎ましく思ってそう言うのではない。けれどもそう言われた当人は、落ち込んだ様子で頭を垂れていた。
重定は彼に強く生きて欲しかった。そして彼はそうあれる男だ。けれども彼は、幼い頃から実兄である重定の後ろに隠れて、前に出ようとしない。
困った物だとは思うが、けれどもその悩みは贅沢な物だ、とも思う。この森の奥で、人を殺して生き続ける。
本当なら、重定は独りになる筈だった。そう考えれば、感謝の情念すら、彼の心に湧いてくる。
「また、誰かが来たのですね。」
重政が、乱雑に脱ぎ捨てられた当世具足を見てそう言った。その表情は、『叱られたから』とは、また違う、心に深く差し込んだ悲しみ。
襦袢の裾をきゅっと握り締めて、感極まった勘定が、積もり積もった感情が奔流となって言葉を形作る。
「……兄さま。こんな生活は何時まで続くのでしょう。人が来て、人を殺し。また人が来て、人を殺す。某には、某には、耐えられません。あと何人……兄さまは人を殺せば、平穏無事な生活を送れるのでしょうか。」
「俺達は戦乱の世から続く雑賀衆の子孫。殺し合いは避けられん。」
「けれど……某は、兄さまは。現代の……人です……。こんな……こんな事なら、いっそ……。」
声が震えて、俯く彼の足下にぽつりぽつりと水滴が落ちて染みを作っていく。
そう言ったって仕方ないのは分かっている。彼だけが特別と言う訳では無い事は分かっている。外では何人もの兵士達が毎日の様に殺し合いをしている。
けれども、今目の前で、ただの刀の一つの為だけに人を殺し続ける兄の姿に、鈴木重政は堪えられなかった。
こんな悲しい思いをするのなら、刀何て渡してしまえばいい。血や、誇り何か捨てて、何処か遠い所で暮らせばいい。
「……肌の色など関係なく。敵を殺す。其処に善も悪も無い。分かれ政。俺も奴等も変わらんのだ。代えられない何かの為に死ぬる。それが出来る。それだけだ。」
だが、兄は誇りを選ぶ。人らしさよりも、一族の、雑賀孫市の誇りを選んだのだ。ならば、自分に出来る事等僅か限られている。けれども、僅かにだって出来る事はあるのだ。
「……はい、兄さま。」
ならばせめてこの鉄砲で、人殺しの手助けをしよう。兄が孫市でいられるように、その手伝いを。